2016年12月31日土曜日

子供の絵、知識とイメージ

Children's drawing,  knowledge and image

絵の好きな小学1年生の子が「海でも描こうかな」と言いながらささっと描いた絵には参った。こんな海の絵なかなか描けない。

子供を見ていると小さいうちはなぐり描きでも直感にまかせた面白い絵を描く。それが知識が増えるにつれて「〜はこうだよね」と常識で描くようになる。だが中には知識にとらわれず、自分の中で浮かんだイメージで描く子もいる。

大人は子供以上に知識で描く。知識イコール既成概念なので新鮮なイメージを抑える縛りになる。それでも大人は絵画教室などで、このモチーフをこう描きましょう的な「うまく描く」ための知識をさらに増やそうとする。

レオナルド・ダ・ヴィンチは川の水を観察してスケッチし流水の研究をした。その上で知識を自分のイメージに転化して恐ろしい洪水の絵を描いた。知識は必要としながらも最後はそれを超えている。この子の絵はなんとなくダ・ヴィンチの絵に似ているのが面白い。

2016年12月29日木曜日

映画「もしも建築が話せたら」

"Cathedrals of Culture"

「もしも建築が話せたら」という映画を観た。この邦題からはどんな映画か想像できないが、原題は「Cathedrals of Culture」つまり「文化の聖堂」で、文化を生み出す場としての建築であったり、存在自体が文化になった建築のことを言っている。技術としての建築ではなく、建築の使う人との関わりという視点で描いたドキュメンタリー映画だ。6人の監督が6つの建物を取り上げたオムニバスで、普通ではなかなか見れない建物とその内側を観れる貴重な映像だ。

コンサートホール(ベルリン)
図書館(モスクワ)
刑務所(ドイツ)
研究所(サンディエゴ)
オペラハウス(オスロ)
美術館(パリ)



観ていて、ついあのボツにされた国立競技場のことを思い出した。
(〜12 / 30 「アップリンク渋谷」にて)

2016年12月26日月曜日

プロジェクションマッピング

Projection Mapping

プロジェクションマッピングが流行っているが、いい作品はあまり多いとは言えない。ネットでみつけたが、これなどはなかなかレベルが高いと思う。建物と映像がよく溶け合っている。今はマッピング制作のソフトもあり割と簡単に作れるが、結局は映像のセンスが大事ということだろう。(LLUM BCN Festival 2016 というイベントでの作品のらしい)

                ↓ 動画(約 10 分)


2016年12月23日金曜日

松本竣介展

Exhibition  " Shunsuke Matsumoto,  The Origin of His Creativity "
神奈川県立近代美術館  鎌倉別館、〜12 / 25

松本竣介をまとめてじっくり見るのは初めて。建築や橋などの構造物、特に爆撃で破壊された構造物を描いた絵が多い。”絵になる風景”を感情を込めて描く的な絵ではなく、壊れた物をクールに見つめて、それを造形として構成した絵で、こういうのはとても好きだ。

2016年12月20日火曜日

大谷石採石場跡の廃トラック

The old quarry site

宇都宮にある大谷石の採石場跡は、観光スポットとしてテレビなどでもよく取り上げられるようになった。地下神殿や地底湖など、ちょっと他にはない面白い場所だ。あたり一帯は石を切り出したあとの荒々しい岩肌がむき出しになっている。今はもう採石は行われていないが、石の運搬用だったトラックが錆びたまま置き去りになっていた。


2016年12月17日土曜日

追悼アンジェイ・ワイダ監督     ポーランド映画祭

Andrzej Wajda,  Poland Film Festival 2016

アンジェイ・ワイダ監督が亡くなり、追悼の映画祭(昨日まで)で 10 作品が一気に上映された。今まで何度となく観た「灰とダイヤモンド」と「地下水道」をあらためて観た。何度観ても「鮮烈」という言葉がぴったりの映画だ。

今さらながらだが「灰とダイヤモンド」の題名の元になっている詩を調べてみた。
 
「松明のごとくわれの身より火花の飛び散るとき(中略)残るはただ灰と、嵐のごとく深淵に落ちゆく混迷のみなるを、永遠の勝利の暁に、灰の底深く燦然たるダイヤモンドの残らんことを」

なるほど、映画そのままだ。

銃弾で敵を倒すが(火花の飛び散る)、むなしい結果に終わり(残るはただ灰)、祖国はますます混乱を増す(落ちゆく混迷のみ)。それでも未来(永遠の勝利)のために犠牲になろう(ダイヤモンドの残らん)。

