2020年8月30日日曜日

ロンドン・ナショナル・ギャラリー展

Masterpieces from the National Gallery, London 

国立西洋美術館でやっている 「ロンドン・ナショナル・ギャラリー展」は完全予約制なので、チケットを事前購入しようとしたが、やり方がややこしくて諦めた。なぜ映画館の予約チケットのように簡単に買えないのか知らないが、多分、役人がやっている「国立」のせいだろう。その後、会場に行かなくても、図録を買える展覧会図録専門サイトがあるのを知って、早速図録を買った。これは便利だ。

表紙の帯になっているのが有名な「聖エミディウスを伴う受胎告知」でわかるように、西洋美術史の全体を俯瞰できるようなコレクションになっている。やはりチケット購入をもう一度トライしなければという気になった。しかし図録の詳しい解説をじっくり読めているので、観に行く前の予習になってかえってよかった。


2020年8月28日金曜日

アメリカ映画に見る黒人ステレオタイプ

Race Stereotype in movie

アメリカでまた警官による黒人の射殺事件が起きたが、こんな事件が絶えないのは、黒人は「無教養で粗野」のような「ステレオタイプ」な意識が原因になっている。人種差別の長い年月の間に人々に植え付けられてきた意識だが、映画がそれに大きな影響を与えてきた。


映画における黒人のステレオタイプを通してアメリカ文化を研究している富山大学教授の赤尾千波氏の「アメリカ映画に見る黒人ステレオタイプ」はとても参考になる。同書は黒人のステレオタイプを5つに分類している。

  「アンクル・トム」 無教養だが白人につくす善良な優等生タイプ
  「マミー」     陽気でコミカルでしっかりもののおばちゃん
  「クーン」     白人的でしゃれていてカッコいいがずる賢い
  「ムラトー」    白人と黒人の混血で美しく性的な魅力がある
  「バック」     野生的で暴力的でワルなどのリーダー的存在

この分類を見ると、このタイプはあの映画だなとそれぞれについて思い浮かぶ。例えばタランティーノ監督の「パルプ・フィクション」の黒人は二人組強盗のリーダーだが、スーツとネクタイをピシッと着こなしていてかっこいい。「正義は悪を懲らしめる」という聖書の一節を唱えてからピストルでズドンとやる。「クーン」と「バック」の混合型だ。

「アンクル・トム」型は、お抱え運転手として登場することが多い(同書)というが、「ドライビング Miss デイジー」はその典型だった。運転手の黒人は無教養だが、雇い主の老婦人につくす善良な人間だ。老婦人が認知症になって介護施設に入り、運転手でなくなってからも施設を訪ねて話し相手をする、というハートウォーミングな映画だった。

一昨年( 2 0 1 8 年)のアカデミー賞の「グリーンブック」は、黒人が車の後席でふんぞりかえっていて、雇われ運転手が白人だ。黒人は売れっ子のピアニストで、裕福でしかも教養がある。運転手の方は正反対で、粗野で無教養な白人で、手紙の書き方を黒人に教わったりする。「アンクル・トム」型の黒人ステレオタイプが白人の方に完璧に投影されていて、その逆転現象が映画の面白さになっている。


2020年8月26日水曜日

映画「アイアン・スカイ」のアメリカ大統領

 「Iron Sky」 &  The American President

アメリカ大統領選挙が近ずいてきたが、民主党の副大統領候補に黒人女性のカマラ・ハリス氏が指名された。将来、初の女性でしかも黒人の大統領が生まれるかもしれない。

映画の世界では、黒人大統領は何度も登場しているが、女性の大統領が出てくるのは「アイアン・スカイ」一本だけだ。この S F パロディ映画は、月の裏側に生き延びていたナチスの残党が地球に攻めてくるのを、女性大統領のアメリカが迎え撃つという筋書き。ところがナチスはいまだに「ハイルヒトラー」一本やりでバカっぽく、兵器も旧式で、あっさり勝負がついてしまう。

