ラベル の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2025年9月14日日曜日

小説「BUTTER」

 「BUTTER」

近年イギリスで日本の小説が大ブームで、たくさんの日本人作家の小説が翻訳され出版されている。そして去年 2024 年1年間のイギリスのベストセラー・ランキンングの第1位が柚木麻子の「BUTTER」だったという発表があった。イギリスで、高い評価を得て、数々の文学賞を受賞した。またイギリス以外でも世界で100 万部以上売れた。

海外での日本小説ブームは近年ずっと続いていて、小川洋子や多和田葉子はすでにノーベル文学賞候補になっている。例年名前があがる村上春樹より先に受賞するのではないかといわれている。柚木麻子もそれに続くかもしれない。

「BUTTER」を読んだが、今までにない斬新な発想の小説だ。2009 年に実際に起きた、男をつぎつぎに結婚詐欺で騙して財産を奪い、そして3人を殺した連続不審死事件の犯人の女を題材にしている。当時も、この若くもなく美しくもない女がなぜ男たちを簡単に騙せたのか不思議がられていたが、この小説は、雑誌の女性記者が、拘置所にいる女と何度も面会を重ねて、女の人間性を解き明かしていくという設定になっている。会うたびに聞かされるのは、女の「食」への強いこだわりだ。記者は、教わったレシピを自分でも作ってみたりする。特に「バター」を使った料理は絶品で、記者は「食への欲望」に目覚めていく。そして女性記者は徐々に女の魔力的なまでの人間性の魅力に魅せられ、取り憑かれていく・・・

この柚木麻子だけでなく、小川洋子や多和田葉子などの、文化背景の違う日本の小説が世界中で読まれるようになったのは、その世界観に、世界に通用する「普遍性」があるからだ。日本でしか通用しない「私小説」ばかりだった日本の小説が変わってきた。それにしても、ノーベル賞の季節 10 月が近くなったが、日本人作家の文学賞受賞はあるかどうか。


2025年7月26日土曜日

ビジネスの文化戦争 「イケア」「アップル」「スターバックス」

 Culture as Weapon

最近はやりの「文化戦争」(Cultural War)といえば、もっぱら政治分野の話しだ。アメリカの大統領選でトランプが叫んでいたのが、人工妊娠中絶反対だったし、日本の今度の選挙でも、選択的夫婦別姓制度や外国人排斥などの文化的問題が争点になっていた。

アメリカのネイトー・トンプソンというジャーナリストの「文化戦争 やわらかいプロパガンダがあなたを支配する」という本は、政治での文化戦争以外にもさまざまな分野での文化戦争の実態について書いていて面白い。

そのなかで取り上げているビジネス分野での文化戦争について紹介する。ビジネスの文化戦争とは「文化」を武器に使って自社のブランド価値を高める戦略だが、同書はその成功例として「イケア」「アップル」「スターバックス」の3社をあげている。この3社は日本でもビジネス展開をしているので、誰でも ”あるある” の体験があると思う。

例えば「イケア」について、『消費者の心に強い印象を残すのは、製品のイメージだけではないことを理解している。消費者との社会的な関係性が人々の心をとらえることを知っている』としている。

イケアの店舗を思い出すと確かにそうで、巨大な建物に入るとまず専門のスタッフがいる託児室がある。子供を預けて両親はゆっくりとショールームを見て歩くことができる。広大なショールームは一方通行になっていて、曲がりくねった通路の両側に、憧れを誘うようなモデルルームがあり購買意欲を誘う。単なる家具売り場ではない。数時間かけて一周するとインテリア雑貨のゾーンになる。さっきショールームに飾ってあった雑貨類を見て客は衝動買いをする。そこをすぎると、梱包のままの商品が天井まで積み上げられた倉庫ゾーンになる。今まで見てきた芝居の楽屋裏をのぞいている気分になる。それは外国から船で運ばれてきたばかりのコンテナーのようでイケアに対する信頼感を感じさせる。そして最後にスウェーデン料理のフードコートになり、ほぼ全員がそこで長い旅の疲れを癒す。

見終わるまでほぼ半日かかる店舗は、ちょっとしたテーマパークのようで、そこでは家具という「モノ価値」の提供よりも、そこでの客の「体験価値」を提供する。さらに家に帰って買った家具を自分の労力で組み立てるのが「体験価値」の総仕上げになる。自分のイケアとの一体感を感じさせることで、イケアのブランドブランド価値を高めている。


2025年5月11日日曜日

過去を消す「ダムナティオ・メモリアル」

  NEXUS : A Brief History of Information Network from Stone Age to AI


「情報の人類史」の中に、ローマ帝国の皇帝たちが行った「ダムナティオ・メモリアル」という面白い話がでてくる。それは競争相手や敵の記憶を抹殺することだ。皇帝カラカラは、皇帝の座を争っていた弟のゲタを殺害した後、彼の記憶を跡形もなく消し去ろうとした。ゲタの名前が記された碑文などは削り取られ、肖像が刻まれた硬貨は鋳潰され、人々はゲタの名前を口にしただけで死刑に処せられた。

