2024年9月28日土曜日

アンパンマンのやなせたかし氏


「アンパンマン」のやなせたかし氏は学校の大々先輩だった。20 年くらい上だが、同窓生のグループ展でアンパンマンの原画を出品されていた。もうとうに亡くなられたが、今年の展覧会が始まり、そのことを思い出した。なお、やなせ氏の原画は横浜の「アンパンマン・ミュージアム」にたくさん展示されている。

やなせたかし氏は、卒業後すぐに三越の宣伝部へ入社し、包装紙のデザインをした。「mitsukoshi」 の筆記体のロゴも同氏による。この包装紙は現在でも現役で使われている。戦後すぐの作品だから 70 年も続いている超長寿デザインだ。


2024年9月26日木曜日

JTB の旅行案内誌がまた来た


JTB の旅行ツアー案内誌がまた来た。JTB のツアーは 20 年ぐらい前に一度使って、こりごりして以来まったく利用していないのに、いまだに送ってくる。内容は、決まりきったものばかりで、”春は桜”、”秋は紅葉” みたいなままで思考停止している。


いま冬のニセコはスキーヤーで活況を呈しているが、きっかけはオーストラリア人がその素晴らしさを ”発見” して、SNS で発信したからだという。このように隠れた観光資源を開拓しようという発想が旅行会社にはない。例えば、今度来た「冬の北海道」のページを見ると、昔ながらの温泉旅館に泊まって、雪景色を見ながら露天風呂に入って、食事は豪華フランス料理・・みたいなツアーばかりだ。


2024年9月23日月曜日

ドラマ「SHOGUN 将軍」はおすすめ

 「SHOGUN」

エミー賞を受賞したドラマシリーズ「SHOGUN 将軍」を、 DISNEY+ の動画配信で全10話を見終わった。秀吉が死んだ後、家康(映画では虎永)が「関ヶ原の戦い」に勝って実権を握るまでの、戦国大名たちの権力闘争がスートーリーの軸になっている。基本的には史実に沿いながらも、フィクションを大幅に織り込んでいて、スケール感が大きいドラマだ。

主役は「鞠子(マリコ)」(主演女優賞のアンナ・サワイが好演)で、有名な「細川ガラシャ」をモデルにしている。「細川ガラシャ」は、明智光秀の娘で、「本能寺の変」の後、信長による明智家一族の絶滅を逃れてひとり生き残り、カソリックのキリスト教信者になる。映画の「鞠子」も、時代の運命に翻弄されながらも、その運命を受け入れながら生きてゆく「強い女」として描かれている。胸の十字架に注目。


武家の妻や娘は常に懐に懐剣を持っていて、いざという時には敵と戦い、負ける時には名誉のために自害するためだった、という事実はよく知られている。鞠子も同じで、侍たちの先頭に立って敵と闘い、最後には自らの命を犠牲にして死ぬ。女性は守られるべき弱いものという西欧的女性観とは反対の強く激しい日本女性像をこの映画は描いている。

もうひとりの主役が、ジョンという、遭難して漂着した船乗りのイギリス人で、こちらはウィリアム・アダムス(三浦按針)をモデルにしている。按針は家康に認められ、旗本に取り立てられ領地を与えられる。その地が三浦半島だったので「三浦按針」と呼ばれる。家康の外交顧問になった按針は、カソリック教会が、アジアや南米を植民地化する尖兵になっているという当時の世界情勢を家康に説明し警告した。家康はそれに従い、交易国をプロテスタント国のオランダに限るという外交政策に転換した。映画もその史実通りのストーリーになっている。

映画では、ジョンが虎永(家康)と話す時の通訳を務めるのが鞠子で、この二人の関係がドラマ全体の主軸になっている。やがて二人は心を通じ合っていき・・というメロドラマ的展開はハリウッド的だが。

なおラストでジョンが沈没した船を引き上げるシーンが出てきて、それに乗って故郷イギリスへ帰ることを示唆して終わるが、これは史実ではない。三浦按針は生涯を日本で生きて、現在も彼の墓(安針塚)が横須賀市にある。


2024年9月21日土曜日

英国ウェールズ地方で買ったロマネスク風石彫

Romanesque 

むかし、イギリスのウェールズ地方の土産物店で買った石彫。20 cm 位と小さいが、中世のロマネスク彫刻風で、とても魅力的だ。ロマネスク彫刻は奇怪でしかもユーモラスなのが特徴だとされるが、これにもその特徴がみられる。実際にあったものの縮小レプリカなのか、それとも土産物用に創作したものかわからないが。



