2023年12月30日土曜日

ジョン・マーチンが描くイスラエルの戦争

 John Martin:Joshua Commanding the Sun Still upon Gibson

19 世紀イギリスの画家ジョン・マーチンは旧約聖書を題材にした歴史画を多く描いた。この「ギベオンの上に止まれと太陽に命ずるヨシュア」は、旧約聖書の古代イスラエルの物語「ヨシュア記」をもとに壮大なスペクタクルを描いている。(「ジョン・マーチン画集」による)


「出エジプト記」は、映画「十戒」で描かれたように、奴隷労働をさせられていたイスラエル人が、指導者モーセに導かれてエジプトを脱出する物語だった。そして目指すのは、イスラエルの神がユダヤの民に約束したカナンの地(今のイスラエルの領土)だった。しかしその地に着くと、先住の他民族(今でいうパレスチナ人)が住んでいる。そこでモーセの後継者ヨシュアの指導のもと、先住民族を武力で制圧し、自分たちの領土にする。

その戦争を描いたのが、このジョン・マーチンの絵だ。エリコ(最近、報道でよく出てくる”ヨルダン川西岸”の都市)の城を攻めるイスラエル軍を描いている。遠景に威容を誇るエリコの街がそびえ立っている。手前にはイスラエル軍が道路を埋め尽くしている。攻略に時間がかかるとみたヨシュアは、昼の時間を長くするために、太陽よ止まってくれと祈る。すると本当に太陽が止まり、おかげで城は陥落し、イスラエル軍が街を占領する。この絵はそのシーンを描いている。

勢いづいたイスラエル軍は進軍し、地中海沿岸までの地域(今のガザ地区を含む)全てを制圧する。その際、抵抗する敵は容赦なく撃破し、ひとり残らず殺し、家に火を放って焼き払い町中を焼け野原にした。 (「聖書物語  旧約編」による)
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3千年後の現在も同じことが続いている

2023年12月28日木曜日

映画「十戒」

 「The Ten Commandment」

最近の世界情勢を見ていると、古い映画だが「十戒」(1956 年)を思い出す。旧約聖書の「出エジプト記」に記されている物語をそのまま映画化した作品だった。エジプトで奴隷労働をさせられていたイスラエル人が自由を求めてエジプトを脱出する物語だ。モーセが、流浪の民イスラエル人に定住の土地として「約束の地」カナンを与える、という神のお告げを聴く。このカナンが現在のイスラエルの領土に当たる。モーセはイスラエル人を引き連れてイスラエルへ向かう。途中様々な苦難に会うが、海に来るとモーセは、海を二つに裂いて人々を渡らせる。それが映画「十戒」の有名なシーンだ。


現代のイスラエルは、先住のパレスチナ人を追い出して領土を広げている。イスラエルにとって、今回の戦争は聖書物語の続きに過ぎないのだろう。イスラエルがパレスチナ人を無差別に殺しても、自分たちは神がくれた「約束の地」を守ろうとしているだけで、何も悪いことはしていない、と考えるイスラエル人が多いという。

カナダ人の聖書学者アデル・ラインハルツという人は、「ハリウッド映画と聖書」という本の中で言っている。「映画は聖書を使いながら、様々な時と場所の中に時代の関心や恐れ、希望を投影してきた。例えば旧約聖書を映画化した「十戒」は、東西冷戦下のアメリカを古代イスラエルに結びつけ、圧政からの解放者、自由の覇者という国家観を暗示した。」

70 年も前の映画で、東西冷戦もとっくに終わっているが、今のイスラエルと、それを支援するアメリカについても同じことがそのまま当てはまるような指摘だ。

2023年12月26日火曜日

ジョン・マーチンの ”この世の終わり” 絵画

John Martin 

19 世紀イギリスのロマン主義の画家ジョン・マーチンは歴史画を多く描いたが、多くは題材を聖書の物語からとっている。

「ソドムとゴモラの滅亡」は、旧約聖書の「創世記」にある、火による神の制裁の話をもとにしている。悪徳の街ソドムとゴモラの上に天から硫黄と火が降り注ぎ、これらの街の住民すべてが滅ぼされる。この物語にはイスラエル人やパレスチナ人などが様々登場するが、街が滅ぼされた後、再び復活して新しい世界が生まれるが、そこではイスラエル人が支配し、他の民族はその奴隷になる。これは現代まで続く中東の民族間対立とユダヤ選民思想の起源になっているという。(平松洋「週末の名画」による)


