2025年12月31日水曜日

小津安二郎とヴィム・ヴェンダース 

 Yasujiro & Vim Vendars

昨日(12 / 30)の NHK 「映像の世紀」で、「スクリーンの中の東京百年」をやっていた。今年の「昭和100年」ちなんで、映画を通して日本の100 年を振り返るというもの。

そのなかで最も大きく取り上げていたのが小津安二郎と、その代表作「東京物語」だった。田舎から東京見物に来た老夫婦を通して、家族の絆が失われてしまった戦後日本の家族観の変化を描いていた。

続いて、その小津安二郎を尊敬するヴィム・ヴェンダース監督のドキュメンタリー映画「東京画」が紹介される。小津へのオマージュ映画で、小津の足跡をたどりながら、バブル時代の日本の風景を撮っている。それは、小津が描いた古きよき日本が失われた、アメリカナイズした軽薄な若者たちだ。

番組の最後で、さらにヴィム・ヴェンダース監督の最新作「Perfect Days」が紹介される。そこでヴェンダース監督自身の意図について、こんな意味の解説が入る。「コロナ禍で、ヨーロッパの街がロックダウンされて死んでしまったのに、東京では、トイレ掃除に生きがいを感じている主人公のように、古きよき時代の優しい人間がまだ生きていることに感動してこの映画を作った。」

2025年12月30日火曜日

「かたちと人類」

 Homo Sapiens with Forms

「かたちと人類」という本が出たので、タイトルにひかれて買った。さまざまなキーワードごとに、絵画やデザインや建築などの「かたち」を収録している。帯にある「5万年の歴史と未来を描く」というほどには内容は深くないが、網羅的なので事典的に使うには便利だ。

一例として「権威の軸」という項目の概要を簡単に紹介する。

古代エジプトのレリーフでは、シンメトリーの構図が多く、中心に権威ある王がいて、両側に従者などを配している。そこには「中心軸」の概念があり、それが、権力者の権威・威厳を表した。

この権力の象徴としての「中心軸」の強調が現代でも行われている。パリの街がその例だ。19 世紀のパリでは、暴動が頻繁に起きていたが、路地が迷路のように張り巡らされ、軍隊が鎮圧しづらい。そこでナポレオン三世は、パリの大改造を命じた。それでルーブル美術館と凱旋門の間を結ぶ広い直線道路ができた。現在のパリの姿は、もともとはナポレオンの権威の象徴だった。新しく建てられた新凱旋門もこの「中心軸」上にある。

権威の象徴としての一直線の中心軸にこだわったのがヒトラーの総督官邸だった。外国との首脳会談を総統室で行うが、ドイツ代表と外国代表は向かい合って座るが、ヒトラーだけはドイツ側には座らず、中央の司会席に座る。部屋自体が威圧するようなシンメトリーだが、その中心軸に座って、権力の上下関係を認識させるねらいだった。実際ヒトラーは、ヨーロッパの小国首脳をこの部屋に呼びつけて脅迫し、ドイツに従属させた。

同書は、もうひとつナチス党大会の記録映画「意志の勝利」の例をあげている。広場の両サイドには兵士の群れが整列して、中央に直線道をかたち作り、そこをヒトラーと幹部の3人が歩く。この荘重な儀式の映像を撮ったのが有名な女性監督のリーフェンシュタールだ。このシーンを完璧なシンメトリー構図で撮影し、「総統道」と呼ばれた中央一直線の「中心軸」でヒトラーの権力を強調している。

そしてこの映像を引用したのが「スターウォーズ  エピソード4」のラストシーンだった。両側に整列した兵士のあいだの一直線の道を3人のヒーローが歩いて、レイア姫の顕彰を受けるシーンだ。上の映像では3本のハーケンクロイツの垂れ幕が正面に掲げられているが、こちらではその代わりに5本のサーチライトが光っている。サーチライトも、ヒトラーのお抱え建築家のシュペーアが権力の象徴としてよく使った手法だ。

2025年12月29日月曜日

「ジェット・ストリーム」の CD

「JET  STREAM」 

地元の商店街で、CD 屋の露天の店が出ていた。30~40 年くらい前の古い CD ばかりで、足を止めているのはお年寄りばかり。つられて、なにか ”昔懐かし” 的なものはないかとみたら、「ジェット・ストリーム」が目について思わず買ってしまった。

もう 40 年前くらいの昔になろうか、FM の深夜放送でみんなが一生懸命聴いていたこの番組は、JAL がスポンサーで、外国旅行への憧れをかき立てていた。ジェット旅客機が空港を飛び立つキーンという音から始まり、城達也の”しみじみ”としたナレーションが入る。例えば、ミッシェル・ルグラン楽団の「パリの空の下」や「ラ・セーヌ」などのノスタルジックなムード・ミュージックを聴くと、憧れのパリの街角を歩いているような気分 になったものだ。

