もともと人間を写すことは少なく、何かの物だけをアップで撮り、それを断片的につなげていく。食事のシーンで、人物は写さずセリフもなく、テーブルだけを写している。親子3人の豊かな生活を暗示しているが、それがどういう文脈でのことなのかは分からない。
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2019年12月24日火曜日
ミヒャエル・ハネケ監督の映画術 「セブンス・コンチネント」
Michael Haneke
ハネケ監督の映画術は独特だ。普通は最初の 10 分ぐらいで、主人公の人物像や、状況設定などが説明され、ストーリーが始まるが、それをしない。「セブンス・コンチネント」の場合でも、親子3人が登場するが、無表情な顔だけをアップで写し、セリフもしゃべらないから、登場人物がどういう人で、何を考えているか、わからない。
もともと人間を写すことは少なく、何かの物だけをアップで撮り、それを断片的につなげていく。食事のシーンで、人物は写さずセリフもなく、テーブルだけを写している。親子3人の豊かな生活を暗示しているが、それがどういう文脈でのことなのかは分からない。
最後に夫婦は突然、部屋中の家具を叩き壊し、衣服を切り刻み、本をビリビリ破り、金をトイレの水に流してしまう。すべての日常を壊して、題名の「セブンス・コンチネント」(架空の島「第七大陸」)へ "旅立つ" らしいことがやっと分かるが、やはり人物は写さず、ゴミの山になっていく部屋を淡々と撮り続ける。「何故?」という理由は最後まで分からないまま終わる。
ハネケ作品の全てで、殺人や自殺などの事件が起きるが、ミステリー映画のように最後に事件が「解決」することはない。断片的な短いショットをコラージュのようにつなげていくだけで、物語を「説明」しないし、観客も「理解」しようとして観る映画ではない。合理的に説明できない人間の歪んだ部分を描くのがテーマだから、映画表現もこうなるのは分かる。
もともと人間を写すことは少なく、何かの物だけをアップで撮り、それを断片的につなげていく。食事のシーンで、人物は写さずセリフもなく、テーブルだけを写している。親子3人の豊かな生活を暗示しているが、それがどういう文脈でのことなのかは分からない。
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