2025年8月15日金曜日

映画「星つなぎのエリオ」

 Elio

ディズニーの新作「星つなぎのエリオ」を見た。ディズニー映画は、いつも学校が夏休みの間に公開されるが、今回もシネコンはちびっ子たちで、あふれかえっている。

主人公のエリオは両親が亡くなり、叔母に育てられている。「誰からも愛されていない」「自分の居場所がない」と感じている孤独な少年は「人とのつながり」を求めて、宇宙に行って異星人に会いたいと思う。やがて願いがかなって宇宙船が迎えに来る。着いた星は「コミュニバース」で、いろいろな惑星から来た異星人たちが仲良く平和に暮らしている。そしてエリオは、自分と同じく孤独である子供の異星人「グロードン」と仲良くなる。ところがその父の魔王は暴力でコミュニバースを支配しようとしている。エリオはその魔王に立ち向かう・・・

この映画には、宇宙に関する最新の動向が反映されているのが面白い。2019 年にアメリカは、陸軍、海軍、空軍に続いて、「宇宙軍」を創設した。宇宙空間での敵対勢力に対する防衛をになうためで、アメリカ各地に宇宙軍基地がある。映画にはその基地が登場する。そしてエリオの叔母は、その宇宙軍基地に務める「宇宙軍少佐」だ。

話は変わるが、「ディズニー変形譚研究」という本がある。「譚」とは深みのある話のことで、ディズニー映画はすべて、グリム童話や、ギリシャ神話や、言い伝えの昔話しや、聖書の物語、などを原型にしながら、それらの時代や場所の設定を変えて物語を作っている。それが「変形譚」で、同書はその観点からディズニー映画を研究をしている。

同書はディズニーの「変形譚」の種類を次のように分類している。
「ディズニー恋愛譚」(「眠れる森の美女」など)
「ディズニー家族譚」(「アナと雪の女王」など)
「ディズニー友情譚」(「モンスターズ・インク」など)
「ディズニー空想譚」(「不思議の国のアリス」など)
「ディズニー聖書譚」(「塔の上のラプンツェル」など)

これに照らし合わせると「星つなぎのエリオ」は、「空想譚」と「友情譚」の両方にまたがって相当している。そして同書が強調しているのは、これら「変形譚」のすべてに、聖書の「福音」思想が影響を与えていることだ。人間の愛と夢の力は魔法使いや魔女の魔力を打ち破って。奇跡を起こし、幸福を生む、という福音思想で、まさに「星つなぎのエリオ」のストーリーがそれだ。

2025年8月13日水曜日

「錯視完全図解」 錯視とだまし絵

Optical Illusion  

デザインをする人にとって錯視は大事な要素だ。直線と曲線が隣合わせに並んでいる時に、何もしないと直線が曲線に影響されて曲がって見えるから、直線もわずかにカーブさせて補正するなどだ。(形の錯視)

絵を描く人も、錯視を利用することがたくさんある。同じ色のものが明るい部分と陰の部分にまたがっている物を描くとき、同じ色に見えるように明るさを変えるなどを普通に行う。(明るさの錯視)

Newton 別冊の「錯視完全図解」は、錯視の種類や事例について系統的に整理している。「動く錯視」「明るさの錯視」「あらわれたり消えたりする錯視」「形の錯視」など全てが網羅されている。また錯視に脳が騙される心理学的なメカニズムについて詳細に解説している。「鎌倉不思議立体ミュージアム」を見学したのを機に、久々にこの本を読んでみた。

最後に「錯視」と「だまし絵」は同じものか?」という興味深い章がある。「知覚の不一致によって見る人を驚かせるという点では共通している。しかし心理学というサイエンスからみると、両者は別物である。」そしてエッシャーの「上昇と下降」の例をあげて、「実際にこのような階段を作ることは不可能だが、部分部分では間違ったところがなく、正しい知覚と言える。」としている。なるほど、正しいものを間違って知覚するのが錯覚だから、両者は逆のものだ。

そして「だまし絵」のひとつとして、「メタモルフォーシス」をあげている。図形が連続的に変化していいき、別の図形に変わっていくものだ。これの例は、やはりエッシャーの名作「メタモルフォーシス」(題名がズバリそのまま)だろう。