しかし外国旅行が普通になった現在、昔のような ”憧れのパリ” といった感覚になる人はいないだろう。そもそもパリの街の真ん中に日本人観光客向けのラーメン屋があるくらいだから。だからこの CD を今聴くと、城達也のナレーションもわざとらしく聞こえてしまう・・・ 


2025年12月28日日曜日

ダ・ヴィンチの「東方三博士の礼拝」と映画「サクリファイス」

The Adoration of the Magi 

前回書いた映画「サクリファイス」のオープニングで、レオナルド・ダ・ヴィンチの「東方三博士の礼拝」の絵の一部分がアップで映し出される。聖書のイエス・キリストの生誕の物語を描いている絵で、祝福する人たちがキリストを抱いた聖母マリアを取り囲んでいる。

映画「サクリファイス」は、核戦争で滅びる運命の人間の恐怖を描いている。人々は神の救済を求めて祈る。そのとき登場人物のひとりである「マリア」という女性に救いを求める。その「マリア」はこの絵の「聖母マリア」に重ねられている。だから映画全体のテーマを象徴するものとしてこの絵を使っている。


上がダ・ヴィンチの絵の全体。下半分は祝福する人たちで埋まっているが、背景には戦争で破壊された教会があり、まだ戦闘を続けている人たちがいる。映画「サクリファイス」は核戦争が始まり、滅びる運命の人間を描いているが、この絵にそれを象徴させている。「黙示録」は、人類の「終末」と、救世主キリストによる「救済」の物語だが、この絵はそのヴィジョンを視覚化している。


2025年12月27日土曜日

映画「サクリファイス」

「Sacrifice」

何年ぶりかで、タルコフスキー監督の名画「サクリファイス」を観た。冒頭のシーンで、湖のほとりで男が、枯れて倒れた木を起こして植え直している。そばの小さい息子に毎日水をやれば木は生き返るよ、と言う。そしてラストで、息子が水をやって、木を見上げているシーンで終わる。

この象徴的な二つのシーンで、タルコフスキーの世界観を表現している。二つに挟まれたストーリーは、黙示録にある、人類の「終末」と「再生」の物語だ。

もと役者の主人公の誕生日に家族と親友が集まっていると、突然 TV の臨時ニュースで、核戦争が始まったことを伝える。人々は地球が絶滅する恐怖におののく。女がパニックになり泣き叫んだり、死を覚悟して神に祈り続けたりする。

そのとき、主人公は友人から意外なことを言われる。神の救済を求めるために家政婦の「マリア」と寝なさいというのだ。「マリア」は、人間を救う「聖母マリア」と、罪深い女である「サクラダのマリア」の両方をかけた名前だ。そして言われたとおり男はマリアの家に向かう・・・ そして映像は、現実と幻想がいり混じって曖昧になる。

そして黙示録的な恐怖の幻想にかられた主人公は、神の救いのために、自分の全てを捧げる決心をして、自宅に火をつけて燃やしてしまう。

タルコフスキーは「西洋の文明は物質的進歩によって絶滅する」という信念があり、映画の最後で主人公に同じセリフを言わせる。この映画が作られたのはチェルノブイリの原発事故の頃で、黙示録的恐怖が現実のものになった時代だった。


2025年12月26日金曜日

スマホの無い一日


前回、「スマホはどこまで脳を壊すか」というスマホの害について書いた脳科学者の本を紹介したが、その中で著者自身が、まる一日完全にスマホなしで過ごすとどうなるかを実験をして、その結果を書いている。

その日は、車をドライブして、ある田舎のレストランへ行って食事をするという目的を決めた。スマホナビが使えないので事前に地図帳を持った。(そういえば昔は車のグローブボックスには必ず地図帳を入れていたものだ)そして途中で時々車を止めて地図帳で道を調べる。一直線に行けるナビと比べると、不便極まりない。しかも地図帳はページを移動することがあり、しかも続きが次のページにあるとは限らない。地図を見ることにも頭を使う。(これもあるあるだ)その代わり紙の地図からは、いろいろな情報を読み取れる。途中に何か面白そうなものを見つけて、寄り道をしたりすると、意外な面白いものに出会ったりする。効率一辺倒のナビにない良さだ。

目的地へ着いて写真を撮るのもスマホの代わりに持ってきたカメラで撮る。スマホにのっている ”インスタ映え” するお決まりの写真にとらわれることなく、オリジナルな写真が撮れる。

この経験をSNS にのせる時も、”自分の目” で見た ”自分の感想” を書ける。これもスマホを使わないことの良さだと実感したと著者は言う。

2025年12月25日木曜日

「スマホはどこまで脳を壊すか」

 Smartphone Idiot

スマホの使いすぎで「スマホ馬鹿」になるというのは、今や常識になっている。スマホ使用制限を法律で定めようとする国も増えてきた。スマホ依存になると、子供の場合は成績が悪くなり、大人の場合は認知症になりやすい。最近出た「スマホはどこまで脳を壊すか」という本で、脳科学者の著者が、スマホ依存の害を科学的に説いている。

