2020年3月31日火曜日

コロナ対策に外出自粛が有効なわけ

Corona-Virus

コロナ・ウィルスの感染拡大には外出自粛がいかに有効かを示しているサイトがあった。動画で、とてもわかりやすく視覚化している。
こちらでぜひ→ https://imgur.com/mVsIuUo


図1:一人の感染者が2〜3人ずつに次々と感染させていった場合、100 人、200 人、400 人、800人、1600 人とネズミ算式に増えていく(等比級数的増加)ので、一ヶ月もしないうちに日本人全員が感染する爆発的拡大になる。

図2:一人の感染者が他の人にうつす人数を、平均1人くらいに抑えておけば、100 人、200 人、300 人、400 人、500 人という増え方(等差級数的増加)なので、爆発的拡大にはならない。そしてこれなら、治る人が増えるペースも同じだから、実際に発症したり入院したりしている人数は実質増えないことになる。つまり感染ゼロは無理にしても、複数の人が同時に感染しないことが重要で、人がたくさん居る所に行くな、ということの理由になる。日本は現在のところまだこの図の状態らしいが、一歩間違うとイタリアやアメリカのような図1状態になってしまう。

2020年3月27日金曜日

ワクチンにまつわる話

Vaccine

歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリによれば、「2 0 世紀初めに日本のエリート層が、貧しい人たちに予防接種をしたり、貧民街に病院と下水施設を建設するのに熱心だったのは、強力な軍隊と活発な経済を持つ大国になるには、何百万もの健康な兵士と労働者を必要としたからだ。」という。健康は、富国強兵のために、国が国民に与えるものだった。1割くらいの自己負担で済む今の健康保険制度もそこから来ているのだろう。

日本と真逆なのが極端な個人主義のアメリカで、先進国では唯一健康保険制度が無いのは、個人の健康に国が介入するなと国民が反対するためだ。カート・アンダーセンという人が「狂気と幻想のアメリカ 5 0 0 年史」で、そんなアメリカの実態について書いている。

国が義務付けたワクチン接種の拒否をする人たちが全人口の数割もいて、「反ワクチン」が政治運動化しているという。それは感染の拡大を助長するという科学的データを専門家が示してもガンとして受けつけず、宗教のようになっているという。その一方で、感染症が流行ると、早く免疫ができるようにと、密室に人がたくさん集まってウィルスを感染させ合う「百日咳パーテイ」などが開かれるというからすごい。今度のコロナでも、感染者があっという間に中国・イタリアを抜いてトップになったが、ワクチンが開発されても、アメリカだけは感染者が増え続けるかもしれない。

トランプ大統領の言う「地球温暖化は科学者のでっち上げだ」とか「ダーウィンの進化論は大ウソだ」などに拍手する国民が多いことと共通する「科学否定」の根強い風潮が根底にあるという。

2020年3月25日水曜日

ウィルスの世界的「交換」

「Why The West Rules ー for Now」

「晴耕雨読」というが、今はウィルスの雨が降っているので、もっぱら「耕」ではなく「読」しかない。ということで「人類5万年  文明の興亡」という本を読んでいたら、今ホットな話題の感染症にまつわる話がいろいろと出てきた。

「コロンブス交換」という言葉がある。コロンブス以来、ヨーロッパ人が南北アメリカに進出した結果、それまで無かった様々な作物が持ち帰られ、ヨーロッパでも食料として栽培されるようになった。ジャガイモはその代表例。その代わり、アメリカ大陸には無かったものがヨーロッパから持ち込まれた。それがコレラやペストのような病原菌で、免疫の無い先住民はバタバタ死んでいった。マヤ文明が滅びたのもそれが原因の一つだったと言われている。

千年前、ヨーロッパの「ローマ帝国」と、アジアの「漢王朝」が、両者を合わせてユーラシア大陸の3分の2を支配した。そして両者を結びつけるシルクロードを通して東西文明が交流していたので、片方からウィルスや病原菌が発生すると、たちまちもう一方へ伝染した。「一帯一路」という現代版シルクロードでつながっているイタリアが真っ先にああいうことになったが、それは「グローバル化」と言われる現在に限ったことではなく、千年前からずっと続いてきたことにすぎない。また東西問わず、感染症対策に失敗した政権は倒れるという歴史も繰り返されてきたことで、現在の各国首脳が必死になっているのも今に始まったことではないという。

2020年3月23日月曜日

コロナとパブリック意識

Public Conscious

3連休明けの今日の報道に驚いた。外出自粛の要請にも関わらず人出がすごかったらしい。大阪のライブハウスは、すでにクラスターが発生したにも関わらず、まだ営業を続けて、たくさんの人が集まり「3密」そのままをやっている。

パリほど汚い街はない。犬のフンだらけで、踏んずけないように歩くのに苦労する。パリでハイヒールが生まれたのも、そこからだと言う説もあるくらいだ。それに比べれば日本の道は綺麗だ。犬の散歩をするとき、法律で決められているわけでもないのに、みんなビニール袋とシャベル持っている。自分の家と公共の場所を同等に大切にする日本人の「パブリック」に対する意識が高いからだと言われる。

