Production Code
映画の研究書に必ず出てくるのが、アメリカにかつてあった「プロダクション・コード」の話だ。1930 年代、映画産業が巨大化するとともに、娯楽としての映画が文化への影響力が強まったことへの不安感が広まった。特に発言力の強い宗教団体が、公序良俗に反する映画への批判を強めるようになる。それに危機感をおぼえた映画業界は、「プロダクション・コード」 という自主検閲規定を作る。
規定は映画に厳しい目を向けているカソリック系の宗教倫理をほぼそのとうりに取り入れたもので、「性的不品行」「暴力などの犯罪」「神への冒涜」などの禁止事項が明文化された。下の写真は、規定の施行前(1934 年)と施行後(1936 年)の「ターザン」の比較で、女性の露出度や男との密着度などが大きく変化している。
「プロダクション・コード」は、戦後の1968 年に廃止されるまでの約 30 年間続いたが、その間の映画はすべてこの規定の影響を受けている。しかし規定をクリアできるような表現の工夫をしたゆえにかえって現在でも名画と評価されている映画がたくさんある。
おなじみの「カサブランカ」もその一つで、ナチス占領下のカサブランカからアメリカへ脱出しようとしているレジンスタンスの男とその妻(イングリッド・バーグマン)を逃すために、酒場の主人(ハンフリー・ボガード)が、最後の最後で自分用のビザをあげてしまうのだが、実は、女性は男のもと恋人だった、というおなじみのストーリーだ。
「プロダクション・コード」では性に関して「結婚制度と家庭の神聖さは守らなければならない。映画は、低級な性表現を肯定的に描いてはならない。」とあり、その細則として、「不倫は、はっきりと扱ったり、魅力的に描いてはならない。」と規定されている。だから「カサブランカ」は、これをクリアするために細心の注意が払われている。
・パリ時代の回想シーンで、二人の関係が ”不倫” だったかどうかはぼかされている。
・女性は今も夫とレジスタンスの同志として結ばれていることを強調している。
・女性はもと恋人と夫との間で心が引き裂かれていて、 ”魅力的” には描いていない。
・男は、戦争という”大義” のために女性と別れる決断をして ”愛” を犠牲にしている。
これらによって、この映画は ”不倫” を描きながら倫理性を感じさせ、それが映画の成功につながっている。
もう一つの例は「サイコ」で、1960 年のヒッチコック監督による傑作だ。主人公の女性が旅先のモーテルの浴室で何者かに包丁で刺されて殺されるのだが、そのシーンが超有名だ。シャワーを浴びている女性の背後のカーテンにうっすらと人影が映り、次にナイフを振り上げている男がシルエットで映る。最後は排水口に流れていく血が映される。この間、殺人者の姿は一切見えず、刺される瞬間も女性の遺体も映さない。この間接的な表現がかえって恐怖心をかきたてていて、のちに色々な映画で応用される。
これは「プロダクション・コード」の「違法行為」の項目で、「殺人の方法は、模倣願望を起こさせたりするような表現をしてはいけない。」「残忍な殺人を細部にわたって映し出してはならない。」に従ったものだが、それがかえって画期的な映像表現につながった。
やがて価値観の多様化とともに時代遅れになった「プロダクション・コード」は1968 年に廃止されるが、その後は「レイティング・システム」が採用される。日本でもそれに倣って「映倫」による「一般向け」「大人向け」「16 歳以下の視聴禁止」「18 歳以下の視聴禁止」の4段階のレイティングがされている。