2023年11月28日火曜日

パレスチナ・イスラエル問題の根本が わかる映画「アラビアのロレンス」

 「Lawrence of Arabia」

今から 100 年前の第一次世界大戦で、中東全域を支配していたオスマン帝国はドイツ側について参戦した。イギリスはオスマン帝国を内側から潰そうとして、各地のアラブ人に内乱を起こさせる。中東各地の部族に潜入して反乱軍の指導をしたのが、イギリス軍の諜報将校「アラビアのロレンス」だった。映画はその英雄的な活躍を描いている。

ロレンスは反乱をそそのかすために、アラブの首長にイギリスが勝ったら、分け前として土地を与えて、独立国にしてあげると約束をする。映画でそのシーンが出てくる。地図の上に国境線を引いて、ここからここまであんたの取り分だよ、と言う。

戦争はイギリスが勝ち、オスマン帝国は滅びるが、イギリスは約束を反故にする。委任統治という形でイギリスが支配することになり、アラブ諸国はイギリスの植民地になってしまう。その一方で、やはり戦中にユダヤ人と交わしていたイスラエルの土地を与える、という密約は履行する。(戦費をユダヤ人資本家から調達するためだったという。)その結果、世界各地のユダヤ人が入植してきて、アラブ人を追い出したり殺したりして居住地域を広げていく。土地を奪われたアラブ人の怒りが、現在の戦争のもとになっている。

この時のイギリスの「二枚舌外交」が現在のパレスチナ・イスラエル問題の根本の原因だというのが歴史の定説になっている。ロレンス自身もイギリス政府に騙されていたことを知る。戦後ロレンスは、イギリス国内では英雄扱いされるが、結果的にアラブ人を裏切ったことを生涯後悔し続けたという。

(パレスチナ問題について詳しい歴史を知るには、臼杵陽「世界史の中のパレスチナ問題」がおすすめ。いま現在、中東で起きていることの意味がよくわかる。)


2023年11月25日土曜日

映画「ヒッチコックの映画術」

Alfred Hitchcock 

ヒッチコック自身が自らの映画術を語る興味深い映画が公開されている。ヒッチコックファンとしてさっそく観た。

冒頭で、映画は演劇と何が違うかについて語る。演劇は舞台と観客席がはっきり区切られていて、舞台で演じられている世界を観客は第三者的に外から眺めている。しかし映画は、観客が映画の世界へ入っていき、映画の一部になるような体験をすることができる。ヒッチコックは観客を映画の中に ”引きずりこむ” 演出を様々に工夫する。

一例として、「舞台恐怖症」という映画で、男が、いわくありげな家へ入っていくシーンでドアを閉めない。カメラは男の後をついていくので、観客は自分も男と一緒に家に入った感覚になる。その後で「バタン」とドアが閉まる音だけが加えられる。観客を映画に ”引きずりこむ” 演出だ。


引きずり込んでおいて、登場人物が経験しているのと同じ感覚を観客にも感じさせる。それは ”幻影” なのだが、観客もそれを求めて映画館に来る。サービス精神旺盛なヒッチコックはそれにこたえる。「めまい」の主人公は極端な高所恐怖症なのだが、観客にも「めまい」を起こさせるような巧みな映像が随所に出てくる。


観客を騙すのもヒッチコックの得意技で、監督はそのことを面白がっている。「断崖」で、刑事が容疑者の家に聞き込みにくるシーン。玄関を入るとピカソの静物画が飾ってあり、それを刑事が立ち止まって、しばらくの間じっと見つめる。刑事は帰りがけにももう一度振り返ってこの絵に視線を投げる。サスペンス映画だから当然、観客はこの絵がこれから起きる事件の何かの「伏線」だろうと思う。ところが終わってみると、この絵は最後までストーリーと何の関係もなかったことがわかる。思わせぶりな演出で観客が騙されることを監督は楽しんでいる。



2023年11月22日水曜日

「落ちる男」の写真

The Falling Man

9.11 の同時多発テロの時に「落ちる男」という報道写真があった。炎と煙の苦痛に耐えかねて、貿易センタービルの高層階から飛び降りる男を撮っている。この写真は事件翌日の新聞に掲載されたが、あまりにショッキングなため、すぐに封印されてしまう。日本でもいまだに公にされることはない。


