Perspective in masterpieces 「View angle」
遠近法の研究が盛んだった 1 7 世紀オランダでは、様々な試みがされた。ファン・ステーンウェイクという人のこの絵などもそうで、視角が極端に広く、遠近法を使うとこんなことができるぞと言わんばかりだ。
絵をもとにだいたいの平面図を描いてみた。消失点が極端に左に寄っていて、左手のパーゴラの中を視軸が通っている。そのため右手の風景が広い範囲で見えている。右端の建物はほぼ真横に見ていることになる。透視図法的には正しいが、画角が人間の視野角を超えていて、実際にはこのように広い範囲を、視線を正面に向けたままで見ることはできない。見ることのできない風景を、遠近法を使えば描けてしまうというわけだ。
遠近法の教科書にこんな図がのっている。建物が並んでいる風景で、手前の建物は真横にあるが、そこまで全部を描いてしまうのは良くない。黒枠で囲った範囲くらいの、視軸の中心近辺だけを描けば矛盾が生じない。上の絵はこの原則を知っていて、あえて無視している。(図は「Perspective Made Easy」より)
ゴッホの「カラスのいる麦畑」は、自殺直前の最後の作品で、何もない寂寞とした麦畑が、ゴッホ自身の心を表現しているといわれる。横方向に長い画面サイズに麦畑だけが描かれている。手前に3本の道があるが、それぞれが 9 0 度に近い角度を持っているとすれば、視角は 1 8 0 度近くあることになる。パノラマ写真を撮るときにカメラを左右に振るのと同じ見方をしないとこうは見えない。左右を見渡して視界全部が麦畑しかないことを描いている。だから空虚さを感じるのだろう。
縦方向に視角の広い例もある。超リアリズムのアントニオ・ロペスが描いたマドリードの風景で、道路がすぐ手前まで見えている。道路が画面の下半分を占めている変わった構図になっている。道路のゼブラゾーンが3角形をしているので奥行き感を強調するのに役立っている。
この絵を描いている最中のロペス自身を撮った写真がある。ゼブラゾーンの一番手前はロペスの足元すぐ近くにある。だから建物は水平方向を見て描き、道路は下を見て描いていることになる。視軸を動かしていることになり、これは「1視点・多視軸」と呼ばれる。視軸を固定して描くのが遠近法の原則だが、これは変種の遠近法だ。(図は「空間を描く遠近法」より)
ポール・デルヴォーの「階段」は、「1視点・多視軸」がはっきりとわかる例だ。天井の消失点は女性の顔近くにあり、床の消失点は女性の足元近くにある。視線の方向を顔に向けた時と、足元へ向けた時の両方の見え方を同時に描いている。
遠藤彰子の「光景」は、上下左右を広い視角で描いている。そのため魚眼レンズの写真のように建物が湾曲している。これだけ広い範囲を見るには、視線をあちこちへ動かさなければならないが、この絵はその見え方で描いている。
人間の視野角を超えた広い範囲を見る時は、首を動かして視軸を移動させる。全方位に向けられた視軸に直交する画面をつなぐと、球面になる。この球面に投影された像は「球面透視図」と呼ばれる。この球面に直線が投影されると曲線になる。だから上の絵のように建物が湾曲する。(図は「空間を描く遠近法」より)