"Omission" of movie
NETFLIX はシリーズドラマが多く、10 回連続もざらだ。視聴者を最後まで飽きさせないためにいろいろな工夫をしている。回ごとに新しい登場人物を出したり、物語を複雑化したりする。しかし長すぎて間伸びしている失敗例も多い。
改めて「映画」は、2時間の中にドラマ10 回分の内容を「凝縮」させていることがわかる。小説では人物の心理状態を説明するのに、長い文章が必要だが、映画では顔の表情のクローズアップを一瞬映すだけでいい。映画という「視覚芸術」の強みだ。連続ドラマは下手をすると、何から何まで説明して小説のようになってしまうことがある。
例えば、ある人物が事務所を出て自宅へ帰るシーンの場合、事務所のドアを閉めるカットと、自宅のドアを開けるカットをつなげるだけでいい。途中の電車や車に乗っている場面は省略する。初期の映画では、時系列通りに出来事すべてを映し続けていたが、現在では「省略」の技術が映画の重要な要素になっている。以下はその例。
男が反対側のホームに立っている女を見送っている。列車が入ってきて、女の姿が見えなくなる。しかし列車が去ると女はまだホームに立っている。彼女は列車に乗らなかったのだ。結果だけを見せて経過を省略している。こういう手法はたまに見かけるが、それに似た「ブルックリン」の例。バスがバス停に停まる。バスが去ると今までいなかった女性が立っている。家に帰るかどうか迷っていた彼女がきっぱりと決心したことを説明なしに、このワンショットだけで見事に表現している。
ヒッチコックの「サイコ」で、浴室で女性が刺殺されるシーンの例。出しっぱなしのシャワーの水と、下水に流れてゆく血だけを写している。犯人も、殺す瞬間もいっさい省略して、それを象徴する代替物で表現している。それによって恐怖感がかえって高まる。
0 件のコメント:
コメントを投稿