2022年12月28日水曜日

カウンター・カルチャーの映画

Counter Culture Movie 

「カウンター・カルチャー」とは「対抗文化」で、既成の文化に対して、立ち向かう、反抗する、反逆する、などの意味が込められている。 1 9 6 0 〜1 9 7 0 年代に、既存の価値観や社会体制に反発する若者たちの文化が始まりだった。同時にそれは、社会秩序を揺るがすものとみなされ、世の中の反発も招いた。


「ウッドストック  愛と平和と音楽の3日間」は、1 9 6 9 年のウッドストックを記録したドキュメンタリーで、原題の副題が「Peace & Music」とあるように、この音楽イベントはベトナム反戦集会だった。集まった若者たちのファッションは、当時のカウンターカルチャーのシンボルだった。長髪、バンダナ、女性のホットパンツ、黒人のアフロヘアー、ジーンズ、などだ。とくに、肉体労働者の作業着であるジーンズをはくことには、階層社会への抗議が込められていた。また当時の大学ではジェンダー差別が普通で、女子学生のジーンズ着用を禁止していたから、女性のジーンズは差別反対のシンボルになった。こういうファッションは ”公序良俗” を乱すものとして、保守派の反感も大きかった。

「ヘアー」のヘアーは、カウンターカルチャーのシンボルだった長髪のことであり、ヒッピーたちが社会に与えたインパクトをテーマにしている。徴兵されて田舎から出てきた純朴な青年が、戦場に送られる直前にヒッピーたちに出会い、彼らの純粋で自由な生き方に魅了される。彼らは人間への愛を歌いながら招集令状を破り捨てている。これはベトナム戦争反対を訴える反戦映画だ。彼らの運動は政府を動かし、3年後にベトナムからの撤退が決まる。ラストで、ホワイトハウスを取り囲んだヒッピーたちの大集会が行われ、ピースマークの旗を掲げながら、勝利の大歓声をあげる。


「フォレスト・ガンプ 一期一会」は、カウンターカルチャーと古き良き文化との対立を描いていて面白い。ベトナム戦争の泥沼化の時代、カウンターカルチャーは、反戦運動や反体制運動につながっていった。危機感を抱いたニクソン大統領がヒッピーなどのカウンターカルチャーを批判し、”良識的な” 若者たちに保守体制の維持を呼びかけていた。この映画は、ベトナム戦争に従軍した主人公を国に貢献した ”善い人” として描き、反戦運動にのめり込む女性を ”不良少女” として描いている。フォークシンガーの彼女が歌うのはウッドストックのジョーン・バエズの反戦ソングであり、裸の姿もウッドストックでの肌を見せる女性ファッションと同じで、それらを批判的に描いている。これは体制側に立った映画なのだ。


「イージー・ライダー」は、カウンターカルチャー映画の最高傑作だ。チョッパーと呼ばれる大型バイクもカウンターカルチャーのシンボルだったが、二人の若者がそれに乗って社会のルールを逸脱しまくりながらアメリカ大陸を横断する。途中でマリファナ、ヒッピー、ヒッチハイク、などカウンターカルチャーが次々登場するが、その中で、都会と田舎、若者と年寄り、自由主義と保守主義、などの新旧の価値観の対立が描かれている。最後はその対立が極端な形となって、衝撃的な結末に至る。


「いちご白書」は アメリカン・ニューシネマの名作のひとつに数えられる 1 9 7 0 年の映画で、日本でも同じ頃、東大の安田講堂事件などの学園紛争があり「いちご白書をもう一度」という歌が流行った時代だ。この映画は青春映画の形をとりながら、反体制のカウンターカルチャーである学生運動を描いている。大学でデモを行う学生たちに対して学長は「あんなのは、ボクいちごのケーキが好きと言っている子供のようで、取るに足らない連中だ」と言い放った(コロンビア大学で実際にあった実話)ことからこの題名がついた。権威主義の大学は、学生を排除するために警官隊を導入するが、これも安田講堂と同じだ。