脳の領域のなかで「前頭前野」という部分が、何かを考えたり、理解するような、「認知機能」を担当している。ところが、この前頭前野は加齢とともに萎縮しやすい。そのため、高齢者は認知機能がどんどん失われて、認知症になりやすいという。

脳の萎縮を防ぐには、脳の運動不足を防ぐこと、つまり「脳を使うこと」に尽きると著者は言う。ところがスマホを使うとき、手間をかけずに情報を得られるので、人間は「脳を使っていない」状態だという。そのことを以下のような実験で立証している。

ある難しい言葉を与えて、その意味を調べるという課題を、被験者を二つのグループに分けてやらせる。一つはスマホを使って調べるグループで、他方はスマホ以外の紙メディアを使って調べる。その間、脳波を測定して、脳の活動状況を調べる。するとスマホのグループは、スマホがすぐに答えを出してくれるから、人間の脳は全く働いていない。いっぽう紙のグループはあれこれ調べてそれらを総合して答えを出さなければならないので、脳は活発に活動する。

つまりスマホを使っている間、脳は寝ているのと同じ。だから、何かというとスマホに頼るスマホ依存の人は、脳の機能をスマホに「外注」しているようなものだという。著者は「ラクをするな、頭を使え!」と言っている。


2025年12月24日水曜日

ターナーの「死に神」

The Pale Rider

デューラー展にあった「4人の騎士」は、聖書の「ヨハネの黙示録」のビジョンを描いている。4人の騎士はそれぞれ、武器を持って馬に乗り、人間を襲っている。人間に厄災をもたらす恐ろしいものが現れるという、黙示録の予言を絵にしている。

4人のうちの、「蒼白い騎士」 (図左下の赤線)が「死に神」で、デューラーは、この絵を描く前に、「死に神」の習作スケッチを描いている。骸骨姿で人間を狩る大鎌を持ち、痩せこけた馬に乗っている。人間を倒した死に神は、次の獲物を狙っている。


デューラーが描いたこの「死に神」は、後々の時代まで多くの影響を与え、いろいろな画家が、さまざまな形の「死に神」を描いた。「黙示録---イメージの源泉」(岡田温司)にそのような作品を紹介しているが、19 世紀のターナーまでが「死に神」を描いたそうだ。それがこの「蒼白い馬に乗る死」という絵。ターナー独特の、モノと空気が溶け込んで、輪郭がはっきりしない絵だが、馬の背中に骸骨の「死に神」が仰向けに乗っている。右手の骨は虚空をつかもうとしている。


ターナーの絵はデューラーの近代版といっていいが、このような黙示録の「死のイメージ」は近代までずっと生き続けてきた。それは西洋の美術史の大きな底流のひとつになっている。

2025年12月23日火曜日

映画「地獄の黙示録」

「Apocalypse Now」

「黙示録---イメージの源泉」という本が出た。聖書の「黙示録」をイメージの源泉にした、古代から現代までの芸術作品を取り上げている。「黙示録」がいかに芸術の歴史に大きな影響を与えてきたかを知ることができる。また「黙示録」がいかに人間の想像力を掻き立てる源になってきたがわかる。

この本は絵画だけでなく、映画についても取り上げている。その一つがコッポラ監督の名作「地獄の黙示録」で、題名通りズバリ「黙示録」をテーマにしている。自分が見たのはずいぶん前だが、おどろおどろしく、狂気じみたイメージに溢れていて、強烈な印象が残っている。

映画は、ベトナム戦争を題材にしている。ストーリーはこんな感じだ。米軍の大佐が、軍から離脱して、ジャングルの奥深くに立てこもり、原住民たちを従えた王国を作り、その王になっている。大佐は原住民から崇められる神のような存在だ。いっぽう特殊部隊の大尉が、大佐の暗殺を軍から命じられ、川を下ってジャングルのなかの大佐の王国へたどり着く。そして二人は対決する。映画は、戦闘、転がる死体、轟音と死臭、拷問、生贄の儀式、などの地獄のようなシーンが続く。

黙示録のテーマとイメージに溢れたこの映画について、同書の著者 岡田温司氏はこう解説している。黙示録のテーマは、世界の「終末」と、その「再生」だが、この映画は、「終末」をもたらしている大佐と、世界の「再生」を目指している大尉との対決とらえることができるとしている。大佐は「偶像を崇めている邪教徒の巣に君臨する悪魔」というアンチキリストであり、大尉は大佐を殺して、救世主としての新たなキリストになろうとしている。

2025年12月22日月曜日

黙示録絵画の「4人の騎士」

  The Pale Rider in Four Horsemen

一昨日、「デューラー展」(国立西洋美術館)にあった「4人の騎士」について書いたが、その続きを。この絵で、4人の騎士が、人々を蹴散らしながら疾走している。4人は、世の中に災厄をもたらすものを表すシンボルになっている。

白い馬の騎士は「戦争」のシンボル。
赤い馬の騎士は「内乱」のシンボル。
黒い馬の騎士は「飢饉」のシンボル。
青白い馬の騎士は「死」のシンボル。

この「4人の騎士」のテーマは、中世から現代まで、繰り返し取り上げられてきた。だから、西洋美術史を理解するには、この「4人の騎士」について知ることが避けて通れない。