2016年12月13日火曜日

映画に見る女性芸術家たち

Female artists in movie

印象派の女性画家ベルト・モリゾは修行時代にマネの弟子になる。ところがマネは絵のモデルとして彼女を使うばかりで、絵の指導はおざなりにしかしてくれない。女性としてのモリゾの魅力はマネの名作「すみれのブーケをつけたベルト・モリゾの肖像」に描かれている。女性が画家になることが難しかった時代に、苦難の末に画家モリゾとして認められるようになる。映画「画家モリゾ」でモリゾの心情が繊細に描かれている。
映画「カミーユ・クローデル」は彫刻家カミーユ・クローデルの悲劇の生涯を描いている。ロダンの弟子になった彼女は妻との3角関係に悩まされるのだがついに心を病んでしまい精神病院で一生を終える。ロダンも彼女の作品からヒントをもらっていたと言われるくらいの才能が無為になってしまった。

アンディ・ウォーフォルと同時代のアメリカの女流ポップアーティストのマーガレット・キーンを描いた「ビッグアイズ」が面白い。妻が描いた絵を夫が営業マンとして売りこみ大成功し大金持ちになる。しかし実は妻は密室で描かされていて、夫がサインだけして自分の作品として発表していた。妻はついに決意して作者は自分だと名乗りでて裁判になるのだが、法廷での最後の結末がとても面白い。

2016年12月10日土曜日

「大ラジカセ展」

The retrospective exhibition of boombox design

全盛時代の各社のラジカセから100機種を選んで展示している面白い展覧会。担当した機種が6つもあって、久々に再会できた。

ラジカセは1985年あたりまでで絶滅したが、それはウォークマンとミニコンポの出現の時期。携帯性と音質の両方が中途はんぱになってしまいラジカセが苦しくなる。「デザイナー殺すにゃ刃物はいらぬ、ラジカセの一つもやらせりゃいい」と言っていたくらいラジカセは難しかった。

その最後が今では誰も覚えていない「YOKOHAMA」というシリーズだった。一時は花形だったのにラジカセの存在は家電の歴史から消えてしまった。そんなかわいそうなラジカセたちも「大」のつく展覧会をやってもらって喜んでいるだろう。  (池袋パルコミュージアム 〜12 / 27)


2016年12月8日木曜日

東京都庭園美術館          「アール・デコの花弁」展

Art Deco and the Former Prince Asaka Residence

いつもは展覧会の入れ物になっている建物が、今回は展示物になっている。普段はしまってある調度品をもとどおりにもどして朝香宮邸時代の室内空間を再現している。フランスの超一流アール・デコ作家たちの豪華絢爛な作品を堪能できる。写真右のシャンデリアはルネ・ラリックの作品。(今月25日まで)




2016年12月5日月曜日

ソニービルの形

The shape of the Sony Building

回顧展を見たついでに最後の見納めでもう一度ソニービルを東急プラザから見下ろしたが、このビルの形について「銀座建築探訪」という本に面白いいきさつが書いてある。

銀座の交差点に面した敷地はコーナーを 45° にカットされている。これは「隅欠き」と呼ばれるそうで、明治時代に馬車が角を曲がりやすくするために始まったという。4丁目交差点の「三越」は敷地の形どおり45°にカットした建物にして敷地を100% 無駄なく使っているが、これが普通。
しかし「ソニービル」はひねくれていて「隅欠き」の部分を建物には使わずイベント用の空き地にしている。この3角形の土地の10坪ほどの面積掛ける8階分の延べ床面積が減ることになり、銀座の地価を考えると大変な損になる。設計者の芦原義信さんがこれを提案したら当時副社長の盛田さんが即決で OKしたそうだ。

エレベータで最上階へ登ってから階段で降りてくる構造は、盛田さんが「グッケンハイム美術館のように」と会議で言ったとき皆キョトンとしていたが芦原さんだけはピンときてすぐにあの構造のスケッチを描いて見せたという。設計者とクライアントのいい関係を感じる。

2016年12月2日金曜日

江戸東京たてもの園

Edo-Tokyo Open Air Architectural Museum

小金井にある「江戸東京たてもの園」は江戸時代から昭和までの東京にあった古い建物を移築して集めた野外博物館だが、初めて行ってみた。

建築史の用語で「看板建築」という名前がついている建物が何棟かあり、これが面白かった。昭和初期にはやった商店建築のスタイルで、関東大震災の経験から、防火のために木造の表面に銅板やモルタルやタイルなどを貼った作りになっている。そのため表面がのっぺりしたところに色や模様をつけて看板がわりにする。横からの写真(右)で、昔ながらの木造家屋の表面の皮一枚だけを「モダン」にした、まさに「看板」なのがよくわかる。どこか懐かしく微笑ましいこういう店は、わりと最近まで見かけた気がする。