「大洪水」は俯瞰的に見下ろす広大なパースペクティブで描いている。天が黒雲に覆われ、稲妻が天を切り裂き山が崩れ、裂けた地には海流が流れ込んでいる。人々はのたうちまわり、救いを求める阿鼻叫喚の世界だ。聖書によれば、人類に悪がはびこり、神は人類を創ったことを悔やんで、すべての生物とともに人類を地上から滅ぼそうと決意する。この絵は、神の怒りによって惹き起こされた天変地異による終末のビジョンを描いている。


ジョン・マーチンといえば、この「神の大いなる怒りの日」が有名。聖書の「ヨハネの黙示録」にもとづく世界の終末を描いている。上が「水」による終末だが、こちらは「火」による終末だ。しかし終末は人類が永遠に絶滅するという意味ではない。黙示録によれば、この終末の後、キリストの聖徒がよみがえり、新しいエルサレムの王国が千年間にわたって地上を支配するとしている。それが今日のユダヤ・キリスト教の世界観のおおもとになっている。


2023年12月22日金曜日

映画「ウィッシュ」

「WISH」 

ディズニー 100 周年記念として力の入った作品ということだったが、観てがっかりした。ディズニー映画としては凡作といっていいと思う。


「女の子が夢をかなえようと、星に願いをかける」「邪悪な王が魔法を使って女の子を妨げる」「それでも困難や危険に立ち向かって闘う」「やがて現れた救世主に助けられて勝利し、夢は実現する」・・・・・というのがディズニー映画全てに共通する物語構造だが、この映画もその基本どうりになっている。そして基本どうりすぎて、それ以上の膨らみがなく新鮮味に乏しい。

ディズニーアニメの物語の舞台は必ず中世風の城になっていることが、ファンタジー性を出すのに重要な役割をしている。(だからディズニーランドのシンボルは城だ。)そして「アナと雪の女王」では氷の城だったように、城には作品ごとに色々なバリエーションがある。今回の「ウィッシュ」ではアラブの城になっている。そしてアラブの住民たちが王の圧政に苦しんでいるという設定だ。そして主人公の女の子はドレッドヘアの褐色の肌で、名前「アーシャ」はアラブ系の名前だ。


この映画に対してアメリカでは、批判が高まり、ボイコット運動も起きているという。それは映画がアラブ人側に立っているからでなく、その逆の理由による。現在のイスラエル・パレスチナ戦争でイスラエルがアラブの一般市民を虐殺をしていることに対して、若者を中心に反対の声が多い。そのなかで、ディズニー社はイスラエルを支援する寄付をしていることが発覚したという。だからこの映画はそのことを隠そうとする偽善的な映画だというわけだ。

ディズニー映画はいつも時々の政治や世論に影響されたり迎合したりしてきた。黒人差別の時代にはディズニーは、当然のように差別的な映画を量産したした。そして近年に差別反対の声が高まると今度はマイノリティの側に立った映画を作り始めた。例えば「リトルマーメイド」でマーメイドを黒人にしたりしたが、それは世論の批判をかわすためで、今度の「ウィッシュ」もそのひとつだと言われている。


2023年12月20日水曜日

国連の建物に刻まれた「平和」の意味

 Prophecy of universal peace Book of Isaiah

最近知ったことだが、ニューヨークの国連本部の建物に「イザヤ・ウォール」という壁があり、世界平和の理想が刻まれているそうだ。

              彼らは剣を打ち直して鋤とし、
              槍を打ち直して鎌とする。
              国は国に向かって剣を上げず、
              もはや戦いを学ぶことはない。