この映画はナチスを茶化すよりも、アメリカ大統領の方をパロディにするのが本当の狙いのようだ。一期目で戦争を始めた大統領は必ず再選されるというジンクスがあるから、二期目の選挙が近い大統領はナチの侵攻を大喜びする。そして彼女の方がずっとヒトラー的で、ヒトラーもどきの演説をしたり、人種差別的な発言をしたり、ナチス軍を徹底的に壊滅させたりする。選挙ポスター(右)が有名なヒトラーのポスターにそっくりなのも笑ってしまう。

人を口汚く罵る好戦的なこの女性大統領は、同じく二期目の選挙を控えているトランプ大統領とそっくりだが、これは8年も前の映画だ。


2020年8月24日月曜日

ベラスケスの「マルタとマリアの家のキリスト」の中の魚料理

Velazquez  「Kitchen Scene with Christ in the House of Martha and Mary」

ベラスケスの「マルタとマリアの家のキリスト」が、ロンドン・ナショナル・ギャラリー展に来ている(まだ見ていないが)。これは「寓意画」なので意味を読み解く必要がある。女性が料理をしているが、後ろの壁に額に入った絵が飾られている。いわゆる「画中画」だが、これは聖書の中の一節を描いたもので、キリストがマルタとマリアの家を訪れた時に、二人の姉妹がもてなすシーンだ。この絵が重要な意味を持っている。


この画中画と同じテーマをフェルメールも描いていて、こちらの方がわかりやすいので、これで説明すると、姉のマルタは料理をしてキリストをもてなす(パンを差し出している)が、妹のマリアは何もせず、キリストの足元で話を聞いている。姉は、妹も手伝うように諭して欲しいと言うが、キリストは妹の方が正しいと言う。料理でもてなすよりも、相手に心を寄せることの方が大事だと教えている。

ベラスケスの絵で、若い女性が料理をしている後ろで老女が何か話しかけているが、指は絵の方を指している。つまり絵を教訓にして、相手を思いながら心を込めて料理をしなさいと諭しているのだろう。それで若い女性は緊張して、表情がこわばっている。

手前のテーブルに魚があり、女性が作っているのが魚料理であることが重要な点だ。ギリシャ語で、「イエス、キリスト、神の、子、救い主」という言葉の頭文字をつなげると、「魚」という文字になることから、魚はキリストのアイコンとされ、古来から宗教画によく魚が登場した。ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」のテーブルの料理も拡大すると魚料理であることが分かるという。

林  綾野という人は、キュレータで、料理研究家という人だが、名画に描かれた食べ物を実際に料理して、レシピも紹介するというユニークな取り組みをしている。今回はベラスケスのこの絵で、描かれている食材が、魚、卵、ニンニクであることから、作っているのは、スペイン料理の「魚の素揚げとアイオリソース」だろうと推定して再現している。(「美術の窓」誌  ’ 2 0 . 9 月号)

2020年8月22日土曜日

チャールズ・シーラーの工場の絵

 Charles Sheeler

チャールズ・シーラーという人をある本で知って、画集を購入した。

1 9 2 0 年代から、1 9 4 0 年代にかけて活躍したアメリカの画家で、写真家でもあった。画集に、同じモチーフの写真と絵が並べられているが、写真の構図がすでに絵画的で、写真は絵を描くための発想の道具だったようだ。

モチーフはほとんどが工場だが、煙や油の汚れはなく、現実味の無い”美しい”工場として描いている。

平面化した色面を組み合わせた絵だが、最終的にはわずかな陰影もなくなり、立体性が完全に消える。4 0 年代になると、平面は半透明の色面になり、その重なりで奥行き感を感じる。勉強になる。


2020年8月20日木曜日

映画「ミケランジェロの暗号」

「My Best Enemy」 

ミケランジェロの素描を、ヒトラーが同盟国のムッソリーニに贈呈することになる。あるユダヤ人の画商がそれを持っていることがわかり押収するが、鑑定すると模写だとわかる。本物はどこだ、とナチスの追求が始まる・・・というサスペンス映画。どんでん返しの連続の後、ラストで大逆転が起きる。脚本がうまくて、なかなか面白い。

ミケランジェロの彫刻「モーゼ像」のための習作スケッチが40 0 年前にヴァチカン美術館から盗まれて以来行方不明になっていたが、それが現存していることがわかった、というのが映画の設定なのだが、これが史実かどうか調べてみたがわからなかった。