2025年8月11日月曜日

絵画の「影」 映画の「影」

 A Short History of the Shadow

山水画にしろ浮世絵にしろ、日本絵画には伝統的に影がまったくない。それに対して西洋絵画では影が重要な役割をになっている。影そのものが絵画全体の主題になっている例も多い。「影の歴史」(ヴィクトル・ストイキツァ著)という本で、美術(絵画・映画)における「影」の意味と歴史についての詳細な研究が行われていて、とても勉強になる。その中から、いくつかを紹介する。画像のみだが、くわしい解説は同書をどうぞ。


⚫︎分身としての影

ギリシャ時代に絵画が発明されたが、それは人間の横顔に光を当てて、壁に映る影をなぞることで始まった。このことをテーマにして、後世の人たちがたくさん絵を描いたが、19 世紀のエデュアルド・デジュという人の「絵画の発明」もそのひとつ。出征する若者の横顔を恋人の女性が描いている。「影」で分身を残している。







横顔のシルエットで分身を表す伝統は現代でも続いている。アンディ・ウォーホルの「影」で、右側に本人がいて、左側に分身としての横顔の影が描かれている。







⚫︎存在感の影 

ゴッホの「タラスコンへ行く画家」は、ゴッホ自身の姿を描いているが、本人以上に強い影がゴッホの存在感を強めている。日本語で存在感のないことを「影が薄い」というが、これはその逆で、足を地に踏みしめて歩くゴッホの自信を「影」で示しているのだろう。







ディズニー・アニメの「ピーターパン」で、ピーターパンの「影」が本人の足元から離れて、あらぬ方向へ飛んでいってしまう。恋人のウェンディーがピーターパンに「存在」感を与えるために、影を捕まえて足元に縫いつけてあげる。

⚫︎まなざしの影 

ピカソの「影」で、裸婦を描いているキャンバスに重ねて、ピカソ自身の影を描きこんでいる。モデルを見る画家自身の「まなざし」を影で間接的に表している。










今まで気がつかなかったが、ルノワールの「デザール橋、パリ」で、画面下に影が描かれている。画面の外にある手前の橋の影だ。その橋の上でこの風景を見ている人たちの影があり、そのなかの一人がルノワール自身の影だ。






⚫︎他者性の影」

これはシャネルの男性用香水のポスターだが面白い。シャワーを浴びたばかり男性が、ローションの瓶を奪い取ろうとして、影と張り合っている。影は本人の姿と関係なく、攻撃的なポーズをとっていて、影の他者性を強調している。 










漫画「ラッキー・ルーク」の主人公のカウボーイは、「自分の影より早く引き金を引くことができる男」だ。すでに弾丸が影に命中して胸のあたりに白い穴が開いている。本人の浮いた帽子は動きの素早さを示しているのに対して、影の浮いた帽子は驚きを表している。

⚫︎不安の影 

ムンクの「思春期」は、自分の病弱な妹を描いたといわれている。壁に映った影は、大きな黒い雲のかたまりのようだ。それは少女の不安な精神状態を表している。










ミステリー映画の名作「第三の男」は夜のシーンが多く、「影」がミステリアスな雰囲気を高めている。「影」だけしか見えない第三の男の正体をつかむことができず、見る人の不安を煽る。


⚫︎不気味な影

映画「カリガリ博士」は、ドイツ表現主義映画の最高傑作といわれる歴史的名作だが、全編が影の映画といっていいほど「影」が主役をつとめている。このシーンは主人公の博士に横から光が当たり、拡大された巨大な影が壁に映っている。手は歪んで、カギ形になっている。影によって奇怪な博士の心の内面があらわになっている。



キリコの「街路の憂鬱と神秘」で、フープで走っていく少女の向かう先に影が見えている。影の本人の姿は建物の影に隠れて見えていないが、それは巨大で、棒のようなものを持っているようだ。影だけしか見えないことが、不気味さをかき立てる。少女にこれから起きるかもしれないことを想像させる。








2025年8月9日土曜日

写真展「トランスフィジカル」の「絵画の模倣」的な写真

 Tokyo Photographic Art Museum : TRANSPHYSICAL

数年ぶりで東京都写真美術館へ行き、写真展「トランスフィジカル」を見た。写真が発明された19 世紀から、写真がデジタル化された現代までを振り返り、これからの写真がどういう方向へ進むのかを考えさせる展覧会だ。

その中の第1室のテーマが「撮ること、描くこと」で、写真と絵画の関係に焦点を当てている。以下にそのいくつかを紹介。(写真は同展の図録より)

