2015年12月31日木曜日

三渓園、庭園の美しさ

Picturesque Garden

三渓園は地元なのでときどき散歩に行く。年末年始の時期も人で賑わっている。明治時代の富豪で古建築コレクターだった原三渓が、いろいろな場所のいろいろな時代の建物を移築してこの庭園を作った。寺、茶屋、書院、農家、などのさまざまな種類の建物が広い敷地の中に建てられ、美しい景色を作りだしている。この山門もここをくぐったからといって奥にお寺があるわけではなく、単に風景のひきたて役としてここに置かれている。

Temple gate in Sankei-en garden     Watercolor


園内いちばん人気の景色がここ。遠景の三重の塔に桜と池の小舟、と典型的な「絵になる風景」で、実際ここを描く人が多い。「絵のように美しい風景」を作るのが目的の庭園のようだ。ネットで「日本庭園ベスト50」というのを見たら、三渓園はかろうじて48位で、上位の多くが西日本にある寺や旅館の庭。自然の風景を凝縮して再現しているが、人が作ったものでないような自然に見せるのが日本庭園の極意らしい。

昔18世紀のイギリスで「ピクチャレスク絵画」というのが流行した。人々が外国旅行をする時代になり、各地の美しい景色を絵はがき的に描くものだった。また実在しない理想の風景を画家が作り上げて描くことも多かった。さらに絵だけではあきたらず、実際にそんな風景を作ってしまおうというので「ピクチャレスク庭園」というのがはやった。森や池に建物を配して風景を作ったが、日本庭園に通じるものがある。

対照的なのがフランス庭園でヴェルサイユ宮殿の庭が有名だ。樹や池を幾何学的に構成して人工的な美しさを作る。その中にあるこの滝と噴水の庭も日本庭園の水の扱い方とはずいぶん違う。最近までやっていた映画「ヴェルサイユの宮廷庭師」は、これを作った造園デザイナーの話だが、その巨匠が庭の美しさは「秩序」であり「秩序とは自然を人間が作り変えることだ」と言う。日本庭園とまったく逆なことがよく分かる。

2015年12月25日金曜日

閑人の ☆☆☆☆☆ 映画        「リトルプリンス  星の王子さまと私」

    The Little Prince


公開中のこの映画を観て、もう一度「星の王子さま」を読んでみたが、その本の「訳者あとがき」の中でとてもいい指摘がされていたので紹介したい。

「『星の王子さま』は小さい子供が読むのにふさわしい童話ではありません。この本が子供向きのお話のように受け取られているのは解せないことです。これは本屋の児童書コーナーに置かれて子供たちの人気になる性質の本ではありません。世の中には『童話』と称して、大人が子供向きに書いた不思議な本がありますが、これはその種の童話ではなく、あくまでも大人が読むべき『小説』です。
しかし一方で、子供は子供向きに書いた本でなければ読めないということではありません。子供はそんな離乳食みたいな童話をあてがわれて育つものではないのです。本を読むことが好きな子供なら、やがて大人の読むものを読みたがるようになります。子供にとって本当に面白い本とは、しばしば大人が子供向きでないと思って子供に読ませたがらない本なのです。その意味では、この本も大人の本を読みはじめた子供には魅力的なのかもしれません。」(「新訳  星の王子さま」  訳:倉橋由美子 より)

サン = テグジュペリのベストセラー小説「人間の大地」は、飛行機のパイロットだった作者がサハラ砂漠の真ん中で不時着して生死をさまよった経験をもとに書いた本だ。死を前にして、今までの人生を想い、わいてくる内省や瞑想の念を淡々と書いている。後にその小説をもとに子供向けバーションとして書いたのが「星の王子さま」だ。だから形は冒険とファンタジーがいっぱいの童話でも、子供がほんとうの意味を理解するのはたしかに難しいと思う。(写真:サン = テグジュペリと不時着して大破した飛行機。「人間の大地」より)

この映画では、そこのところがうまく考えられている。9才の女の子とその母親を登場させるのだが、母親は典型的教育ママで、名門校に入れようと毎日毎晩女の子に勉強を強いている。この母親が「大人」の代表で、隣のボロ家に住む年寄りの元パイロット(これはサン = テグジュペリ自身)が「反大人」の代表という構図になっている。この対比によって、「大人になる」とはどういうことか、そしてサン = テグジュペリのメッセージである「大人にならないことの大切さ」が子供にも理解できる(たぶん)しかけになっている。




2015年12月19日土曜日

2015年12月12日土曜日

昔の写真作品

Old photo works in my student days.

