2023年9月21日木曜日

食べる映画「ショコラ」

 「Chocolat」

西洋では、「食べること」は、宗教的な意味合いを持っている。ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」に描かれているように、パンをちぎって人に分け与えて一緒に食べることは、信者どうしの結びつきを確認するための宗教的儀式だった。だから西洋絵画では、食事を描いた絵画がたくさん描かれてきた。

映画でも「食べること」の宗教的な意味をテーマにした映画がいくつかある。「バベットの晩餐会」はその代表で最高の秀作だった。「ショコラ」(2001 年, フランス)もそれに匹敵する映画だ。


ひなびた村に、謎めいた女性がやってくる。村人たちは、日曜ごとに教会に通う信心深い人たちだが、彼女は一切関わらない。古いしきたりを守っている村人たちからよそ者として嫌われるが、チョコレート店を開く。チョコレートは村人たちが見たこともない豪華できらびやかなもので、質素な暮らしの村人たちの反感を買う。

村びとたちの気持ちを代弁するように教会の牧師が説教する。「悪魔は甘いチョコレートで人を誘惑して堕落させます。」と言う。女性がよりによって断食期に店を始め、しかも贅沢な食べ物であるチョコレートを売っていることを非難する。中世のキリスト教は禁欲主義を強要し、贅沢な食べ物は悪としてきたが、この村の人々は、その教えをいまだに信じている。

女性は、店にやってくる人たちの話を聞きながら彼らの抱えている問題に寄り添っていく。夫に無視されている妻、母親にいじめられている子供、娘から冷たくされている老女、夫の暴力から逃げてきた妻、など。彼女は、薬剤師のようにその人にあった味のチョコレートを食べさせる。すると魔法のように人々は和解し、問題が解決していく。「パンを割く」という言葉は聖書に何度も出てくる。いっしょに食べることで、ひとびとの結びつきを強めるという意味だが、映画ではパンの代わりにチョコレートがその役割をしている。

ところが最後まで女性を追い出そうとしている村長が、店に乱入し、チョコレートをめちゃめちゃにしてしまう。しかしそのとき、偶然口に入ったチョコレートのあまりの美味しさにビックリして、今度は手当たり次第チョコレートを貪り食べてしまう。しかし女性は怒ることなく、愛すべき人間として村長を受け入れる。

やがて断食期が終わり復活祭になる。復活祭はキリストが受難から復活したことを祝う宗教的行事で、人々は盛大に飲み食いする。聖書でも祝宴を行い、キリストが食べ物をふるまう話がよく出てくる。映画では、村の人々が広場に集まり、屋台の食べ物を楽しみ、女性もチョコレートをふるまう。和解と寛容が戻った村人たちの顔は幸福感で溢れている。

牧師もワインを飲んでいる。最後に再び牧師が説教するが、今度は言うことが一変している。「人を否定し排除するのではなく、人を受け入れる優しさと寛容さを持とう。古い因習から解放され、共同体の一体感を取り戻そう。」この映画は、パンの代わりにチョコレートを与え、それによって奇跡を起こした女性を、明らかにキリスト的人間像として描いている。

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