ライブハウスとそこに集まる人たちのように、日本人のパブリック意識が低くなってしまったのなら、国は外出自粛の「要請」ではなく、中国やヨーロッパのように「命令」にするべきでないかと思う。

2020年3月21日土曜日

コロナ情報の可視化

Imformation  Visualization on Corona-Virus

コロナ情報を探していたら、「情報の可視化」がうまいサイトがあった。ジョン・ホプキンス大学が、WHO のデータをもとに作った世界の感染拡大状況図で、インタラクティブでわかりやすい。データはリアルタイムで更新されている。 こちら→
https://www.arcgis.com/apps/opsdashboard/index.html#/bda7594740fd40299423467b48e9ecf6

さらにそれをもとにして、B B C が時間軸を加えたグラフを作っている。2月以降現在までの1日ごとに刻々と変わる各国の感染者数の変化を動画にしている。2月にランキング上位にいた日本が、どんどん順位を下げていることがわる。 こちら→  https://www.bbc.com/japanese/51955810


なお、これ以外の世界各国の、コロナについての「情報の可視化」が優れたサイトベスト 1 0 を M I T が紹介している。残念ながら日本のものはない。 こちら→  https://www.technologyreview.jp/s/191263/the-best-and-the-worst-of-the-coronavirus-dashboards/

2020年3月19日木曜日

バンクシー展

Baksy

予想どうりだったが、当然ながら原画は一つもなく、すべて写真のみで、それが綺麗に額装されている。バンクシーの絵は、描かれた場所に意味があるのだから、美術館に展示した「作品」を「鑑賞」してもしょうがない。ストリート・アートを現場から切り離しては、バンクシーのメッセージ性が消えてしまう。
(横浜アソビルにて)

そのことがよく分かるのは、この作品(今回の展示にはなかった)などから。イスラエルとパレスチナの境界の壁に描いたものだが、風船で壁を乗り越えようとしている少女で、人間を分断する政治に抗議している。(左側の「お嬢ちゃん、もっと風船が要る?」と意地悪く言っている怪物は別の人による加筆だが、これにも感心する。)

2020年3月17日火曜日

モランディ

Morandi

モランディは、ガラス瓶や陶器などを繰り返し描いたが、光の反射がなく、全体が灰色でベタ塗りされている。まるで埃がかかった物体のようだと思っていたら、これについて、ある本(「不透明な美学」)に面白いことが書いてあった。モランディのアトリエは綺麗に掃除が行き届きピカピカだったが、絵に使うモチーフたちだけは埃が積もっていたという。表面に埃が付着するまで、一年でもじっと待っていたそうだ。質感や立体感を打ち消し、平面的な色面で組み立てるモランディの絵の ”秘密” が分かった。


2020年3月15日日曜日

ディストピアのマットペイント

Matte Paint「Dystopian Dreams」

「Dystopian Dreams」というマット・ペイントの作品集を眺めている。ディストピアシーンの専門家で、ヨーロッパにある城などの廃墟をレファレンスにした作品が多い。手法は、3Dモデリング + フォトショップのみで描いている。作者の Jake Frazer Grousset は、建築出身の人らしい。




2020年3月11日水曜日

美人 A I は人間を好きになれるか



進化した A I が、どれだけ人間に近ずけるか、というホットな関心事が、映画でも取り上げられている。女性 A I が登場する映画で、彼女たちは人間を好きになるだけの「心」を持つのか、ラストシーンで結果がわかる。

「ブレード・ランナー」 人間と見分けがつかないロボットを捕まえて破壊する役目の捜査官が主人公だが、美人 A I ロボットと心を通じ合う。ラストは、主人公が彼女と二人で、車でドライブして走り去るシーンで終わる。

「トロン・レガシー」 人間に敵対的なA I ロボットたちのヴァーチャル世界に迷い込んだプログラマーが、好きになった美人 A I を連れて現実世界に戻ってくる。ラストで、主人公がバイクに彼女を乗せて走り去る。

両方とも二人でドライブという同じラストになっている。プログラムされただけの A I にも、人間的な「心」が生まれてくる(実際に将来そうなるかどうか知らないが)という物語で、ラストシーンがその象徴になっている。

「エクス・マキナ」 美人ロボットが人間的な感情があるふりをして人間を騙し、最後に冷酷に人間を裏切る。ラストは上の2作と対照的で、人間を山奥の施設に閉じ込めて、迎えのヘリコプターに一人だけ乗って立ち去る。

「Her」 P C の中の女性 A I が、人間的な感情も意思も持っていて、優しい声で語りかける。彼女を好きになってしまった男が、最後に、同じ A I を使うユーザーが何千人もいて、自分だけの「彼女」でないことに気付き絶望する。

こちらの2作は、 人間的な「感情」を持つまでに進化したA I が、人間と心を通じ合えるようになるが、それはあくまで心のある「人間のふり」をしているだけ、ということに最後に気づかされる。 A I に対する悲観的な見方で、こちらの方が現実的かもしれない。