押し入れをかきまわしていたら、学生時代に撮った写真がたくさん出てきて、写真に凝っていたころを思い出した。50 年ぶりに作品と対面したが、結構うまくて感心してしまう。 200mmくらいの望遠レンズで撮るのが好きだった。


あのころ モホリ • ナギ にあこがれていた。構成的な写真が多いのはその影響だと思う。引伸し機など機材を買って、自分で現像やプリントをしていた。ネガフィルムを2枚重ねてプリントするダブルイメージの技法で抽象写真を作ったりもしていた(下右)。今なら Photoshop で自由自在にできてしまうことだが、当時はもちろんパソコンなど影も形もない時代だった。




2015年12月7日月曜日

Art Fitzpatrick のイラストレーション

Art Fitzpatrick 氏がつい先日、亡くなったというニュースがあった。96歳まで昔のままのスタイルで描き続けていたのは驚きだった。

1960〜1970年くらいのあいだ、Pontiac の広告シリーズで一世を風靡したが、当時、雑誌を切り抜いて集めたスクラップブックはいまだにとってある。とても絵画的なイラストレーションだが、車はエアブラシでフォトリアルに描かれている。そして情景と車が、巧みな光の表現によって見事に融合している。(氏が車を描き、情景はコンビを組んでいた Van Kaufman が担当していた。それでサインは「AF VK」 となっている)


夢とあこがれの生活の情景をゴージャスに、あるいはロマンチックに描き、それを演出する道具としての自動車が魅力たっぷりに描かれている。こんな情景がさほど非現実的ではなく、自動車自体も絵になる存在の時代だった。 ご冥福をお祈りします。

すべての作品が見れるサイトです→ http://www.fitz-art.com/

2015年12月1日火曜日

パステル「陽だまりのカフェ」

Soft pastel,   Canson paper,   45cm × 35cm

晩秋の日差しが気持ちいい日、光の暖かい空気感を描きたくて。(横浜、Jack's Cafe)


2015年11月25日水曜日

パステル「秋の山下公園通り」

Soft pastel,   Canson paper,   50cm × 36cm
横浜、山下公園通りの紅葉。




2015年11月17日火曜日

パステル「海辺の家」

Soft pastel,  Canson paper,  45cm × 33cm

冬の北海道で見かけた風景。海辺にぽつんとたたずんでいる家の寂しいような懐かしいような感じが印象的だった。






2015年11月10日火曜日

藤田嗣治の戦争画展

かねてから見たいと思っていた藤田嗣治の戦争画が一挙に公開された。
MOMAT コレクション 特集:藤田嗣治、全所蔵作品展示(国立近代美術館、〜 12 / 13)

ほとんどが3m くらいの巨大サイズで、画面を埋めつくすように兵隊どうしの凄惨な殺し合いが描かれている。こういう大人数の群像の絵はルーブルなどでよく見るが、日本ではあまり無かったと思っていたが、これは戦争という題材のために、藤田が西欧の歴史画から学んで始めたということだ。

その例として解説されていたのが、「アッツ島玉砕」で、これは 16世紀のジュリオ • ロマーノ作「ミルウィウス橋の戦い」という歴史画からヒントを得たものだという。





藤田には猫の絵が多いが、そのなかの猫の集団が争っている「猫 争闘」という絵が、猫の凶悪な表情といい、構図といい、後の彼の戦争画に通じている、という解説がおもしろかった。

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戦争画の代表としてよく引き合いに出されるこの絵(鶴田吾郎、「神兵パレンバンに降下す」)のように、勇ましくかっこいい戦闘シーンは戦意高揚という軍部の目的にはぴったりだったのだろうが、今見ると戦争アクション映画のポスターのようだ。対して藤田の作品は戦争という極限状況での人間の醜悪な姿をえぐり出していて、戦争賛美のプロパガンダ絵画に見えない。むしろ反戦絵画のように見える。

2015年11月5日木曜日

パステル「森のボート」

Soft pastel,  Canson paper,  45cm × 33cm

ひと気のない森の中の湖になぜか置き去りにされたようなボートがあり、手前には風で折れた木の枝が水の中に落ちている。ちょっと惹かれる風景だった。(北海道、大沼公園)


写真で見ると、ごちゃごちゃしていて、現場での印象とかなり違う。

いい風景だなと思って写真を撮るが、それをあとで見ると、ほとんどの場合つまらなくてがっかりする。たぶん人間は無意識のうちに風景のいい部分だけを切り取って見ているのだろう。その「見えた風景」を再現したいと思って人は絵を描くのだと思う。