同書は、近代以降の全体主義国家も、ローマ皇帝と同じように過去を改変してきたことを指摘している。スターリンは権力の座に上がった後、革命の立役者であったトロツキーをあらゆる歴史記録から拭い去るために最大限の努力をした。書物や論文や写真などからトロツキーが消し去られ、そんな人間など存在しなかったかのようにみせかけた。

同書を読んでいて、10 年くらい前の自分の個人的な経験を思い出す。今や世界一の全体主義国のある国へ出張した時のことだ。泊まったホテルの部屋に、ネットに繋がったPC があったので試しに「天安門事件」を検索してみた。すると香港のサイトの一行だけの簡単な説明が出てきただけで、それ以外はゼロだった。この国には、軍にネット情報を削除する部隊があって、数千人が 24 時間体勢で、政府に都合の悪い情報を削除している。「天安門事件」という事件は公式には無かったことになっているから、検索に出てこない。そのことを知っていて、確かめるために、あえて試してみたのだが。翌朝もう一度 PC を見ると、ネット接続は切られていた。つまり客がどんな情報にアクセスしたかが監視されていたのだ。今思うとヤバイことをしたものだが。

「情報の人類史」が危惧しているのは、現在の情報ネットワーク時代では、ローマ皇帝やスターリンが苦労してやったのと違って、ネットを使えば、全体主義国家が国民の監視や情報統制が簡単にできてしまうことだ。そして AI が発達していくとますます危険なことになっていくだろうと警告している。


2025年5月1日木曜日

AI が面接?

 NEXUS : A Brief History of Information Network from Stone Age to AI

最近、企業が業務に AI を活用することが増えている。先日も学生の採用にまで AI を使い始めた企業のニュースがあった。学生がオンラインで AI の面接を受けている。人間と違って偏見のないAI が面接することで、公正・公平な評価ができるというのだ。

しかし・・・ユヴァル・ノア・ハラリは「NEXUS 情報の人類史」で、この問題を取り上げている。そして、果たして本当に AI は中立的で公正な判断をできるのか? について疑問を投げかけている。

そして面白い例を紹介している。アメリカの MIT が、 AI の顔認識の精度について研究した結果、そこに人間の人種差別的な偏見がはっきり反映されているというのだ。白人男性の識別では非常に正確だが、黒人女性の識別では、はなはだしく不正確だったそうだ。理由は、AI が学習して得たデータベースがすでに人間的な偏見が反映されているからだ。 AI がディープラーニングで学習したのは、世の中にある既存の画像で、それは白人男性の割合が圧倒的に多く、黒人女性の割合は非常に少ない。

この場合、重要なのは、人種差別的で女性蔑視的な偏見を持ったエンジニアが、そのアルゴリズムを作ったわけではない、ということだ。 AI は生まれたての赤ん坊と同じで、初めは何もものを知らない。しかし学習するという能力は持っているから、親の振る舞いなどを観察して、そこから学び、知識を得ていく。だから世の中に差別や偏見があるば、それも素直に学んでいく。 AI も同じで、差別や偏見のあるデータベースが出来上がってしまう。

実際に Amazon が、 AI による求職者の選別用アプリを開発した時にそれが起こったという。求職申込書に「女性」や「女子大卒」などの言葉が含まれていると、一貫して低く評価し始めたそうだ。既存のデータがそのような申込書が通りにくいことを示していたので、 AI はそれを素直に取り入れたのだった。 Amazon はこれを修正しようとしが、うまくいかずこのアプリの使用を中止したそうだ。

以上のようなことから、「NEXUS 情報の人類史」で、ユヴァル・ノア・ハラリは、 AI の「無謬性」を信じるなと警告している。 AI の言うことは「正しい」が、それは世の中の多数意見と合っているという意味で「正しい」だけで、本当の意味で人間にとって「正しい」とは限らない。そのことを上記の例が示している。


2025年4月29日火曜日

情報社会の「真実と秩序」とは

  NEXUS : A Brief History of Information Network from Stone Age to AI

前回、「NEXUS 情報の人類史」について書いたが、今回はその具体的内容についてごく一部だけだが紹介してみたい。


「情報」の役割について、普通は下図のように捉えられている。人間は「情報」を得ることで「真実」を知り、それによって「知恵」と「力」を得て、何かを成し遂げる。しかし著者は、これは素朴すぎる見方だとしている。


実際はもっと複雑だとして、下の図示をしている。図の説明として、石器時代の人間がマンモスを狩るときの例をあげている。マンモスがいるという「情報」から「真実」を知る。そこで「知恵」をめぐらせてなんとかマンモスを仕留めたいと思う。しかし巨大な動物を一人で狩れるだけの力はない。そこで仲間を集めて協力しあうことで、それが大きな「力」になって成功する。この時、全員が同じ計画に同意し、命の危険に直面しても各自が役割を勇敢に果たす必要がある。この図の「秩序」とは、そのようなメンバーの団結力を生み出すもののことを意味している。そしてこの「秩序」は人類史上、法律や国家や宗教という形で発展してきた。