2024年9月19日木曜日

「SHOGUN 将軍」

 「SHOGUN」

ドラマシリーズ「SHOGUN 将軍」がエミー賞のグランプリを受賞したということで、早速 DISNEY+ の動画配信で見た。まだ2話までしか見ていないが、普通の戦国もの映画と違って、ハリウッドらしく、ストーリーも脚本も映像もスケールが大きい。

宣教師のポルトガル人と、遭難した船乗りのイギリス人とが登場し、カソリック対プロテスタントの宗教的対立がストーリーの重要な軸のひとつになっていることに興味を惹かれる。その両者が戦国大名たちの権力闘争にからんでいく・・・


2024年9月17日火曜日

日本企業の US スチール買収

  • Nippon Steel's Attempt to acquire U.S. Steel


日本製鉄の US スチール買収問題が大統領選の争点の一つになっている。USS の本拠地は、アメリカ最大の激戦州ペンシルバニアのピッツバーグにあるから、トランプは USS の労働者票を得ようと、買収に強硬に反対している。

現在の鉄鋼業の世界シェアを調べてみたら、1位が中国、2位がインド、3位が日本で、アメリカははるか下で 10 位にも入っていない。かつて工業大国アメリカを牽引していた世界一の鉄鋼メーカー USS 凋落の原因は、技術革新(イノベーション)の立ち遅れだという。

その USS が輝いていた 1960 年代に出した広報誌を今でも持っている。その題名が「INNOVATIONS」(イノベーション)だから、今見ると皮肉に感じる。内容は、鉄のイノーベーションによって産業と社会に変革をもたらし、明るい未来を作ることへの鉄の役割の大きさを強調している。一番下の写真に「USS : その大きな思いはイノベーションだ」とある。アメリカの産業力のすごさへの憧れのような気持ちでこの本を見ていた。(イラストレーションをシド・ミードが担当していたので、この本は大人気を博した。)


今までの鉄鋼産業は品質の競争で、シームレス鋼管などの日本独自の技術で優位に立ってきた。しかしこれからの鉄鋼業の最大課題は「CO2 削減」だという。それはコストダウンにもつながり、競争力を高めるから、世界中でそのイノベーション競争になっているという。そしてここでもUSS は遅れをとっているが、トランプは「気候変動など存在しない」といってUSS を外国企業から守ろうとしている。

中学生のとき学校で、地元の製鉄工場を見学したことがある。そのときのことは全て忘れたが一つだけはっきり覚えているのが、「煙突を見てください。煙が白いですね。出ているのは水蒸気だけfだけだからで、排出ガスから有害物質を取り除いてクリーンにしています。」と説明の人が言っていた。なぜかそれに妙に感心したのだが、今になって思うと、「CO2 削減」などという言葉さえなかった70 年も前からすでに日本の製鉄業は技術革新に取り組んでいたことがわかる。USS が日本企業に買収されようとしていることの素地はこんな昔から始まっていたことにいまさらながら気づく。


2024年9月15日日曜日

照明付き オーディオ・スピーカー

 Audio speaker with lighting

20 年来愛用している照明器具と合体させたオーディオ・スピーカー。BLUETOOTH 専用なので、スマホの音源でBGM 用として気軽に使える。とはいえ底部が木箱の密閉型 SP ボックスで、なかなかの音質だ。照明シェードは銀糸を編んだ素材感のある特殊な素材で、光も音も透過する。「光」と「音」の組み合わせはアンビエンス効果が抜群。


なかなかのすぐれものだが、昔、会社で同僚だった人が起業して、商品の企画・開発・デザインを手がける会社を立ち上げたが、その製品のひとつ。


2024年9月13日金曜日

アメリカ大統領選の ”面白さ”と映画「チョイス!」

 「Swing Vote」

アメリカ大統領選挙は、トランプ対ハリスで接戦が続いている。先日、TV討論会の 生中継を見ていたが、プロレスの殴り合いのようでなかなか面白かった。

「スイング・ステート」と呼ばれる毎回勝敗が入れ替わる「接戦州」の行方が勝敗を決めるから、その州の「浮動票」の奪い合いになる。そして前回のように、トランプが接戦州の票の集計がおかしいと文句をつけて大もめしたが、こういう混乱は過去の選挙でも度々あった。