2015年10月28日水曜日

オリンピックエンブレム問題と    ロゴデザインについて

例の問題のさなか、佐野氏の原案が公表されたが、これがまたヤン • チヒョルトにそっくりだとさらに大騒ぎになった。この「T」の字の3角形はローマン系書体の「セリフ」がモチーフだが、文字を熟知しているタイポグラフィの第一人者チヒョルトならではのデザインだ。しかし「T」は横線と縦線の組み合わせだくらいに思っていると、こんな発想は出てこない。「文字」を知らないでロゴを作るのは無理だから、つい外国のデザインを「参考」にしたくなるのだと思う。


かつて「SONY」のロゴを更新するために、国際コンペでデザインを公募したことがある。(途中で事情により変更自体が中止になったのだが)これは審査結果を告知する当時の新聞広告だが、ベスト3が紹介されていて、いちばん上が採用予定の案だった。

コンペの審査委員として関わったのでよく覚えているが、この3案の造形レベルとオリジナリティはすごいと思った。作者はそれぞれドイツ人、オーストラリア人、アメリカ人で、日本人はいない。それはデザイナーの能力の問題というより、欧文文字に対する知識の少ない日本人と、アルファベットが体にしみついている欧米のデザイナーとの差だと思う。


欧米のデザイン系大学では文字の勉強を徹底的にやる。「Lettering」という授業で1年間ひたすら文字だけを勉強する。文字の形の成り立ち理解から始まって、オリジナル書体の創作やロゴのデザインまで、知識としてだけでなく、手を動かすことで文字を覚えさせる。そんなアメリカの大学での体験を、当時の課題作品の一端で紹介したい。

書体の元祖 Caslon を幅広のレタリング用鉛筆を使ってフリーハンドの一筆描きで描く練習。無意識で手が動くようになるまで繰り返して体に覚えさせるのは日本の習字の練習と同じ。文字の形の成り立ちが自然に分かってくる。

指定されたワードをトレペに鉛筆で描く。ひとつ描いては先生のチェックが入り、OKが出るまで何度も修正を繰り返す。ぱっと見ると違いがわからないくらい微妙な差だが、文字の美しさを体感できるようになる。最後にボードに墨入れして完成。この工程をいろいろな書体で行っていくとだんだん文字というものが理解できてくる。

応用段階に入るとロゴのデザインをやる。ポイントは文字の基本を守った上で、なおかつ新しいオリジナル書体を提案すること。サムネイルスケッチから始まり、最後にはロゴが製品のエンブレムに使われた状態を想定したレンダリングを行う。


昨今は、手を動かさなくても、パソコンに文字を入力するだけで希望の書体で自動的に文字組してくれる。だからデザイナーは文字の基礎知識と技が身につきにくいし、そもそも文字に対する意識が希薄になっているのかもしれない。デザインにおける文字の重要性を再認識したい。


2015年10月24日土曜日

「いちじく」を描く

子供の頃、庭にいちじくがたくさんなっていたが、取って食べることはほとんどなかった。人間の食べ物だとは思っていなかった。鳥がよろこんで全部食べていた。それが今では値段がついて商品として売っている。店でみつけると、どこか懐かしい感じがしてたまに買ってみる。けっこうおいしい。

ソフトパステル、パステル用サンドペーパー、36cm × 24cm

2015年10月16日金曜日

パステル「洋梨と葡萄」のプロセス

前回、果物の絵をアップしましたが、その制作プロセスを記録してあったので、こちらも一応載せておこうと思います。やりかたは普通です。


おしゃれなガラス器を手に入れたので、秋の果物を乗せてモチーフに。電灯は消し、窓のカーテンを一カ所だけ開けて真横から光がくるようにセッティングすると明暗差がはっきりできて、描きやすい。

パステル用 Canson 紙を水張りして、鉛筆でデッサンをする。特にこのような楕円の多い静物ではパースの狂いは命とりになるので慎重に描きます。そのうえにモノクロの水彩で軽くトーンをつける。

さらに水彩でモノトーンの下塗りをする。これもパステルでやる人が多いが、色が混じるのがきらいで、いつも水彩かアクリルでやっている。いずれにしても、モノトーンで明暗を決めておくのは、後の段階のためぜひ必要です。

パステルで色を乗せていく。下塗りの色と同じ明度の色を選んで描く。そのことで固有色に目が惑わされて明暗が狂うのを防げます。100 ~ 200色を使うパステルなので、下塗りのガイドがないと収拾がつかなくなってしまいます。

パステルは粉なので、パサパサした埃っぽい感じになりやすい。しっとり感をだすのに苦労します。材質感、光と反射、空間の雰囲気、などを意識しながら描いていく。ディテールはパステル鉛筆を使ってタイトに仕上げます。