「イザヤ・ウォール」の名前どうり、これは旧約聖書の「イザヤ書」に書かれている「万国平和の予言」をそのまま引用したもの。旧約聖書は、イスラエル王国の建国から滅亡までを記した壮大な物語だが、その中に戦争がなくなり、イスラエルがいつの日か再び復活するという未来への希望が語られている。

アッシリア帝国によって滅されたイスラエルには異民族が移り住み、その支配下に組み込まれるという悲惨な時代に、絶望を押し返す未来への希望を旧約聖書は記している。それは、自分たちイスラエルの神ヤハウエが敵対する国を滅ぼし、イスラエルを救済するだろうという予言だ。イスラエルが全世界を支配して、諸民族がヤハウエに従うようになれば、この世から戦争がなくなり、世界は平和になるだろうという。つまり旧約聖書の「平和」とは、排他的で自民族中心的なイスラエル・ユダヤ民族主義の「平和」であって、多民族がお互いに認め合って共存するという普遍的な「平和」ではない。(以上、月本昭男「物語としての旧約聖書」による)

・・・・・このことが現在のイスラエル・パレスチナ戦争にもつながっているのだろう。


2023年12月18日月曜日

「ペルシャザルの饗宴」とイスラエル

 Belshazzar's Feast

今イスラエルがやっていることへの国際社会の非難に、イスラエルは背を向けている。我々がやっていることは、聖書に書かれていることを忠実に実行しているだけで何も悪いことではない、と考えているイスラエル人が多いという。聖書とは「旧約聖書」のことだが、今のイスラエル・パレスチナ問題の根源を理解するために、「旧約聖書」についてもっと知りたくなる。

「旧約聖書」は、イスラエル王国の建国から滅亡までの壮大な物語だが、その間イスラエル人がいかに他民族からの迫害にあって、苦難の道を歩んできたかが語られている。その物語は何度も宗教画として描かれてきた。レンブラントはもっとも有名で、旧約聖書を題材にした数十点の作品がある。

「ペルシャザルの饗宴」は、聖書の「ダニエル書」に書かれた一場面を描いている。バビロニア王国がイスラエルを滅ぼして、王のペルシャザルが開いた豪華な酒宴を描いている。何千人もの客を集めて酒をふるまい、金銀の食器はイスラエルから略奪したものだ。すると突然壁に人の手が現れ、解読不明の字を書き始める。捕虜になっていたイスラエル人のダニエルを呼んで読ませると、王は死に王国は滅びるだろうという神の予言の言葉だった。すると実際に王はその日に死んでしまう。やがてバビロニア王国もペルシャとの戦争に敗れて滅びる。これは紀元前500 年頃の史実だという。


イスラエルは滅ぼされても、いつの日か必ず復活して、自分たちの神ヤハウェが諸国を従わせ、世界を支配するだろうという旧約聖書の思想を描いたものだ。そのとうりのことを、今現在イスラエルは実行しつつある。

19 世紀のジョン・マーチンは同じ題材をもっと壮大なスケールで描いた。王宮の中庭で何千人もの人たちが集まっている。遠くの空にバベルの塔が見えるのはまさに「旧約聖書」の世界だ。紙に書かれた予言の言葉を読んでいるダニエルが右下に描かれている。



2023年12月15日金曜日

「南極の日」と日本人のチャレンジ

Antarctic Exploration

昨日 12 / 14 は「南極の日」だった。ノルウエーの探検家アムンゼンが 1911 年のこの日に世界初の南極点到達に成功したことにちなんでいる。当時の南極探検はノルウエー、イギリス、日本の3国が先陣争いをしていたが、それについて最近はあまり語られない。昔、子供向けの本でこの冒険物語をわくわくしながら読んだものだが。