「オン・ザ・ロード」はこれらより少し早いが、1 9 5 0 年代のビート・ゼネレーションと呼ばれる、戦後まもなくのカウンターカルチャー世代を描くロードムービーだ。小説家志望の若者が、仲間と一緒にオンボロ車に乗ってアメリア中を目的もなく走り続ける。既成の道徳に縛られる生き方を拒否して、ただ放埓な旅をする。原作者のケルアックはこの体験をもとに同名の小説を書いてベストセラーになる。後の 7 0 年代のカウンターカルチャーのヒッピーたちは、この小説から大きな影響を受けた。


「気狂いピエロ」はゴダール監督による強烈なカウンターカルチャー映画だ。映画には絵画がたくさん登場するが、監督はそれらにメッセージを込めている。時代はアンディ・ウォーホルなどのポップアートが、既成アートの権威主義を壊そうとしていた時代で、ゴダール監督はそういうアートを使って、良識社会への挑戦をしている。ほとんど全ての画面で原色の赤と青が隣り合わせで映し出される。”調和しない” 色使いは、伝統的絵画の美意識に対する挑戦であり、社会と”調和しない” 主人公自身の象徴でもある。最後は主人公自身がこの世に生きる価値は無いと、自爆してしまうという”気狂い”ぶりだ。


2022年12月24日土曜日

映画「エルマー・ガントリー 魅せられた男」

「Elmar Gantry」 

最近、某宗教団体が問題になっているが、このような新興宗教が勢いを増した時代は、明治以降3回あったそうで、明治維新直後、1 9 3 0 年代の大恐慌時代、太平洋戦争の敗戦直後、だったという。いずれも世の中が大転換した時代で、それについていけない大衆の将来への不安につけ込んで勢力を拡大した。

アメリカでも同様で、1 9 3 0 年前後に工業化や都市化が進み、田舎の人々や年寄りたちが、時代に取り残されるのではないかという不安が渦巻いていた。その社会状況を利用して、巧みな話術で信者を爆発的に増やしたキリスト教伝道師を描いたのが、映画「エルマー・ガントリー 魅せられた男」だ。


サーカスのような大きいテントの会場に人を集めて集会を開き、大げさな身振り手振りによるショー的な面白さで説教をする。まず「お前らは地獄に落ちるぞ」と脅しておいて、次に「しかし神を信じれば救われる」と言って信仰を促し寄付をさせる。日本の”例の宗教団体” の手口と全く同じ。

ガントリーは、流れ者のセールスマン(フーテンの寅さん的な)で、信仰心などまったく無い男なのだが、美貌の女性伝道師に魅せられて手伝うようになり、信者の寄付集めで教会が大儲けするのに貢献する。

映画の最後でテントの会場が大火事になる。”神を信じる” 信者たちは人を押しのけて我先に助かろうとする。しかしガントリーは最後まで残って人々を助ける。ガントリーは「こいつらさっきまで神に命を捧げると言ってたくせに」と内心で思う。そして全てが焼け落ちた後で、許しを求める信者たちを見て、ガントリーはもう神を語ることをやめようと決めて去っていく。

ガントリーは実在した人物をモデルにしている。そのキリスト教福音派は、今でも隆盛を誇り、政治家と深くつながって、政治に影響を与え続けている。人工妊娠中絶反対や LGBT 運動反対、などの政策も彼らの力によっている。 


2022年12月22日木曜日

映画「フォレスト・ガンプ 一期一会」

 Forrest Gump

1 9 9 4 年のこの映画をずいぶん久しぶりに観た。’6 0 〜’7 0 年代を舞台にした映画なので、今ではどういう受け止めをされているのかネットの書き込みを見てみた。”愛と感動の物語” と受け止め、主人公の誠実な生き方に共感する、といった感想ばかりだった。確かにそうではあるが、映画にはある政治的メッセージが込められてることに今の人は気づかないと思う。