2015年10月14日水曜日

秋の果物を描く

洋梨と葡萄をガラス器に盛って、Canson紙にソフトパステルで。 (33cm × 37cm)


2015年10月4日日曜日

「風景画の誕生」展が面白い

渋谷   Bunkamura  ザ • ミュージアムで開催中(9/9〜12/7) 

もともと絵画とはイコール宗教や神話の物語を描くもので、風景はその背景として描く添え物にすぎなかったのですが、17世紀になってやっと「風景画」というジャンルが生まれ、自立した絵画になったのでした。この展覧会は2部構成で、風景画が「誕生するまで」と「誕生してから」の流れをわかりやすく見せています。

例えばこのふたつはともに宗教画の定番である聖母子像ですが、描かれた年代は100年のひらきがあります。左(16世紀)は窓の外に風景がおまけのように小さく描かれていて、演劇舞台の書き割りのようです。右(17世紀)では面積的にも人間は小さくなり、逆に風景の比重が大きくなってきています。近景から遠景へという空間意識も生まれています。


やがて主題自体も宗教や神話から離れていきます。左の絵では、描かれている人間は普通の庶民であり、神話のような物語性はなくなっています。右ではもはや絵の中心は完全に風景であり、人間は小さい点景でしかありません。風景画の誕生直前です。


そしてついに17世紀のオランダで風景画が誕生します。その始祖と言われるのが有名なロイスダールですが、本展では左の作品(1675年前後)が出展されています。人間は完全に画面から消えて、風景だけを描いています。右の絵は同じころのホイエンの作品で、空の美しさを描いた、今日と変わらない風景画です。


以上、おおざっぱな紹介ですが、キュレーションの勝利のような面白い企画展でした。

↓  プロモーションビデオ

2015年9月26日土曜日

テクスチャーのあるパステル画

このところ下地にテクスチャーをつけた上にパステルで描くやりかたを実験しているが、こんどは静物でやってみた。表面のなめらかさがパステル画のいいところだが、その反面、色が表面だけに着いているような ”薄さ” がどうしてもある。テクスチャーをつけることで、色に奥行きが出せないかと思いトライしている。


今回の方法は
油彩用のモデリングペーストを厚塗りし、柔らかいうちにクシを使って目をつける。 
固まったらアクリルでしゃぶしゃぶのウォッシュをかけると谷だけに色が入る。


この上にパステルを乗せると今度は山だけに色が着くので、山と谷の色が同時に見える。混色をせずに混色と同じ効果があるので、パステルの彩度の高さが落ちない。






2015年9月22日火曜日

パステル画専門サイト「How to pastel」

パステル画の作品や技法を専門に紹介する「How to Pastel」というアメリカのWebサイトがあることを知りました。というのは、いきなり ”お前の作品を載せたからよろしく” という知らせがあったからです。見てみたら前に当ブログでも紹介した「廃炉幻想」という拙作が解説つきで掲載されています。すごい情報収集力で驚きました。なかなか充実したサイトなので、興味のある方は下記アドレスへどうぞ。




ここに書かれている拙作への解説文を参考までに


Tomonaga Saito, “Ruined Power Plant,” pastel on textured Canson paper (modelling paste) , 31 1/2 x 39 3/8 in (80 x 100 cm)
I was stopped in my tracks when I came across this unnerving, apocalyptic pastel with its heavy texture and its simple statement and uncluttered design. I was fascinated by the dichotomy of feeling I derived from the subject and from the style – one bringing a sense of doom and gloom, the other a delight in the colours and texture and light. There’s a story to be interpreted here. The low light source – the sun? – could reveal a metaphorical change – if it’s a setting sun then one of oncoming catastrophy, if rising, well then there’s hope after cataclysmic disaster.  Are we to be disheartened by a chilling story or inspired by a hopeful one? Check here to see more of Tomonaga’s work.



2015年9月19日土曜日

閑人の ☆☆☆☆☆ 映画             「アドルフの画集」


「アドルフの画集」( 2002年、イギリス • ハンガリー • カナダ 合作 )


若いころヒトラーが画家をめざしていたことは有名ですが、なぜ彼が画家をあきらめて、政治家になったのか、という人生の分かれ道の瞬間を描いた映画です。このとき、もし彼が画家のほうを選択していたら後の歴史はどうなっただろうとつい思ってしまいます。

第一次世界大戦のドイツ敗戦直後、ヒトラーは戦場からもどり職もなく食事にも事欠いています。変革によって社会は混乱し、伝統的なドイツの価値観が失われたことに対して強い恨みをいだいています。


