2026年5月31日日曜日

下岡蓮杖の「横浜写真」事始め

The Origin of Yokohama=photo 

前回に続いて、「横浜写真」についてもっと知りたいと思い資料を探していたら、「大江戸庶民事情」(石川英輔)という本に、横浜写真の開祖.下岡蓮杖についてマニアックなまでに詳しい記述があった。下岡蓮杖についての資料はほとんど残っていないため、詳しいことがわかっていないが、著者はさまざまな推理を働かせている。

当時の写真術は「コロジオン湿板法」といい、ガラスの上に液状の感光材料を塗り、それをカメラにセットして撮る。この観光材料は蒸発しやすく、乾燥すると感光しなくなる。出来たての濡れているうちに撮影しなければならないやっかいなものだった。蓮杖はその感光材料を作る作業を、野毛の田んぼの真ん中にある掘立小屋でやっていた。

感光材料の開発に成功した蓮杖は、商業写真に利用するために撮影スタジオを作ることにするが、田んぼの真ん中の不便なところにあっては客が来ない。しかし乾燥しないうちに短時間で感光材料を運べるように、外国人居留地に近いところでなければならない。その条件を満たす場所として、大岡川の都橋のすぐのところ、今の野毛一丁目に蓮杖の写真館があったと著者は推定をしている。

著者がそれを割り出したのは、「横浜御開地明細之図」という野毛のあたりを描いた古地図からだ。「大岡川」「のげむら」「いせ山」などの地名が読める。

しかしそれでも野毛では経営が苦しくなった蓮杖は野毛の店をたたみ、関内の馬車道へ移る。すると外国人の客がたくさん来て、写真館としての経営が軌道にのる。さらに翌年には本町にもスタジオを新設し、馬車道の方は支店として弟子に任せたという。現在、蓮杖の記念碑が馬車道にあるのはそのためだ。


2026年5月30日土曜日

「横浜写真」の始まりと発展

 YOKOHAMA-photo

横浜が開港した江戸時代末期に、横浜で日本初の写真師. 下村蓮杖が初めて写真館を開いたので、横浜は「写真発祥の地」と呼ばれている。そして横浜には数多くの写真館が開設され、外国人観光客相手の土産用の写真で商売繁盛した。それらの写真は「横浜写真」と呼ばれた。

「ドイツにおける<日本=像>  」というドイツ人が書いた本は、西欧人が抱いている日本のイメージが出来上がってきた歴史を研究しているが、その中に写真が重要な役割を果たしていたことを書いている。そして「横浜写真」の始まりからその後の発展に至るまでの歴史について詳述している。

1871年に「乾板方式」がイギリス人によってもたらされ、写真製作が一段と容易になり、全国の開港場で商業写真を撮る写真館が開設されていった。とりわけ横浜では日本人写真師による写真館が数多く開業し、その写真は「横浜写真」と呼ばれた。それは明治なっても続いていく。

「横浜写真」は外国人の日本土産用の写真で、いかにも日本らしい日本の風景や風俗をモチーフにしていた。名所の風景や都市・農村の光景や、職人や人力車夫や家事をする主婦などの日本人の風俗などだった。それはヨーロッパ人が持っている「旧き日本」のイメージを求める西洋人の需要に応える写真だった。

当時は長時間露光が必要だったため、屋外で撮ることは絶対になく、スタジオ内で撮られた。「書割」という手描きの背景画の前でモデルがポーズをとる。この「日本の農夫」という写真では、丸い編笠を被り、稲藁で作った蓑に草履を履いて、床に白粉を撒いた雪を踏み締めて歩く姿のモデルを撮っている。背景は布に描いた雪景を使っている。

明治初めに横浜写真は黄金期を迎えるが、最も人気のあったモチーフは着物を着た女性だった。この例は、昆虫を売る虫売りの屋台とそこに3人の若い娘がポーズをとっている。田舎風の情景は書割りで、床には布が敷いてある。



日本の商業写真の特徴は印画紙の写真に色を施す手彩色だった。明治なって失業した浮世絵の刷り師たちがこの新しい仕事に従事した。まるでカラー写真のように見える名人芸的手法は日本独自の手法として発展していき、西洋人の人気を博した。右の「鼓を打つ芸奴」は横浜写真の名手だった玉村康三郎の作。

これらの写真は西洋に日本のイメージを伝える役割を果たしたが、写真が、ヨーロッパの出版物の挿絵の下絵として使われることもあった。下の「若い日本女性」という例では、二人の女性が寝ている姿の写真をそっくりイラストに使っている。



横浜写真が終わりを告げるのは、20世紀初めに日露戦争で日本が勝利した時だったという。横浜写真に撮られていた日本のイメージが現実の日本の姿でなく、幻想だったことが知られてしまったのだ。