入るといきなりあるのが「アジャンの風景」(1877 年)で、どう見ても印象派の絵画のように見える。実際に印象派全盛の時代の作品で、よく言われるように、生まれてまもない初期の写真は絵画を追いかけていたということがよくわかる。「絵画の模倣」(ピクトリアリズム)の時代だった。なおカラーフィルムがない時代だったのに色がついているのは、3原色それぞれに着色したゼラチンの層を3枚重ねるという方法をとっているという。


「5月の収穫」(1862 年)という横長の大作で、合成写真をやっている。背景の森の写真のネガを一部を切り抜いて、そこに人物の写真のネガをはめ込んでいる。右下の少女の部分のはめ込みパーツも展示されている。


「美濃笠の男、比叡山」(1906 年)は、明治時代の日本人の作品。構図といい、霧の表現といい、日本の伝統的な山水画的な絵画的効果が見事。


「バレエ公演の観客」(1950 年)は、 20 世紀に入ってからの新しい作品。抽象絵画風だが、もはや「絵画の模倣」ではない。絵の具の代わりに、写真という画材を使って、写真でなければできない、絵画的な表現をしている。写真でもあり、絵画でもある、両者の融合だ。


2025年8月7日木曜日

「鎌倉不思議立体ミュージアム」

Kamakura Optical Illusion Museum

鎌倉駅から歩いて3分、小町通りに入ってすぐという便利な場所にある、最近できたばかりの「鎌倉不思議立体ミュージアム」へ初めて行ってみた。


様々な「錯視」を展示しているが、全部が小さな原理模型だけで、錯視について知って人にはものたりないだろう。例えば、有名な「ペンローズの階段」も小さな模型だけだから、原理を知っている人は「不思議」に思わない。エッシャーがこの原理を使って「上昇と下降」というアート作品にしたが、変だと思いつつも、まったく自然に見える。どこか「不思議」だが、どこが「不思議」がわからないことが「不思議」という、エッシャーのトリック隠しのすごさをあらためて思う。


2025年8月5日火曜日

プラトンの「洞窟の壁に映る影」は映画

 Plato

7 / 24 日の投稿で、「洞窟の壁に映る影」について書いたが、その補足を。

壁に映る「影」をなぞって人間の肖像画を描いていたギリシャ時代に、哲学者プラトンが「国家」のなかで、同じく「影」について書いている。有名な「洞窟の壁に映る影」という例え話しだ。それをかいつまんで要約するとこうなる。

『 地下にある洞窟の中に住んでいる人間がいる。彼らは子供の時からずっと手足を縛られていて、動けずに洞窟の奥の方ばかり見ている。彼らの後ろにはろうそくの火が燃えていて、その光と人間の間には台があって、そこで人形使いが、人形やいろいろなものを操っている。その影が洞窟の奥の壁に投影される。外の世界の現実を見たことがない人々は、「虚像」であるその影を「真実」だと思い込む。』

この文章に書かれた状況を、文章どうりに図に描いてみたが、こんな感じだろう。


こう描いてみると、これはまさに映画だ。暗い洞窟は映画館であり、洞窟の奥の壁はスクリーンであり、そこに映った影はフィルムの像を光で投射した映像に当たる。それを観客たちが見ている。

プラトンの時代にはもちろん映画はないが、プラトンがこの例え話しで言いたかったのは、洞窟の外にある現実の世界を知らない人々が、投影された「虚像」を「真実」だと信じてしまう人間の認識能力の頼りなさを指摘している。

プラトンがこの洞窟の話しを「国家」という本の中で書いていることにだいじな意味がある。市民による民主主義政治が行われていた古代ギリシャを見ていたプラトンは、本当の真実をみることのできない市民が、目先のことだけでワアワアと騒ぐだけの民主主義政治を否定し、一人の賢く強い指導者が大衆を引っ張る専制政治が「国家」の理想的な姿であると考えていた。その大衆の ”わかっていない” 無知ぶりを説明するためにこの洞窟の話しを書いた。

しかし現代の人々とって映画は、洞窟の人たちとは違う。映画館に閉じ込められているわけではなく、外界の現実を知っている。そのうえで、映画が「虚像」であることを承知のうえで、世界に対する自分の認識を時空を超えて広げてくれるものとして見ている。だからこの洞窟の話しは「映画」に例えるよりもむしろ「スマホ」に例える方がいいだろう。洞窟の奥の方ばかり見ている人々は、一日中スマホばかり見ているスマホ依存の現代人に当たる。そしてスマホの画面に映る SNS の物語や画像という「虚像」を人々は簡単に「真実」だと信じてしまう。

