2021年2月10日水曜日

絵画的な映画 アントニオーニの「赤い砂漠」

 Michelangelo Antonioni 「Red Desert」

巨匠といわれる映画監督には、絵を勉強していた人や画家だった人が多い。ミケランジェロ・アントニオーニや、アルフレッド・ヒッチコックや、アンドレイ・タルコフスキーや、テリー・ギリアムや、黒澤明などだ。彼らの映画はストーリーで語るのではなく、映像で語る。

ミケランジェロ・アントニオーニも絵を描いていた人で、例えば「赤い砂漠」(1 9 6 4 年)の映像はとても絵画的だ。1 9 6 0 年代は、フランスの抽象芸術運動である「アンフォルメル」の時代だったので、抽象絵画のようなショットがたくさん出てくる。すべての場面が無機的で殺伐とした工場を舞台にしているが、大気汚染で霞んでいたり、ゴミの山だったりで、産業化社会の負の部分の表象になっている。それは、社会における不安や孤独からくる神経症を病んでいる主人公(モニカ・ヴィッティ)の目で見た心象風景になっている。

排煙や水蒸気で霞んだ風景が何度も出てくるが、これは機械をソフト・フォーカスで撮っている。「アンフォルメル」は具象的な形の無い絵画だが、この映像も抽象絵画になっている。


この壊れた機械のショットも秀逸で、抽象構成主義の絵画のようだ。人物が機械の向こう側を歩いているが、カメラは
パンや移動で人物を追いかけることなく、このままで静止している。この場面を絵画として撮ろうとしている意図がわかる。


工場のそばにある産業廃棄物のシーンで、小さくて見えにくいが、画面右端に主人公の女性が息子と手をつないで歩いているのが見える。なんのために、なぜこんな場所にいるのか、の説明は一切ない。しかし、殺風景な風景を使って、主人公の心の中(題名の「砂漠」のような)を描いていることは確かだろう。


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