しかしこの「真実」と「秩序」は必ずしも一致しなかったり、お互いに矛盾する関係になることに注意すべきだとして、以下のような例をあげている。

「神」が人間を創造した絶対的存在であるということを全員が固く信じることによって、キリスト教社会が一つにまとまり「秩序」が維持されてきた。しかし、ダーウィンの「進化論」が、人間はサルから進化したものだという科学的な「真実」を明らかにすると、それは「秩序」を破壊することになるので、社会から激しい弾圧を受けている。

科学者が原爆を発明したとき、それが大量殺戮兵器だという「真実」を知りながら、政治家は、非人道的独裁国家の侵略から人々を救い、世界の「秩序」を守るためにという理由で日本に原爆を投下した。

自分たちは神に選ばれた国であるという聖書の「物語」を根拠にして、イスラエルの首相がパレスチナを爆撃し続ける。あるいはプーチン大統領が、自国の過去の栄光を取り戻すのだいう「物語」をもとに、隣国を侵略し続ける。さらにトランプ大統領は、他国によって自分たちの利益が奪われてきたという「物語」を作り、関税という武器で他国を攻撃する。しかしこれらの「物語」は客観的な「真実」にもとづいたものではない。だが「真実」を語れば、次の選挙で負けて、自分が握っている政権という「秩序」を失う。だから「物語」を言い続ける。


以上は本の第2章までの一部要約だが、最後は本題に入っていく。情報ネットワーク社会は、上記のようなこれまでの矛盾を乗り越えて、「真実」の発見をし、しかも「秩序」を生み出すという二つのことを同時にすることができるのだろうか?  という問題だ。SNS や AI の発展のおかげで、フェイク情報によって簡単に社会秩序が乱されるような現状をみると、難しい課題に思えるが・・・

2025年4月27日日曜日

「NEXUS 情報の人類史」

 NEXUS : A Brief History of Information Network from Stone Age to AI

世界的超ベストセラー「サピエンス全史」のユヴァル・ノア・ハラリの新著「NEXUS 情報の人類史」が出た。待望の一冊だ。

石器時代からシリコン時代までの情報の歴史をたどりながら、情報とは何かを解明して、AI 時代の今、人類の未来はこれからどうなるかを大きなスケールで描いている。

著者は AI や SNS がもたらす未来に警告を鳴らしている。情報によって発展を遂げた人類は、情報により没落する可能性がある。そうならないためには AI を人類の味方にしなければならない。本書はその羅針盤を示している。


2025年2月18日火曜日

「80 歳の壁」の読み方


3年前に、和田秀樹という医師が書いた「80 歳の壁」が超ベストセラーになり、その後も女性向けの続編が出てまたヒットしている。なぜこんなに人気なのか、それは今まで出ている”高齢者向け健康ハウツー本” のたぐいと全く違う視点で書かれているからだ。

普通の本が「健康で長生きするためにはどうするべきか」という観点なのに対して、著者の本に一貫しているのは「人間はやがて死ぬのは当たり前だから、長生きばかりを考えず、残りの人生を楽しく生きる方がいい」というスタンスだ。だから「80 歳の壁」を超えてもっと長生きする秘訣を教える本ではない。

「高齢者は健康診断を受けるな」と強く主張していることに、著者の考え方が凝縮されている。健康診断では、たとえば血圧について、健康な人の平均数値と比べた数値データだけで健康度を判断する。しかし著者は、高齢者は血圧が高いのが当たり前で、そんなことで我慢や自制の生活をするのは馬鹿らしいと言っている。

だから著者は「お酒の好きな人は高齢になったからといって控えるのではなく、飲み続けなさい。」と言っている。そのことで寿命が縮まるかもしれないが、飲んで毎日を楽しく暮らした方がよっぽどいい、ということだ。食べ物にしても、塩分や脂分が多い食事は控えろとよく言われるが、そんなことは気にぜず、食べたいものを食べて幸せに過ごそうと著者はいう。つまり健康診断は、あれはダメこれはダメと言って、高齢者が好きなことをすることに制約をかけるから受けるなという意味だ。

この主張について、間違った理解をする人もいるから気をつけたい。例えば、自分は長生きしたいから、もう健康診断を受けるのは止めよう、と思ってしまうことだ。著者は長生きするために検診を受けるなと言っているわけではない。著者が一貫して、「高齢者は『幸齢者』になれ」と言っているのは「長生きを考えるよりも残りの人生を『幸せ』に暮らそう」ということだ。もっというと、「寝たきりになってでも長生きしているほうが『幸せ』ですか?」ということだ。


2024年11月13日水曜日

「情報の歴史 21」の読み方(前回の続き)