「チョイス!」というコメディ映画は、そんな大統領選の混乱ぶりを面白ろおかしく描いている。原題の「Swing Vote」は「浮動票」の意味。

開票が進むが選挙人獲得数が同数のままで、残り一つの「スイング・ステート」の結果次第で決着がつくことになる。しかしそれも大接戦で、得票数がまったくの同数になってしまう。ところがある男の票が集計ミスで無効票になっていたことがわかり、再投票を認められる。男の一票で大統領が決まることになり、その一票を得ようと両候補者が猛アピールしてくる・・・

あり得ないような話だが、昨今の状況を見ていると、本当にありそうな話に思えてくる。

この主人公は政治に無関心で、どうするか決められないまさに「浮動票」なのだが、小学生の娘が賢くて、誰に投票するべきかを父親にあれこれとアドバイスして・・・


2024年9月11日水曜日

キリコの絵と映画「パンドラ」

Chirico  &「Pandora and the Flying Dutchman」


もう終わってしまった「キリコ展」(東京都美術館、~ 8 / 29 )だが、出品されていた「ヘクトルとアンドロマケ」を引用した面白い映画があった。

「ヘクトルとアンドロマケ」は、表情のないツルンとした顔を描いている。背後には建設中の建物があり、人物が持っているのは定規と図面らしく、2人は建物の設計者なのだろう。人々が均質化して個々の顔が見えくなった現代に対するキリコの批判が込められているようだ。

この絵を引用していた映画は、 7 0 年も前のメロドラマ「パンドラ」( 1 9 5 1 年)だ。監督のアルバート・リューインは、現代美術に精通していて、特にc抽象絵画やキリコが大好きだったという。

主人公の女性の名前が「パンドラ」だ。「パンドラの箱を開ける」という慣用句は、封じられていたことを表に出すと厄災がもたらされるという意味だが、映画の妖艶な美女「パンドラ」は、まわりの男たちを惑わしてさまざまな厄災をもたらす。

パンドラはある時偶然に一人の男に出会う。彼は画家で、そのとき美しい女性の肖像画を描いているが、初対面なのにその絵が自分にそっくりなのに驚く。しかも絵のパンドラは「パンドラの箱」を手に持っている。


この女性が厄災をもたらすパンドラであることに気付いた画家は絵を直してしまう。それがキリコの人物画とそっくりな、のっぺらぼうの顔だ。背景にギリシャ神殿風の建物があるのもキリコの引用になっている。そして「具象化したり美化したりするよりも、抽象化こそがこの絵の女に似合っている。」と言う。


現代美術の愛好者であるリューイン監督は、キリコの引用を行うことで、それまでの平凡な写実主義の絵画に対する論争を仕掛けているように見える。


2024年9月9日月曜日

台湾の「台北二二八紀念館」と 映画「悲情城市」

 Taipei 228 Memorial Museum   &「 A City of Sadness」

台北の総統府の近くをぶらぶら歩いていたら、大きな公園があり、その片隅に樹々に囲まれてこじんまりした建物があった。「台北二二八紀念館」とあったので入ってみたが、名前ぐらいしか知らなかった「二二八事件」の詳細な記録を展示している。日本語の音声ガイドもあり、事件の真相を初めて知ることができた。

第二次世界大戦が終結して日本が去ると、入れ替わりのように中国から国民党政府が入ってきて台湾を支配下におく。その政府は台湾人を弾圧し、抵抗する市民たちを虐殺したのが「二二八事件」だ。殺されたのは、ほとんどが日本式の教育を受けた知識人たちで、彼らが抵抗グループの中心だった。

戦後ながらく国民党の独裁専制政治が続いていたので、この事件が封印されされていたが、民主化されて初めて明るみに出て、この「紀念館」ができた。


この「二二八事件」を一般庶民の目を通して描いた映画が 1989 年の「悲情城市」だ。日本の次に今度は中国に支配された台湾人の悲しみを描いている。ヴェネチア映画祭でグランプリを受賞した台湾映画の名作だ。