主人公のフォレスト・ガンプが自分の半生を回想する形で話は進むが、所々に 1 9 7 0 年代のニュース映像が挿入される。ガンプとその恋人の人生が、当時の時代環境に大きく翻弄されてきたことを映画は強調している。

知能指数が低いガンプは子供の頃からいじめられてきたが、母の言いつけを守って誠実に生きてきた。やがてベトナム戦争に従軍するが、上官の命令に真面目に従って献身的に戦い、負傷した戦友を助けたり、といった大活躍し、帰国すると大統領から勲章をもらう。戦後も両脚を失ったかつての戦友を親身に助けたりしている。

一方の恋人ジェニーは自由奔放に生きている。’6 0 〜’7 0 年代は、ヴェトナム戦争の敗北やら、公民権運動の激化、経済格差の拡大、など社会が激変し、夢と希望の国アメリカの時代は終わった。それを背景に、従来の価値観を否定する若者たちの「カウンター・カルチャー」の波が巻き起こる。ヒッピー、ドラッグ、フリーセックス、などだ。ジェニーもこのような世界に飛び込んでいく。そして念願のフォークシンガーになり、舞台でジョーン・バエズ風の反戦ソングを歌っているのだが、なぜか全裸だ。


「カウンター・カルチャー」は反戦運動や人種差別反対運動につながり、ジェニーも反戦組織に加わる。そして古い世代と若者たちの間の摩擦や対立が生じる。ガンプは伝統的な価値観を体現し、ジェニーは若者の価値観を体現している。監督のロバート・ゼメキス自身もその意図があることを認めている。

当時は、大統領のレーガンやブッシュが(そしてトランプへ続く)「アメリカをもう一度輝く偉大な国へ」というスローガンのもと、古きよき時代の復活を叫んでいた時代だ。この映画はそれら保守的な政治家を結果的を援護している。ガンプを ”善い人” として描き、反戦運動に加わっているジェニーを”不良" として侮蔑的に描いている。また反戦運動組織を、暴力やセクハラが横行する無法者集団として描いている。


映画の最後で、ジェニーは反戦組織から抜け出し、故郷に戻ってガンプと再会する。ところが両親はすで死に、家が廃墟になっているのを見て愕然とする。今までの生き方を後悔した彼女はガンプと結婚するが、わずか数日後に若くして死んでしまう。映画は感染症にかかったためとしか言わないが、状況からみて、エイズであることは明らかだ。映画は、奔放に生きた彼女に天罰が下ったのだと暗示している。以上のようにこの映画は、ラブストーリーに見えるが、とても政治性のある映画で、その点で批判を浴びることも多い ”名画” なのだ。



2022年12月20日火曜日

マーチン・ジョンソン・ヒードの絵画

 Martin Johnson Heade

ヒードはアメリカではポピュラーな画家で、1 9 世紀(日本の明治初めころ)に活躍した。日本ではあまりなじみがないが、個人的に好きな画家だ。細密描写的な写実主義で、ロマンチックな風景画を描いた。その中から湿地を描いたシリーズを紹介してみる。(写真は、画集「Martin Johnson Heade」  より)



(上の絵の部分拡大)

2022年12月17日土曜日

映画「影なき狙撃者」

 The Manchurian Candidate

最近、某宗教団体の「マインド・コントロール」が問題になっているが、かつては「洗脳」と呼ばれ、マインドコントロールのような生やさしいものではなかった。終戦直後にソ連や中国で捕虜になった日本の兵士たちが共産主義の思想教育の洗脳を受けた話がよく報じられた。