2025年8月3日日曜日

影が人間に存在感を与える      アニメ「ピーター・パン」

 Cast Shadow

絵画で人を描くとき、「影」が絶対的に重要になる。影が無いと、人は宙に浮いているように見えてしまうし、そもそもその人の存在感自体も感じなくなってしまう。人間の身体、人間の体重、影と地面の地面との結びつき、などで人間の存在を感じることができるが、「影の喪失」は人間の存在感自体を無くしてしまう。絵画でも写真でも映画でも影の表現が重要だ。

ディズニーのアニメ「ピーター・パン」(1953 年)で、その「影の喪失」の場面が出てくる。ピーター・パンの影が足元をはずれて、あらぬ方向へ飛んでいってしまう。その時、ウェンディーが、ピーター・パンに「存在」感を与えるために、影を捕まえて、足元に縫い付けてあげる。とても面白いシーンだ。




2025年8月1日金曜日

「投影図」で描いたギリシャ時代の肖像画

 Projection View

古代ギリシャ時代に人類史上初の肖像画が生まれた。小さな都市国家どうしの戦争が絶えなかった当時、戦場に出て行く兵士の面影を心に刻んでおくために、恋人が肖像画を描いた。兵士の横顔にろうそくの光を当てると、壁に影が映る。その影をなぞって絵を描いた。

この絵はその様子を後世の人が描いたものだが、状況がよくわかる。この方法だと顔のプロポーションが正確に描ける。そして人による変化が少ない正面図ではなく、必ず目鼻立ちの特徴が出やすい横顔を描いた。

3次元の物の形を2次元の平面上に表現するのには、「投影図」と「透視図」の2つの方法がある。今日我々が普通に使っている2つだが、ギリシャ時代には遠近法(perspective)が必要な「透視図」はまだなかったことがわかる。だから文字通り「影を投じて」描く「投影図」で描いた。

なお、今日の「プロフィール」 (profile) という言葉は、人間の経歴や人格を紹介するのに使われるが同時に、絵に描いた「横顔」の意味もあるのは、このギリシャ時代の名残りだ。


2025年7月30日水曜日

スペインのビルバオ 「グッケンハイム美術館」で町おこし

 Guggenheim Museum Bilbao

今、多くの自治体が「町おこし」を必死でやっている。国も「地方創成」という掛け声で後押ししている。しかし「◯〇〇の日」などという記念日を定めて何かのイベントをやったりするだけでは何の効果もない。

町も企業と同じく、生き残るためには、ブランド価値を高めなければならない。それには「文化」という武器を使うべきだと言っているのがネイトー・トンプソンというジャーナリストで、著書の「文化戦争」(原題は「Culture as Weapon」で「武器としての文化」の意味)で、その成功事例をあげている。

そのひとつがスペインの「ビルバオ」という町だ。さびれた港町だったビルバオを再生し、観光地に生まれ変わらせるという戦略から、なんとあのニューヨークのグッケンハイム美術館を誘致して、その分館を作ってしまった。現代美術の殿堂のグッケンハイムの作品を見られるというので大人気になる。建築の指名コンペに勝ったフランク・ゲーリーの超現代的建築もそれ自体が美術館のコンテンツになっている。小さなビルバオの町が世界中の注目を浴び、集客数や観光収入が激増する。まさに美術という「文化」を武器にして町を甦らせた。

日本でこのような例がないか考えてみると、そのひとつは「旭川」かもしれない。「旭山動物園」が、動物の自然な生態を見せる「行動展示」という画期的な展示方法で人気を博し、上野動物園に迫る入場者数になり、北海道の重要な観光スポットになった。単に動物を飼う入れ物としての動物園ではなく、動物を文化的な「コンテンツ」と捉え、それを提供するのが動物園だと考えたのが成功した理由だろう。

同じ北海道の「夕張」と比べるとそのことがよくわかる。炭鉱が閉鎖されて衰退した町が町おこしのために、立派な「市民ホール」を作った。しかしそれはよく言われる「箱モノ」というただの入れ物で「コンテンツ」が何もない。何の役にも立たない建物の借金負担で町は財政破綻してしまい、今では人口が激減してしまった。


