The history of own car
今年も運転免許証の更新をした。今はほとんど運転をしないが、車好きとしては免許返納をする気になれない。改めて、歴代マイカーの水彩スケッチを並べて振り返ってみた。
「日野ルノー」は 1965 年頃、就職して初めてのボーナスで中古で買って通勤に使っていた。リアエンジンのクラッシックな車だが、フランス映画には必ず登場していた当時としてはオシャレな車だった。まだ自力で車を作る力のなかった当時の日本メーカーはヨーロッパの車をそのままライセンス生産で作っていたが、これもルノーのライセンスによる日野の車だった。
「日野コンテッサ 900」は、1967 年頃にルノーからの買い替えで買った。基本はリアエンジンのルノーをベースにして日野が独自設計した車だった。しかし信頼性が極端に悪く、出かけたさきでエンジンがかからず帰れなくなり、往生したことが何度もあった。デザインも野暮ったかった。上級車種のコンテッサ1300 はミケロッティのデザインで美しかったが、金のない当時だからしかたない。
「トヨタ・カローラ」は1970 年代に乗っていた。子供ができたので、”普通の”ファミリーカーをと思って買った。初代のカローラで、当時は日産のサニーとトップの座を競い合っていた。有名な TV CM「隣の車が小さく見えまーす!」はサニーを揶揄していた。車の世帯普及率がどんどん高まっていた時代だった。だからこの車も最大公約数的で、個性も何もない平凡な車だった。(絵にしていないので写真で代用)
「日産オースター」は1980 年代に乗っていたスタイルのいい車だった。欧州向け専用のモデルで、フロントエンジン・フロントドライブ(FF)により室内空間の広さを確保し、3ドアハッチバックで幼児の安全性を確保するという、欧州の、子供のいる家庭むけの標準仕様の車だった。その欧州モデルをそのまま日本でも売ったのだが、コンセプトが日本では理解されず、ほとんど売れなかった。だから同じ車を見かけたことは一度もなかった。
「マツダ RX7」は、子供が自立してファミリーカーがいらなくなった1990 年代に乗っていた。ロータリーエンジンの威力がすごく、アクセルを踏み込むと体が後ろにのけぞるほど加速が良かった。だから暴走族的な走り屋が乗っていたが、アメリカでは「セクレタリー・カー」と呼ばれ、秘書のように自立した独身女性が乗る知的でオシャレな車とされていた。しかし、4km / l という今では信じられない燃費で、これを最後にマツダはロータリーから撤退した。
「マツダ ロードスター」は2代続けて乗っていた。外気を浴びて、四季をじかに感じながら走る気分が良く、あちこちをドライブしまくった。イギリスの GTB が戦後ずっと作っていたが、止めてしまっていた「ライトウエート・スポーツカー」のコンセプトを再現した車で、世界中で大ヒットした。
「マツダ・デミオ」は、買い物などの普段用に買ったが、機能に徹した素晴らしい車だった。大ヒットモデルで、倒れかけていたマツダを救った救世主と言われた。遊びのためのロードスターとの2台体制がずっと乗っていた。しかしこのタイプの車はやがて軽自動車にとって変わられ、今のデミオは普通の乗用車になっている。(絵にしていないので写真で代用)
「プジョー 304」はフランス車らしい素敵な車だった。ドイツ車のような ”機械っぽさ” がなく、乗り心地や操縦性や内装などすべてが人に優しかった。そしてなによりスタイルが美しかった。
「マツダ・アクセラ」は、 ここ10 数年来、今も乗っている。日本車の中でもっとも美しい車で、何度も「カー・オブ・ザ・デザイン」に輝いている。これが最後のマイカーになるかもしれない。