2026年6月3日水曜日

家電の耐久年数

Durability of home appliances

家電製品はだいたい10年で壊れて買い替える。しかし SDGs が叫ばれる今、たった10年で買い替えるというのはたいへんな資源のムダ使いだ。

家電メーカーは、設計基準として耐久年数を決めていて、それをクリアするように設計している。しかしそれ以上に長寿命になるようには設計しない。耐久性のある素材や部品を使えば耐久年数は伸ばせるが、そうするとコストがあがるからだ。だからメーカーは、決められた耐久年数を満たしつつ、しかもできるだけ早く壊れるように設計する。それは買い替え需要を促進することにもなるから都合がいい。しかし消費者は家電製品が10年しかもたないことを当然のことのように思い込んでいる。

メーカーは、中身は何も変わらないのに、ちょっと外観を変えるくらいのモデルチェンジを毎年繰り返す。家電量販店に行くと「型落ち」と称して去年のモデルを安く売っている。だから消費者は、10年前のモデルはもう壊れても当然だし、買い替えるのは仕方ないと思っている。

家電メーカーは、こうして大量生産・大量消費をうながしてきた。しかし今の時代はちょこちょこのモデルチェンジをやめて、もっと抜本的な技術開発をして、長く売り続けられる製品を作らないと生き残れない。ダイソンの扇風機は「型落ち」はなく、同じ製品をずっと売り続けている。


2026年6月2日火曜日

日本の写真の歴史

 The history of photography

写真の歴史を調べていると、必ず真っ先に出てくるのが「ダゲレオタイプ」で、フランス人のダゲールが 1839年に発明した世界最初のカメラだった。この「ダゲレオタイプ」のカメラが1840年代にオランダ船によって日本にもたらされた。幕府に支えていた時計職人の上野俊之丞がこれを使って日本初の肖像写真を撮った。

長崎に日本初の写真スタジオを開いたのは上野俊之丞の息子の上野彦馬だった。もっぱら武家などの肖像写真を撮り、日本初の写真師となった。

「ダゲレオタイプ」は日本では「銀版写真」と呼ばれ、直接 金属板に感光させて、焼き付ける方式で、感光材料の製造技術は複雑で高価だった。それは直接ポジ像を作る方式だから何枚も複製することができない。だからほとんど普及しなかった。

本当の意味で写真が日本で開花したのは「湿板写真」という方式がもたらされた1850年代からだった。ガラス板に液状の感光材料を塗って感光させる方式だった。ガラス板はフィルムと同じで ネガ / ポジ方式 だから紙に何枚も印画できた。それで初めて写真が一般に普及していった。それをビジネスとして始めたのが「横浜写真」の下岡蓮杖で、「日本写真の開祖」と呼ばれるようになった。これについては先日書いた。→ https://www.blogger.com/blog/post/edit/5842824525266145803/1455832997182821526

昨日(6 / 1)は「写真の日」となっていて、上記 上野俊之丞が日本で初めて肖像写真を撮ったことからきている。しかし本当の意味での日本の写真の始まりはそうではなかった。


2026年6月1日月曜日

グロピウスが日本建築から受けた影響

 Walter Gropius

60 年くらい前、「日本美術史」か何かの授業の一環で、京都の桂離宮を見学したことがあった。桂離宮は研究目的でしか見学を許されないので、貴重な体験だった。当時からすでに、桂離宮をはじめとする日本の伝統建築の”近代性”が世界的に評価されていた。

最近「ドイツにおける日本像」という本を読んでいたら、グロピウスが日本の伝統建築から受けた大きな影響についてかなり詳しく解説している。それによると、すでに1920年代から欧米では日本建築について多くの研究書が出版されていたので、グロピウスはその写真をもとに、桂離宮や東大寺の法華堂などのスケッチをしていた。その結果が自身の建築設計に生かされ、バウハウスの教育にも反映された。

グロピウスが日本建築から影響を受けて設計した例が「ゾンマーフェルト邸」という個人住宅で、正倉院からヒントを得ている。正倉院は角材を重ねて造られており、その角材のくさび形の末端は互いに直角に交わって、外側に突き出ている。このゾンマーフェルト邸はその正倉院の構造と類似している。四隅で横木の先端が交差する構造、広く張り出した寄棟屋根、などの点だ。

グロピウスが日本建築の最も需要な特徴として挙げているのは「規格化」だ。畳は 180cm × 90cm という人間が寝た時の寸法という人間的尺度が基準になっていて、その畳の寸法の倍数で何畳という部屋の大きさが規定されている。障子や襖の寸法も畳のサイズで規格化されているから、現場で現物合わせしながら造る必要がない。外で作ったものを持ってきてきてもそのままピタリとはまる。

これは「モジュール」の考え方で、西洋の建築が20 世紀になってやっと到達したことを日本では何百年も前から普通にやっていたことにグロピウスは驚嘆している。欧米では近代になって、住宅建築を工業化してプレファブリケーションが可能な「2バイ4」などが行われるようになったが、それは日本では大昔からやっていたというわけだ。

もうひとつグロピウスが重視していたのは、内部と外部の空間を融合する「障子」だった。グロピウスがバウハウスの校舎を設計した時、大きなガラス窓に細い鉄の格子をはめた。それによってできる格子模様の横長の長方形は日本の障子と同じプロポーションだった。