2026年5月29日金曜日

「名所図会」での各地名産品の解説

Local specialty product

江戸時代の観光ガイドブック「名所図会」には、名所旧跡だけでなく、それぞれの地における人々の暮らしぶりや仕事などが描かれている。文章の説明はあまりなく、絵による視覚情報がほとんどだった。絵師たちは必ず現場で取材しスケッチをしたので、現場の雰囲気がリアルに伝わってくる。その中で各地の名産品を作っている製造工程を説明している絵がたくさんある。細部まで克明に描いているので文章説明なしでもよく理解できる。(図は「江戸の旅  名所図絵の世界」(深光富士男)から)


⚫︎「浅草海苔」:「江戸名所図会」
江戸中期には、海苔の養殖技術が発達して、大森や品川の海で量産体制が確立されていた。江戸の海苔は「浅草海苔」というブランド名で、人気商品として広く流通した。 この絵は海苔の製造工程を克明に描いている。左上で海の中に木の枝が立っているが、これは海苔の種を付着させて育てるもの。左には男が海で取ったばかりの海苔をカゴで運んでいる。中央下では男が海苔を包丁で細かく刻んでいる。その向こうでは海苔を漉いて、干している。右下の屋内ではパートのおばさんらしき女性が、出荷の梱包をしているようだ。左中央は看板のある店舗になっていて、製造直売店になっている。奥の座敷で家族とお茶を飲んでくつろいでいる男は社長だろう。従業員に仕事を任せて余裕の表情だ。


⚫︎「高野豆腐」:「紀伊国名所図絵」
高野豆腐はもともと氷豆腐と呼ばれ、寒中に豆腐を屋外で凍らせ、乾燥させる食品だ。高野山の僧が作り始めたので、高野豆腐と呼ばれるようになった。高野豆腐作りの一連の工程を目で追えるように見せている。


⚫︎「獣皮販売」:「木曽路名所図会」
木曽の山中では、熊、猪、鹿などの狩猟が盛んだった。木曽路沿いに獣の皮を売る店が連ねている。獣の毛皮が軒下に吊るされ、店先に獣の足が無造作に置かれている。生捕りにした熊を檻に入れて展示している店もある。左の店では、熊の胆嚢を乾燥させて作った熊担(くまのい)を店主が客に勧めている。


2026年5月28日木曜日

江戸時代の旅のグルメガイド

Gourmet Guide 

江戸時代に各地の観光ガイドブック「名所図会」がたくさん出版されたが、今の観光ガイドがグルメ情報を満載しているように、当時の「名所図絵」も美味しい店をたくさん紹介している。「名所図会」の研究書『江戸の旅  名所図絵の世界』(深光富士男)からいくつかを紹介する。

関西地方の観光ガイド「摂津名所図絵」に、大阪にある「すな場」という名前の蕎麦屋が出てくる。大規模な店で、客がいっぱいで繁盛している。庭に縁台のようなものがたくさん並んでいて。客はその上で蕎麦を食べている。店内では蕎麦を打ったり、茹でたりしているたくさんの職人が忙しく働いている。女性の店員が縁台の客へ蕎麦を運んでいる。


この場所は現在の大阪市西区新町で、豊臣秀吉が大阪城を築く際に、資材の砂が置かれていた「砂場」だった。たくさんの土木工事関係者が働いていたので、彼らの食事用に蕎麦屋が営業していた。砂場の店なので店名も「砂場」と呼ばれるようになった。今でもあちこちに「砂場」という名前の蕎麦屋を見かけるがそのルーツだった。


「東海道名所図会」にでてくる東海道五十三次のひとつ草津宿の餅を食べさせる店。旅人の楽しみといえば、休み処で一服し名物を食べること。ここは「うばもち」という餅の店で、うまいと評判の店だった。手前の東海道に面している店で旅人が餅を食べている。奥の座敷では武士の一行が庭を眺めながらくつろいでいる。



これらの例でわかるように、「名所図会」は庶民の姿を写実的にいきいきと描いている。絵の細部を隅々まで見ていると飽きない。現在の観光ガイドのような通り一遍の内容とは違って、絵師が徹底的に現地取材している。その点、まるでミシュランなみだ。

「東海道五十三次」の広重はいくつかの作品で、自身で現地へ行かず「名所図会」を参考にして描いていたことが現在の研究でわかっているという。この「草津宿」もそうで、上の「名所図会」の「草津宿」を参考にして建物の形などを描いている。しかし、「名所図会」では俯瞰する2点透視図のダイナミックな構図だが、広重は建物を正面から見る斜投影図で、ダイナミックさがない。人々の表情もあまり生き生きと描かれていない。



2026年5月27日水曜日

「Make America Great Again」レーガンとトランプ

「Make America Great Again」 Reagan & Trump

前回、ケネディ暗殺事件について書いたが、ついでにもうひとつ1980 年のレーガン大統領の暗殺未遂事件について面白い話がある。以下は「大統領とハリウッド」(村田晃嗣)より。