この映画は、東西冷戦が厳しかった時代を舞台に、朝鮮戦争で中国・ソ連の捕虜になって洗脳され、帰還したあとも洗脳が解けずにいるアメリカ兵が主人公。


元兵士は普段は普通の人間だが、ハートのクイーンを見るとスイッチが入って、殺人マシーンと化すように洗脳されている。


主人公は大統領選に出馬している政治家(赤狩りで有名なマッカーシー上院議員がモデル)の息子なのだが、対立候補を暗殺するように指令を受ける。(しかし最後は意外なオチが待っている。)


以上のようにこれは、冷戦時代を舞台にした反共映画なのだが、興味ふかいシーンが出てくる。今日本で問題になっている宗教団体は、もともと韓国の反共団体で、それに日本の岸首相が深く関わっていたことは最近よく報じられている。その岸首相の画像が出てくるのだ。


2022年12月14日水曜日

危ない映画 ベスト3

 Dangerous Movies

”危ない映画” について今までも書いたが、あらためてベスト3(ワースト3)をまとめてみた。いずれも古い映画だが、その価値観が現在も現実の世界でしっかりと生き続けていていることが ”危うい” 。


黒人のデモが起きると、インディアンをやっつける騎兵よろしく
KKK 軍団が勇ましく駆けつけて、黒人にリンチを加える。
代表的なのが「国民の創生」で ”史上最悪の名画” と呼ばれている。”名画” と呼ばれるのはグリフィス監督の画期的な映画手法によるのだが、内容的には酷評されてきた。黒人への人種差別をあおり、悪名高い KKK を正義の味方として賛美している。しかし、トランプ政権時代には、 KKK が復活したり、警官が黒人に暴行するなどの事件が多発した。また大統領自身も差別的な発言を繰り返して人気を得ていた。100年前のこの映画が主張する差別主義が現在も堂々と生きているのが怖い。

メロドラマの形をとっている映画だが、
男尊女卑的で、うっとりした表情の女性
が見あげているのは、摩天楼のてっぺんに
すっくと立っている主人公の建築家だ。

トンデモ映画の ”怪作” とされる「摩天楼」も悪名高い。極端な自由主義の思想家アイン・ランドの原作を映画化したもので、主人公の天才的な建築家に、その思想を代弁させている。才能のある人や努力した人が成功して豊かになるのは当然で、国がそれを規制するべきでないと演説する。そして、成功した人から税金を取って、それを貧しい人を救済する社会福祉に使うのは止めろと主張する。 今でもアイン・ランド思想を信奉する政治家は多く、彼らは”新自由主義者” と呼ばれる。トランプ政権下で、国民健康保険制度を廃止してしまい、貧富の差がますますひどくなったのもそれだ。


党大会で支持者が熱狂している。しかし
この直後、男がフェイクであること
がバレると一転して怒号の嵐になる。
現在、世界じゅうでポピュリズムが(日本も含めて)勢いを増している。「群衆」は、ポピュリズム政治家が生まれ、大衆に支持されていくメカニズムをドラマにしている。古い映画だが、いまだに現代性のあるテーマだ。ある新聞社が、適当に選んだ普通の男をヒーローにでっち上げて、男を売り出す大キャンペーンを張る。国民が友愛の精神で助け合う理想社会を作るという、新聞社が書いた原稿で演説を男に繰り返させる。国民の熱狂的な人気を得て、政党まで結成するようになる。しかしそれは新聞社の社長が大統領選挙に出馬するために仕組んだ罠で、男は利用されていただけだった。今の時代なら新聞ではなく SNS だが、メディアによって「群衆」が簡単に操られてしまう恐ろしさを描いている。


2022年12月12日月曜日

パステル画 鑑賞 人物編

 Figures with Pastel

パステルは、石膏デッサンの木炭と同じ性質の画材だから、デッサン力が命の人物画に向いている。(写真は「Pure Color : The Best of Pastel」より)

カラーペーパーに白と黒だけで描くのは、ミケランジェロなどの習作デッサンから続く、パステル画のもっとも基本的な手法。これを土台にして着色すれば以下のようなタブローになる。