日本は、探検家の白瀬が隊長だった。白瀬は国に財政支援を求めるが認められず、国民からの募金で費用をまかなった。だから船は木造の漁船を改造したお粗末なものだった。

ほぼヨーイドンで出発した3隊だが、イギリスのスコット隊は、暴風に阻まれて南極到達前に撤退するが、全員全滅してしまう。日本の白瀬隊も南極点まで到達できず、南緯 80 度までで引き返したが、全員帰還することができた。それが 1912 年(明治45年)だった。タッチの差で勝ったノルウェーのアムンゼン隊にちなんでその日が「南極の日」になった。

白瀬隊が帰国すると日本中が大歓迎ムードにわいた。当時は日露戦争で日本が勝った直後で、司馬遼太郎ではないが、日本全体が「坂の上の雲」を目指してチャレンジ精神にあふれていた時代だった。


2023年12月13日水曜日

「サラダ記念日」

 

「〇〇の日」、「〇〇デー」、「〇〇記念日」、が最近やたらと多いが、日本記念日協会という団体があって、そこに申請さえすれば、協会認定記念日として登録されるという。いろいろな業界団体が商売の足しにしようとどんどん登録するから、同じ日でも10 個くらいの記念日が重なって登録されている。食肉業界が 11 / 29 を「いい肉」の日にするなど、ほとんどが語呂合わせばかりだ。

俵万智の「サラダ記念日」は、そんな商売目的でなく純粋だった。『この味がいいねと君が言ったから7月6日はサラダ記念日』は一世を風靡した。平易な口語体で、ごく平凡な日々の思いを素直に歌にしていて、短歌の形を一新した。

この歌について俵万智自身が解説していたが、これにはフィクションが含まれているという。実際に恋人に食べさせたのは唐揚げだったそうだが、爽やか感を出すためにサラダに変えたという。日にちを初夏の7月6日にしたのもさわやか感のためだが、といって7月7日では七夕という特別な日になってしまうので、日常感を出すために普通の日にしたという。

あれから 30 年以上たつ。歌集の写真は若々しい。しかし今も「サラダ記念日」は記憶の中に生き続けている。


2023年12月11日月曜日

映画「メンフィス・ベル」に思う

 「Memphis Belle」

あまり有名でないが、「メンフィス・ベル」(1990 年)というアメリカ映画がある。第二次世界大戦中に、ドイツを爆撃したアメリカの爆撃機の搭乗員たちを描いた戦争映画だが、この中に都市を爆撃する時の彼らの葛藤が出てくる。

ある出撃の日、厚い雲で視界が悪い。爆弾投下を強行すると一般市民を巻き込んでしまうから、雲が晴れて、標的の軍需工場が見えるまで飛び続ける。その間、ドイツの迎撃戦闘機の猛烈な砲火を浴びるが耐え続ける・・・

映画は、良心的だった彼らを美談としてたたえている。しかし彼らは特別であって、普通でないからこそ映画の題材になったのだろう。実際、ドイツのドレスデンや日本の東京でのアメリカの無差別爆撃で何百万人もの一般市民が犠牲になった。

実はこの映画はリメイクで、戦争中に同じ題名の映画が作られた。それはアメリカが自分たちは ”人道的” であると言うためのプロパガンダ映画だった。「メンフィス・ビル」の搭乗員たちの勇気ある行動は宣伝に利用されたのだ。

そして究極の無差別爆撃が広島・長崎への原爆投下だったが、いまだにアメリカはその非人道性を認めていない。逆に、戦争を早く終わらせて、一般市民の犠牲者を無くすという”人道的”な目的だったと主張している。

・・・そして今。イスラエルの無差別攻撃で、何十万人ものパレスチナの一般市民が殺されている。しかし即時停戦を求める国際社会の声に背を向けて、イスラエルは攻撃をやめない。それをアメリカは支援し、武器供与も続けている。先日の報道によれば、 12 / 8 の国連安保理で、非人道的な攻撃をやめて即時停戦を求める決議案に各国(日本も含め)が賛成したが、アメリカ一国だけが反対したため否決された。