2025年7月28日月曜日

大谷選手とリトル・トーキョー

Little Tokyo 

大谷選手の活躍で、最近この写真がよく TV に登場する。LA のリトル・トーキョーのビルの壁に大谷選手の大壁画が描かれている。その横に日本風の赤い建物があるのがリトル・トーキョーの入り口ゲートだ。いま日系人の誇りだろう。

昔、リトル・トーキョーに行った時、記念にと思って街の売店で新聞を買った。リトル・トーキョーにある新聞社が発行している「羅府新報」という日系人むけの新聞だ(羅府とは LA のこと)日付が 1971 年8月24 日だ。漢字にカナを振っているのは2世3世のためだろう。紙質や印刷が戦前の新聞のように劣悪だ。


この当時すでに街には日本車が走り、電気店には日本製 TV が並んでいて、日本はハイテク先進国だった。しかしこの新聞に象徴されるように、リトル・トーキョーは本物の日本から取り残された昔のままの日本のようだった。

リトル・トーキョーはダウンタウンの中にあるのだが、そこは治安が悪いことで有名で、何か暗いイメージの、あまり近づきたくない場所だった。ある時ダウンタウンへ行ったのは、そこにある LA 市警察本部(犯罪もの映画によく出てくる「 LAPD」)に用事があったからだ。交通違反をしてパトカーに捕まり、切符を切られて、その罰金を払うためだった。ついでにリトルトーキョーへ寄って上の新聞を買ったのだが、その一度だけだった。しかし今では大谷選手が描かれた明るいリトル・トーキョーなのだろう。


2025年7月26日土曜日

ビジネスの文化戦争 「イケア」「アップル」「スターバックス」

 Culture as Weapon

最近はやりの「文化戦争」(Cultural War)といえば、もっぱら政治分野の話しだ。アメリカの大統領選でトランプが叫んでいたのが、人工妊娠中絶反対だったし、日本の今度の選挙でも、選択的夫婦別姓制度や外国人排斥などの文化的問題が争点になっていた。

アメリカのネイトー・トンプソンというジャーナリストの「文化戦争 やわらかいプロパガンダがあなたを支配する」という本は、政治での文化戦争以外にもさまざまな分野での文化戦争の実態について書いていて面白い。

そのなかで取り上げているビジネス分野での文化戦争について紹介する。ビジネスの文化戦争とは「文化」を武器に使って自社のブランド価値を高める戦略だが、同書はその成功例として「イケア」「アップル」「スターバックス」の3社をあげている。この3社は日本でもビジネス展開をしているので、誰でも ”あるある” の体験があると思う。

例えば「イケア」について、『消費者の心に強い印象を残すのは、製品のイメージだけではないことを理解している。消費者との社会的な関係性が人々の心をとらえることを知っている』としている。

イケアの店舗を思い出すと確かにそうで、巨大な建物に入るとまず専門のスタッフがいる託児室がある。子供を預けて両親はゆっくりとショールームを見て歩くことができる。広大なショールームは一方通行になっていて、曲がりくねった通路の両側に、憧れを誘うようなモデルルームがあり購買意欲を誘う。単なる家具売り場ではない。数時間かけて一周するとインテリア雑貨のゾーンになる。さっきショールームに飾ってあった雑貨類を見て客は衝動買いをする。そこをすぎると、梱包のままの商品が天井まで積み上げられた倉庫ゾーンになる。今まで見てきた芝居の楽屋裏をのぞいている気分になる。それは外国から船で運ばれてきたばかりのコンテナーのようでイケアに対する信頼感を感じさせる。そして最後にスウェーデン料理のフードコートになり、ほぼ全員がそこで長い旅の疲れを癒す。

見終わるまでほぼ半日かかる店舗は、ちょっとしたテーマパークのようで、そこでは家具という「モノ価値」の提供よりも、そこでの客の「体験価値」を提供する。さらに家に帰って買った家具を自分の労力で組み立てるのが「体験価値」の総仕上げになる。自分のイケアとの一体感を感じさせることで、イケアのブランドブランド価値を高めている。


2025年7月24日木曜日

”洞窟の壁に映る影” とSNS

 Plato

ルネサンスの巨匠ラファエロの「アテネの学堂」はギリシャの哲学
者たちを描いている。中央の二人がプラトンと、アリストテレス。
紀元前5世紀の、古代ギリシャのアテネなどの都市国家が、直接民主制だったことは、中学校の教科書に出てきたのでよく知られている。市民が合議をして、法律制定や重要事項の決定を行った。しかし実際は、全員の意見がまとまらず、なかなか決められないことも多かったという。