2022年12月9日金曜日

悪評のディズニー映画「南部の唄」

 Song of the South

現在 NHK の Eテレ で放映中のシリーズ「世界サブカルチャー史 欲望の系譜」の、 12 / 7 放送でウォルト・ディズニーが特集されていた。ディズニーは巨額の制作費をかけてヒット作を狙うが、失敗することが多く、いつも借金をかかえていた。

中でも「南部の唄」は猛烈な批判を浴びた。舞台は奴隷解放以前の農場で、使用人の黒人と白人の農場主の子供たちの交流を描いている。主人公の黒人の年寄りが古い民話を白人の子供たちに語って聞かせるという内容で、実写とアニメを融合した美しく牧歌的な映画だ。

まるで奴隷制の人種差別など存在しなかったかのように、白人と黒人の関係を美化していることに批判が集まった。現実に存在する問題や、歴史的事実を無視した、ファンタジックで夢のような世界を描く、いつものディズニー映画なのだ。

批判を浴びたディズニーは現在ではこの映画を封印してしまい、無かったことにしているので、全編をビデオでもネットでも見ることができない。

ディズニーが無かったことにしている映画は他にもいろいろあって、人種差別的なシーンは今では全てカットしている。また第二次世界対戦中に作った「空軍力の勝利」は長距離爆撃機で日本を空襲すべきという提案をしている映画だが、さらに「ドナルドの襲撃部隊」は、ドナルドが落下傘で降下して日本軍をやっつけるという冒険アニメで、日本人を人種差別的に描いている。これももちろん今では見ることができない。


2022年12月6日火曜日

パステル画の、「ルーズ」な絵と、「タイト」な絵

 Loose & Tight, Pastel painting

パステル画の表現力の多様さのひとつが、「ルーズ」と「タイト」が自在に描けるという点。(写真は「Creative Painting with Pastel」より)

「ルーズ」の例。細部にとらわれず、太いストロークで動きを活き活きと描いている。

「タイト」の例。細部まで正確に描写し、質感をリアルに表現している。

2022年12月3日土曜日

映画「イワン雷帝」

 「Ivan the Terrible」

「戦艦ポチョムキン」のエイゼンシュタイン監督による古典的名作で、中世ロシアのイワン雷帝を描いた歴史絵巻的な大作。2部構成で、第1部では、帝位についたイワンが、中央アジアの周辺国(今のカザフスタンなど)を制圧し、ロシアを強力な統一国家にする。第2部では、国内の反皇帝勢力との激しい権力闘争が描かれ、イワンは反対派の大粛清を決行する。スターリン独裁時代に制作されたこの映画、第1部の完成時にスターリンはエイゼンシュタインに勲章を与えたが、第2部の完成時には、スターリンは一転して激怒し、上映禁止にしてしまう。映画は、イワン雷帝をスターリンに重ねて、その強圧的な独裁政治を批判しているのだ。


上の場面は、イギリスと敵対していたイワンが、イギリスに派遣する大使と面会しているシーン。イギリスに対して、バルト海制覇という自分の野望を伝え、相手を威圧するように命令している。この場面で、壁に巨大なイワンの顔の影が投影されていて、机には地球儀が置かれている。世界を手中に収めたいというイワンの欲望がシンボリックに表現されている。


粛清によって政敵を倒した後のラストだけカラーになるが、しかしカラーといっても赤一色だけ。その場面でイワンは言う。「皇帝に逆らう逆臣には、残酷と怒りで闘う。」「ロシアの主権を犯そうとする外国勢力には、断固として反撃の正義の剣を振るうであろう。」 だから、エイゼンシュタインのこの赤は、共産主義のシンボルカラーの赤と、粛清で流された血の赤、を意味していると想像できる。

