2025年12月15日月曜日

各国で広がる16 歳未満の SNS 禁止

 Banning social media 

多くの国で、16 歳未満の SNS 禁止の法制化を進めているという新聞報道があった。日本でも、愛知県豊明市が子供の SNS 使用を制限する条例を制定した。多くの国は法律の適用範囲を「16 歳未満」としている。「16 歳未満」とはつまり「中学生以下」ということだ。中学生くらいだと、 SNS の情報をなんでもまに受けてしまう。SNS にあふれている、どうでもいい情報や、うわべだけの情報や、偏った情報や、間違った情報などを、そうとは判断できずに信じてしまう。子供たちが SNS の情報だけで分かったつもりになって、それ以上のことを自分の頭で考えなくなることが問題だ。

もっとも、 SNS の情報をありがたがって、そのまま真に受けてしまう「SNS 依存症」の大人が多いのも問題だが。


2025年12月14日日曜日

「終末映画」3選

Apocalyptic Movies

前回、「終末映画」のひとつ「レフト・ビハインド」について書いたが、今回はさらに3つの終末映画を紹介する。「終末」とは聖書の「黙示録」の思想で、やがて大惨事が起きて人類は滅亡して、この世は終わるという予言の書だ。終末映画は、その大惨事をさまざまな設定にしている。以下の3つはそれぞれ「核戦争」「パンデミック」「気候変動」という現代的な題材で終末の舞台設定をしている。そして終末思想の重要な点は、悲惨で絶望的なこの世が終わっても、その後に新たな素晴らしい世界が再出発するだろうという希望の物語でもある。「終末映画」のストーリーは、そのような聖書の物語に沿っている。


「ザ・ウォーカー」

題名の「歩く人」のとうり、主人公の男は最初から最後までひたすら歩き続ける。そこは核戦争で壊滅した廃墟の世界で、人間の文明は崩壊している。生き残ったわずかの人間は、略奪や強盗や殺人をやっている無法の世界だ。その闇の世界を牛耳っている男がいて、「歩く人」が 持っている持ち物を奪おうとする。しかし「歩く人」は強く、あらゆる攻撃をはねのけて持ち物を守る。しかし持ち物が何かを映画は最後まで明かさない。

最後の最後に着いた男の目的地は、生き残ったわずかの人たちが文明社会を再建しようと作っている図書館だった。そして男が持ってきたのは一冊の本で、それを本棚にそっと置く。カメラがその本のタイトルをクローズアップで映すと、それは「HOLY BIBLE」だった。それは地球上でただ一冊だけ残っていた「聖書」だったのだ。滅亡した世界を再建するのは聖書の力だというメッセージの映画だ。


「アイ・アム・レジェンド」

ウィルスが突然変異して強力になり、地球上の人口の9割が感染して死滅してしまう。残りの人間は凶暴な人食いゾンビになっている。荒廃した無人のニューヨークに生き残った主人公の科学者は必死に血清の開発をやっている。やがて血清の開発に成功するが、そのときゾンビ軍団に襲われる。男は血清を守るために、手榴弾でゾンビもろとも自爆してしまう。そしてその直前に大事な血清のサンプルをもう一人の女性の生存者に託す。

女性は、ニューヨークから避難した人たちの住むコロニーへ託された血清を届ける。村には大きな教会があり、外部の人間の侵入を防ぐために、銃を持った兵士が警戒している。そして星条旗が掲げられている。この映像は、アメリカを守るのは「軍隊」という政治権力と結びついた「教会」だ、というキリスト教原理主義者のメッセージを表している。そして人類のために命を捧げた主人公の科学者を、救世主(メシア)として讃えている。