映画のもう一つの設定である、ヒトラーが押収した名画を政治に利用したというのは史実。イタリア軍の連戦連敗で、ヒトラーはイタリアを内心ばかにしていたが、ムッソリーニ訪独の際、同盟国として一応の接待をするために国宝級の絵画をプレゼントした。


2020年8月18日火曜日

「ぎっしり・びっしり」の部屋「MUSEUM」の始まり

 Museum

ヨーロッパの王侯貴族たちが、世界中から集めた珍しい動物・植物・鉱物などを陳列した部屋を作った。これが「MUSEUM」(博物館)の始まりだった。見たことのない珍品が天井まで部屋を埋め尽くしている。見る人を圧倒したので「驚異の部屋」(ヴァンダーカンマー)と呼ばれたが、それは「ぎっしり・びっしり」の陳列のおかげだった。

MUSEUM に陳列された物の情報は、本という形にされて、凝縮された「知識」としてまとめられていく。百科事典が生まれたのもこのころだった。それらの本を集積した大規模な図書館が生まれる。下はウィーンの「宮廷図書館」だが、やはり天井まで「ぎっしり・びっしり」と本が並んでいる。古今東西のあらゆる知識がここにあることを示し、王権の権勢を誇っている。

1 8 世紀になると、王侯貴族がコレクションした絵画を展示する博物館ができ、それが美術館の始まりになる。美術館は「Museum of Art」というように、あくまで博物館の一種だった。だから同じ考え方で、「ぎっしり・びっしり」と埋め尽くすように陳列した。今のようにゆとりをもって作品を一つずつ鑑賞できるようになるのはずっと後のことだ。

(収蔵品の無い「国立新美術館」が、国際標準からして「Meseum」と呼ぶことができない理由は上のような歴史からきている。「ぎっしり・びっしり」どころか、空っぽのただの貸画廊だから、英語名を「The Ntional Art Center, Tokyo」という苦しい名前にせざるを得ない。)


2020年8月16日日曜日

アメリカのマスク反対運動

Opposition to wearing mask in America 

コロナの感染者数と死者数が世界一で、しかもなお増え続けているアメリカで、マスク着用を義務付ける州が増えている。それに対してマスク反対運動のデモがますます激化している。国民の「息をする」権利の侵害だと主張している。

デモ隊のプラカードに、「マスクは新しい専制政治(Tyranny)のシンボルだ」とあり、マスクは「犬の口輪(Muzzle)だ」と言っている。こういうのは、日本人にはわかりにくいが、アメリカの伝統で、国民の権利を少しでも制限することには全て大反対が起きる。今でもワクチンの予防接種の義務化に猛烈な反対運動が続いているし、車のシートベルト着用義務にまで反対運動が起きた。そして最も強力なのが銃規制に対する反対運動だ。

科学的理由でマスクに反対しているるわけではない。そんなことは関係ない。政府の政治エリートが科学的知識を利用して、民衆支配のためにやっていると彼らは考える。だから「専制政治」という言葉になる。


2020年8月14日金曜日

アントニオ・ロペスの絵画

Antonio Ropez

スペインの超リアリズム画家アントニオ・ロペスの代表作のマドリードの街の絵は、早朝のようで、車も人もいない。正面遠くの建物に朝日が当たっている。街の風景をまるで写真のように描いている。しかしロペス自身は「自分の絵は写真と無縁だ」と言っていたそうだ。この絵もよく見ると、このとうりに一枚の写真で撮ることはできないはずだ。

 
画面がちょうど半分に分かれていて、上半分は建物で、下半分は道路、というのががユニークだ。画面を正方形にして、道路を大きく描いているのは、空間の奥行きを表すためだろう。そして道路のゼブラゾーンがうまい具合に3角形なので、遠近法的な奥行き感を強調する役目もしている。

これを描いているロペスを撮った写真がある、絵に描かれているゼブラゾーンの手前端は、ほぼロペスが立っている足元にあることがわかる。つまり建物を描くときは水平な視線で描いているが、道路を描くときは下を見ていることになる。