小学校で「ふるさと」を日本語で歌っていたり、青年が「岩波文庫」の本を読んでいるシーンが出てくる。戦後も「日本」がまだそのまま残っている。そして中国が入ってきて「二二八事件」が起き、人々は過酷な政治状況に巻き込まれていく。主人公とその友人たちも逮捕され、次々と処刑されていく。また一部の若者たちは、九份(今は人気の観光地)の山中に逃れるが、やがて発見されて逮捕されてしまう。彼らは日本の歌謡曲「ゴンドラの唄」を歌いながら死んでいく・・・

この「二二八事件」は現在の、台湾と中国との緊張関係のルーツのようなものだ。この「紀念館」と、この映画を見ることで、単に歴史としての台湾ではなく、その歴史につながっている現在の台湾(日本との関係も含めて)を知ることができる。


2024年9月7日土曜日

レンゾ・ピアノの「ポンピドゥー・センター」と「関西国際空港」

Renzo Piano 

関西国際空港が開業 30 周年を迎えたという報道があった。関空といえば思い出すのはなんといってもレンゾ・ピアノだ。

昔、出来てまもない「ポンピドゥー・センター」を初めて見たときはびっくりした。レンゾ・ピアノの代表作だが、まるで建設工事中の鉄骨の足場がそのまま残ったようなデザインが衝撃的だった。巨大な「機械」のようで、美術館という概念を超えている。工業化時代をシンボライズしているモニュメントのように見えた。

脚光をあびたレンゾ・ピアノは、世界中の公共建築を手掛けるようになり、日本の関空もそのひとつだった。自分では関空に一度も行ったことはないが、写真で見ると、ポンピドゥー・センターと共通する設計思想を感じる。

現在、「レンゾ・ピアノ展」が開かれているようだが大阪なので、見に行けないのが残念だ。


2024年9月5日木曜日

歴代マイカーの思い出

The history of own car 

今年も運転免許証の更新をした。今はほとんど運転をしないが、車好きとしては免許返納をする気になれない。改めて、歴代マイカーの水彩スケッチを並べて振り返ってみた。


「日野ルノー」は 1965 年頃、就職して初めてのボーナスで中古で買って通勤に使っていた。リアエンジンのクラッシックな車だが、フランス映画には必ず登場していた当時としてはオシャレな車だった。まだ自力で車を作る力のなかった当時の日本メーカーはヨーロッパの車をそのままライセンス生産で作っていたが、これもルノーのライセンスによる日野の車だった。


「日野コンテッサ 900」は、1967 年頃にルノーからの買い替えで買った。基本はリアエンジンのルノーをベースにして日野が独自設計した車だった。しかし信頼性が極端に悪く、出かけたさきでエンジンがかからず帰れなくなり、往生したことが何度もあった。デザインも野暮ったかった。上級車種のコンテッサ1300 はミケロッティのデザインで美しかったが、金のない当時だからしかたない。


「トヨタ・カローラ」は1970 年代に乗っていた。子供ができたので、”普通の”ファミリーカーをと思って買った。初代のカローラで、当時は日産のサニーとトップの座を競い合っていた。有名な TV CM「隣の車が小さく見えまーす!」はサニーを揶揄していた。車の世帯普及率がどんどん高まっていた時代だった。だからこの車も最大公約数的で、個性も何もない平凡な車だった。(絵にしていないので写真で代用)


「日産オースター」は1980 年代に乗っていたスタイルのいい車だった。欧州向け専用のモデルで、フロントエンジン・フロントドライブ(FF)により室内空間の広さを確保し、3ドアハッチバックで幼児の安全性を確保するという、欧州の、子供のいる家庭むけの標準仕様の車だった。その欧州モデルをそのまま日本でも売ったのだが、コンセプトが日本では理解されず、ほとんど売れなかった。だから同じ車を見かけたことは一度もなかった。


「マツダ RX7」は、子供が自立してファミリーカーがいらなくなった1990 年代に乗っていた。ロータリーエンジンの威力がすごく、アクセルを踏み込むと体が後ろにのけぞるほど加速が良かった。だから暴走族的な走り屋が乗っていたが、アメリカでは「セクレタリー・カー」と呼ばれ、秘書のように自立した独身女性が乗る知的でオシャレな車とされていた。しかし、4km / l という今では信じられない燃費で、これを最後にマツダはロータリーから撤退した。