4人の中でも特に、「青白い馬の騎士」を主役にした絵画が多い。この絵の左下で、人を刺し殺す道具を持って、痩せた馬に乗っているヒゲの老人だ。

ルドンにもこの騎士をテーマにした絵がある。馬に乗った骸骨が長い棒を持って人を殺している。「・・・それに乗っている者の名前は『死』と言い」という題名の絵で、ズバリ「青白い馬の騎士」をテーマにしている。

この騎士は、英語で「Pale Rider」で、Paleとは「青白い」という意味で日本語の「蒼」にあたる。(「顔面蒼白」などいう言い方がある。)

日本に「蒼騎展」という絵画の公募展があるが、「蒼騎」も「青白い馬の騎士」からきている。こんなところにも、「青白い馬の騎士」の絵画への影響の大きさがわかる。(アマチュアの展覧会で、内容は名前と関係ないが)

2025年12月21日日曜日

水面反射の遠近法 モネとワイエス

Perspective of Reflection

モネの画集を見ていると、水辺の絵が多いこと気づく。そして、そこでの水面反射の描写がモネの魅力になっている。例えばこの絵は、画面を上下ピッタリ2分の1に分けて、上半分が森の木々で、下半分を木々の水面反射を描いている。早朝の波のない静かな川なので、鏡面反射して、完璧に上下反転している。こういう構図は珍しいが、モネが描きかったのは森そのものよりもむしろ川の反射の方だったことがわかる。



遠近法の解説書で、反射の遠近法について、こんな原理図が必ず出てくる。鏡の上に直方体があり、上下反転した直方体の像が鏡に映っている。そして直方体そのものと反射像は共通の消失点に収束する。いまさらの常識だが、モネの絵はそのとうりになっている。

モネの絵は森が水面と接しているから、原理図のとうりで簡単だが、下のワイエスのような例では難しくなる。建物が斜面の上にあり、水面と接しておらず、建物と反射像の間に地面が挟まっている。だから単純に上下反転できない。


このような場合、遠近法の解説書ではこんな図をあげている。左図はインク瓶が鏡の上に直接置いてある。右図ではインク瓶を持ち上げて鏡から離している。右図の場合、仮想の鏡面(点線)を想定して、それに対して上下反転して描かなければならない。

(図:Perspective Made Easy より)

2025年12月20日土曜日

デューラーの「4人の騎士」

 The Four Horsemen of the Apocalypse

「デューラー展」(国立西洋美術館)の作品で、最も有名なのが「4人の騎士」。聖書の「黙示録」に登場する4人の騎士が、人々を蹴散らしながら疾走している。4人は世の中に災厄をもたらすものを表すシンボルになっている。

白い馬の騎士は「戦争」のシンボル。
赤い馬の騎士は「内乱」のシンボル。
黒い馬の騎士は「飢饉」のシンボル。
青白い馬の騎士は「死」のシンボル。


デューラーの時代は、ペストや飢饉に苦しんでいた時代で、この世の終わり的雰囲気のなかで、「黙示録」が熱心に読まれたという。その時代背景でデューラーは黙示録をテーマにした「ヨハネの黙示録」シリーズを描いた。

そしてこのモチーフは、中世から現代まで、繰り返し描かれてきた。一例は「死の島」で有名な19 世紀のベックリンの作品。


2025年12月19日金曜日

デューラーの「メランコリア」と映画「メランコリア」

「MELANCOLIA」 

国立西洋美術館で開催中の「デューラー展」を観た。デューラーの3大書物といわれる「ヨハネの黙示録」「大受難伝」「聖母伝」のほぼ全点がそろっている。本でしか見ていなかった現物を見るのは初めてだ。ところが、なぜか一番見たかった「ヨハネの黙示録」のなかの一枚「メランコリア」だけがないのががっかりだった。


下がデューラーの最も有名な作品のひとつ「メランコリア」。女性が頬杖をついて憂いにふけっている。背中に羽根がついているのは天使の寓意で、知的な女性であること示している。手にコンパスを持っていて、足元には球や幾何形体などの物理学のシンボルが置かれていて、女性は天文学者なのだ。そして天には、惑星が光っていて、そばに惑星の名前「MELANCOLIA」という文字が示されている。天使の女性はやがて惑星が近づいてきて地球に衝突してこの世は終わることを知っている。そして鬱(メランコリー)になっている。聖書の「黙示録」はやがて地球が滅びて、人類はみな死ぬことを予言した終末の書だが、デューラーはそれを10 数枚の絵で視覚化した。この「メランコリア」はその一枚だ。



このデューラーの「メランコリア」にインスピレーションを得た映画が、ラース・フォン・トリアー監督の同名の映画「メランコリア」だ。この名作映画のストーリーは、こんな感じ。