 この写真は、アメリカ人のイスラムに対する「恐怖」と「憎しみ」を社会にもたらすきっかけになった。そして政府は「ユダヤ・キリスト教対イスラム」という単純な対立構造をアメリカ社会に構築することになる。それを根拠にして、当時のブッシュ大統領は「対テロ戦争」を宣言し、テロリストの撲滅という名目のもとにアフガンやイラクに侵攻する。そして今もテロリスト撲滅を口実にして一般市民を虐殺しているイスラエルをアメリカのバイデン大統領は支援し続けている。


2023年11月18日土曜日

スコセッシ監督は、なぜ2流監督扱いをされたのか?

 Scorsese

スコセッシ監督は現在でこそ巨匠と呼ばれているが、永い間、2流監督扱いされてきた。作品のほとんどが興行的に失敗してきた理由は、映画をハッピーエンドで終わらせることをしなかったためだと言われている。ハリウッド式の「売れる映画」を作ることを拒んできた。さらに、政治的・社会的に強い影響力を持つキリスト教保守派の伝統的な価値感や倫理規範に合わない映画をたくさん作ってきたこともスコセッシ監督への批判が高まった理由だった。

現在公開中の最新作「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」も救いのないラストで終わる。アメリカ先住民(インディアン)の居留地に突然石油が出て、彼らは豊かになるという史実にもとずく映画だ。そこに一獲千金を狙って白人たちが押し寄せてくるのだが、映画は先住民と白人との対比を鮮明に描いている。先住民たちは誠実で信心深いのに対して、白人たちは粗野で殺人も平気でやる人間だ。西部劇で描かれてきた白人対先住民の関係がこの映画では逆転している。そして数十人の先住民の女性が、強欲な白人たちの犠牲になって殺される。

この映画で注目したいのは、先住民たちが神に祈るシーンがたびたび出てくることだ。女性たちが殺されるたびに神に救いを求めて祈る。その神はもちろん白人たちのイエス・キリストでなく彼らの神だが、彼らの「信仰」のあつさを強調している。キリスト教徒である白人は文明的であり、先住民は野蛮人であるという、ハリウッド映画が描いてきた人種の優劣構造を逆転させている。これは保守的なアメリカ人たちにはこころよいものではないだろう。

スコセッシ監督はたびたび「信仰」をテーマに映画を作ってきた。「沈黙/サイレンス」は、キリスト教が禁じられていた江戸時代に日本に布教に来た宣教師の物語。彼は幕府に捕まって、キリスト教を棄教するように迫られ、ひどい拷問を受ける。神の救いを求めて必死に祈り続けるが、最後まで神は「沈黙」したままで救いがない。心の中の「信仰」が揺らいでゆき、ついに踏み絵を踏むことになる。棄教すると、武士に取り立てられて、税関で宗教的な物品がないか検査する役人になるという、殺される以上に悲劇的な結末で終わる。神は本当に存在するかというキリスト教徒へ根本的な疑問を投げかけている。

そんなスコセッシ監督の最大の問題作が「最後の誘惑」だった。イエス・キリストの生涯を描いたこの映画で、悪魔から誘惑を受け、イエスが3人の女性と関係を持ち、最後に結婚して家庭を作り普通の人間として生きるというストーリーが、神への冒涜であるとして、猛反発を受ける。宗教団体が映画館の前で観客の入場阻止をする実力行使を行い、爆破事件まで起こる。今でも「物議をかもした映画」ベスト10 のナンバー1にランクされている。この映画は「キリスト教宗教国家」としてのアメリカの伝統的価値観を決定的に破るものとしてキリスト教右派や保守層にとっては許しがたいものだった。だからスコセッシ監督は2流監督に貶めるネガティブ・キャンペーンにさらられた。

2023年11月15日水曜日

万博の歴史、大阪は?

