2026年2月1日日曜日

フェイク情報

 

選挙が始まって、ネット上のフェイク情報がますます増えてきた。発信元が外国勢力かららしきものも多い。最近「認知戦」という言葉がよく使われるようになったが、SNS を利用して世論操作をする。

最近アメリカ政府は、中国製アプリの TikTok の使用を禁止したが、中国の「認知戦」による影響を防ぐためだ。逆に中国では、グーグルやフェイスブックは使えない。かつて東西冷戦の頃は「鉄のカーテン」だったが、今は「シリコンのカーテン」になっている。

歴史学者のユバル・ノア・ハラリは、このようなデジタルデータを使って世界へ自国の影響力を広げようとするのを「データ植民地主義」と呼んでいる。そして SNS を利用して覇権をねらう国を「デジタル帝国」と呼んでいる。実際、昨今の世界情勢を見ているとそのとうりのことが起こっている。


2026年1月31日土曜日

映画「ジョーンはひどい人」

 「Joan is Awful」

「ジョーンはひどい人」という映画は、前回書いた「ブラック・ミラー」シリーズの第6話で、これも IT 技術の発達で犠牲になる人間をパロディー化したブラック・ユーモアだ。

主人公のジョーンは IT 企業で働く中間管理職の優秀なキャリアウーマンだ。ある日、役員の命令で部下をリストラする。その夜、プライベートで元彼と会って食事をする。ところが家に帰って何気なくNETFLIX を見ると、「ジョーンはひどい人」という映画をやっている。その映画の主人公はジョーン本人にそっくりで、自分がやった今日一日の行動を悪い印象を与えるように作っている。 CG 映像で作ったフェイク動画だが、自分の一日をリアルタイムでその日のうちに作って、しかもネット配信されているのを見てびっくりする。そして翌日会社へ行くと、全員がこの映画を見ていて、「ジョーンはひどい人」と白い目で見られる・・・

最新の生成AI と高速の量子コンピュータを使って作った動画だが、誰が作ったのかわからない。ジョーンは怒り狂るって頭がおかしくなってしまう。やがて CG のジョーンがリアルのジョーンに会いに来たりして・・・バーチャルとリアルが入り混じったりしてパロディとして面白い。現在でもすでにフェイク動画がネット上に溢れていて、SF 的未来の話とは思えない。

 

2026年1月30日金曜日

映画「ブラック・ミラー」

 「Black Mirror」

「ブラック・ミラー」という映画が面白い。NETFLIXで配信している7回連続のドラマシリーズ。ネット時代の今の社会を風刺しているパロディー映画だ。第1話はこんな感じ。

脳の病気を患った女性が、脳をすべて切除して、新しい脳に入れ替える移植手術を受ける。その新しい脳はネットと繋がっていて、本人はそこから入ってくる情報に基づいて行動するようになる。自分で考えることはない。彼女は小学校の教師をしているが、ネットで得た情報を教室でそのまましゃべるから、おかしなことにり、クビになってしまう。つまり彼女は頭にスマホを埋め込まれた「スマホ人間」になっていたのだ。

それで、人工脳を運営する会社に相談すると、あなたの契約しているプランは基本プランだからで、もっと多機能のプランに変更するとよくなりますよ、と言われる。月額料金が5万円に増えるのだが、泣く泣く契約する。すると、企業のコマーシャルが入ってくるようになり、本人はその受け取ったコマーシャルをそのままオウム返しにしゃべるようになってしまう・・・

この第1話のタイトル「普通の人々」だが、まさにスマホから入ってくるネットの情報をそのまま間に受けて、ネットに支配されている現代の普通の人々を痛烈に皮肉っている。


2026年1月29日木曜日

映画「サタンタンゴ」の映像(続き)

「Satan Tango」 

前回投稿(↓)の続き(https://www.blogger.com/blog/post/edit/5842824525266145803/6738002736211797760

貧しい村にやって来た若者は救世主の顔をして村人に演説する。村を捨てて、新しい土地へ移住して楽園のような村を作ると言う。そのための資金だとして金を寄付をさせる。それを信じて村人たちは偽救世主について行くが、着いた先は荒れ果てた廃墟の家だった。人々は騙されたのではと疑念を持ち始める。そのシーンで村人の顔をクローズアップで撮る。顔の周囲をカメラが2分もかけて 360° ゆっくりと回る。この長回しによって、怒りや悲しみではない、夢などなかったのだという諦めの気持ちが伝わってくる。秀逸なカメラワークだ。


村人が町に到着すると、何頭もの馬が無人の広場に登場して、モニュメントの周りをぐるぐる回る。唐突で非現実的なシーンだ。後ろに見えるのは市庁舎らしき建物で、人間の代わりに馬しかいないことで、政治権力の空虚さを暗示しているようだ。そのことは、この後のシーンで、役人の官僚主義的な仕事ぶりを皮肉るシーンが出てくることから分かる。


ラストで、村人が全員村を出ていき、誰もいなくなる。一人だけ残った飲んだくれの老医師は毎日窓から村人たちを観察していたのだが、その意味がなくなり、窓に板を打ちつけていく。最後の一枚を打ち付けると、画面は暗闇になり映画は終わる。世界から自らを閉ざしてしまった老医師が最後にどうなるかは示されていない。暗闇の中で彼の独り言だけが聞こえてくるが、それは神の不在を意味する言葉だ。希望も救いもないエンディングだ。