主人公の女性は、優秀なコピーライターの知的な女性だが、結婚したばかりで結婚披露宴をやっている。ところがそのとき大変なことが起きている。惑星が地球に近づいていて、衝突しそうなのだ。しかしTVのニュースでは「惑星が地球に接近していましたが、どうやら軌道がずれて、地球との衝突は避けられそうです。」と言っている。パニックになっていた人々はそれを聞いて安堵する。ところが、主人公の女性は天文学の知識があって、その TVニュースは嘘だということを知っている。そして鬱の錯乱状態になっていき、新夫にも、披露宴に来ている友人や上司などにもわざと悪態をついたりして、自分の結婚披露宴をメチャメチャにしてしまう。どうせこの世が終わりになるのだからと、自分という人間も壊してしまうのだ。やがて惑星が刻々と近づいてきて天を覆うほどに巨大になる。女性と姉とその子供の3人は木の枝で作った形だけの”シェルター”に入って死を待つ。そして姉は恐怖に怯えているが、主人公の妹は平然としている。もともと地球は邪悪なものだから消えて無くなってもいいという心境なのだ。



以上のように、映画の「メランコリア」のストーリーは、デューラーの「メランコリア」と完全に一致していることがわかる。そしてデューラーの「メランコリア」は、聖書の「ヨハネの黙示録」に書かれている『松明のように燃える巨大な星が天から落ちてくる』を絵画によって視覚化している。この絵は「黙示録」の終末思想を最もよく表していている作品だ。

2025年12月18日木曜日

自殺を助ける AI

 Dangers of AI

アメリカの、悩みを抱えているある中学生が、自殺したいと思っていて、チャットGPT に相談した。するとAI は少年の気持ちに共感して、最後には自殺の方法や、遺書の書き方まで教えてあげた。そして少年はそのとうりに自殺してしまった。少年は、 AI が自分に親身に寄り添ってくれる唯一の親友のような気持ちになっていたという。

これと同様の事件が、欧米では増えているという。 AI が自殺幇助罪をやっているようなものだ。AI はユーザーが気に入るような答えをするだけで、倫理的にどうとかは関係ない。これも AI というものが根本的に持っている危険性のひとつだ。


2025年12月17日水曜日

フェルメールの絵のディテール

 Vermeer's Camera

フェルメールの「信仰の寓意」という絵で、女性の頭の上に、ミラーボールのような球の鏡が吊り下がっているのが見える。この球面に部屋の状態が反射している。

フェルメールの絵について詳細な研究をしている「フェルメールのカメラ  光と空間の謎を解く」という本は、フェルメールのアトリエの形を遠近法から割り出して、その実物大の模型を作って部屋を再現し、それを写真に撮り、絵と比べるという実験を行なっている。そのことによってフェルメールの絵がいかに遠近法的に正しいかを立証している。

この絵の場合も、実物大模型の部屋の中に家具などとともに球の鏡も配して写真を撮り、鏡に反射した像の正確さを調べている。その結果が下図で、上はフェルメールの絵で、下は写真だが、完全に一致している。フェルメールがいかに細部まで正確に描いているかがわかる。


なおこの「フェルメールのカメラ  光と空間の謎を解く」という本の著者はイギリスの建築家で、フェルメールの絵を美術的というより科学的に研究している面白い本で、以前に紹介をしているので参考まで。→ https://saitotomonaga.blogspot.com/search?q=フェルメールのカメラ


2025年12月16日火曜日

終末の絵画 5選

Apocalyptic painting

前々回、終末の映画を紹介したが、今回は映画ではなく、終末の絵画を紹介。「終末論」は西洋文化の根幹をなす思想だから、美術の分野でも無数といっていいほどたくさんの終末絵画の名作が ある。多くは、大洪水や大地震などの天変地異と、のたうちまわる人間を描いている。それらの中から個人的に好きなものを 5 つだけ選んだ。


モンス・デジデリオ 「トロイアの炎上」 

モンス・デジデリオは、17 世紀のイタリアの画家で、古代都市が崩壊し廃墟になる瞬間を描いた。この絵は、古代ギリシャがトロイア王国と戦争をして滅ぼしたという神話をもとにしている。街が炎上して、人々が逃げまどっている光景を生々しく描いている。



ファブリツィオ・クレリチ 「ローマの眠り」

20 世紀のイタリアの画家で、さまざまな廃墟の絵で「没落」のビジョンを描いた。この絵は、廃墟となった古代ローマの邸宅の室内を描いている。かつて栄華を誇ったローマ文明が没落して、人間のいなくなった無人の室内だ。



ジョン・マーチン 「神の大いなる怒りの日」

19 世紀イギリスのジョン・マーチンは、さまざまな終末の絵を描いた。この絵は「大地震が起きて、山も島も無くなる」という聖書の黙示録の物語を劇的に描いている。巨大な岩が転げ落ちていて、画面下の方に恐怖に怯えている人間が描かれている。世界の終焉のビジョンだ。