Expo 

大阪万博が開催できるか危ぶまれているそうだ。そもそも、万博を日本でやると聞いたとき、「万博なんてまだあったの」という感じだった。インターネットなどない時代、未来の技術や異国の文化を目の当たりにできる万博は、最高の「情報メディア」だった。しかし、人・モノ・情報が世界を自由に行き交う現在では存在意義が薄い。時代遅れになった万博だから、撤退する国が続出しても当然だろう。


1851 年のロンドンが第1回の万博だった。会場の「水晶宮」は、最先端の技術を使った世界初のガラスの建築で、世界に衝撃を与えた。また、プレファブ工法を使った初めての建築でもあり、「工業化社会」への方向性を示すモニュメントだった。「未来を見せる」という万博の使命を果たしていた。


日本が初めて参加したのは、 1867 年のパリ万博からだが、明治維新直前の時代だったので、「幕府」「薩摩藩」「鍋島藩」の三つがそれぞれ別々の展示をして、自分たちが「日本代表」だと主張しあった。その時の出品物は、美術工芸品で、有田焼などの陶磁器はヨーロッパに衝撃を与え、「ジャポニズム芸術」のきっかけになった。また、アールヌーボーの製品に日本的なデザインが多かったのもその影響だった。

時代が下って、第二次世界大戦直前の1937 年のパリ万博は有名だ。世界の覇権争いをしていた二つの全体主義国家、ドイツ館とソ連館がエッフェル塔を挟んで、にらみ合うように向かい合って建てられた。不穏な時代を象徴するような光景だ。ドイツ館の設計は、ナチスの建築を一手に引き受けていた有名なシュペーアによる、列柱をテーマにした「ナチス様式」 のデザインだ。ソ連館は巨大な労働者の像が最上部に置かれ、モスクワに建設計画中だった「ソヴィエト宮殿」の縮小版のようなデザイン。どちらも全体主義国家の威容を誇ろうとするモニュメント建築で張り合っている。


この頃から万博は、統一テーマを掲げるようになったのだが、このパリ万博のテーマは「現代生活の中の芸術と文化」だった。この時スペイン館で、ピカソの絵画「ゲルニカ」が初めて展示された。この絵は、スペイン内戦で一般市民が虐殺されたことへの抗議だった。しかしその内戦は、フランコ総統を支援したドイツと、人民戦線を支援したソ連との代理戦争だった。そのさなかで行われた万博の、ドイツ館とソ連館が、両国の対立を見事に視覚化している。統一テーマの「生活の〜」ではなく、「政治の〜」になってしまい、テーマは空疎になってしまった。

今度の大阪万博のテーマは、「いのち輝く未来社会のデザイン」だそうで、「持続可能な社会」というコンセプトだとそれなりに理解はできる。そのモニュメントとして、「リンク」という木造の巨大建造物を作っている。巨大な木造建築は東大寺のように日本の伝統技術であると同時に、最近日本では巨大ビルを木造で作る技術も進んでいる。鉄とガラスの時代は終わり、これからは持続可能な「木」の文化だ、というメッセージを発信すれば、日本で万博をやる意義が出てくると思う。ところが「リンク」への批判に万博担当大臣が「これは熱中症対策の日よけだから必要だ」と言ったのにはがっかりする。第1回万博での「水晶宮」のように、次の時代に向けてのメッセージを発信するという万博の意味を大臣自身が理解していない。これでは大阪万博は失敗に終わるだろう。


2023年11月13日月曜日

アメリカの ”対テロ戦争” キャンペーンとハリウッド映画「ブラックホーク・ダウン」

 「Blackhawk Down」

現在の中東の戦争で、イスラエルはテロ組織を殲滅するためだとして、民間人までも殺戮をしている。そのイスラエルをアメリカは支援をしている。アメリカはこれまで、「ユダヤ・キリスト教対イスラム過激派」という宗教的な対立軸を煽って、イスラム国に対して強硬手段に訴えてきた。そのきっかけが 9. 11 のテロで、アメリカ政府はテロ組織の撲滅という名目で、イラクなど中東に戦争を仕掛けてきた。今回もその延長線上にある。