・・・ついでにいうと、第二次世界大戦でドイツと日本はともに敵対国だったのに、なぜアメリカはドイツではなく、日本に原爆を投下したのか? という疑問に対して、ドイツと違って日本はキリスト教の国でなく、白人の国でもなかったからだ、と説明する歴史学者が少なからずいる。つまり ”人道的” というときの ”人” に日本人は含まれていなかったことになる。真偽はわからないが、もしそうであれば、イスラム国であり非白人であるパレスチナ人を、非人道的なことだとは思わずに殺していることに納得がいく。


2023年12月8日金曜日

真珠湾攻撃と映画「トラ・トラ・トラ」

「TORA! TORA! TORA!」

今日 12 / 8 は、日本の真珠湾攻撃により、日米が開戦した日だが、この日にはいつも古い映画だが「トラ!  トラ!  トラ! 」(1970 年)を思い出す。真珠湾攻撃を史実に忠実にドキュメンタリータッチで描いていた。連合艦隊司令長官の山本五十六が攻撃開始命令の無線暗号文「ニイタカヤマノボレ」を受け取る場面から始まり、攻撃成功を伝える艦隊側からの無線「トラ・トラ・トラ」の送信で終わる。

この無線通信を送受信したのが、船橋市にあった「海軍行田無線通信所」だった。今では鉄塔は無くなり、跡形もないが、戦後しばらくは米軍に接収されて、鉄塔もそのまま残っていた。子供の頃、近くに住んでいて、この辺でよく遊んでいた。管理棟の屋上に銃を持った米兵がまわりを監視していて、ジープに乗った米兵が周囲を警戒の巡回をしていた。子供心にも、日本の「敗戦」を感じたものだ。


米軍の接収が解除され返還されると、跡地に団地が建った。通信所の頃、周囲を囲む円の道路があったが、団地になっても円の道路がそのまま残っている。そして昔は畑だった周囲もすっかり住宅地になった。


ところで、「ニイタカヤマノボレ」など、ここから送信された無線は全てアメリカ軍に傍受されていて、日本軍の暗号もすでに解読されていたので、アメリカは攻撃があることがわかっていた。ところが、米軍内の情報伝達や指揮命令系統などの混乱で、壊滅的な敗北をする。そのことが映画「トラ!  トラ!  トラ! 」でも描かれている。いっぽうで日本軍のパイロットたちは、よく訓練され統率のとれた優秀な兵士として描かれている。アメリカ映画にもかかわず、そのことが印象的だった。

暗号が解読されていたので、翌年のミッドウェー海戦でアメリカ艦隊に待ち伏せされて日本艦隊は大敗北する。それ以降、戦況は逆転するのだが、日本は敗戦まで暗号が解読されていることに気づかなかったという。送信力で世界最強といわれたこの通信所から発信された作戦命令が筒抜けだったとは、むなしいものがある。

2023年12月6日水曜日

「過去」の万博が見せた「未来」の夢 大阪万博は何を見せる?

 Expo

2025 年の大阪万博で、目玉として予定されていたドローン・タクシーの運用が実現不可能になり、デモフライトだけになるという。ドローンのモビリティはすでに世界中で実用が始まっていて、いまさら未来的な技術ではない。それさえ実現できないというのでは、「未来を見せる」という万博の役割は果たせるのか疑問になってくる。

「パスト・フューチュラマ」という本は、「過去」の時代に、その時点で人々はどんな「未来」を夢見たのかを紹介している。映画の「バック・トゥー・ザ・フューチャー」のようで実に面白い。その本に、過去の万博の出し物も出てくる。

1939 年のニューヨーク万博はテーマが「明日の世界」だったが、 GM 館で、未来都市のイメージを巨大なジオラマで作り、それを回転する観客席から見せる「フューチュラマ」という展示が大人気を呼んだ。そこでは人と車を分離する道路や、道路を立体交差させる高速道路のイメージがすでに提案されていた。