哲学者プラトンがこれを見て、愚かな市民が自分勝手にワアワア騒ぐだけの民主政治をやめて、政治は賢くて強い一人の指導者に任せるべきという主張をした。要するに独裁政治の考え方で、現在では危険思想とされている。

上の絵で、プラトンは天を指差し、
手に自分の著書を持っている。
広い視野で物事を考えられない大衆について、プラトンは次のような例え話しで表現している。『一団の人々が洞窟の中で鎖に繋がれ、何もない奥の壁の方を向いたまま、一生を過ごす。その壁はスクリーンであり、そこにさまざまな影が映るのを人々は見ている。とらわれの身である彼らはそれらの虚像を真実だと思い込む。』 

近代でも、プラトンの思想が現実になったのがドイツだった。第一次大戦後ドイツで、議会制民主主義が始まった。しかし与野党の分裂が激しく、議論ばかりで何も決められなかった。そして民主主義に失望した国民は、賢くて強い指導者を求めるようになる。そして求めるとうりの人間が現れたのがヒトラーだった。

歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリは「情報の人類史」のなかで、プラトンを引用してこう言っている。『人々が戦争を起こし、他者を殺し、自分の命を差し出すことも厭わないのは何かしらの虚構を信じているせいだ。』

プラトンが言ったことを現代に置き換えると、「壁というスクリーン」とは、パソコンやスマホの画面に当たり、「虚構を真実だと信じる人々」とは、 SNS のいうことは何でも真実だと信じる人たちに当たる。だからこれからは、権力をねらう者は、 SNS を利用して、自分に都合のいい物語や画像を発信し、大衆を操ることになるだろう、とハラリは警告している。どこか最近の日本のことを言っているように聞こえる。

2025年7月22日火曜日

ドキュメンタリー「ドイツ国民は共犯者になった」

Ochlocracy 

今度の選挙で大活躍したのが、SNS 依存症の人たちだったようだ。パーフォーマンス的な演説に熱狂して、SNS で大量に拡散して、集票の手助けをしてくれる。だから与野党限らず全政党がウケ狙いの「大衆迎合主義」政策で競い合う。愚かな大衆を利用して、国民を操つる政治、いわゆる「衆愚政治」だが、SNS のおかげでそれがやりやすい時代になった。

歴史上最高に上手く「衆愚政治」をやったのがヒトラーだった。国民の耳に気持ちよく響くドイツ人ファーストのスローガンで選挙に勝って、政権を奪取した。そして公約どうり、他国の侵略やホロコーストをやった。だから煽動されてヒトラーに投票した全ドイツ人は、今では「ヒトラーの共犯者」と呼ばれている。

すでに多くの本で語られてきたこのことだが、昨日の NHK 番組「映像の世紀」で、まさにズバリそのことを特集していた。題名が「ドイツ国民は共犯者になった」という特集で、ヒトラーに熱狂する国民の姿を当時の映像で検証していた。

ヒトラーは、占領国から略奪した食料を国民に配り、国民は戦時下とは思えない豊かな生活ができた。奪った大量のフランスワインで一般大衆もリッチな食事をした。また物価高を抑え、給料をあげる政策に成功し、国民は幸福な生活を享受した。それは他国の侵略によってできたことだが、ドイツ国民は熱狂的にヒトラーを支持した。だから現在では、ドイツ国民は「ヒトラーの共犯者」と呼ばれる。


2025年7月21日月曜日

月面着陸の日

 Moon Landing

昨日 7 / 20 は「月面着陸の日」だった。その 1969 年は、TV の衛星中継放送が始まった頃だったので、あの日リアルタイムで TV の実況中継を見ていた。アームストロング船長の「人類の新しい第1歩」という ”美しい” メッセージに世界中が熱狂した。しかしあれから半世紀以上経った今、あの頃のような気分で賛美する人はいないだろう。

当時は米ソ冷戦時代で、”地球は青かった” のガガーリンの有人飛行でソ連に先を越されたアメリカが、国の威信をかけて月面着陸で巻き返しをした。あの月面着陸は映画のセットで撮ったウソ放送だったという陰謀論を今でもかなりの人が信じているが、それほど厳しい米ソ対立という背景があったからだ。