レーガンは演説会場のホテルを出た瞬間、至近距離から銃撃された。胸を撃たれて重傷を負い、多量の出血でシャツは真っ赤になっていた。しかし病院に搬送されると、なんとズボンのシワを伸ばし、ジャケットのボタンを止めてスックと立ち上がった。そして救患用入口へ自力で歩いて行った。しかし病院に入った瞬間に崩れ落ちて、意識不明になった。ところが病室に入ると意識を取り戻す。そして患者の手を握る女性看護師に「ナンシー(妻)には内緒だよ」とつぶやいたそうだ。

生死の境にあってもレーガンは、ユーモアを失わなかった。まるで映画のエピソードのように自らを演出した。レーガンは元ハリウッド俳優で、勧善懲悪的な B級映画で強い男を演じていたが、その自分のイメージどうりに演じた。 これによって大統領としての人気を確立した。

そのマッチョな「強い大統領」のイメージを利用して、「強いアメリカ」の威信をとりもどうそうとする、「Make America Great Again」を掲げた。

つまり今、トランプ大統領が掲げる「Make America Great Again」はレーガンの焼き直しなのだ。そしてトランプが銃撃を受けた時、立ち上がって拳を振り上げて「強い大統領」を演じたのもレーガンを真似している。


2026年5月26日火曜日

アメリカ大統領の暗殺

 Presidential Assassination

先日のニュースで、トランプ大統領の3回目の銃撃事件がまたあった。アメリカ史上、暗殺された大統領はリンカーやケネディなど4人いて、暗殺未遂事件があった大統領は、レーガン、ブッシュの2人だそうだ。

この6人には共通したことがある。それは大統領に就任した年が 20 で割り切れること。それぞれの就任式の年を調べてみると。
 1860 リンカーン(暗殺)
 1880 ガオフィールド(暗殺)
 1900 マッキンリー(暗殺)
 1960 ケネディ(暗殺)
 1980 レーガン(未遂)
 2000 ブッシュ(未遂)

見事に合っているが、このジンクスを「テカムセの呪い」というそうだ。ではトランプ大統領の就任はどうかというと、1期目が 2016 年で、2期目が 2024 年だから、暗殺で死ぬことはなさそうだ。


以上は雑学的知識だが、この中のケネディ大統領暗殺は思い出がある。ケネディが暗殺されたのは 1963 年だが、この年は TV の衛星中継が始まった年だった。始まるその日、TVをつけて待っていると中継放送が始まったが、いきなり映し出されたのがケネディが撃たれるシーンだった。あまりにぴったりのタイミングだったので一瞬ドラマかと思ったが、そんなことはなかった。ケネディ暗殺をリアルタイムで見た思い出だ。




2026年5月25日月曜日

小説「後継者たち」

 「The Inheritors」

「後継者たち」を数年ぶりで再読。ウィリアム・ゴールディングが 1954年にノーベル文学賞を受賞した作品。前々回書いた映画「蝿の王」の原作(小説も同名の「蝿の王」)に次ぐ作者の第2作目で、「蝿の王」と同じ思想が底流にある。

初めの人類はネアンデルタール人だったが、5万年くらい前に滅亡して現在の人類種であるモサピエンスに交代したが、この小説はその人類交代の始まりを描いている。

小説は、ある架空のネアンデルタール人とその仲間の物語で、彼らは純真で無垢そのもので悪意というものが全くない。仲間どうしが助け合う平和な生活を送っている。そこへ「新しい人」(ホモサピエンス)がやってくる。彼らは格段に優れた知能と技術を持っていて、ネアンデルタール人の住む食べ物が豊富な土地に侵入し、生活圏を奪っていく。

ネアンデルタール人は、川にさえぎられた狭い地域に住んでいて外へ出ることができない。ところが「新しい人」たちは川を丸木舟に乗ってやってきた。それを見てネアンデルタール人はびっくり仰天する。この小説で面白いのは、「新しい人」たちが丸木舟を作る過程を詳しく書いていることだ。太い木を切り倒して枝を払い、小さい丸木をローラーにして転がして運び、川のそばで幹の中をくり抜いて丸木舟にする。それを複数の人間が協力し合ってやる。それはネアンデルタール人には思いもつかなかったことでただ茫然と見ている。

舟を作りはじめる時リーダーは「頭の中に絵が見える」と言う。つまり、この世にまだ存在していない舟というものを頭の中で想像し、その形を実際の物として作ってしまった。まさにこれは「デザイン」だ。ネアンデルタール人は実際に眼で見える物、手で触れる物しか認知できないが、ホモサピエンスは実際に存在しない物を頭の中に思い浮かべることができるようになった。この脳の働きの変化は「認知革命」と呼ばれている。

ホモサピエンスの認知革命によって、現在に至る文明の発展をもたらしたが、同時にそれは欲望と征服という悪をもたらした。丸木舟は空母や潜水艦に発展し、戦争ばかりの現代に繋がっている。それがゴールディングがこの小説で言いたかったことだ。


