「BROOKLIN」
「ディアスポラ」は「離散」のことで、迫害を受けた民族が外国へ逃れて「移民」することで、民族がバラバラになることを意味する。いちばん有名なのが「ユダヤ・ディアスポラ」で、紀元前のパレスチナで周辺の民族から迫害されたユダヤ人がパレスチナ以外の地に移り住んだ。現代でもユダヤ人は世界中に散らばって生きている。(映画「十戒」は、エジプトに住んでいたユダヤ人が迫害を逃れて故郷パレスチナへ帰還する物語だった。)
そのユダヤ人が現代ではイスラエルを建国し、その地に住んでいたパレスチナ人を逆に迫害して追い出し、大量のパレスチナ難民を生んでいる。そのようにディアスポラは歴史上の話ではなく、現代でも世界中で続いている問題だ。さまざまなディアスポラのひとつが「アイリッシュ・ディアスポラ」だ。イギリスの植民地だったアイルランドは宗教と民族の違いから永くイギリスから迫害されてきた。(1970 年代に独立を求めて武装組織が内乱を起こしたアイルランド紛争は有名。)
19 世紀に、大量のアイルランド人がアメリカへ移住する。その数は数千万人といわれ、アメリカ移民中の最大の数に上る。しかしユダヤ人が、逃げた地のヨーロッパ各地でも差別や迫害を受け続けたように、アイルランド人はアメリカ社会で偏見と差別を受ける。大量のアイルランド人移民労働者がアメリカ人の職を奪うとしていじめられる。(現代のアメリカで中南米からのヒスパニック系移民が差別を受けているのと同じ。)
映画「ブルックリン」(2015 年)は、そのようなアイルランド人移民のアメリカ社会での苦しみを描いた映画だった。アイルランドの田舎から「自由の国」アメリカに憧れて、一人でニューヨークへ移民してきた若い女性の苦悩を描いている。
ニューヨークの港に着くと入国審査があるが、外国移民には特に厳しい。入国をいちど経験している女性から主人公がアドバイスを受けるシーンが印象的だった。化粧っ気のない女性に 『そんな顔じゃ病気と思われて隔離されちゃうよ。でも派手だと娼婦と思われるし、といってあどけないのもダメ。口紅とマスカラをして少しアイラライナーもね。真っすぐに立ち、靴は磨いておくのよ。咳は絶対にしないで。無愛想や緊張しすぎはダメ。アメリカ人のように毅然としていなさい』 アドバイスのとうりにしてなんとか検査を通ることができたが、アメリカに移民することの大変さを象徴しているシーンだ。(下記 注参照)
入国して、職を探すが容易でない。やっとデパートの売り子になるが馴染めず、上司から叱られるばかり。一般労働者のままでは幸せな生活はできないと知り、より良い地位を得ようとして会計士の勉強をして資格をとる。
アイルランド人はほとんどがブルックリン地区に住んでいて、コミュニティを作っている。主人公の女性も同郷同士と寮で身を寄せ合って生活している。映画の題名はそこから来ている。(ディアスポラの人たちは団結が強くなるといわれる。ユダヤ人のシナゴーグや中国人のチャイナタウンなどと共通している)
最終的には彼女は恋人もでき、一応は安定した生活になるが、たまたま家族の葬式で里帰りしたとき、元の恋人に再会する。すると、豊かではないが穏やかだったアイルランドの生活を思い出し、アメリカのギスギスした競争社会の生活と比べてしまう。そしてアメリカへ帰らず、このまま昔の暮らしに戻ろうかと思い悩む。二つの国の選択であると同時に、二人の恋人の選択でもある。
彼女が最終的に選択したのは、アイルランドではなくアメリカだった。しかし住むのは今までどうりのブルックリン、つまりアイルランド人コミュニティの中で生き続けることだった。国としてはアメリカを選択したものの、自分がアメリカ人になったという自己認識は持てずにいるのだ。そして恋人はアメリカ人ではなく、やはりブルックリンに住む移民のイタリア人だ。このラストシーンで、アメリカに戻って来て(足元に旅行トランクがある)ブルックリンに直行する、そして恋人がいつも通る道で彼を待っている。
(注:ここで「咳は絶対するな」と言っているが、それが出てきたのが映画「エヴァの告白」だった。ポーランドからアメリカに移民しようとやって来た若い姉妹だが、入国審査で妹が緊張で思わず咳をしてしまう。すると病気とされて隔離されてしまう。妹を取り返すためには検査官への多額の賄賂が必要と知らされて、姉はお金を稼ぐためにある商売を始める・・・これも移民の厳しさを描いていて、見ていて胸が苦しくなるような映画だった。)