この映画を見終わってみると、7時間という長尺がまったく冗長ではない。映像の ”密度” が濃く、目を釘付けにされ続ける。

2026年1月28日水曜日

映画「サタンタンゴ」の長回し映像

 「Satan Tango」

名作「サタンタンゴ」は最後まで救いのない絶望の映画で、タル・ベーラ監督の映画に一貫している終末論思想の映画だ。ストーリーはこんな感じだ。

専制独裁政治体制(共産政権時代のハンガリーを下敷きにしている)のもと、集団農場政策が失敗して、村が荒廃している。農民たちは貧しく、路頭に迷う絶望的な生活をしている。人々は救世主が現れることを願っているが、そこにかつて反体制派のリーダーだった若い男が帰ってくる。その若者が悲惨な現状を打開してくれるだろうと人々は期待を抱く。しかし・・・

他のタル・ベーラ作品と同じく、この映画も白黒で撮られていて、暗い陰鬱な映像に終始する。そしてこの映画は7時間超の長尺だ。それでいて全編およそ150 カットしかない。だから1カット平均3分くらいという驚異的な長回しのシーンが続く。

一例をあげると、絶望した少女が、飼い猫に農薬を飲ませて殺してしまう。自分も死のうと、死んだ猫を抱えて廃墟になった教会へ向かう。このシーンで、少女が歩いているのをカメラは少女と一定の距離を保ったまま2分半も撮り続ける。その間、画面のフレーミングも一定のままで、放心したような少女の表情もまったく変わらない。絶望的な死というタルベーラ監督の終末論思想をこのカメラワークで表現している。


もうひとつの例は、救世主と思われていた若者が、荒廃した村に帰ってくるシーンで、無数の紙片が風に舞っている。若者とその相棒の後ろ姿を約2分間も長回しで追い続ける。この紙片は役所の書類を暗示していて、若者が、権力に取り込まれた官僚主義者になっていて、決して救世主ではないことが後になって分かるのだが、そのことをこのシーンで暗示している。


居酒屋で村人たちが酒を飲んでいるシーンは延々と10 分以上続く。狂ったようにダンスをしまくる2組の男女、グラス片手にパンを頭に乗せて歩き回る男、酔い潰れてベンチで寝ている男、など全員が、酔っ払って呆けている。その人間たちを、動物園の動物を観察するかのように、第三者的な冷ややかな目で、カメラを固定したまま撮っている。抜け殻のようになっている人間たちの虚無感の表現で、この長回しは効果的だ。ここもセリフはなくアコーディオンの音楽だけが鳴り続ける。


これらのシーンは、セリフもないし、ナレーションもない。背景音がかすかに鳴っているだけだ。タル・ベーラ監督自身も、「映画で肝心なのは物語よりも、空間や時間の組み立てそれ自体にある」と語っているとおり、映像で物語る映画だ。逆に観客は映像を読み取る力が求められる。

2026年1月27日火曜日

高齢者の長生き願望

 

高齢化社会で、長生き願望の強い年寄りが多い。だから健康長生きの秘訣を求める人たちの需要に応じて、老人医療が専門の医者の本が売れる。例えばある本では、「人生のピークを老後に持ってこよう」と言っている。現役時代にやりきれなかったことを、引退した後にも諦めずに頑張ろうと言う。それが「幸せな最期を迎えるコツ」だというのだ。

自分を振り返ってみると、失敗だらけのろくでもない人生だった。だからこれ以上長く生き続けたいとは思わない。しかしこの本に共感する人たちは、きっと素晴らしい人生を送ってきたから、それをもっと続けたいと思っているのだろう。うらやましいことだ。

しかし自分の場合、現役時代にじゅうぶんにやれなかったのは、自分の能力が足りなかったからで、今更「老後にピークを」などと言われても意味がない。それができるくらいなら若いうちからもっと努力しておけよという話だ。

だからいまさら頑張ろうなどという気はない。今までやってきた趣味を気楽に続けるだけだ。趣味は、本と映画と絵の3つなので、引退後は、図書館、映画館、美術館へ通ってきた。それを勝手に「3館生活」と呼んできた。しかし最近はそこへ行くだけの体力が衰えてきた。その代わりに、ネット通販の Amazon で、本もDVD も画集も入手する。だから「3館生活」はもう必要なくなった。くだんの医者先生は体力があるうちにいろいろやっておけというが、そんな心配はない。


2026年1月26日月曜日

ブログについて

 

「フェイスブック」の情報は、日々流れていくだけなので「フロー型情報」と呼ばれる。一方「ブログ」の情報は、投稿した情報が蓄積されていくから「ストック型情報」と呼ばれる。

「フェイスブック」の投稿は FB友全員に配信されるが、「ブログ」は誰か特定の人に向けて発信されるものではない。ネット上に置いておくだけで、それを不特定多数の読みたい人だけが読みにくる。多くは、Google の検索で見つけて読みにくる。だから3年前や5年前の投稿でも読みにくる人がいる。

だからブログの内容は、何らかのまとまりのある「考え」を書く必要がある。フェイスブックのような日々の近況報告的な内容とは違う。添付画像も文章の文脈に沿ったものだけでなければならない。撮った写真を文脈に関係なく、やみくもにたくさん添付すると、ときどき画像添付ができなくなる。これは、サーバー側のストレージ容量を超えてしまうのが原因だ。