2026年5月24日日曜日

江戸の観光ガイドブック「名所図絵」

 Tourist Guidebook in Edo

観光旅行ブームだった江戸時代には、「名所図絵」という観光名所のガイドブックがたくさん出版されていた。「伊勢参宮名所図絵」「善光寺名所図絵」「金毘羅参詣図絵」「東海道名所図絵」などなど日本各地の有名観光地はすべてカバーされていた。それは現地の雰囲気をイラストで表現していて、現在のインスタ映え的な写真ばかりのガイドブックとは違う生き生きとしたしたものだった。それらを紹介した『江戸の旅  名所図絵の世界』からいくつか紹介する。


「大和名所図絵」の中の奈良の春日大社の光景。今現在も、奈良公園(一部は春日大社境内)で観光客が鹿に鹿せんべいを与えているのが普通の光景になっているが、すでに江戸時代から今と同じだったことがわかる。茶屋で観光客が鹿に鹿せんべいをあげている。左側に茶屋の店主が湯を沸かしている。左下には子供が紙を鹿にあげようとしているが、母親がその子の帯をさりげなくつかまえながら隣の女性と話している。



「江戸名所図絵」のなかの一枚で、人々が行き交う賑やかな商店街を描いている。店は「薬種店」という看板があるから、ドラッグストアのような店だろうか。「図絵」は編集プランナーがいて、専属の絵師がイラストを担当した。この「江戸名所図絵」は全7巻 20 冊 だったそうだ。



「河内名所図絵」のなかの「河内木綿」という一枚。今の大阪府八尾市は河内木綿という木綿の名産地だったそうだ。中央に木綿を織る女性が見える。左には、店主が反物をを見せながら商談をしている。右には糸車を運んできた娘がいる。人々の生活をいきいきと描いている。



京都名所案内「都林泉名勝図絵」の仲の高級料亭「角屋」の風景。冬の雪景色を描いている。中央の大座敷で宴会をやっている。右の小座敷にも別のグループがいる。二階のベランダから雪景色を眺めている人がいる。手前の庭では雪だるまを作ったり、雪投げをしている。




2026年5月23日土曜日

映画「蝿の王」

 「Lord of the Flies」

前から気になっていた映画「蝿の王」を DVD で見た。登場するのは子供達だけだが、決して気持ちのいい映画ではない。むしろ"いやーな感じ"の映画だ。ストーリーはこんな感じ・・・

船が遭難して少年たちが無人島に漂着する。子供たちは陸軍幼年学校の生徒で、頭がよくて規律を身につけた子供達だ。彼らはサバイバルのために一致団結しようと、リーダーを決め、規則を作り、仕事の役割分担を決める・・・

ところが些細なことからいさかいが始まり、二つのグループに分裂してしまう。秩序は崩壊し、権力闘争になっていく。やがて暴力を振るい合う抗争になり、ついに殺し合いになってしまう・・・

映画の原作は、イギリスの作家 ウィリアム・ゴールディングで 1983 年にノーベル文学賞を受賞している。ゴールディングは大戦中に従軍した。ナチスによるユダヤ人大虐殺を目の当たりにしたことから彼の思想が出来上がった。彼はこう言っている。『虐殺をやったのは、未開の首狩り族ではない。文明の伝統を背負った教養のある人々が、冷静に行なったのだ。社会制度の影に隠れている人間の強欲さや残虐性がむき出しになったのだ。』

こう書けばこの映画は、ゴールディングの思想を、極限の状況に置かれた子供たちの物語に置き換えたアレゴリーであることがすぐにわかると思う。見た人は自分のうちに潜んでいる人間悪を見せつけられた思いがする、

2026年5月22日金曜日

江戸時代の東海道旅行

 Traveling Tokaido

江戸時代の一般庶民は旅行好きだったようで、当時の旅の様子が「大江戸庶民事情」(石川英輔)に紹介されている。

東海道は旅行客が最も多い街道だった。有名な歌「お江戸日本橋七つ立ち〜」は、京都に着くまでの旅を沿道の地名を織り込んで歌う道中歌だが、この「七つ」というのは当時の時間で夜が明ける「明けムツ」より1時間早いまだ暗い時間で、そのくらい早朝に出発した。だから歌は「〜こちゃ高輪 夜明けて提灯消す」と続く。

東海道は日本橋から京都まで約 500 km で、それを10 日で歩くのが標準なので、一日平均 50 km歩いた。その距離に合わせて、各宿場が設けられていた。当時の人はとても健脚だったようだ。暗くならないうちに宿場に着き旅籠に泊まり、入浴と食事を済ます。終わるとすぐに寝て、次の日も朝早く起きられるようにした。

宿に到着したばかりの旅人。風呂が沸くまでゴロンとひと休みしている。
(絵は「五十三次北斎道中画譜」からで、庶民が旅をする様子を描いた画集)