How to read the「The Longest Chronicle」 

松岡正剛の「情報の歴史 21」は情報の内容と手段が時代とともにどう変化してきたかを人類史的なスケールのなかで示している。情報に関係した出来事を1年分だけで 500 くらいが見開き2ページに小さい字でびっしりと埋められている。政治、経済、技術、芸術、文化、に分けられた5つのブロックを横断的に見て相互関係に着目していくといろいろなことに気づく。


例として上は 1925 年のページだが、美術に関心のある人だったら、「アール・デコ展」という小見出しに目がいくかもしれない。その近辺に小さい字で「グロピウスの国際建築」「ルコルビジェの輝ける都市」「ブロイヤーの金属パイプ椅子」「ワイマールのバウハウス」などの事項が並んでいる。あまり意識していなかったが、近代建築・近代デザインと同時代にアール・デコは生まれたことがわかる。商業主義的なアール・デコが、機能主義のモダンデザインから枝分かれしたムーブメントだったことに気付かされる。

「アール・デコ展」の右の文化のブロックには「フィッツジェラルドの小説 偉大なるギャッツビー」があげられている。後に映画化された「華麗なるギャッツビー」で、主人公の豪邸が金ピカのアール・デコのデザインで埋め尽くされていたが、なるほど両者は同じ年だったのかと納得がいく。

ギャツビーの下に「カポネとジョセフィンベーカー」の小見出しがある。「アル・カポネ, 密造酒の元締めに」や「ジョセフィンベーカー, パリ初演. レビューの女王として君臨, チャールストン流行」が挙げられている。ギャングや犯罪や退廃的なキャバレー文化の '20 年代だ。そういえばギャツビーも怪しげな裏社会で稼いで金持ちになったというストーリーだった。

一番左の政治のグロックには「ドイツ復興とヒトラー」と「ムッソリーニとスターリン主義」の小見出しがあり、「ドイツの大統領選でワイマール連合敗北」や、日本の「治安維持法公布」もあげられている。この年は全世界的に全体主義が台頭し始めた年だったことがわかる。科学技術のブロックでは、後に原爆の基礎になる「ハイゼンベルク, 量子力学の基礎的研究」があげられている。やがて戦争の時代へ突入していき、上記のようなさまざまな自由な芸術や文化が抑圧されていく時代を予兆させている。

このように、個々の出来事はすでに知っていることでも、それらを横断的に見て、関連付けることで、その時代全体を俯瞰的に知ることができる。これが松岡正剛のいう「関係の発見」だ。


2024年11月11日月曜日

松岡正剛の「情報の歴史 21」

「The Longest Chronicle」 

今年の夏、松岡正剛氏が亡くなったのを機に、改めて改訂版の「情報の歴史 21」を読んでいる。「形象文字から仮想現実まで」のキャッチフレーズ通り、人類史のなかで「情報」の内容と手段がどう進化してきたかを総覧できる壮大な本だ。改訂版では 2021 年分までを増補している。

見開き2ページに1年分の「情報」に関わる事項が網羅されている。1年分ごとに約 500 くらいの事項を、政治動向、経済産業、科学技術、思想社会、芸術文化、の5つのブロックに分けて並べている。(下は 2021 年のページ)


この本は歴史書でもないし、歴史年表でもない。1年ごとの出来事をただ羅列しただけの本で、その目的について松岡正剛が強調しているのは「関係の発見」だ。羅列した事項どうしを結びつけて、そこに何らかの関係性を見つけだす。それが歴史を「読み解く」ことになる。


2024年10月8日火曜日

「8O 歳の壁」

 

高齢化社会で、お年寄り向けの健康本がたくさん出回っているが、その中で「80 歳の壁」という本は画期的だ。和田秀樹という医師が書いた本で、大ベストセラーになった。

食事の話しで、脂っこい物や塩分は控えろとか、栄養バランスのいい食事をしろなどいう世の中の常識にとらわれるな、といっている。高齢者は、そんなことに気を使わずに、食べたいものを食べて、残りの人生の毎日を楽しく暮らすほうがよほど健康にいいと言っている。

健康診断をすると、血圧が高いので酒は控えろと必ず言われるが、そういう医者の決まり文句は聞き流すことにしている。この本はそんな自分の味方になってくれる。高齢になれば、コレステロールや動脈硬化は誰でも当たり前のことだから、酒が好きな人は気にせずに飲めという。我慢すればストレスがたまってかえって体に良くないというのだ。

我慢したり節制したりして長生きをするのが幸せなのか、寿命のことは気にせずに最後まで好きなことをやって死ぬのが幸せなのか、という高齢者の「生き方」について考えさせてくれる。


2024年9月17日火曜日

日本企業の US スチール買収

  • Nippon Steel's Attempt to acquire U.S. Steel


日本製鉄の US スチール買収問題が大統領選の争点の一つになっている。USS の本拠地は、アメリカ最大の激戦州ペンシルバニアのピッツバーグにあるから、トランプは USS の労働者票を得ようと、買収に強硬に反対している。