固定した一つの視点から、固定した一つの視軸で描くことが、遠近法の大原則だが、この絵では視軸の向きを変えた情景を組み合わせて一枚の絵にしている。本来の遠近法に違反しているが、これも「1視点・多視軸の遠近法」として広義の遠近法の一つとされることがある。

下の図で、左は建物を見ている水平な視軸で、右は道路を見ている時の下に向けた視軸。
(図は「空間を描く遠近法」より)

2020年8月12日水曜日

オリンピックの国旗

 Olympic games and national flag 

8 0 年以上前の 1 9 3 6 年オリンピック、ベルリン大会の光景。日本女子初の金メダルをとった前畑秀子が表彰式で、日の丸が揚がり「君が代」が流れている最中に、国旗に向かってお辞儀をしている。銀メダルのドイツ選手は自国旗のハーケンクロイツに「ハイルヒトラー」の敬礼をしている。銅メダルのデンマーク選手だけは普通にしている。

選手たちは「お国」のために闘い、国もオリンピックを愛国心高揚のために利用していた時代を象徴している。しかし国民のナショナリズムを煽るオリンピックの姿は今も変わらない。ただ違うのは、それをやっているのが、テレビメディアだという点だ。サッカーなどと違って競技自体はたいして面白くないオリンピック競技に、ナショナリズムという調味料を大量にまぶして、視聴率を稼げるコンテンツにしている。そのテレビからの放送権料で成り立っている I O G もオリンピックからナショナリズをなくすことはできない。

2020年8月10日月曜日

ヒトラー式オリンピックは変えればいい

 The 1936 Berlin Olympic Games

オリンピックまであと1年だが、もう無理だろう。もしやるなら今のようなオリンピックはもう変えればいい。コロナという人類共通の敵を経験したのだから、ナショナリズムを煽る大会はもうやめて、新しいオリンピックの形を作ればいい。

今の形を作ったのは戦前のベルリン大会で、ナショナリズムの権化ヒトラーが始めた。それを 8 0 年以上経った今も後生大事に受け継いでいる。聖火リレーや表彰式の国旗と国歌などいろいろあるが、開会式での各国選手団の国旗を先頭にした閲兵式のような入場行進もヒトラーの発明だ。日本選手団は戦闘帽をかぶって敬礼している。さすがに今では軍隊的ユニフォームや敬礼はないものの、基本は何も変わっていない。画像はベルリン大会の記録映画「民族の祭典」から。(映画の題名がすでに民族主義だ。)東京大会は「人類の祭典」にして、国旗・国歌を全廃する史上初の大会にすればいい。

 


2020年8月8日土曜日

暗号「ニイタカヤマノボレ一二〇八」と鉄塔の記憶

Radio tower and Pearl Harbor

この航空写真は子供の頃住んでいた場所の近くだが、完全な正円の道路が見える。わりと有名なので「あれか」と分かる人もいると思う。千葉県船橋市の行田という地区にある。
円の中に団地の建物が並んでいて、外側にも民家がびっしり建っているが、こうなったのは 1 9 7 0 年代以降で、それまでは畑ばかりだった。そこに鉄塔がたくさん並んでいて、下の写真の感じだった。ここは戦前「海軍無線電信所船橋送信所」という海軍の軍事用無線通信の施設だった。円形の道路は、この鉄塔群をとり囲んでいる管理用の道路だった。


真珠湾攻撃の時、日本艦隊に向けて、「ニイタカヤマノボレ一二〇八」という暗号電報がこの鉄塔から送信されたのは有名だ。1 2 月8日に作戦を決行せよという命令だ。(新高山は台湾の最高峰で富士山より高いので、日本統治時代には日本一の山だった。)

戦後は米軍に接収されたが、中央に管理棟があり、屋上でアメリカ軍の兵士がカービン銃を持って周りを見張っていたのを覚えている。それは昭和 2 7 年くらいだったが、まだ「戦後」が完全には終わっていなかったことを示していた。やがて 1 9 7 0 年頃に鉄塔は解体されて、現在のように丸い道路だけが残った。

真珠湾攻撃の実録映画「トラ、トラ、トラ!」でも「ニイタカヤマノボレ一二〇八」が出てきたが、それが子供の頃のこの鉄塔の記憶と結びついて、戦争が映画の中の出来事ではなかったことを思い出させてくれた。