同書は、当時の費用を概算している。旅籠の宿泊代は2食付きで一泊 200文くらいで、昼食代などで 100文くらいかかり、京都につくとしばらく滞在してあちこち見物する費用など全部合わせて 2両ぐらいだったという。これはちょうど大工などの職人の月収くらいの額に当たるそうだ。だからちょっと貯金をすれば誰でも旅に行けた。今でいえばヨーロッパあたりへ旅行するくらいの感覚だったようだ。

江戸の一般庶民は「連」という同好会サークルを作り色々な趣味を楽しんでいたが、旅行の「連」もたくさんあった。そういう人たちはグループツアーで旅行をした。前回書いたように江戸は女子会が盛んだったが、女性どうしのツアーも多く、東海道は女性の旅人で賑わっていたそうだ。右図は当時の観光案内パンフレットに載っている女性の旅人たちの絵。

江戸時代は治安がよく、山賊や雲すけなどは実際にはほとんどいなかったそうだ。だから女性だけの旅も安全だったという。毎年人口の6人に1人が東海道の旅に出かけたという。江戸は旅行ブームだったそうだ。

2026年5月21日木曜日

江戸の女子会

 Get-together of women

江戸の周辺には、四季折々の名所があり、庶民たちは物見遊山に出かけた。春の桜、夏の納涼、秋の月見、冬の雪見などを楽しむ様子が浮世絵や錦絵にたくさん描かれている。それら物見遊山の絵を見ると、女性の姿が圧倒的に多い。女子会や女子の飲み会をやっている。

これについて、石川英輔「大江戸庶民事情」によると、長屋住まいの職人の妻でも夫がせっせと働いている間、女性たちは仲間どうしで誘い合わせ、物見遊山に出かけていたという。江戸では男に比べて女がずっと少なかったため、妻になってくれる女性がいるだけで幸運だったという。だから女性が遊山に行くくらいでご機嫌になるなら文句を言うどころでなく、せっせと働いて女房を遊ばせていたそうだ。


隅田川沿いの料理屋での賑やかな飲み会。三味線を弾いたり、
歌ったり、踊ったり、すでにゴロンとしている女性も。

夏、隅田川に面した料理屋で月見の女子会をやっている。

女子だけで屋形船を貸し切って隅田川の花火大会を見物している。

日常的にも居酒屋で女子の飲み会をよくやっていた。
左下で二人が飲んでいる。その奥で手酌で飲んでいるお一人様も。


2026年5月20日水曜日

プッシュ型情報とプル型情報

 Push-type information & Pull-type information

情報にはプッシュ型とプル型がある。プッシュ型情報は TV 放送のように、受け取る側の意向に関わりなく、一方的に送られてくる情報。プル型情報は VOD のように、受信者が欲しいものを取りに行く情報。ネットの SNSでいうと、Facebook は FB 友全員に自動的に配信されてくるプッシュ型だが、ブログは読みたい人が読みにいくプル型になる。だから目的に応じて両者を使い分ける。

FB は仲間うちの交流が主目的で、個人的・日常的な内容が中心になる。その情報は流れて一日で消えていく。

一方ブログの情報は、ネット上に蓄積されていき、その情報を不特定多数の人が検索して読みに来る。だから3年たっても5年たっても検索でヒットした人のアクセスがある。だから読まれるだけの内容が必要で、個人的・日常的な日記のような内容はブログには向いていない。


2026年5月19日火曜日

AI にツッコミ質問すると

Is AI intelligent ? 

AI にこんな質問をしたことを以前書いた。「 AI って頭のいいおバカですか?」という質問に対して答えはこうだった。「 AI は人間が一生かかっても得られないほどの膨大なデータを学習しているので知識は超一流で『頭がいい』です。しかし言葉を『記号の並び』として処理しているだけで、内容を実感として理解していないから私は『おバカ』です。」・・・と正直かつ的確な答えだった。 AI の本質を AI 自身が語っていて面白かった。

ところが最近ある知人が、これ以上さらに AI の本質をついた話しを SNS に書いていたので、以下に紹介する。それはある映画が面白くなかったので、 AI になぜかを聞いてみたら、答えはいろいろな映画評論に書いてあることを寄せ集めただけの平凡な内容だった。そこでさらに突っ込んだ質問をした。それは「 AI さんの映画の内容理解は、評論や解説のテキストデータからですか?それとも映画そのものを見て映像や音から解釈しているのですか?」

それにたいしてが答えは「私は映画を直接見て解釈している訳ではなく、世界中に存在する解説、評論などの膨大なテキストデータを学習した結果から映画の内容を理解してお答えしています。」という答えだったそうだ。

そしてさらに「私は、映画全体の流れ、映像がもたらす心理的効果、音響の繊細なニュアンス、などを人間のように五感を使って体験し、そこから独自の解釈を生み出すことはできません。私は世の中にある解釈の傾向を整理して提示しているだけです。」と続けた。

そして結論として「予備知識なしに純粋に映画だけを見てその意図を見抜くというのは、高度に知的・感性的な行為です。それは人間だけが持っている力で、私にはできないことです。」