もしエイゼンシュタインが今も生きていたら、「プーチン雷帝」を撮るかもしれないと、つい思ってしまう映画だ。

2022年12月1日木曜日

パステル画 鑑賞 静物編

Pastel painting : Still life 

趣味で絵を描く人は多いが、ほとんどが水彩か油彩で、パステルをやる人は少ない。また普段からパステル画に接する機会は多くない。だから、パステル画について偏ったイメージが世にはびこっている。柔らかくて優しい色調を「パステル調」と言ったりするのもそのひとつだ。パステル画のプロたちの作品を見ると、パステルの可能性を知ることができる。(写真は「Pure Color, The Best of Pastel」および「Creative Painting with Pastel」より)


繊細なストロークを重ねて、布の柔らかさを表現している。計算された構図が空間を感じさせている。

初心者がよくやる指でこすることはしていないので色が輝いている。物の輪郭をソフトエッジにして、背景との間の空間を感じさせている。

上の例と対照的に、徹底してタイトにハードエッジで描いている。モチーフの質感が写真的なリアルさで表現されている。

窓から差しこむ光がテーマになっている。曲がりくねった細いストロークを重ねて、ガラス器に反射する光を表現している。

エキゾチックな壺の絵柄を主題にしたユニークな絵。小物やタピストリなども含めて、パステルならではのカラフルな色で画面を埋め尽くしている。


2022年11月28日月曜日

パステル画のイロハ・・・

 Pastels for Beginners

パステル画の初心者向け教科書で、まず最初に出てくるイロハが「ストローク」についてで、パステルを寝かせて塗る「サイドストローク」と、立てて塗る「ラインストローク」の2種類がある。普通この両方を組み合わせて描く。


いずれの場合も、表面がザラザラしたパステル画用紙のおかげで、色がベタに塗りつぶされずに、色が ”粒立つ” 。それが溶剤を使う水彩などとの違いで、顔料の粉(色の粒)を直接紙の上に置いていくパステル画の最大の特徴であり魅力だ 。

しかし初めのうちは、指でこすってストロークを消してしまいがちになる。指でこすると、ソフトで滑らかな色のグラデーションができるので、それが ”パステルらしい” と勘違いしてしまう。しかし逆で、パステル特有の色の ”粒立ち” が消えて ”ベタ色” になってしまい、ノッペリした死んだ絵になってしまう。「こすらない」ことがパステル画上達の第一歩になる。

プロのパステル画家の作品で、それがよくわかる。もちろん1ヶ所もこすっていないから、ストロークが生きていて、色彩が鮮やかなパステルらしい活き活きした絵になっている。

上段:帽子の白色のサイドストロークによる ”粒立ち” で、ハイライトが光輝いている。
中段:メロンのオレンジと黄色をこすって混色していないので、色が鮮やか。
下段:力強いラインストロークをそのまま生かしているから、色の純度を保っている。

(図は「Creative Paintingu with Pastel」 より)



2022年11月26日土曜日

ルネ・マグリットの「大家族」

 Rene Magritte

日経新聞の「空を見上げて  十選」にルネ・マグリットの「大家族」が選ばれていた。選者の哲学者  小林康夫氏がこの絵を解説している。


同氏はこの絵について、『暗い空は「今日の曇り空」で、明るい空は「明日の青空」を意味し、「わたし」は遠くの広大な「明日の青空」を夢見ている・・・』といった哲学的(?)な「物語」を語っている。

この絵は、暗い空に鳥の形をした青空が描かれているが、これはシュールレアリズムの用語でいう「デペイズマン」にあたる。それは『事物を日常的な関係から追放して、あるはずがないところに物がある、というような人間の理性や合理性を超越した状況の表現を意味する』と説明されている。

それは、絵の裏にある「物語」を読み取ることで、その絵を「理解」できたとする伝統的な絵の見方を拒否している。現代の絵画は「物語」を排除して、純粋な視覚の芸術を追求している。抽象絵画もそうだが、マグリットは、トリックアートのように視覚を裏切ることによって、合理的な「物語」で解釈されることを拒絶している。

