2025年9月6日土曜日

映画「おもいでの夏」(「Summer of '42」)

 Summer of '42

前回、生まれた年の1942 年の出来事をもとにした映画3つを紹介したが、追加でもうひとつ「おもいでの夏」をあげる。原題が「Summer of  '42」で、自分の生まれた年が題名になっていているためもあり、この映画には強い印象が残っている。ある作家の回想録をもとにした映画で、思春期の少年の甘く切ない思い出の物語だ。なぜ 「'42 」なのかは、すでに第二次世界大戦が始まっていて、戦争が落とす影がストーリーの重要な軸になっているためだ。

ひと夏、ある島に一家と避暑にやってきた少年が、仲間の”悪ガキ”たち3人でいつも遊んでいる。ある日、島の先端の家に住んでいる若い夫婦を見かける。新婚らしい二人は幸せそうだ。しかしやがて、夫は招集されてヨーロッパ戦線に送られる。少年はひとり残された美しい女性に憧れを抱き、親しくなっていく・・・

・・・ラストで、いつものように少年が女性の家を訪れると、女性の姿が見えない。するとテーブルの上に置いてある電報が目にとまる。夫が戦死したという陸軍省からの知らせだった・・・

ミッシェル・ルグランのテーマ曲は、今でも映画音楽の名曲としてよく耳にするが、聴くたびに映画のシーが目に浮かんでくる。


2025年9月4日木曜日

今年は「昭和 100 年」 自分が生まれた年の歴史を映画で知る


今年は「昭和 100 年」ということで、昭和を振り返る企画がたくさん行われている。なかでも産経新聞の「プレイバック100 年」は、昭和生まれの有名人たちが自分の生まれた年の出来事を調べて、それをつないでいくことで、昭和の歴史を浮かび上がらせる、という企画で、面白かった。それで自分でも生まれた年の出来事を調べてみた。

昭和 17 年(1942 年)の出来事
 ・日本軍、マニラを占領
 ・日本軍、シンガポールを陥落
 ・大日本婦人会発足
 ・アメリカ大統領が、日系人の強制収容を命令
 ・食料管理法制定、米が配給制になる
 ・東京に初空襲
 ・ミッドウェー海戦で日本軍敗北
 ・日本軍、ガダルカナル島から撤退

戦中なので戦争関係の事項ばかりだが、当時は誰もがウソだらけの「大本営発表」でしか戦争を知らなかった。歴史の真実を知るには映画がいちばんいい。ということで上記の 1942 年の出来事のうちの3つを題材にした映画を紹介する。(これらは現在でも DVD で観ることができる)



⚫︎ミッドウェー海戦で日本軍敗北 「ミッドウェー海戦」

1942 年のミッドウェー海戦は、真珠湾攻撃以来、連戦連勝だった日本軍が敗戦への坂を転げ落ちていく始まりだった。よく知られているように、すでにアメリカは日本の暗号を解読していたので、日本軍の作戦が筒抜けになっていた。それでアメリカ艦隊がミッドウェーで待ち伏せして、日本艦隊を壊滅させた。しかし日本の「大本営発表」では日本の大勝利ということになっていた。

その戦いを記録したのが、ジョン・フォード監督の「ミッドウェー海戦」だ。従軍して戦争記録映画を撮っていたフォード監督が、ミッドウェー海戦を撮った実写映像だから迫力がある。フォード自身も被弾して負傷したが撮り続けたという。その年 1942 年にすぐに公開されて、アメリカ人の戦意高揚に役立った。


⚫︎東京空襲が始まる 「東京空襲 30 秒」

上記ミッドウェー海戦の大惨敗で、日本は太平洋の制海権と制空権を失った。この年に東京空襲が始まったのも、そのためだった。その後アメリカは「飛び石作戦」で次々と太平洋の島々を奪って日本に近づいていく。1942 年の時点ではまだ日本から遠かったが、ドゥーリトル中佐の爆撃隊が初の東京空襲を試みた。

その再現ドラマが、「東京空襲 30 秒」だった。ガソリンは満タンでも片道分しかないが、爆撃後は中国に不時着する計画だ。そして空襲は成功し、東京・横浜・川崎などに打撃を与えた。当時中国はアメリカの同盟国だったので、計画通り中国に不時着した乗組員は、中国人に助けられ、無事にアメリカに帰還できた。映画は戦中の1944 年に公開された。


⚫︎アメリカで日系人の強制収容が始まる 「愛と哀しみの旅路」

真珠湾攻撃の時、ハワイに住む日系人が、真珠湾のアメリカ艦隊の動静を日本に通報していたとされていた。日系人は敵性外国人とされ、 1942 年にルーズベルト大統領は日系人の強制収容の命令を出す。日系人は全て拘束されて、アリゾナの砂漠地帯の収容所に送られた。

「愛と哀しみの旅路」は、収容所送りになった日系人女性の悲劇を描いている。LA のリトルトーキョーで働いていた主人公は、差別を受けている。そして白人の夫と引き離され、収容所に送られる。この映画で、今でもほとんど知られていない収容所の過酷な実態を見ることができる。ただしこの映画は、すでにアメリカ政府が強制収容は誤りだったと認めた後の1990 年制作なので、日本人の側に立った映画になっている。


2025年9月2日火曜日

「防災の日」の政府防災会議

 Disaster Prevention Day

昨日9月1日は「防災の日」だった。例年どうりこの日には、首相以下全閣僚が危機対応の訓練をする「総合防災会議」が行われ、その様子が TV で報じられていた。

しかしこの会議は、全員防災服を着ている儀式的なパーフォーマンスで、緊迫感などまったくない。そのことをある官僚が暴露していた。この会議のシナリオは官僚が作っていて、誰がどういう順番で、何を発言するかがも全て決まっていて、その台本どうりにペーパーを読んでいるだけなのだという。(写真でも全員がペーパーを眺めている)まず首相が「全力で被害状況を把握して、住民の安全を最優先に、政府一丸となって対応にあたるように・・」的なお決まりの訓示を垂れる・・・

この防災会議は、福島原発事故のわずか1ヶ月前にも開かれていた。その時もおざなりな台本朗読方式だったから、全員がその訓練のことなど頭に何も残っていない。だから事故が実際に起きて、首相以下全員どうしていいか分からず右往左往した。

特に住民の避難指示がひどかった。事前の訓練会議で、すでに住民避難のさせ方についてレクチャーされていた。この地域の風向きが南東からなので、放射能は北西の方向へ広がっていく。だから北西方向の 30 km の範囲の住民を避難させなければならないとしていた。ところが実際に出された避難指示は、原発から半径 10 km の同心円を描いただけの範囲だった。そして官房長官は連日 TV で「健康被害の心配はありません」と言い続けた。そして教わったとうりの避難区域に訂正したのが一週間後だった。その間、被害状況は悪化し続けた。ちなみにこの時政府が言い訳けに使った「想定外」は、政府のバカさ加減を表す言葉として、当時流行語になった。