現在の鉄鋼業の世界シェアを調べてみたら、1位が中国、2位がインド、3位が日本で、アメリカははるか下で 10 位にも入っていない。かつて工業大国アメリカを牽引していた世界一の鉄鋼メーカー USS 凋落の原因は、技術革新(イノベーション)の立ち遅れだという。

その USS が輝いていた 1960 年代に出した広報誌を今でも持っている。その題名が「INNOVATIONS」(イノベーション)だから、今見ると皮肉に感じる。内容は、鉄のイノーベーションによって産業と社会に変革をもたらし、明るい未来を作ることへの鉄の役割の大きさを強調している。一番下の写真に「USS : その大きな思いはイノベーションだ」とある。アメリカの産業力のすごさへの憧れのような気持ちでこの本を見ていた。(イラストレーションをシド・ミードが担当していたので、この本は大人気を博した。)


今までの鉄鋼産業は品質の競争で、シームレス鋼管などの日本独自の技術で優位に立ってきた。しかしこれからの鉄鋼業の最大課題は「CO2 削減」だという。それはコストダウンにもつながり、競争力を高めるから、世界中でそのイノベーション競争になっているという。そしてここでもUSS は遅れをとっているが、トランプは「気候変動など存在しない」といってUSS を外国企業から守ろうとしている。

中学生のとき学校で、地元の製鉄工場を見学したことがある。そのときのことは全て忘れたが一つだけはっきり覚えているのが、「煙突を見てください。煙が白いですね。出ているのは水蒸気だけfだけだからで、排出ガスから有害物質を取り除いてクリーンにしています。」と説明の人が言っていた。なぜかそれに妙に感心したのだが、今になって思うと、「CO2 削減」などという言葉さえなかった70 年も前からすでに日本の製鉄業は技術革新に取り組んでいたことがわかる。USS が日本企業に買収されようとしていることの素地はこんな昔から始まっていたことにいまさらながら気づく。


2024年9月1日日曜日

「情報」を生み出す力と、松岡正剛氏 

 Matsuoka Seigo

情報時代といわれる今、ネット上にありとあらゆる「情報」が溢れている。しかしその大部分は「情報のゴミ」と呼ばれる役に立たない「情報」だ。本当の「情報」とは、単に事実だけでなく、その理由や背景まで含めて多面的に考察することで得られる「意味のある情報」のことだ。

しかし一般的にはネットで得られるニュースや知識も「情報」と呼ばれている。だから、ネットが唯一無二のスマホ信者たちは、それらの情報と呼べない情報をすぐに信じて自らも発信する。だから「情報のゴミ」が、ネット上に溢れる。

データや事実や知識などを総合して「構造化」することで「情報」に転換できるが、その「構造化」の技術を、松岡正剛氏は「編集工学」という独自の言い方で表現していた。それを使ってたくさんの情報発信をしたが、代表作の「情報の歴史」は、目からウロコの本だった。

その松岡正剛氏が今年の夏(8 / 12)に亡くなった。残念だ。


2024年7月17日水曜日

「大統領とハリウッド」

「White House & Hollywood」

「大統領とハリウッド」(村田晃嗣)という本は、アメリカの政治と映画の関係を説いていて興味深い。アメリカのエンターテインメントの2大中心地として「西のハリウッド、東のホワイトハウス」という言葉があるそうで、今のバイデン対トランプの大統領選挙戦でも、ショウビジネス化した政治が、見ていて楽しめる。今度のトランプ銃撃事件で、さらにドラマが盛り上がることだろう。

同書によれば、「映画と民主主義は共通点が多い。いずれも多数の支持を必要とし、イメージを操作し、そして「物語」を必要としている。だから映画大国アメリカでは、大統領が映画に格好のテーマを提供してきた。」そして政治とエンターティンメントの融合が永く続いてきた。

トランプはもともと、テレビ番組の司会などしていて、メディアで名を挙げた人だ。映画にも20 本以上カメオ出演していたという。だからトランプはメディアとの親和性が強い。(本の表紙の帯の写真は司会者時代に、マリリン・モンローの”そっくりさん” との2ショット写真)

大統領になっても政治手腕を疑問視され、強い批判にさらされながら、メディアを巧みに活用してきた。特にツィッターの利用が巧みで、敵を定めて個人を口汚く攻撃する。 同書は、それをプロレスの「ヒール」(悪役)に近い、と言っている。今度の銃撃事件でも、流血しながらも拳を振り上げて「Fight !」と叫んでいるのもプロレス的だ。あの場面でカメラを意識して、瞬間的にこういうポーズを取れるのは天才だ。


2024年7月13日土曜日

「サイズ」が面白い

 「SIZE」

最近出たばかりの本「SIZE」がなかなか面白い。普段あまり意識していない「大きい・小さい」「長い・短い」「広い・狭い」などの「サイズ」について縦横無尽に語っている。読んでいると、サイズにまつわるたくさんの「思い込み」がくつがえされる。