現在の月面探査は米中の競争に移っている。つい最近、中国が有人ではないが、月の裏側に世界初の着陸をし、砂を持ち帰ったという報道があった。最新の研究では、月には水があり、鉱物資源が地下にあることがわかってきた。だからかつてのようにただ威信のためではなく、経済的・軍事的な実利的な目的のために”本気で”月面探査が行われるようになってきた。

だから月の地下資源を採掘するために、人間が定住して活動できる宇宙基地を作る競争になっている。日本でも多くの大学の工学部で、宇宙基地建設や、月面移動車、月面探査ロボット、などの研究開発を猛烈な勢いで進めている。今話題のイーロン・マスクが月旅行ツアーの参加者を募集しているのは決して荒唐無稽だとは思えなくなってきた。

JAXA, 立命館大学, ソニー, タカラトミー, が共同開発中の月面探査ロボット

2025年7月19日土曜日

「土用の丑の日」と記念日マーケティング

Anniversary Marketing

今日は「土用の丑の日」だが、始まりは江戸時代で、夏に売り上げが落ち込むうなぎ業界のために、夏こそ夏バテに効く栄養価の高いうなぎを、というキャンペーンとして、平賀源内が始めたといわれている。 これが「記念日マーケティング」の一番古い例かもしれない。そしてもっとも有名な「記念日マーケティング」の成功例は、チョコレート業界が始めた「バレンタインデー」だろう。欧米にもともとあった贈り物を贈る日に「チョコレート」を結びつけて、好きな人に「チョコレート」を贈る日にして大成功した。

いまの時代、商品そのものの「モノ価値」よりも、モノを通して得られる「体験価値」が重視される。チョコレートを贈るという感性に訴える「体験価値」を提供することで、ただの食べ物だったチョコレートの価値が高まったように、「記念日」はマーケティングの有力手法のひとつだ。

しかし、ただ「記念日」を作ればいいというものではない。いろいろな業界や企業が「◯◯の日」を決めて、「日本記念日協会」という団体に申請して、記念日として登録してもらう。この協会は、公的なオーソライズ機関に見せかけているが、実際は金儲けが目的の営利団体だから、登録料の何十万円かを支払えば、かたっぱしから記念日に登録してくれる。その結果、一年 365 日の毎日に数十もの記念日が登録されている。日にちはほとんどがバカバカしい語呂合わせ(例えば  11 / 29  =「いい肉の日」)で、何らかの価値を提供していないから、まったく消費者に響かない。丑の日のうなぎと違って「いい肉の日」だから、肉を食べようという人はいない。


2025年7月17日木曜日

映画「カサブランカ」のフランス国歌を歌うシーン

 La Marseillaise

先日7/ 14 は、フランス革命記念日だった。フランス革命といえばフランス国歌の「ラ・マルセイエーズ」だ。この国歌が歌われる感動的シーンが出てきたのが名作「カサブランカ」だった。映画を見た人は誰でもこのシーンが強く印象に残っていると思う。

ナチスドイツのフランス侵攻で、フランス領土モロッコのカサブランカにもナチスドイツ軍が駐留している。主人公はそこでナイトクラブを経営している店主だ。ある夜、ナチスの将校のグループが入ってきてドイツの軍歌を大声で歌い出す。フランス人の客たちは、にがにがしい顔でいる。すると主人公の店主がピアニストに目くばせして「国家を」と言う。フランス国歌の「ラ・マルセイエーズ」を演奏し始めると、フランス人たちが全員立ち上がって力強く歌い始める。涙を流しながら歌う女性もいる。その声にかき消されてナチスの将校たちは、黙って出ていくしかなかった・・・


この有名なシーンは、フランスの屈辱の時代にあって、人々の愛国心の強さを描いていた。そしてラストで、どこかいかがわしい男に見えていた店主が実は強烈な反ナチスの、フランス愛国者であることがわかる結末はご存知の通り。

国家を歌うシーンの映像→ https://www.youtube.com/watch?v=2b8OCFURCyE


2025年7月15日火曜日

大統領選の TV CM「アメリカの朝」

 Regan $ Trump

トランプ大統領の「Make America Grate Again」(アメリカをもう一度偉大に)の言葉はトランプの発明ではない。1984 年の大統領選で、ドナルド・レーガンが勝った時のキャッチフレーズをそっくりそのまま真似している。