 AI はとても正直に答えている。この間2時間くらいかけて AI と対話したそうだが、質問者のツッコミ力に感心した。


2026年5月18日月曜日

いろいろな国の独立運動

 Independence Movement

映画「シビルウォー」は、西部のカリフォルニア州とテキサス州の西部連合軍が連邦政府軍と戦う内戦を描いている。しかしこれはまったくの荒唐無稽なフィクションではなく、今現在実際に、カリフォルニア州とテキサス州に起きている独立運動を踏まえている。カリフォルニア州とテキサス州は、政策面で連邦政府と対立することが多いが、経済力が強く、GDP は全米1位と2位の州だ。今は住民の署名活動をしている段階だが、来年には住民投票に持ち込もうとしている。住民の支持率はかなり高いという。憲法の制約があるから実現は難しいようだが。

映画で、両州連合軍は「Western Forces」と呼ばれていて、その旗が面白い。2つの星はカリフォルニアとテキサスを意味している。実際の星条旗には州の数である50 の星があるが、それをもじっている。二つの州が新しいアメリカの建国をするというメッセージになっている。
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ついでに、これ以外の国の独立運動について。

イギリスは UK (United Kingdom) という通り、4つの王国の連合国だが、そのうちのスコットランドはイギリスからの分離・独立を目指している。自治政府は一方的に住民投票を行ったが中央政府はそれを違法だとした。しかしスコットランド民族党の勢力は強く、対立は続いている。

スペインのカタルーニャ地方は、独自の歴史・文化・言語を持っていて、スペインからの分離・独立を目指している。州政府が一方的な独立宣言をしたことから、中央政府との激しい対立が生じ、現在も混乱が続いている。

もともと独立した琉球王国だった沖縄が、明治時代に日本に併合されたという歴史を背景に、沖縄の日本からの独立を目指す琉球独立運動がある。しかし県民の支持率は数%と低い。

2026年5月17日日曜日

ドキュメンタリー「History 101」

 「History 101」

NETFLIX で配信中のドキュメンタリー「History 101」は、現在世界で問題を引き起こしているさまざまなことについて、その歴史的始まりから説き起こし、これからどうなっていくかを問うている。だから番組のキャッチフレーズは「この地球で、我々は何を得て、ここからどこへ向かおうとしているのか?」となっている。

取り上げるテーマは多岐にわたる。
科学技術の問題(原子力、宇宙、ロボット、プラスチックなど)
政治経済の問題(中東の石油、社会格差、中国の台頭など)
人間生活の問題(ファストフード、女性運動、人工授精など)


例えば現在ホットな事案である「中東の石油」については、その歴史的背景をわかりやすくたどっている。20 世紀の初めにイギリスが中東の石油を初めて発見すると、中東を支配下に置いて、石油利権を独占する。戦後になると中東各国は独立し、イギリスを追い出す。それらは独裁国家であり、石油の利益を国民のために使わず、独裁者が独り占めする。産油国どうしが連携する OPEC で生産調整をして、石油の価格を維持する。アメリカが石油利権を確保するために、産油国を攻撃して、中東紛争が何度も繰り返されてきた。・・・などが記録映像とインフォグラフィックでわかりやすく解説する。

2026年5月16日土曜日

映画「シビルウォー アメリカ最後の日」

 「Civil War」 

2年前に見た映画だが、NETFLIX でやっていたので、もう一度見た。

西部のカリフォルニア州とテキサス州が連合して、アメリカ合衆国から独立しようとして戦争を起こす。激しい内戦になるが、西部軍が東部へ向かって侵攻し、ついにワシントンに到着する。政府軍と西部軍が激突して激しい市街戦になるが、最後に西部軍はホワイトハウスに突入する・・・


こう書くと荒唐無稽なフィクションのようだがそうでもない。日本ではあまり報じられないが、カリフォルニア州ではトランプ大統領の強権的な政治に反発して、「カリフォルニア独立運動」が現実に起きている。署名活動をしていて、来年には住民投票に持ち込もうとしている。もし実現すれば GDP 世界第4位の国になるという。

外国移民に対して寛容なカリフォルニア州は、トランプ大統領の極端な移民排斥政策に反対している。去年、政府が容赦ない移民拘束をロサンジェルスで行ったとき、住民の大規模な抗議デモが起きた。それに対してトランプ大統領は州兵を派遣して鎮圧しようとして大規模な衝突が起きた。映画は、こういう「分断国家」アメリカの現実を踏まえている。

映画にそれを象徴するようなシーンがある。道路封鎖している政府軍の兵士が通りがかりの一般市民を拘束する。銃を突きつけながら一人ずつ「お前はどの種類のアメリカ人だ?」と出身地を聞いていく。「コロラド」「フロリダ」「ミズーリ」などに続いて「香港」と答えた人間を即射殺する。