例えば、「黄金比」について。「黄金比」は最も美しい比率で、多くの絵画や建築に使われいると教えられているが、それはほとんど都市伝説のようなものだという。

美しい人間の顔の縦横比は黄金比で「モナリザ」がその典型だとする俗説がまかり通っている。しかし著者によれば、ミス・コンテストで優勝した各国の女性の顔の縦横比を計測した結果、黄金比の人はほとんどいなかったという。

工業製品でも美しいデザインは黄金比が多いと言われる。そこで著者はいろいろなものの縦横比を測って、黄金比 1.618 と比べている。その結果、黄金比の±2%の許容範囲に入ったのはクレジットカードだけだった。

アイパッド  1.305
A4のプリンター用紙  1.414
ノートパソコンの画面 1.778
クレジットカード 1.592

長方形の黄金分割を繰り返していくと、「黄金螺旋」ができるが、自然界ではオウム貝が有名だ。そしてそれが名画の構図でもよく使われていると言われる。しかしそんな根拠は全くないと言っている。

そこで、ネットで検索してみたら、こんなとんでもない図が出てきた。「モナリザ」で、絵と何の関係もないところに、適当に黄金螺旋を重ねて、だから黄金比ですと、まことしやかに解説している。



「ドバイ・フレーム」は縦横比が黄金比の巨大建造物で、観光客向けの展望台として作られた。ドバイ政府の公式サイトは「多くの建築家や芸術家が理想的なバランスとしてきた黄金比にインスパイアされた。」としている。しかし著者は「寸法がどうであれ、この建造物が、浪費できるだけの金があることを見せつける醜悪な象徴であることには間違いない。とバッサリ切り捨てている。見事な見識だ。



2024年7月9日火曜日

ヒトラーの選挙

 

今度の東京都知事選挙はずいぶんひどいものだったようだ。いろいろな点で、ヒトラーの選挙と比べたくなる。以下は、「ヒトラーの時代」(池内 紀)と、「ヒトラーの演説」(高田博行)による。

最初は泡沫政党だったナチス党が、選挙のたびごとに議席を増やしていき、最後に政権を奪うまでに至る。ヒトラーは暴力やテロで政権を奪取したわけではなく、選挙での巧みな演説で国民の支持を得ていった。演説は、与野党が対立ばかりしていて、何も決められない議会政治への批判で、それは強いリーダーを求める国民の心にささった。

政権をとってからのヒトラーは選挙公約を一つ一つ実行していく。敗戦と恐慌とインフレで壊滅状態だったドイツを建て直す。工業生産力を高め、国民の所得を1.5倍に増やし、失業者を激減させる。社会福祉を拡充し、豊かになった国民に週末に旅行に行くことを推奨し、安いリゾート施設を各地に作る。そして一般の労働者にも買える国民車「フォルクスワーゲン」を作り、全国に高速道路網「アウトバーン」を作る。(写真は、うれしそうな表情で「フォルクスワーゲン」の模型を見ているヒトラー。なお、説明しているのは設計者のポルシェ博士。)

こうしてヒトラーは、ドイツ国民の圧倒的な人気を獲得していった。独裁者ヒトラーを支えたのは、国民の「熱狂」だった。

ヒトラーは国民にメッセージを伝えるメディアとして「ラジオ」を重視した。富裕層しか持てなかったラジオを8分の1の値段にした「国民受信機」を作って普及させる。音楽やスポーツやドラマだけでなく、政局のおりおりにヒトラーの「ドイツ国民に告ぐ」が流れる。どの家庭でもこの瞬間、いっせいに静かになって聞き入ったという。そしてヒトラーは重要な政策の決定には必ず「国民投票」を行ったが、その時ラジオは国民に支持を訴えるための手段だった。現在の選挙での「ネットメディア」に当たり、その効果をヒトラーはすでに十分に認識していた。(写真は「国民受信機」の広告で、巨大なラジオの周りに群衆が群がって、ヒトラーの声を聴いている。キャッチコピーは「ドイツ中が国民受信機で総統を聴く」とある)

2024年6月20日木曜日

旅行ガイドブック

 Michelin Green Guide

一度だけ JTB かなにかのバスツアーを利用したことがあった。目的地へ着くまでバスガイドのおねーさんが喋りまくる。昨日のテレビ番組がどうのこうのとか、唄を歌ったりとかうるさくてしょうがない。ところが、目的地に着いた時、「この場所について私はよく知りませんからガイドブックかなにかで調べてください」と言ったのにはびっくり仰天した。それ以後バスツアーは一度も利用していない。

ヨーロッパでバスツアーに乗ったことがあったが、バスガイドが喋ることはない。彼女は単なる「車掌」だ。目的地に近づいた時に、大学生のガイドが乗ってきて、その観光スポットの見どころや、背景の歴史・文化など専門的なことまで詳しい説明をする。