「ノウイング」

主人公の少女の祖母が子供の頃に埋めたタイムカプセルを開けてみると、無数に書き連ねた暗号のような数字が出てくる。それを宇宙物理学者が読み解く。例えば「911012996」はアメリカ同時多発テロの日付と犠牲者数だった。他の数字も過去の天災や人災と一致していることが判明する。そして今後起こるであろう大惨事の予言の数字も含まれている。そして予言どうりの日に本当に大惨事が起こる。巨大な太陽フレアによるオゾン層破壊が原因で超高温になり、地球は大火災で焼き尽くされていく。人類滅亡の危機になったとき、異星人が宇宙船に乗ってくる。異星人は男女二人の子供を選んで宇宙船に乗せて連れ去る。

ラストで、二人が天国で幸せそうに遊んでいるシーンで終わる。この二人は聖書の物語にある、「携挙」で神に選ばれた人間に当たる。そして二人はやがて結婚して、新しい人類世界を樹立することを暗示している。


なお、終末論や終末映画については、以下の本が参考になる。
 「映画と黙示録」 岡田温司
 「アメリカ映画とキリスト教」 木谷佳楠
 「ハリウッド映画と聖書」 アデル・ラインハルツ

2025年12月13日土曜日

映画「レフト・ビハインド」と終末論

「Left Behind」

前回「福音派 - 終末論に引き裂かれるアメリカ社会」という本について書いたが、その本は、映画「レフト・ビハインド」について触れている。この「Left Behind」という題名は「後に取り残された者」という意味で、聖書の思想の根本である「終末論」に基づいている。本では、この映画が、聖書を絶対とする福音派がアメリカで勢力を伸ばしたきっかけの一つだったとしている。

ストーリーはだいたいこんな感じだ。 旅客機がエンジンの故障で火を吹き、乗客は墜落して死ぬことを覚悟する。しかし飛行機は墜落せずに出発した空港に引き返せた。ところが到着するとなぜか乗客全員が消えていた。しかしただ一人の男だけが生き残っていた。彼以外の乗客たちは、キリスト教の熱心な信者だったのに対して、男だけがまったく信仰心がない人間だった・・・

我々日本人にはこの映画の意味がわかりにくい。善い人が皆いなくなったのに、なぜ神様を信じない者だけが生き残ったのか、と不思議に思う。しかしアメリカ人はこれを見てすぐに映画が言いたいことの意味を理解する。これは聖書の重要な思想である「終末論」の考え方によっているからだ。飛行機が墜落して全員が死ぬのは聖書の言う「終末」に当たり、地獄に落ちるような無惨な死に方をする前に、神様が信仰深い人だけを天国に招くのは、聖書の言う「携挙」に当たる。「携挙」とは、助かる者と助からない者の選別をすることで、この男にように「携挙」されなかった人間は、地獄行きになる。しかしたまたま飛行機が墜落しなかったので、男は生き残っただけなのだ。

聖書の「終末論」は、やがて大惨事が起きて、人類は滅亡するという予言の書だが、聖書を絶対とする「福音派」の信者をはじめ、アメリカ人はこの予言を信じる人が圧倒的に多い。この映画は、ちょうど 9.11. のテロ事件と同じ時期だったので、火を吹く旅客機の映画のシーンと、イスラム教徒が貿易センタービルに突入したニュースの映像とが重なって、聖書が予言するこの世の終わりが現実に起こったというリアリティをアメリカ人は感じた。


2025年12月12日金曜日

福音派

 Evangelical

いまのトランプ大統領の政治はメチャクチャのように見えて理解不能だが、最近出た「福音派 - 終末論に引き裂かれるアメリカ社会」という本を読むと、そのわけがよく理解できる。題名のとおり、いま絶大な影響力を誇るアメリカの宗教団体「福音派」が勢力を伸ばし、単なる宗教の会派を超えて、巨大な政治勢力になっていること解明している。

「福音派」は、トランプ大統領の最大の岩盤支持層だから、トランプ大統領の政策も「福音派」の思想を忠実に実行している。人種差別政策や、排外主義政策や、反イスラム・親イスラエル政策などにそれが表れている。