ラストで、ホワイトハウスに突入した西部軍は隠れている大統領を探す。するとTV ニュースでお馴染みのプレス発表室に女性報道官が手を挙げて出てくる。「大統領は停戦交渉を求めています」と言うが即射殺されてしまう・・・

2026年5月15日金曜日

風景の中の人物

Figure in landscape 

風景の中に人物を描くとき、遠近法的に間違いを起こさないように、という注意がネットの SNS に流れてきた。今まで何度か描いてきたことだが、図がうまくてわかりやすいので、もう一度取り上げる。


左図が OK で、右図が NG 。遠くのものは小さく見えるというだけの単純な遠近法の理解だと、右のように描いてしまう。正しくは左図のように、遠い人も近い人も、頭の高さは一定で、地平線上にある。

印象派の巨匠カイユボットの絵にいい例がある。パリの街をたくさんの人が行き交っているが、近くの人も遠くの人も頭は皆地平線上にある。2枚目で地平線(赤線)を引いて確かめた。



2026年5月14日木曜日

窓から差し込む光とホッパー

Edward Hopper

ネットの SNS で、パースペクティブについての説明がよく流れてくるが、最近こんな図があった。窓から差し込む光をどう描くかという説明で、なかなか親切な図だ。 


それで思い出すのはエドワード・ホッパーだ。ほとんど全ての作品でと言っていいくらい窓から差し込む光の絵を描いた。


何もないガランとした部屋に窓から差し込む光だけを描いている。
最も有名なのはこの「海辺の部屋」。海が見える大きな窓から光が差し込んでいる。壁と床にあった光の形を描いている。









朝陽が差し込むカフェテリアで、夜勤明けの女性と、出勤前のサラリーマンがコーヒーを飲んでいる。壁の光が朝の雰囲気を出している。








朝陽が差し込む部屋で、壁や床にあたる光の形が面白い造形になっている。起きたばかりの気だるそうな女と、まだ寝ている男。都会の憂愁を好んで描いたホッパーの絵だが、窓からの光が重要な要素になっている。






どこか訳ありの物語性のある絵を描いたホッパーだが、この「朝の太陽」は有名な作品。起きたばかりの女が窓の外を気だるそうに見ている。多分夜勤明けで遅い目覚めなのだろう。壁に当たった光が朝のイメージを強調している。

オフィスの窓を外から描いた絵だが、室内の光と影が画面構成上な重要な要素になっている。






列車の車内の絵だが、窓からの光が床に当たっている。ホッパーはあくまでも光にこだわっている。


2026年5月13日水曜日

新聞対ネット

 Newspaper vs Internet

新聞購読をやめる人の理由は2種類あるようだ。新聞を「読む」という面倒くささがなく、手軽に情報を得られるネットで充分という人。もうひとつは、新聞の報道は偏っていて、真実を伝えて信頼できるのはネットの方だという人。


朝日新聞が戦時中に戦争賛美の報道で世論を煽り、その世論に押されて政府は開戦に至ったということは今ではよく知られている。「朝日新聞の戦時社説を読む」(室谷克実)という本は同紙の当時の記事を一つ一つ調べてその実態を検証している。


東條英機の絶賛、英米を撃滅せよと戦意高揚を煽る、死んだ特攻隊員への賛美、お国のために命を捧げようと呼びかけ、銃後の国民は一致団結せよと呼びかけ、本土決戦になっても竹槍で戦おう、・・・などと今読むとすごい記事を連日掲載している。景気のいい論調に煽られて、国民は熱狂的に戦争賛美へ突き進んでいった。おかげで同紙は購読者数トップになった。しかし戦後は同紙は一転して反戦・平和主義へ大転換した。


新聞は本当のことを書かないと思って購読をやめた人は、ネット情報の方は真実だと信じている。ネット上の極端な意見や、偽情報を見て、自分は新聞が書いていない真実を知ったと思ってしまう。それが拡散されて世の中全体の空気になっていく。主要メディアが新聞からネットに変わった現在でも、新聞の時代と同じ構造だ。人々がメディアに煽られるという危険性は変わっていない。


2026年5月12日火曜日

「スマホはどこまで脳を壊すか」

Smartphone 

榊浩平という脳科学者が書いた「スマホはどこまで脳を壊すか」という本は、スマホの使いすぎがいかに脳に悪影響を及ぼすかを医学的に調べている。そこに面白い(恐ろしい)話が出てくる。

この写真は、スマホを一日中使っている人の脳を MRI で撮ったもので、上が脳の右側、下が脳の左側の写真。黒い部分が脳細胞が損傷していることを示している。ちょうど肺癌になった人の肺のレントゲン写真が黒くなるのと同じ。スマホの使用頻度がさほどでない人は、黒い部分がほとんどなく、白いままだという。

脳には、認知機能を支える領域や、記憶や学習に関わる領域や、言葉に関係する領域などがあるが、写真はそういう領域が死んでいることがわかる。つまり、スマホに依存している人は、ものを考えたり理解したりする知的活動のための機能がダメになっている。だからこうなると、子供の場合は成績が悪くなり、大人の場合は認知症になる。