「マツダ ロードスター」は2代続けて乗っていた。外気を浴びて、四季をじかに感じながら走る気分が良く、あちこちをドライブしまくった。イギリスの GTB が戦後ずっと作っていたが、止めてしまっていた「ライトウエート・スポーツカー」のコンセプトを再現した車で、世界中で大ヒットした。


「マツダ・デミオ」は、買い物などの普段用に買ったが、機能に徹した素晴らしい車だった。大ヒットモデルで、倒れかけていたマツダを救った救世主と言われた。遊びのためのロードスターとの2台体制がずっと乗っていた。しかしこのタイプの車はやがて軽自動車にとって変わられ、今のデミオは普通の乗用車になっている。(絵にしていないので写真で代用)

「プジョー 304」はフランス車らしい素敵な車だった。ドイツ車のような ”機械っぽさ” がなく、乗り心地や操縦性や内装などすべてが人に優しかった。そしてなによりスタイルが美しかった。

「マツダ・アクセラ」は、 ここ10 数年来、今も乗っている。日本車の中でもっとも美しい車で、何度も「カー・オブ・ザ・デザイン」に輝いている。これが最後のマイカーになるかもしれない。


2024年9月3日火曜日

防災の日と、関東大震災の時に起きた事件

 The earthquake disaster of 1923

一昨日の9/ 1 は国が決めた「防災の日」だが、関東大震災の日にちなんでいる。震災は自分ではもちろん経験していないが、なんとなく身近に感じるのは、母親が当時、東京の大学に通っていた女学生で、震災当日に目の当たりにした惨状を子供のころよく聞かされたからだ。また母親の実家が、千葉県の、東京に隣接する町だったので、祖父が、家を焼け出されて東京から避難してきた人たちのことをよく話していた。

映画「福田村事件」は、祖父が話していたのと同じような状況のもとで起きた事件を実話に基づいて描いていた。千葉県の福田村でも震災の被災者が東京から避難して来たが、その中の一団を朝鮮人だと勘違いして虐殺してしまった事件だ。実際は彼らは田舎から来た行商人だったのだが。

関東大震災の時、朝鮮人が放火したせいだとか、朝鮮人が略奪をしているなどの「デマ情報」が広まり、パニックにおちいった人々による朝鮮人の大虐殺が各地で起きた。のどかな福田村でもそれが起きてしまった。群衆心理の恐ろしさだが、その引き金になったのが関東全域に広まっていたデマ情報だった。そしてさらに、純朴な村人たちをたきつけて虐殺までにいたらせたのは、村の有力者や警察だった。

そもそも当時は、政府が国民に対して日常的に反朝鮮人感情を煽りたてていた。そして新聞がそれをさらに増幅する報道をしていた。デマ情報があっという間に広がり、それを国民が簡単に信じてしまったのはそういう素地があったからだ。(写真は、さまざまな事件の犯人を朝鮮人だと決めるつける当時の新聞記事。歴史研究者の樋浦郷子氏による資料。



この映画は、去年の 2023 年9月1日の「防災の日」に公開された。しかし国が定めた「防災の日」の趣旨には大虐殺のことについてはまったく触れていない。そもそも政府の公式見解では、「虐殺の事実を裏付ける確実な証拠は見つかっていない」としている。そして ”共犯者” だった新聞も知らん顔をしている。

2024年9月1日日曜日

「情報」を生み出す力と、松岡正剛氏 

 Matsuoka Seigo

情報時代といわれる今、ネット上にありとあらゆる「情報」が溢れている。しかしその大部分は「情報のゴミ」と呼ばれる役に立たない「情報」だ。本当の「情報」とは、単に事実だけでなく、その理由や背景まで含めて多面的に考察することで得られる「意味のある情報」のことだ。

しかし一般的にはネットで得られるニュースや知識も「情報」と呼ばれている。だから、ネットが唯一無二のスマホ信者たちは、それらの情報と呼べない情報をすぐに信じて自らも発信する。だから「情報のゴミ」が、ネット上に溢れる。

データや事実や知識などを総合して「構造化」することで「情報」に転換できるが、その「構造化」の技術を、松岡正剛氏は「編集工学」という独自の言い方で表現していた。それを使ってたくさんの情報発信をしたが、代表作の「情報の歴史」は、目からウロコの本だった。

その松岡正剛氏が今年の夏(8 / 12)に亡くなった。残念だ。