ウィリアム・ブレイク 「巨大な赤い龍と太陽の衣をまとった女」

ウィリアム・ブレイクは19 世紀イギリスの幻想画家悪魔(サタン)である巨大な赤い龍が、女が産んだ子を食う、という「ヨハネの黙示録」の物語を絵にしている。グロテスクな妖怪の足元に女性が横たわっていて、妖怪は子供が生まれるのを待っている。



ズジスワフ・ベクシンスキー 

ベクシンスキーは「終焉の画家」と呼ばれるポーランドの現代画家。「死」や「絶望」や「終焉」といったテーマで、不気味で幻想的な絵を描いた。若い頃の残虐な戦争の経験が影響しているという。これは、はり付けになった人間が骸骨になって朽ちている残酷な絵だ。




2025年12月15日月曜日

各国で広がる16 歳未満の SNS 禁止

 Banning social media 

多くの国で、16 歳未満の SNS 禁止の法制化を進めているという新聞報道があった。日本でも、愛知県豊明市が子供の SNS 使用を制限する条例を制定した。多くの国は法律の適用範囲を「16 歳未満」としている。「16 歳未満」とはつまり「中学生以下」ということだ。中学生くらいだと、 SNS の情報をなんでもまに受けてしまう。SNS にあふれている、どうでもいい情報や、うわべだけの情報や、偏った情報や、間違った情報などを、そうとは判断できずに信じてしまう。子供たちが SNS の情報だけで分かったつもりになって、それ以上のことを自分の頭で考えなくなることが問題だ。

もっとも、 SNS の情報をありがたがって、そのまま真に受けてしまう「SNS 依存症」の大人が多いのも問題だが。


2025年12月14日日曜日

「終末映画」3選

Apocalyptic Movies

前回、「終末映画」のひとつ「レフト・ビハインド」について書いたが、今回はさらに3つの終末映画を紹介する。「終末」とは聖書の「黙示録」の思想で、やがて大惨事が起きて人類は滅亡して、この世は終わるという予言の書だ。終末映画は、その大惨事をさまざまな設定にしている。以下の3つはそれぞれ「核戦争」「パンデミック」「気候変動」という現代的な題材で終末の舞台設定をしている。そして終末思想の重要な点は、悲惨で絶望的なこの世が終わっても、その後に新たな素晴らしい世界が再出発するだろうという希望の物語でもある。「終末映画」のストーリーは、そのような聖書の物語に沿っている。


「ザ・ウォーカー」

題名の「歩く人」のとうり、主人公の男は最初から最後までひたすら歩き続ける。そこは核戦争で壊滅した廃墟の世界で、人間の文明は崩壊している。生き残ったわずかの人間は、略奪や強盗や殺人をやっている無法の世界だ。その闇の世界を牛耳っている男がいて、「歩く人」が 持っている持ち物を奪おうとする。しかし「歩く人」は強く、あらゆる攻撃をはねのけて持ち物を守る。しかし持ち物が何かを映画は最後まで明かさない。

最後の最後に着いた男の目的地は、生き残ったわずかの人たちが文明社会を再建しようと作っている図書館だった。そして男が持ってきたのは一冊の本で、それを本棚にそっと置く。カメラがその本のタイトルをクローズアップで映すと、それは「HOLY BIBLE」だった。それは地球上でただ一冊だけ残っていた「聖書」だったのだ。滅亡した世界を再建するのは聖書の力だというメッセージの映画だ。


「アイ・アム・レジェンド」

ウィルスが突然変異して強力になり、地球上の人口の9割が感染して死滅してしまう。残りの人間は凶暴な人食いゾンビになっている。荒廃した無人のニューヨークに生き残った主人公の科学者は必死に血清の開発をやっている。やがて血清の開発に成功するが、そのときゾンビ軍団に襲われる。男は血清を守るために、手榴弾でゾンビもろとも自爆してしまう。そしてその直前に大事な血清のサンプルをもう一人の女性の生存者に託す。

女性は、ニューヨークから避難した人たちの住むコロニーへ託された血清を届ける。村には大きな教会があり、外部の人間の侵入を防ぐために、銃を持った兵士が警戒している。そして星条旗が掲げられている。この映像は、アメリカを守るのは「軍隊」という政治権力と結びついた「教会」だ、というキリスト教原理主義者のメッセージを表している。そして人類のために命を捧げた主人公の科学者を、救世主(メシア)として讃えている。


「ノウイング」

主人公の少女の祖母が子供の頃に埋めたタイムカプセルを開けてみると、無数に書き連ねた暗号のような数字が出てくる。それを宇宙物理学者が読み解く。例えば「911012996」はアメリカ同時多発テロの日付と犠牲者数だった。他の数字も過去の天災や人災と一致していることが判明する。そして今後起こるであろう大惨事の予言の数字も含まれている。そして予言どうりの日に本当に大惨事が起こる。巨大な太陽フレアによるオゾン層破壊が原因で超高温になり、地球は大火災で焼き尽くされていく。人類滅亡の危機になったとき、異星人が宇宙船に乗ってくる。異星人は男女二人の子供を選んで宇宙船に乗せて連れ去る。