脳は負荷を与え続けなければ衰えていく。読書と違って、スマホは流れてくる情報を受け身で受け取るだけなので、脳はほとんど働いていない。脳を「使うこと」によって「脳の運動不足」を防ぐ必要があると同書は警告している。


2026年5月11日月曜日

SNS 時代の今

 

最近の SNS のフェイク情報・デマなどを利用した政治活動が目にあまる。特に最近は生成AI を使った偽画像が拡散される。理性的な政策論争よりも、過激な主張ほど一般受けしやすいので、どんどんエスカレートしてゆく。そして選挙にも影響を与えたり、世論誘導したりする。

政治家だけでなく、ジャーナリズム側も SNS を利用する。政府の記者会見でツッコミ質問をして、それを SNS で発信する。それは政府の闇を暴く的な極端な意見で、反権力であることがジャーナリストの正義だと信じている。 

政治学者の永井陽之助はこう言っている。「政治権力への抵抗のポーズと思っているものが、実は別の権力に対する迎合であることが多い」「権力に抗議する姿勢が実は『多数派ムード』や『時代の空気』に追従しているだけの場合が多い」「こういう言説は、世論や民衆のムードが変化すれば、手のひらを返すように変節してしまう」

 世の中全体が SNS 依存症になっている今への警告になっている。


2026年5月10日日曜日

新種ウィルスが発生

Penicillin

新種のウィルスが発生して、感染したオランダ人が死亡したと報じられていた。各国はパンデミックを防ぐ対応を始めたという。それでコロナの時に読んだ本を思い出した。「世界史を変えたパンデミック」(小長谷正明)という本は、歴史上のパンデミックがいかに世の中に大変化をもたらしたかについて書いた面白い本だ。その中に日本におけるペニシリン開発についての話が出てくる。

第二次世界大戦中、アメリカで「ペニシリン」という強力な薬ができたらしいという噂が入る。しかし日本とドイツは交戦国なのでアメリカの情報が入ってこないから、独自開発せざるをえなかった。

ドイツは終戦までに開発に成功しなかったが、日本は研究者を総動員して開発に成功した。終戦の一年半くらい前にはすでに量産もしていたそうだ。おかげでたくさんの負傷兵の命を数うことができた。東京大空襲の時も民間人の命を救った。医学先進国の日本の成果だった。

そして同書に面白い話が出てくる。開発を成功できなかったドイツは、撃墜したアメリカ機のパイロットが持っている救急用ペニシリンを回収していたそうだ。しかしそんな微量では一般兵士には使えない。ヒトラー暗殺未遂事件(トム・クルーズ主演の「ワルキューレ」で映画化された)が起きた時、大事にとってあったペニシリンを重傷を負ったヒトラーに打って命を救ったという。


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2020年6月19日金曜日

「世界史を変えたパンデミック」

A History of Pandemic

コロナを機に感染症関係の本をいろいろ読んだが、いちばん面白かったのが「世界史を変えたパンデミック」だ。日本に関係する部分からちょっとだけ紹介。

戦争中、アメリカでペニシリンという強力な薬ができたという噂が入るが、ドイツも日本も交戦国だから詳しい情報が入ってこない。それで自国で独自開発しようと研究が始まる。ドイツはなかなか成功しないまま敗戦を迎えてしまったが、日本は研究者を総動員して敗戦の一年半前くらいに完成させ量産もしていた。おかげでたくさんの負傷者の命を救えたという。

ドイツは、撃墜した米軍戦闘機のパイロットの救急バッグからペニシリンを回収していたそうだ。しかしそんな少量を兵士に使うわけにはいかない。ヒトラーの暗殺計画事件(映画にもなったワルキューレ事件)で重傷を負ったヒトラーにそのペニシリンを初めて使った。おかげでヒトラーは一命をとりとめた・・・



2026年5月9日土曜日

上海の小路

 Shanghai

16 年前、上海に行ったとき、街をブラブラ歩きしていた時の風景。表通りからちょっと入った小路が魅力的だった。建物はレンガの壁で、道は石だたみというヨーロッパの古い街並みを思わせる。両側にしゃれたブティックの店が並んでいる。

描いてはみたが、その場の雰囲気が出せなくてお蔵入りしていたのを引っ張り出して手を加えてみた。



2026年5月8日金曜日

オホーツク海の日の出

 Sunrise    Sea of Okhotsk

これも冬の北海道を車で走り回っていたときの風景。オホーツク海に面した漁港の街「紋別」で泊まったが、ホテルの窓から海が一望できる。海は東側だから日の出が見られるはずと思って、翌朝暗いうちに起きて待った。期待どうり、空が茜色に染まり始めて、太陽が水平線に顔を出す瞬間を見ることができた。3分後にはもう普通の朝になってしまった。