ヒトラーが知り合ったユダヤ人画商が経営する画廊の場面があり、当時生まれた新しい現代美術の作品がたくさん登場します。キュビズム • 抽象主義 • 未来派 • 表現主義などで、美術史的な観点で映画を観ても面白いです。例えば、政治家 • 資本家 • 娼婦などを風刺的に描くことで社会の退廃や矛盾をえぐり出した表現主義画家のゲオルグ • グロッスです。これはヒトラーに自分の絵が時代遅れと思わざるをえなくさせる強烈なパンチでした。


それでも昔ながらの絵にこだわるヒトラーは現代美術を憎み、「調和のある美だけが永遠に続く価値がある。抽象画は腐敗だ!」と叫びます。映画に登場する彼のスケッチには権威主義的な建築やナチスの制服のデザインなどがあり、後に政治家として権力を握ったときに実際に実現させていったものがすでにこの頃描かれていたことが分かります。(登場するこれらの絵は本物ないし同等のものらしいです。左上は犬の鉛筆スケッチ。右の2枚は後に建築家のアルベルト • シュペーアにこのとうりに設計させた建物)


ヒトラーは次第に絵に関して敗北感を感じるようになり、政治の力で世の中を変えようと、アジ演説にのめりこんでいきます。そんな中、ヒトラーの絵を売り出そうとしてくれるユダヤ人画商に最後の望みをたくします。しかしそのための打ち合わせをする約束の場所でヒトラーは作品を抱えて何時間も待つのですが、ついに彼は現れなかったのです。彼は画家になる夢を絶たれたことを知り絶望します。しかし画商が来なかった理由は • • • • ネタバレになるのでやめますが、結果的に、政治家としてのヒトラーが画家としてのヒトラーを自分で殺してしまったのです。

映画はここまでですが、後に政権を握ったヒトラーは、現代美術すべてをやり玉にあげ、笑いものにするために、「退廃芸術展」を大々的に開きます。印象派でさえも弾圧の対象になったのですが、唯一、公認美術とされたのが、昔ながらの写実絵画でした。こうして彼は若いころの恨みをはらしたのです。


↓  映画予告編




2015年9月14日月曜日

ミニギャラリー「洪水の絵」

このあいだ大雨で川が決壊して洪水になったと思ったら、今度は阿蘇山が噴火した。地震、津波、台風、洪水、噴火など自然災害のデパートのような日本は一年中大忙しだが、こんな国は他にはないだろう。でも不思議と日本人はそれらを、「あーあまたか」と受け流してしまうようなところがある。ところがヨーロッパでは、大災害は、神の怒りにふれて人間が滅び、この世が終わるという黙示録的(Apocalyptic)世界観と結びつく。そのことが絵画をはじめ芸術作品に現れる。とくに洪水は「この世の終わり」を表現する恐ろしいものとして描かれてきた。


シスレー 「ポール • マルリの洪水と小舟」

この作品だけは例外で、のどかな洪水風景なのは印象派の絵だから。レストランが水没。ボートで人が近づいている。悲劇的な雰囲気はまったくなく、洪水を湖とまったく同じように美しく描いている。

フランシス • ダンビー 「大洪水」

教えに背き悪をする人間たちを神が怒って大洪水を起こして滅ぼした、というノアの方舟の伝説の絵は多い。これは人がおぼれている光景をまるで報道写真のように描いている。

ジョン • マーチン 「大洪水」

洪水伝説を背景にして、この世の終わりと神への怖れを描いた内省的な絵。マーチンは噴火、火事、戦争、など恐ろしい「世界の終末」の絵を描いたが、これも恐怖の洪水だ。

レオナルド • ダ • ヴィンチ 「世界の終わり」

ダヴィンチも世界の終末を信じていた。大洪水をたくさん描いているが、これはそのひとつ「世界の終わり」。科学者でもあった彼は水流を観察してスケッチし、それを「洪水の恐怖」の表現へと発展させた。






2015年8月25日火曜日

雑誌「美術の窓」に作品が掲載されました


「美術の窓」という雑誌の最新9月号に小生の「現代パステル協会展」出品の作品「廃炉幻想」が紹介されました。作者の意図をけっこう細かく説明していますが、本人が取材を受けたわけでなく、記者の解釈で書かれたものです。でも、ほとんど間違っていません。


同号はパステル画特集で、制作デモも載っています。下は自分も参加している「現代パステル協会」のメンバーの制作プロセス(一部)です。モノクロでトーンバリューを決めてから色を乗せていく、とてもオーソドックスな描き方です。色に惑わされて明暗の諧調がずれてしまわないようにするための重要なステップです。