ラストで、二人が天国で幸せそうに遊んでいるシーンで終わる。この二人は聖書の物語にある、「携挙」で神に選ばれた人間に当たる。そして二人はやがて結婚して、新しい人類世界を樹立することを暗示している。


なお、終末論や終末映画については、以下の本が参考になる。
 「映画と黙示録」 岡田温司
 「アメリカ映画とキリスト教」 木谷佳楠
 「ハリウッド映画と聖書」 アデル・ラインハルツ

2025年12月13日土曜日

映画「レフト・ビハインド」と終末論

「Left Behind」

前回「福音派 - 終末論に引き裂かれるアメリカ社会」という本について書いたが、その本は、映画「レフト・ビハインド」について触れている。この「Left Behind」という題名は「後に取り残された者」という意味で、聖書の思想の根本である「終末論」に基づいている。本では、この映画が、聖書を絶対とする福音派がアメリカで勢力を伸ばしたきっかけの一つだったとしている。

ストーリーはだいたいこんな感じだ。 旅客機がエンジンの故障で火を吹き、乗客は墜落して死ぬことを覚悟する。しかし飛行機は墜落せずに出発した空港に引き返せた。ところが到着するとなぜか乗客全員が消えていた。しかしただ一人の男だけが生き残っていた。彼以外の乗客たちは、キリスト教の熱心な信者だったのに対して、男だけがまったく信仰心がない人間だった・・・

我々日本人にはこの映画の意味がわかりにくい。善い人が皆いなくなったのに、なぜ神様を信じない者だけが生き残ったのか、と不思議に思う。しかしアメリカ人はこれを見てすぐに映画が言いたいことの意味を理解する。これは聖書の重要な思想である「終末論」の考え方によっているからだ。飛行機が墜落して全員が死ぬのは聖書の言う「終末」に当たり、地獄に落ちるような無惨な死に方をする前に、神様が信仰深い人だけを天国に招くのは、聖書の言う「携挙」に当たる。「携挙」とは、助かる者と助からない者の選別をすることで、この男にように「携挙」されなかった人間は、地獄行きになる。しかしたまたま飛行機が墜落しなかったので、男は生き残っただけなのだ。

聖書の「終末論」は、やがて大惨事が起きて、人類は滅亡するという予言の書だが、聖書を絶対とする「福音派」の信者をはじめ、アメリカ人はこの予言を信じる人が圧倒的に多い。この映画は、ちょうど 9.11. のテロ事件と同じ時期だったので、火を吹く旅客機の映画のシーンと、イスラム教徒が貿易センタービルに突入したニュースの映像とが重なって、聖書が予言するこの世の終わりが現実に起こったというリアリティをアメリカ人は感じた。


2025年12月12日金曜日

福音派

 Evangelical

いまのトランプ大統領の政治はメチャクチャのように見えて理解不能だが、最近出た「福音派 - 終末論に引き裂かれるアメリカ社会」という本を読むと、そのわけがよく理解できる。題名のとおり、いま絶大な影響力を誇るアメリカの宗教団体「福音派」が勢力を伸ばし、単なる宗教の会派を超えて、巨大な政治勢力になっていること解明している。

「福音派」は、トランプ大統領の最大の岩盤支持層だから、トランプ大統領の政策も「福音派」の思想を忠実に実行している。人種差別政策や、排外主義政策や、反イスラム・親イスラエル政策などにそれが表れている。

「福音派」の思想は、聖書の教義を忠実に守ることにある。異教徒の攻撃によって、自分たちキリスト教徒が危機に直面するという聖書の「終末論」を信じている。だから異教徒の敵と闘い、打ち勝って神に約束された自分たちの土地を守るべし、という聖書の教えを信じる思想だ。それが上記のようなトランプ大統領の政策に反映されている。

このような「福音派」の極右的な思想が、トランプの「アメリカファースト」のナショナリズと結びついた結果、現在のような分断国家アメリカを生んだ、というのがこの本の趣旨で、題名の「福音派 - 終末論に引き裂かれるアメリカ社会」はそのことを指している。


2025年12月11日木曜日

電柱は犬の SNS?

 

ある人が面白いことを言っていた。「電柱は犬の SNS だ」。犬は散歩の途中で電柱があると必ず匂いを嗅ぐ。匂いで犬友と情報交換をして、自分も「いいね」のシャーをする。だから犬にとって電柱は、人間の SNS と同じというわけだ。

これを言った人、もしかしたら本当は逆に、こう言いたかったのかもしれない。「人間の SNS なんて、犬の電柱みたいなものだ」😅


2025年12月10日水曜日

よくお勉強する国会議員

 Election

今の国会、いろいろと話題が多くて盛り上がっているようだが、それで今夏の参院選のことを思い出した。候補者が街頭演説をやっていると、ヒマな年寄りなので熱心に聞く。演説が終わると、候補者が聴衆一人ひとりに握手を求めてくる。

自分もニコニコして握手をしながら質問する。「いま、物価高で苦しむ国民のために消費税減税をするとおっしゃってましたが、社会保障費 100 兆円の財源はほとんどが消費税ですよね。だから消費税減税をすると年金支給額も減ってしまうんじゃないですか? 私は年金生活者だけど、どうしてくれるんですか?」と聞いてみる。イヤミな年寄りだと思われるのはわかっているが、候補者のレベルを見極めることができる。

そのなかで、とんでもなく面白かったのがこの答えだった。「エーとあのー、それはですね、エーとエーと、いま党内で勉強会を開いて勉強しているところです。」 これには思わず「はぁ?」と絶句してしまった。

ちなみにこの候補者は当選したから、今の国会に出ているはずだが、お勉強は済んだだろうか?


