北斎があちこち歩き回っては風景スケッチをしていた若い頃、たまたま海岸で見た波に魅せられ、夢中で砂浜に波の絵を描く。家に帰ってその印象をスケッチし、蔦谷に見せると、こんな絵は初めてだと気に入られ、浮世絵にするようにすすめられる。そしてほぼスケッチどおりに波を使って浮世絵として完成させる。
この絵の波は、観光客が海を眺めている光景に添えられているだけで、いかにもの浮世絵だった。そして壮年期になって描いたのが下の絵で、波そのものを中心にして、その迫力に迫ろうとしている。しかしこれは写実ではなく、北斎の頭の中で作った絵だろう。
そのことがわかるエピソードが映画に出てくる。小説本の作家と組んで北斎がその挿絵を描いている。その絵を作家に見せると、こんな風景どこで描いたんだと作家は怒る。絵の迫力に驚き、これでは自分の文章が負けてしまうと心配したのだ。すると北斎は「この絵はあんたの文章を読んで頭に浮かんだことをその通りに描いただけだ」と言い返す。
さらに晩年になって描いた波の絵が映画のラストで登場する。大きなサイズのしかも2枚ペアの絵だ。こんな絵は見たこともないから、おそらく映画の創作だろう。飛び散る波のしぶきだけを大きく描いている。北斎の波の絵の究極の到達点のようだ。
映画で、北斎が若い頃のエピソードとして面白いシーンが出てくる。北斎の将来性を見込んだ蔦谷が世界地図を見せて、日本はこんな世界の片隅の国だから、もっと世界を知るために、西洋の絵画を勉強するようにとすすめる。実際、研究熱心だった北斎は西洋絵画を勉強したといわれている。その成果を象徴させるために映画は、浮世絵の感覚とはかけ離れたこの絵を登場させたのだろう。