2024年7月3日水曜日

監督 レニ・リーフェンシュタール の功罪

 Reni Riefenstahl

一昨日(7 / 1 )、NHK の「映像の世紀」で、「ワイマール   ヒトラーを生んだ自由の国」をやっていた。第一次世界大戦後、ドイツに世界一先進的な民主主義憲法「ワイマール憲法」ができ、国民は自由を謳歌していた。しかしそれはたった14 年でヒトラーによって覆されてしまう。なぜそうなってしまったかを当時の映像で解き明かしていている。


ワイマールの自由な時代に、ドイツは文化的な大躍進をする。物理学のアインシュタイン、精神医学のフロイト、文学のトーマス・マン、建築のグロピウス、などが歴史的功績を残した。しかしヒトラーの時代になると、彼らは弾圧を受けてアメリカへ亡命した。

映画も同じで、ドイツは先進的な映画で革命を起こす。しかし当時の映画人はほとんどがユダ人だったために、ヒトラーの弾圧で、アメリカへ亡命した。そして番組は、レニ・リーフェンシュタールをおおきく取り上げていた。彼女はユダヤ人ではなく、しかも熱烈なナチス礼賛者だったので、ヒトラーに寵愛された。もともとダンサーだったリーフェンシュタールは映画監督として、ナチス党大会の記録映画「意思の勝利」で大成功を収める。

そしてベルリンオリンピックの記録映画「オリンピア」を任される。今ではヒトラーのプロパガンダ映画として悪名高いが、その映像美は画期的で、映画技術的には今でも評価が高い。

移動カメラによる撮影や、競技場に穴を掘って極端なローアングルで撮ったりしたのは有名だ。さらに、いい映像が撮れなかったときに、選手にもう一度やらせることまでしたという。そして開会式で、大観衆全員が手をあげて「ハイル・ヒトラー!」と叫ぶ壮大なシーンを ”やらせ” で撮った。またヒトラーの人種差別主義が反映されていて、例えば黒人選手が優勝した場面を撮らなかったりしている。


戦後、リーフェンシュタールは世界中から非難を浴びるが、戦犯として逮捕されることもなく、101 歳まで長生きした。番組で、その当時のインタビュー映像が出てきた。彼女は自分の罪を認めていない。「私は何も悪いことはしていない。ユダヤ人を殺したわけでもないし、原爆を落としたわけではい。」と言っている。

2024年7月1日月曜日

映画「ロンドンから来た男」の光と影

 「The Man from London」

カラー時代にあえて白黒で撮っている監督は何人かいるが、ハンガリーのタル・ベーラ監督はその一人。前々回に「ニーチェの馬」について書いたが、続いて「倫敦から来た男」について。これはサスペンス映画で、謎めいた夜のシーンが続く。白黒映画の「光と影」の効果を最大限に活かして、ミステリアスな雰囲気を全編に醸し出している。


船着場で、船から降りた客が列車に乗り換えているシーン。カメラがゆっくりと上にあがりながら 10 分くらいの長回しで撮っている。これから何が始まるのかという観客の期待感をあおっている。最後に上まで登り切ったとき、これを見ているのは、監視塔の上で線路の切り替えをしている転轍手の主人公であることがわかる。

主人公は、一人の船客が反対側の岸に何かを投げて、それを何者かが持ち去ったのを目撃し、不審に思いその場所へ行ってみる。ここで事件が起きているようなのだが、白黒でしかもロングショットなので、詳しいことはわからない。豊富な情報を伝えるカラーを白黒映画はカットしているので、謎めいた雰囲気を出すのに効果的だ。


主人公は、自分が尾行されていると気づき、塔の上から男を見ている。光と影の強烈なコントラストが主人公の不安感を表現している。こういう光と影による造形は、昔の表現主義映画の時代から使われていた手法で、映画という芸術メディアの根本にかかわる要素だ。