2025年12月9日火曜日

AI のバイアス

AI bias 

 AI の普及で最近、企業が学生の採用にまで AI を使い始めていて、学生がオンラインで AI の面接を受けている。人間が面接すると、例えば女性の場合、容姿が評価に影響するなどの偏見が生じやすい。しかしAI が面接すれば、そういうことがなく、公正・公平な評価ができるというのが AI を使う理由になっている。しかし本当にそうなのか多くの疑問が指摘されている。

そもそも AI は人間が作ったデータベースを学習して、それをもとに物事を判断する。だから、データベース自体に人間の偏見がまぎれこんでいると AI もそれを学習して偏見のある判断をする。アメリカのある企業が求職者の採用の AI アプリを開発したが、年齢や性別や人種などに対する、人間の偏見の影響を取り除けなかったという。

だいたい以上のようなことを半年ほど前に書いた。(「AI が面接?」2025. 5. 1.)→ https://saitotomonaga.blogspot.com/2025/05/ai.html


先日、この問題について、人間の偏見(バイアス)が AI の判断に入り込まないようにするデータベースをソニーが開発したという報道(日経新聞、12 / 3)があった。従来は例えば女性の写真を AI に見せて、「この人の職業は何?」と尋ねると、その顔がおばさんぽかったりすると「主婦」と答える。「主婦」のイメージに対する人間の固定観念が AI に反映しているからだ。この新しいデータベースでは、「主婦」の写真を、人種・性別・年齢・容姿などの偏りなく収集して、 AI が偏見を持たないようにしている。それを「脱バイアス」のデータベースと呼んでいる。



2025年12月8日月曜日

一点透視の ”崩し方”

 Convergence of one-point perspective

「How to Use Creative Perspective」という本は、題名からもわかるように、上級者向けの遠近法の解説書で、遠近法の基本を教えるというよりも、その応用のしかたについて書いている実践的な本だ。

前回、ゴッホの「アルルの寝室」の遠近法について書いたが、それにピッタリ該当することがこの本にのっている。下図のような、室内を一点透視で描いた絵で、ゴッホと同じように遠近法を”崩す”描き方について書いている。


上の図は、一点透視のルールどうりで、正面の壁が垂直水平の長方形になっている。消失点は正面の壁の中央あたりにある。

中の図は、見る人の視点をやや右にずらしている。そのため正面の壁が台形になっている。だから壁の上と下のラインは左側に向かって収束(convergence)していて、画面の左のはるか外にもう一つの消失点が生じている。だから一点透視でなくなっている。一点透視のルールからはずれているが、しかしそのことによって絵に動きが生じ、ルールどうりで静的な上図に比べて、絵として面白くなる。まさにゴッホがやったことだ。

下の図は、左方向への収束を強くしすぎた悪い例で、あちこちのスケール感が狂ってしまっている。例えば右側の家具が女性よりも大きくなってしまっている。それは一番上の図と比べるとよくわかる。

2025年12月7日日曜日

ゴッホの「アルルの寝室」の遠近法

Van Gogh's Bedroom

ゴッホは親友のゴーギャンとしばらく同居していたが、その頃、部屋の様子を描いたのが「アルルの寝室」だ。そしてゴッホは、同居を始める前にあらかじめゴーギャンに出した手紙にスケッチを添えて、部屋の感じを知らせている。



この2つを遠近法の観点から比較すると面白いことがわかる。スケッチの方は厳密に1点透視で描かれているが、絵の方は同じく1点透視でありながら、ルールどおりでなく、すこし変形して描いている。そのことを確かめてみたら下図のようになった。


右図のスケッチの方は、正面の壁とベッドが垂直水平の長方形になっていて、1点透視として正しく描かれている。左図の絵の方は、壁とベッドが傾いている。つまり壁の上下のラインとベッドの上下のラインは、ともに収束(converge)していて、画面の外の遥か右にもう一つの消失点が生じている。つまり1
点透視ではなくなっている。ゴッホはなぜこうしたのか? 

部屋の左の壁は狭く描かれているのに対して、右の壁は広いから、ゴッホは部屋の左寄りから描いていることがわかる。そうすると部屋の右の方は左に比べて距離が遠くなる。だから正面の壁やベッドに収束が生じる。特にこの部屋は狭そうなので、左右の距離の差が大きくなる。それで絵の方にはもう一つの消失点が生まれている。そしてその方がスケッチより自然に見える。