 9. 11 テロは、映画にも大きな影響を与える。 9. 11 後、アメリカ政府は「対テロ戦争」キャンペーンに協力するようにハリウッドの映画業界に要請する。それを受けて、アメリカ映画協会は、政府に協力する。「イスラムのテロは文明に対する攻撃であり、対テロは悪に対する戦いである。」というメッセージを映画によって国内外に伝えるべし、という取り決めをする。(木谷佳楠「アメリカ映画とキリスト教」による)

その趣旨にぴったり合致したのが「ブラックホーク・ダウン」(2001 年)という映画だった。イスラム国であるソマリアで、アメリカ兵がテロによって残虐に殺されてしまうのだが、アメリカ軍が攻撃を加え、テロリストたちを殺す。そしてヘリで帰還しようとするが逆に攻撃され、ヘリが撃墜されてしまう。取り残された兵士たちは勇敢に戦い・・・

この映画は、9. 11 の直後に公開されたので、アメリカが中東に報復攻撃することの正当性を裏ずける格好の材料になった。そして、アメリカ国民の愛国心を高揚させ、イスラムに対して団結して戦おう、という効果的なプロパガンダになった。だからアメリカ政府はこの映画を後押しして、大ヒット作となった。


2023年11月11日土曜日

「プロダクションコード」から生まれた名画 「カサブランカ」と「サイコ」

Production Code 

映画の研究書に必ず出てくるのが、アメリカにかつてあった「プロダクション・コード」の話だ。1930 年代、映画産業が巨大化するとともに、娯楽としての映画が文化への影響力が強まったことへの不安感が広まった。特に発言力の強い宗教団体が、公序良俗に反する映画への批判を強めるようになる。それに危機感をおぼえた映画業界は、「プロダクション・コード」 という自主検閲規定を作る。

規定は映画に厳しい目を向けているカソリック系の宗教倫理をほぼそのとうりに取り入れたもので、「性的不品行」「暴力などの犯罪」「神への冒涜」などの禁止事項が明文化された。下の写真は、規定の施行前(1934 年)と施行後(1936 年)の「ターザン」の比較で、女性の露出度や男との密着度などが大きく変化している。


「プロダクション・コード」は、戦後の1968 年に廃止されるまでの約 30 年間続いたが、その間の映画はすべてこの規定の影響を受けている。しかし規定をクリアできるような表現の工夫をしたゆえにかえって現在でも名画と評価されている映画がたくさんある。

おなじみの「カサブランカ」もその一つで、ナチス占領下のカサブランカからアメリカへ脱出しようとしているレジンスタンスの男とその妻(イングリッド・バーグマン)を逃すために、酒場の主人(ハンフリー・ボガード)が、最後の最後で自分用のビザをあげてしまうのだが、実は、女性は男のもと恋人だった、というおなじみのストーリーだ。


「プロダクション・コード」では性に関して「結婚制度と家庭の神聖さは守らなければならない。映画は、低級な性表現を肯定的に描いてはならない。」とあり、その細則として、「不倫は、はっきりと扱ったり、魅力的に描いてはならない。」と規定されている。だから「カサブランカ」は、これをクリアするために細心の注意が払われている。
・パリ時代の回想シーンで、二人の関係が ”不倫” だったかどうかはぼかされている。
・女性は今も夫とレジスタンスの同志として結ばれていることを強調している。
・女性はもと恋人と夫との間で心が引き裂かれていて、 ”魅力的” には描いていない。
・男は、戦争という”大義” のために女性と別れる決断をして ”愛” を犠牲にしている。
これらによって、この映画は ”不倫” を描きながら倫理性を感じさせ、それが映画の成功につながっている。


もう一つの例は「サイコ」で、1960 年のヒッチコック監督による傑作だ。主人公の女性が旅先のモーテルの浴室で何者かに包丁で刺されて殺されるのだが、そのシーンが超有名だ。シャワーを浴びている女性の背後のカーテンにうっすらと人影が映り、次にナイフを振り上げている男がシルエットで映る。最後は排水口に流れていく血が映される。この間、殺人者の姿は一切見えず、刺される瞬間も女性の遺体も映さない。この間接的な表現がかえって恐怖心をかきたてていて、のちに色々な映画で応用される。