2020年8月6日木曜日

松本竣介の焼跡の「Y 市の橋」

Shunsuke Matsumoto's painting of fire-destroyed bridge 「A Bridge in Y-City」

松本竣介は「Y 市の橋」という絵を繰り返し、描いている。Y 市とは横浜のことで、モチーフは横浜駅のすぐそばにある「月見橋」で、現在も復元されて当時のまま残っている。そのシリーズは 1 9 4 2 年から 1 9 4 4 年くらいの、戦争真っただ中の時代に描かれた。

1 9 4 5 年に横浜が爆撃された時、この橋はコンクリート部分が壊れ、鉄筋がむき出しになってしまった。松本竣介は、終戦の1ヶ月後にはもう現場に行ってスケッチした。3枚目のスケッチには進駐軍のジープが描かれている。その後、油彩にするが、悲惨だとか悲しいとかいう感情をまじえず、客観的にクールに描いている。(画像は「松本竣介展」より)


竣介自身は、家も焼かれず、肉親も亡くすこともなかったが、こう言っていたそうだ。「われわれは申し訳けないくらい全てが残った。そして思想的にも無キズのまま、前途のある自分がいる。」と自分を励ましていたという。(画集「松本竣介展」による) 戦争中、有名な画家たちが戦争賛美の絵を描いたが、松本竣介は無関係だったことを「思想的に無キズ」と言っている。・・・もうじき 7 5 年目の 8 / 1 5 を迎える。


2020年8月4日火曜日

時代物パンデミック映画「Black Death」

「Black Death」

感染症やパンデミックの本に必ず書かれているのがペスト(黒死病)で、1 4 世紀ヨーロッパで猛威をふるい、全人口の半分が死んだ恐怖の感染症だ。人々は神に祈るしかなかったが、神が人間を救うことはない。恐怖にかられ、ペストは悪魔の仕業だと信じて、狂ったように魔女狩りをする。また神の代わりに自分は人間を救えると称して、怪しげな黒魔術師が暗躍する。それがキリスト教と神の権威が失われる原因になり、やがて中世の時代を終わらせ、ルネッサンス時代になっていく。パンデミックが世界史を塗り変えてきたといわれるが、ペストはその代表的なものだった。

このことを題材にした映画が「Black Death」で、題名のとおり黒死病と、それに立ち向かおうとするキリスト教徒の「信仰」がテーマになっている。邦題の「ゴッド・オブ・ウォー  導かれし勇者たち」は、内容と無関係なバカな題名だが、そのせいで B 級映画だろうと思っていたら、実際はなかなかの映画だった。1 4 世紀イギリスのペスト大流行の時代、敬虔な若い修道士の主人公が、神の救済を求めて必死に祈る。しかし救済はなく、人間はバタバタ死んでゆく。そして人間同士が残虐に殺しあう。凄惨な現実を目の当たりにして、修道士の信仰が揺らぎ始め、やがて崩れていく・・・



2020年8月2日日曜日

ワイエスのバケツの存在感

Vessel in Wyeth's painting

「Spring Fed」はワイエスの中でも好きな絵の一つだが、牛舎を描いている。ワイエスはいつも、必要なものを他所から持って来て必要な場所にはめ込むので、窓の外の牛がこんなに都合のいい位置にいたわけではないだろう。壁のバケツもおそらく同じに違いない。しかしこのバケツはとても存在感がある。

ワイエスの解説書「Andrew Wyeth  Memory & Magic」の中に、このバケツの拡大写真がフルページで載っていて、こう解説している。普通は、風景画に何か小さいものを描きこむ場合、点景として軽く描くだけだが、ワイエスは静物画のようにきっちり描く。風景画の中に静物画を取り入れているようなもので、このバケツがその典型だとしている。

このバケツの存在感は、質感もあるが、形の正確さによる。遠近法的に確かめてみた。回転体の回転軸と楕円の長軸は直交するという、円の遠近法の原則が完璧に守られている。

回転軸と楕円の長軸は直交するという、遠近法の教科書の説明図。上のバケツのように軸が斜めの場合、狂わないように描くのは特に難しい。