その時の「アメリカの朝」というレーガンの TV CM が有名だ。不況におちいっていた当時のアメリカをもう一度偉大な国にするというメッセージを伝える巧妙な CM だった。アメリカの人々が働く様子を静かに映し出す映像から始まる。明け方に海へ出てゆく漁船、タクシーを降りるビジネスマン、畑で作業する農夫、新聞を配達する少年、幸せそうな新婚夫婦、ゆるぎのない家族の絆、などなどの映像が次々に流れる。そして「今レーガン大統領の強いリーダーシップのもと、アメリカに再び朝がやってきた」というナレーションが流れる。懐古主義的な古き良き時代への郷愁を誘い、強いアメリカをもう一度と訴えている。

今トランプ大統領がやっている政策は、製造業の復活や、雇用の拡大、物価高の抑制、などだが、強いアメリカをもう一度のレーガンをそっくり真似している。そしてキャンペーンの仕方も今や、生成 AI や SNS の時代だから、より巧妙化している。

下記のサイトで、「アメリカの朝」の映像が見られる。(これをパロディ化した反対政党の映像も見られる)  → https://wsc.hatenablog.com/entry/2020/10/24/114020

なお、このように選挙戦で政治家が SNS を大きな武器として使って現状と、SNS によって自分達が支配されていることに気がついていない国民の危険性について、ネイトー・トンプソン著「文化戦争  やわらかいプロなガンダがあなたを支配する」に詳しい。


2025年7月14日月曜日

SNS 教信者たち

SNS Fanatic 

最近の選挙で、SNS をうまく使うと、トンデモ候補が当選してしまったりする。そうさせているのが、「SNS 教信者」たちだ。SNS の言うことはなんでも正しいと盲信している人たちが選挙におおきな影響を及ぼしてしまう。

アメリカではその状態がもっとひどい。前回の大統領選挙で、”外国人移民が犬を食っている”という荒唐無稽なSNS のデマ情報がトランプ陣営から発信されて、それをまに受けた「SNS 教信者」たちが、外国人移民排斥政策のトランプを当選させた。

もっとひどい例が SNS のデマ情報から始まった2017 年のミャンマーの少数民族の大虐殺事件だった。仏教徒である多数派のミャンマー人たちと、少数民族であるイスラム教徒たちとの対立が激しい同国で、少数民族に対する激しい憎しみや攻撃の情報が SNS で大量に発信された。それをまに受けた 「SNS 教信者」たちが実力行使を行い、少数民族の大虐殺につながった。同国のこの混乱は今でも続いている。(このミャンマーの 事件へのSNS の影響については、ユヴァル・ノア・ハラリの「ネクサス 情報の人類史」に詳しく解説されているので、参照されたい。)

今行われている日本の選挙でも、外国人移民問題が争点になっていて、それに関するSNS のデマ情報が飛び交っているようだ。それを盲信した「SNS 教信者」たちがさらに拡散している。


2025年7月12日土曜日

映画「わが谷は緑なりき」

How Green Was My Valley

昔、イギリスのウェールズ地方を訪れたことがある。ロンドンから西へ電車で2時間くらい行くと、ウェールズの首都カーディフだが、それよりさらに先のブリッジエンドという田舎の駅で降りた。そのあたりが昔、炭鉱で栄えた地方だが、今はさびれた過疎地になっている。一人ポツンと降り立った日本人にウェールズの人たちはとても優しかった。

その優しい人たちの土地ウェールズを舞台にした映画が「わが谷は緑なりき」だ。ジョン・フォード監督のこの名作映画は 1941 年制作(自分の生まれた年より古い)という超クラシック映画だが、改めて見てみた。ウェールズ地方の炭鉱の町が舞台のドラマだ。日本でも戦後、石炭産業が斜陽化して、次々と炭鉱が閉鎖され、炭鉱員たちが失業し、ストライキが頻発したが、それと同じ状況が描かれている。

父親と4人の息子がいずれも炭鉱で働いている労働者一家の姿を、幼い末っ子の目を通して描いている。炭鉱の不況で兄たちの給料が下げられたり、クビになったり、姉が炭鉱主の息子と無理やり結婚させらりたり、炭鉱の落盤事故で父親が死んだり、など不幸が続くが、一家の家族どうしの絆は強い。そして皆が同じ炭鉱で働いている住民たちも人情が厚く、お互いに助け合って生きている・・・ 

やがて時代は移り変わり、炭鉱は閉鎖され、町はさびれて、古き良き時代は終わってしまった。そして今では大人になった少年は、家族や町の人たちの懐かしく美しい思い出を胸に町を去ってゆく・・・