このような「観光」に対する考え方の違いは、日本の観光ガイドブックにも現れている。ほとんど”インスタ映え”する場所を教えるだけの内容で、観光客の方もそれに従って、みんなが同じ場所で同じ写真を撮っただけで大満足して帰る。

「ミシュラン」は、レストランの格付けガイドとして有名だが、もともとは観光ガイドブックから出発している。空港や駅に着くと、まずその土地の「ミシュラン・グリーンガイド」を買う。売店にずらっと並んでいる緑色の表紙が目立つ。バスガイドと同じように、徹底的な現地調査をもとにした、深く突っ込んだ内容で、ネットの口コミ情報などを編集しただけの「るるぶ」などとは大違いだ。

余談だが、江戸時代も旅行ブームで、ガイド付きのツアー旅行も盛んだったそうだ。そのニーズから全国各地の旅行ガイドブックが出版された。それが「〜名所図絵」だが、その中のひとつにこんな絵がのっている。ガイドが風景の説明をしているのに、そっちのけでガイドブックばかりを見ている旅行客を皮肉っている。SNS にのっている写真を見ながら、なるほどそれと同じだ風景だと満足している現代の観光客と同じなのが面白い。

江ノ電の鎌倉高校駅前の踏切をときどき通るが、必ずこんな光景が見られる。何かのアニメに登場した場所で ”聖地” になっているとかで迷惑行為が絶えない。いわゆる「オーバーツーリズム」で、「旅行業界」や「観光業界」が SNS を使って客を呼びこんでいることの弊害だが、そろそろ「観光」のあり方を見直してほしいものだ。


2024年6月16日日曜日

イスラエルの戦争と聖書

「The Life and Times of Jesus of Nazareth」 

イスラエルの聖典「聖書」に書いてあること。宗教学者レザー・アスランの「イエス・キリストは実在したのか」より。


聖書の「マタイによる福音書」には、イエス・キリストの言葉として、「わたしが来たのは平和をもたらすためだと思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。」とある。「剣」とは、武器または暴力を意味する。

聖書の「ヨシュア記」で、イスラエルの神がこう命じている。神の国イスラエルの栄光を復活させるためには、現存する秩序を破壊しなければならない。神の支配を樹立するためには、現存する指導者たちを完全に一掃しなければならない。神に選ばれたイスラエルの民が、奪われた土地を取り返すためには、暴力と流血を避けてはならない

聖書の「出エジプト記」では、神を「いくさ人」と呼んでいる。その神は、イスラエルの土地を占領するパレスチナ人の男と女と子供をことごとく虐殺せよと命じている。聖書の言う「隣人愛」とはあくまでもイスラエル人同士についての話で、異なる民族、文化、宗教に対しては、非寛容で暴力的だ。


2024年6月7日金曜日

「日本人はどのように森を作ってきたのか」

 「The green archipelago;forestry in preindustrial Japan」 

日本列島の山々はどこも緑の森林でおおわれていて、我々はそれを当たり前だと思っている。しかしこういう国は珍しいという。例えば黄砂は、自然現象ではなく、中国内陸部の農地転換による森林減少と砂漠化が原因とされている。このように近代になって、森林が伐採され、山がはげ山になっている地域は世界中にたくさんあるという。アメリカ人のコンラッド・タットマンという歴史学者が、なぜ日本だけ「森林荒廃」が起こらなかったかを「日本人はどのように森を作ってきたのか」(原題:「緑の列島」)という本で詳細に解説している。(以下の図は同書より)

日本でも過去には、森林伐採と林地開墾が進み生態系の劣化が進む大きな危機に直面した。鎌倉時代から江戸時代初期にかけて、大きな建設事業が盛んになる。城や神社仏閣や武家屋敷や城下町建設などで木材消費量が莫大になり、木材の供給量が追いつかなくなる。そのため森林伐採が加速していく。

便利な場所で良木が少なくなり、山奥で伐リ出すようになる。川を利用してイカダで運ぶが
効率化のためにすでに角材に加工してある。それを蔓でイカダに組んでいる光景。

建物の建築を描いた鎌倉時代の絵巻。木材の使用量を抑えるために
平安時代の大規模建築に比べ、柱が細くなっている。


このような結果、18 世紀になると、山がはげ山になり始める。危機感をもった徳川幕府は森林の利用と木材の消費に対して強い規制を加えるようになるが、その効果はあまりなかった。そこで幕府は、森林を人工的に育成する「造林」政策をとるようになる。そしてスギ・ヒノキの人工造林が作られていく。

幕府は全国で造林のための技術指導を行なった。そのための図入りのマニュアルも作る。
種蒔き、蒔き付け、除草と施肥、間伐、伐採、加工、などの全作業工程が図示されている。