これは「プロダクション・コード」の「違法行為」の項目で、「殺人の方法は、模倣願望を起こさせたりするような表現をしてはいけない。」「残忍な殺人を細部にわたって映し出してはならない。」に従ったものだが、それがかえって画期的な映像表現につながった。


やがて価値観の多様化とともに時代遅れになった「プロダクション・コード」は1968 年に廃止されるが、その後は「レイティング・システム」が採用される。日本でもそれに倣って「映倫」による「一般向け」「大人向け」「16 歳以下の視聴禁止」「18 歳以下の視聴禁止」の4段階のレイティングがされている。

2023年11月9日木曜日

「目には目を」の本当の意味

 An eye for an eye

「目には目を」は、やられたらやり返せという報復を煽る言葉だと一般的に思われているが、それは大間違いだと言われている。この言葉は旧約聖書から始まったのだが、目をやられたら目をやりかえすまではいいが、それ以上のことはしてはならないという、過剰な報復を禁じるのが本当の意味だという。敵対者に対する憎悪を掻き立て、歯止めの効かない報復の連鎖を禁じる律法なのだ。

中東で今、「目」をやられた国が報復として「目」どころか、人の命までも奪っている。それをやっているのが、旧約聖書を建国の根拠にしている国だ。


2023年11月7日火曜日

ドーミエ カリカチュアの元祖

 Daumier

19 世紀フランスのドーミエは「カリカチュア」の元祖といわれる画家で、革命や内乱などで混乱する当時のフランスで、権力者を批判する「毒」のある風刺画を描いた。

フランス革命後に再び王政復古して国王になったルイ・フィリップを皮肉っている。玉座に座ったまるまると太った国王が、なおも人夫が担いでくる食べ物を食べまくっている。右下では国王の食べ物のための税金を、役人が民衆から徴収している。左下では国王の尻から出る排泄物(勲章や地位)の恩恵にあずかろうと国会義員や官僚たちが群がっている。


革命後、貴族に変わって国会議員になったのは、資本家や金持ちだった。彼らは民衆のことなど考えていない。知的でない欲のかたまりのような人間として描いている。


権力批判ばかり描いていたドーミエ は、政府の言論弾圧で禁固刑を食らってしまう。するとそれに抗議する絵を描いた。「プレス」と書かれた女性は、新聞の記事を書いている記者で、自由の象徴として光輝いている。それを棍棒で殴ろうとしているのは政治家で、言論を抑圧する政府を痛烈に批判している。




2023年11月3日金曜日

映画「マンガで世界を変えようとした男」のラルフ・ステッドマン

「For No Good Reason」 Ralph Steadman

雑誌などでたまに見かけることのあるマンガだが、作者については知らなかった。「マンガで世界を変えようとした男」(2014 年)というドキュメンタリー映画を観て、イギリス人のラルフ・ステッドマンという人を知った。

貧困、差別、暴力、戦争、権力の腐敗、などに対する抗議をテーマにしていて、マンガというより「カリカチュア」(戯画)というほうがふさわしい。”毒” のある社会批判という点では、バンクシーと同じだが、彼の表現には優しさとユーモアがあるのに対して、ステッドマンはもっと”毒々しい”。そして画力の高さに感心する。



2023年11月1日水曜日

映画「アアルト」 アアルトの人と作品

 「Aalto」

アルバー・アアルトの人と作品を紹介するドキュメンタリー映画が公開された。数年前にあった「アアルト展」では、スケッチや建築模型しか見れなかったが、映画の大きいスクリーンで見るとアアルトの魅力が強く実感できる。レンガや木材などの自然素材を多用したので、フィンランドの自然によく溶け込んでいる。


アアルトは家具もたくさんデザインした。戦前の作品が今でも名作家具として売られているが、この椅子が好きで以前使っていた。フレームが「曲げ合板」なので、バネのような弾性があり、かすかに揺れがあって座り心地がとてもいい。


建築も家具も「モダンデザイン」だが、機能と合理性に徹するのではなく、人間と自然に対する優しさが溢れている。映画は、やはりデザイナーだった妻との生活を軸に描いているのだが、そこからアアルト自身の優しい人間性が伝わってくる。