なお、歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリは、もっと辛辣なことを言っている。人間自身だって所詮は「ふり」をしているだけで、その「ふり」という「見かけ」を他人が気に入れば、友達や恋人になるのだから、 A I も人間も同じだと言っている。この見解には最新の生命科学の根拠があって、「好き・嫌い」とか「喜び・悲しみ」といった「人間的な感情」は、脳の中の生化学的アルゴリズムによって決定されているにすぎないということが分かってきたからだという。

ハドソン・リバー派とマットペイント

Hudson River School & Matte Paint

イギリスの植民地だったアメリカが、独自の「アメリカ絵画」を確立したのが 1 9 世紀の「ハドソン・リバー派」からだと言われる。トーマス・コールなどがハドソン川流域の自然を描いたが、現場での断片的なスケッチを合成して、いかにもありそうな幻想の風景を作り上げた。その「崇高な風景」が、人々の自然観として根付いていった。

 現代は映画にも受け継がれ、「ハドソン・リバー派」にそっくりな幻想風景がよく使われる。この「スター・ウォーズ」の例のように、マット・ペイントや C G でも「崇高な風景」が頻繁に出てくる。「現実が空想になり、空想が現実になる、ファンタジーランド」の国アメリカらしい。「優しい里山」的な風景に囲まれた我々日本人にはなかなか描けない。

2020年3月9日月曜日

「ファンタジーランド 狂気と幻想のアメリカ 5 0 0 年史」とハドソンリバー派

「Fantasyland,  How America Went Haywire」

アメリカという国を、狂気と幻想の「ファンタジーランド」だとしていて、アメリカの様々な現象の「なぜ?」が分かって面白い。現実と空想の境目が曖昧な幻想の世界が生み出され、人々もそれを積極的に求める。それを「根拠なき熱狂」と呼んでいる。「科学を否定するリベラル派」「狂信化するキリスト教」「ガンクレイジー」「幻想で商売する娯楽ビジネス」「ファンタジーランドのウェブ世界」「巨大テーマパーク化する社会」などのキーワードが並ぶ。

絵画についての部分をちょっと紹介。18 世紀アメリカの絵画として「ハドソン・リバー派」が有名だが、それが生まれた時代背景に触れている。彼らは現実の風景から集めた断片的な素材を合成して幻想の風景を描いた。現実と空想が混ざった、いかにもありそうな風景だが、人々が抱いているアメリカの理想の自然像だ。アメリカ移住時代に「恐怖と不安」だった自然が、荒野が切り開かれ、人が住むにつれ、「崇高」な自然に変わり、このような絵が生まれたという。たしかにハリウッドのファンタジー映画や S F 映画などにもこういうイメージがよく出てくる。


2020年3月6日金曜日

マックス・エルンストの「少女が見た湖の夢」

Max Ernst

個人的に大好きなマックス・エルンストは森の絵が多いが、横浜美術館のコレクションに「少女が見た湖の夢」があり、コレクション展があると見ることができる。

中央にある湖は真っ黒で、その周りを不気味な森が囲んでいる。この森はじつは怪物の集まりで、近くでよく見ると一本づつの樹に眼があるのが分かる。(下は、中央にいる牛のような頭をした怪物)

ドイツでは、森は敵意を持った樹々に閉じ込められた恐怖の場所とされている。だからグリム童話では、「赤ずきん」や「ヘンゼルとグレーテル」などのように、暗い森で少女が怖い目にあう。この絵は、そんな少女が見る幻想の怖い森だ。

2020年3月4日水曜日

人間対 A I ・・映画「エクス・マキナ」の予言

Ex Machina

人間の仕事が A I に奪われるようになって、「知能」では A I  にかなわないから、 A I にはできない「人間性」が必要な仕事にシフトしなければ、と言われる。しかし、その考えは甘く、 A I はもっとはるかに「人間を脅かす」存在になるだろう、と予言しているのが、映画「エクス・マキナ」だ。

天才プログラマーが、自分が作った女性 A I ロボットと2人で山奥の研究施設で暮らしている。その A I の実力を試すことを依頼されて、若い男がやってくる。この A I  が人間的な「感情」を持っているかどうかをテストするのだが、恐ろしい結末が待っている。

この女性 A I は、自分に対する恋愛感情を若者に抱かせてしまう。感情があるふりをして人間を罠にかけるのだ。 A I が人間の「感情」について学習して、人間のふりをするというのはあり得そうで怖い。人間の「人間的」な部分は A I にはできないだろうと安心できないことになる。そして映画では、 A I が「欲望」を満たすために、自分を作ったプログラマーを裏切る。

最新の生命科学の研究では、人間の「感情」「直感」「欲望」などの人間にしかないと思われていた性質も、脳の中の生化学的なアルゴリズムに過ぎないということが分かってきたという。そうであれば、 A I がそれを解読できない訳はないわけで、この映画は現実味を帯びてくる。

2020年3月2日月曜日

「関根正二展」

SEKINE Shoji : A Retrospective

関根正二は、名前を知っている程度だったが、初めてじっくりと観た。大正時代の初めに5年間だけ描いて、わずか 20 才で死んでしまった天才画家の回顧展。100 年前とは思えない、現代的な絵に感じる。(神奈川県立近代美術館)