「福音派」の思想は、聖書の教義を忠実に守ることにある。異教徒の攻撃によって、自分たちキリスト教徒が危機に直面するという聖書の「終末論」を信じている。だから異教徒の敵と闘い、打ち勝って神に約束された自分たちの土地を守るべし、という聖書の教えを信じる思想だ。それが上記のようなトランプ大統領の政策に反映されている。

このような「福音派」の極右的な思想が、トランプの「アメリカファースト」のナショナリズと結びついた結果、現在のような分断国家アメリカを生んだ、というのがこの本の趣旨で、題名の「福音派 - 終末論に引き裂かれるアメリカ社会」はそのことを指している。


2025年12月11日木曜日

電柱は犬の SNS?

 

ある人が面白いことを言っていた。「電柱は犬の SNS だ」。犬は散歩の途中で電柱があると必ず匂いを嗅ぐ。匂いで犬友と情報交換をして、自分も「いいね」のシャーをする。だから犬にとって電柱は、人間の SNS と同じというわけだ。

これを言った人、もしかしたら本当は逆に、こう言いたかったのかもしれない。「人間の SNS なんて、犬の電柱みたいなものだ」😅


2025年12月10日水曜日

よくお勉強する国会議員

 Election

今の国会、いろいろと話題が多くて盛り上がっているようだが、それで今夏の参院選のことを思い出した。候補者が街頭演説をやっていると、ヒマな年寄りなので熱心に聞く。演説が終わると、候補者が聴衆一人ひとりに握手を求めてくる。

自分もニコニコして握手をしながら質問する。「いま、物価高で苦しむ国民のために消費税減税をするとおっしゃってましたが、社会保障費 100 兆円の財源はほとんどが消費税ですよね。だから消費税減税をすると年金支給額も減ってしまうんじゃないですか? 私は年金生活者だけど、どうしてくれるんですか?」と聞いてみる。イヤミな年寄りだと思われるのはわかっているが、候補者のレベルを見極めることができる。

そのなかで、とんでもなく面白かったのがこの答えだった。「エーとあのー、それはですね、エーとエーと、いま党内で勉強会を開いて勉強しているところです。」 これには思わず「はぁ?」と絶句してしまった。

ちなみにこの候補者は当選したから、今の国会に出ているはずだが、お勉強は済んだだろうか?


2025年12月9日火曜日

AI のバイアス

AI bias 

 AI の普及で最近、企業が学生の採用にまで AI を使い始めていて、学生がオンラインで AI の面接を受けている。人間が面接すると、例えば女性の場合、容姿が評価に影響するなどの偏見が生じやすい。しかしAI が面接すれば、そういうことがなく、公正・公平な評価ができるというのが AI を使う理由になっている。しかし本当にそうなのか多くの疑問が指摘されている。

そもそも AI は人間が作ったデータベースを学習して、それをもとに物事を判断する。だから、データベース自体に人間の偏見がまぎれこんでいると AI もそれを学習して偏見のある判断をする。アメリカのある企業が求職者の採用の AI アプリを開発したが、年齢や性別や人種などに対する、人間の偏見の影響を取り除けなかったという。

だいたい以上のようなことを半年ほど前に書いた。(「AI が面接?」2025. 5. 1.)→ https://saitotomonaga.blogspot.com/2025/05/ai.html


先日、この問題について、人間の偏見(バイアス)が AI の判断に入り込まないようにするデータベースをソニーが開発したという報道(日経新聞、12 / 3)があった。従来は例えば女性の写真を AI に見せて、「この人の職業は何?」と尋ねると、その顔がおばさんぽかったりすると「主婦」と答える。「主婦」のイメージに対する人間の固定観念が AI に反映しているからだ。この新しいデータベースでは、「主婦」の写真を、人種・性別・年齢・容姿などの偏りなく収集して、 AI が偏見を持たないようにしている。それを「脱バイアス」のデータベースと呼んでいる。