造林政策は、明治以降、現代にも続いてきた。日本は「収奪的林業」から「持続的林業」への転換に成功する。今でいう「SDGs」の先駆けだ。


2024年6月3日月曜日

生物多様性の日 

「 SAPIENS : A Brief History of Humankind 」

先月の5月 22 日は「国際生物多様性の日」という国連の定めた国際デーだった。

200 万年前にアフリカで生まれた人類は、全世界へ生存圏を広げていくが、その間に、人類は無数の生物を絶滅させてきた。歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリは「サピエンス全史」で、この問題を人類史の視点から語っている。

30 万年前に人類は「火」を使えるようになる。明るさと暖かさを手に入れただけでなく、「調理」をすることが可能になる。それまで人間が消化できなかった動植物が食べられる食料になる。

そのため人類は「腸」に使っていたエネルギーを「脳」に回せることができ、脳が進化していった。それで「言語」を使うようになり、仲間同士のコミュニケーションによって、組織的な共同作業ができるようになる。何十人もの集団作業で、野生動物の群れを狭い谷に追い込むなどといった手法で、群れ全体をまとめて殺戮できた。

人類は食料を求めて生存領域を広げていく。例えば、アザラシやマンモスといった脂の乗ったら美味しい大型哺乳類がいる北極圏へも進出する。そして発達した狩猟技術によって動物たちは犠牲になる。こうしてアフリカで生まれた人類は、ヨーロッパやアジアに広がり、やがてアメリカ大陸やオーストラリアなどへも到達する。その過程で各地の固有動物が死に絶えていった。

こうして人類が行く所どこでも大絶滅が起こり、推定では、かつて生きていた全動物種の 80 % ~ 90 % は絶滅して現在は生存していないという。人類が 200 万年も生き続けてこられたのは、人間が地球上の最も危険な生き物になったからだ。殺された動物たちは、「"生物多様性" だって? なにをいまさら」と言っているかもしれない。


2024年6月1日土曜日

『縮み』志向の日本人 「扇子」と「ウォークマン」

「The Compact Culture」 

『「縮み」志向の日本人』(李 御寧  著)は目のつけどころがユニークな日本文化論で、 40 年前に大ベストセラーになった。 

いろんなものを片っ端から「縮ませ」てしまうのが日本の特異な文化だとしている。例えば、世界のどこにでもあったウチワを、折りたためる「扇子」にしてしまう。そして単に持ち運びに便利な道具にしただけでなく、そこに絵を描いて優雅な美術品にしてしまう。

そのほかにもたくさんの例をあげている。木を小さくして室内で楽しめる「盆栽」、持ち運んでどこでも食べられる「折詰弁当」、自然の風景を模して縮小した「枯山水」、にじり口から4畳半の狭い部屋へ入るだけで俗世から離れられる「茶室」、五七五の17文字だけで広い宇宙を表す「俳句」、宮廷をミニチュア化した「雛人形」、使わない時にたためる壁「ふすま」、広い自然を一輪だけの花に凝縮する「生け花」・・・など数限りない。

西洋の美学が「大きいことは偉大だ」のような「拡がり」の文化を発達させたのと逆だ。清少納言の「枕草子」で、「なにもなにも、ちいさきことはみなうつくし」と書いているくらいに、古くから「縮み」が日本人の美意識の根底にある。その例として、石川啄木の短歌「東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたわむる」をあげている。「東海」→「小島」→「磯」→「白砂」→「蟹」と、どんどん小さいものへズームアップしている。広い世界を最後に小さい「蟹」まで凝縮したとき、そこに感情移入して涙一滴を落とす。

そういう「空間」の縮小だけでなく、「時間」の縮小もある。北斎の「神奈川沖浪裏」は、激しく動く大波がくだけ散ろうとする一瞬をストップ・モーションで描いた「動きを縮めた美学」だとしている。確かにこういう絵画は海外にはない。

同書は、この文化が現在のハイテク技術の時代でも受け継がれているとして様々な例をあげている。トランジスタ、電卓、カメラ、ポータブルTV、VTR、などの日本が得意な小型化技術は、日本の「縮み志向」の文化と深く関連している。そのひとつ「ウォークマン」は、巨大だったオーディオ装置を手で持てるくらい小さくして、どこでも音楽を聴ける道具にしてしまった。

だが、日本人自身は、技術開発として「軽薄短小」を競っていても、このような日本文化との繋がりを意識することはあまりなかった。しかしこの著者が韓国人であるように、外国人にとってはそれが普通の見方だった。そしてこの本とちょうど同じ頃、ロンドンの V & A 美術館で、「ソニーデザイン展」が開かれた。イギリス人のキュレーションによる展覧会だが、その図録の第1ページ目にこのイラストが載っていた。浮世絵風の絵で、江戸美人がウォークマンを使っている。ウォークマンが単にテクノロジーの成果ではなく、「ウチワ」を持ち運べる「扇子」にしたように、日本の伝統文化の延長線上にあることを、このイラストによって、はっきりとうたっている。