そして GM は高速道路のための車も提案した。それが完全自動運転の車だった。今から約 80 年前のことだ。イラストで、家族全員が向かい合ってゲームをしている。ハイウェイからの信号で車をコントロールするシステムで、実際に試作車で実験も行われた。(今年の Tokyo Mobility Show で、ホンダ・GM (またしても GM)が 2026年に完全自動運転のタクシーを実現すると発表したが、80 年ぶりに「過去の未来」に追いつく事になる)


この時の万博で見せたのは未来の都市のあり方と、そこでの人間の暮らしへの夢だった。生活が豊かになり、人々は郊外の庭付きの家に住むようになる。夫は都心に車で通勤し、妻はスーパーへ車で買い物に行く。だから一家に2台車を持ち、家には2台入るガレージがある。やがてこの夢が実現していく。 1946 年に実際にハイウェイの建設がアメリカ全土で始まる。そしてモータリゼーションが一気に進んでいく。

やがてモータリゼーションは過熱していき、車は「モノ」への欲望の対象になる。当時の車の広告(右)でそれがよくわかる。大量消費社会になり、環境問題にもつながってきた。そして今、持続可能な社会への転換が始まりつつある。だから今度の大阪万博のテーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」だが、そのとうりに「未来社会のデザイン」をしてくれるのかどうか? 

2023年12月3日日曜日

映画「ナポレオン」と、ダヴィッドの絵画「ナポレオンの戴冠式」

 「Napoleon」

リドリー・スコット監督の最新作「ナポレオン」が公開されたので、さっそく観た。普通に知られているのとは違う独自のナポレオン像を描いていて、さすがリドリー・スコットだ。権力欲のかたまりで、戦争屋のナポレオンだが、個人生活では、死ぬまで奥さんの皇后(ジョセフィーヌ)を心から愛していた極めて人間的な人として描いている。

ナポレオンの戴冠式の場面が出てくるが、おおっ!と思った。ダヴィッドの有名な絵「ナポレオンの戴冠式」(下図)そのままの場面が出てくる。この絵は、大司教から冠を乗せてもらうべきなのに、それを無視して、自分で頭に載せてしまい、ひざまづいている皇后にもナポレオンが自ら冠を載せる、という瞬間を描いている。映画はこの絵をそのまま忠実に再現している。衣装などはもちろん画面の構図までまったく同じになっている。最高権力を手に入れたナポレオンの専横ぶりと、妻を愛する気持ちの両方をこの絵を使って表現している。


現在、ルーブル美術館にあるこの絵は、長さが 10 m くらいある巨大な絵で、人物はほぼ等身大で描かれている。宮廷の首席画家だったダヴィッドのこの絵を見て、その臨場感にナポレオンは喜んだという。この絵は事実どうりに描いた記録写真のようなもので、映画はこの絵を利用することで、リアルなナポレオンの人間像を描いている。 


2023年12月1日金曜日

映画「フォーリングマン 9.11」

 「9 / 11 : The Falling Man」

9.11 同時多発テロの日に、現場にいた新聞記者が撮影した写真「落ちる男」(The Falling Man)が問題になった。炎と煙の苦しさに耐えられず、超高層の貿易センタービルから飛び降りる男の写真だった。翌日の新聞にこの写真が載ると、あまりにショッキングだったので、批判が集まり、すぐにこの写真は封印されてしまう。以後この写真はメデイアで取り上げられることはなかった。


 ところが、まもなくイギリスで作られた「落ちる男」(「9 / 11 : The Falling Man」)というドキュメンタリー映画で、落ちるシーンがたくさん出てくる。それによれば飛び降りたのは、写真の一人だけでなく、数百人だったという。彼らの体は地面で砕け散り、がれきに埋もれてしまったので、今でも正確な人数はわかっていないという。遺族が「飛び降りたとき、すでに失神していたことを願っている。」と語るのが痛切だ。

映画で、もっとひどいシーンが出てくる。酸素を求めて窓の外へ出て窓枠につかまっている鈴なりの人たちの姿だ。あまりにも残酷で、映画を最後まで見ることができなかった。それをここで出すのは、はばかれるが、ピントをぼかして出してみる。