しかしこの解説者はそうしない。鳥の下の方にある小さな黒い部分についてこう言っている。『なんというヘマだ !  「明日の青空」の中に「今日の曇り空」のかけらが取り残されてしまっているではないか ! ! ! 』 もちろんこれは簡単な勘違いで、鳥の脚と尾の間の空間に背景の暗い空が見えているだけのことだ。自分が作った「物語」に引きずられて、素直に絵を「見る」ことができなくなっている。


2022年11月24日木曜日

「空を見上げて 十選」になかった空の絵

日経新聞の連載コラム記事 「空を見上げて  十選」シリーズが終わった。空の絵などは無数にあるから、 1 0 点だけを選ぶのは苦労したと思う。選者は哲学者の小林康夫氏で、”哲学的な” 観点から絵を解説している。

取り上げられた 1 0 点は、コンスタブル、ジョルジョーネ、屏風絵、クロード・ロラン、ターナー、ゴッホ、ホイッスラー、古賀春江、イブ・クライン、ルネ・マグリット


これ以外にも「空を見上げた」絵は、優れたものがまだまだあるので、補足してみる。


フリードリヒの「海辺の修道僧」は、海辺で修道僧が空を見上げている。これ以上に「空を見上げる」絵はないと思うが、十選に漏れている。暮れかけた空は暗く、海は真っ黒だ。広大な空を見あげている修道僧は豆粒のように小さい。圧倒されるような自然の崇高さと、人間のはかなさを想いながら修道僧は瞑想している。

人々が暗雲で覆われた暗い空を見上げている。ドイツの現代画家リヒャルト・エルツェの「期待」が描かれたのは 1 9 3 5 年で、大恐慌まっただなかで、ヒトラーが政権を握り、戦争がやがて始まることが予兆される不安な時代だった。この絵は、そのような人々の不安な気持ちを空に託して幻想的に描いている。

「空を見上げる」ということは、見る人の関心が地上より上の方向に向いているということだが、そういう視線で描いた画家はたぶんロイスダールが初めてではないか。空の面積を大きくとるために縦長の画面にしている。地上の物たちは、空のスケールの大きさを強調するための引き立て役にすぎない。


2022年11月21日月曜日

反ワクチン運動と地球平面説

 Flat Earth Theory

5回目のワクチンを打ちに行ったが、接種会場への送迎バス発着場の目の前で某政党の反ワクチン演説が行われていた。けっこう人気があるようで、人だかりがしていた。


アメリカの反ワクチン運動は、強い影響力を持っている。運動の母体はキリスト教原理主義者たちで、”宗教国家” と呼ばれるアメリカで政治的にも強い影響力を持っている。神様が創った人間の体に、ワクチンで手を加えることは聖書に反することで、とんでもないと考える。彼らはまた極端な自由主義者でもあるので、ワクチンという科学を使って政府が国民を統制しようとしているとして強く反発する。

彼らはワクチン以外でも科学すべてを強く否定する。そのひとつが「地球平面説」だ。中世の画家ヒエロニムス・ボスが、聖書の「天地創造」を描いた有名な「快楽の園」の扉の外面には、球形の宇宙の中心に円盤状の地球が浮いている。しかし、ガリレオなどが地動説や地球球体説を唱え始めると、神さまが地球を創ったとする聖書の教えに反することになるから、教会から異端として弾圧された。聖書が絶対とする人たちは 2 1 世紀の現在もそれを続けている。


このような反科学主義は、他にもダーウィンの「進化論」なども否定するが、ワクチン反対やマスク反対の運動もその延長線上にある。彼らに科学的な証明を示しても意味がない。それは宗教の問題だから、信者に対して神様なんていないよというのと同じで無意味なことだ。だから、そのような社会的素地がない日本でのワクチン反対運動は、どうしても違和感がある。