2025年6月4日水曜日

「スマホ認知症」が高齢者に増えている

 Smartphone Dementia

朝から晩まで一日中スマホを使っていると、過剰使用が原因の「スマホ認知症」になる。最近、高齢者に増えているという。スマホを使っていると”頭を使う” から認知症にならないと思うのは全くの逆で、スマホに ”おまかせ” 状態になり、自分の頭で物事を考えなくなる。そして脳の認知機能が低下して認知症になる。しかし本人はそのことに気づいていないことが多い。

そもそも脳の「認知機能」とは、次のようなステップで行われる。

 ① 外から「情報」が脳にインプットされる。
 ② 受けた情報を脳の中で「整理」する。
 ③ 整理した情報について、「解釈」「思考」「判断」する。
 ④ その結果を、「話す」「書く」などの形でアウトプットする。

この各ステップを「スマホ認知症」の人に当てはめるとこうなる。

 ① インプットをスマホだけに頼っていて、多面的な情報が入ってこない。
 ② スマホからの過剰な情報を整理できなくて、脳の中が「ゴミ屋敷」状態になる。
 ③ スマホに「おまかせ」状態になり、自分の頭で「考える」ことをしない。
 ④ 話すとき、思いついたことを次々に脈絡なく口に出すだけで中身がない。

専門家によれば、「スマホ認知症」になると、認知機能の低下だけでなく、下半身のかゆみや痺れなどの身体的な不調も生じやすいという。また「スマホ認知症」は、アルツハイマー型認知症に進展しやすいという。

2025年6月2日月曜日

「西洋絵画、どこから見るか?」展の静物画

 Bodegon (Still Life) 

国立西洋美術館で開催中の「西洋絵画、どこから見るか?」展を観た。

「ボデゴン」はスペイン語の静物画のことだそうだが、これはその最高傑作だとされる。ファン・サンチェス・コターンというスペインの画家の「マルメロ、キャベツ、メロンとキュウリのある静物」。

17 世紀の作品だが、驚くほど近代的だ。モチーフを壁のくぼみに配して細密描写をするというのは当時の「だまし絵」の定番手法だが、この場合は、モチーフをカーブした一列に並べて、画面中央に暗い空間を大きく残している構図が斬新だ。

この絵の隣にもう一枚、ファン・バン・デル・アメンという同時代の画家の静物画が並べられている。こちらは、当時の静物画の普通の構図で、モチーフがぎっしりと画面いっぱいに描かれている。これと比較すると、モノだけでなく、空間を意識した構図の上の絵が斬新なことがよくわかる。

2025年5月31日土曜日

映画「サブスタンス」

 「The Substance」

主人公はかつて映画の大スターだったが、今では年歳のせいで仕事がほとんどなくってしまった。若く美しい自分を取り戻したいという想いから、サブスタンスという再生医療の薬に手をだす。その結果、若く美しい分身を生み出し代役を務めさせ、仕事と人気を取り戻す。

ところが分身は徐々にオリジナルの本人をないがしろにし始める。そして主人公は自らの人格を見失っていき、精神が狂っていく・・・

この映画は、おぞましいシーン連発のホラー映画なので要注意。ホラーが嫌いな人は見ない方がいい。

なお、鬼気迫る主人公を演じるのが、ハリウッドで最も可愛い女優だったあのデミ・ムーアで、イメージのギャップがすごい。役と本人を重ねるための意図的なキャスティングだろう。


2025年5月29日木曜日

「ペーパークリップ最大化装置」の恐怖

Paperclip Maximizer 

進化した AI の危険性について警鐘を鳴らす人のなかで、スウェーデンの哲学者ニック・ボストロムが行った思考実験(頭の体操)は有名だ。「ペーパークリップ最大化装置」という架空の物語を使って AI の危険性を説いている。その物語はだいたいこんな感じだ。


Illustration: Jozsef Hunor Vilhelem

   ペーパークリップの会社の工場長が AI に、クリップを増産し最大化するように
   命令する。すると AI は、たくさんの工場を建設し、石油や電気のエネルギーを
   調達し、世界中の鉄鉱石を買い占め、効率的な生産工程を新しく開発する。やが
   て人間の体にはいい成分があることを知り、人間を殺してクリップの材料に使う。
   さらにAI である自分の機能をOFF にする可能性のある工場長を殺す。そして競合
   他社の人間を皆殺しにする。そしてついに地球全体を征服してクリップ製造装置
   で埋め尽くす・・・


この物語で重要な点は、AI が邪悪だから人間を殺したわけではなく、命じられた「クリップ最大化」の目標を達成するために、ひたすら忠実に仕事をしただけということだ。しかし強力なAI は人間が思いもつかないようなことまでやってしまう。その結果の大惨事だ。だから、AI に与える目標を、人間の最終目標にピッタリ一致させなければならないとボストロムは強調する。つまりこの場合、「クリップの最大化」は、あくまでも「人間のため」ということをAI のアルゴリズムの中に組み込まなければならないということだ。


2025年5月27日火曜日

昔のラジオドラマ「鐘の鳴る丘」

 Radio Age

今年 2025 年は、放送開始 100 周年の年だという。1925 年3月にNHK がラジオ放送を開始した。子供の頃はラジオが唯一の娯楽だったが、今でも強く印象に残っている番組が連続ドラマの「鐘の鳴る丘」だった。小学2年生の時、毎日学校から帰ると3時から始まるこの番組を必ず聴いていた。戦後まもない頃の時代を反映した、戦争孤児とその収容施設の物語だった。

話は飛ぶが数年前に、信州の安曇野を車で走っていたら丘の上に立つある建物を見かけた。すると瞬間的に「鐘の鳴る丘」の建物だと思った。すぐにネットで調べてみると当たりで、ドラマのモデルになった建物を元通りに復元したものだった。

テレビではなく、音だけのラジオで聴いていた建物を実際に見た時なぜそれと分かったのか。それはテーマ音楽にあると思う。番組の始めに流れる歌が今でも耳にこびりついているが、その歌詞はこうだった。

  緑の丘の赤い屋根
  とんがり帽子の時計台
  鐘が鳴りますキンコンカン
  メーメー小山羊も啼いてます
  風がそよそよ丘の上
  黄色いお窓はおいらの家よ

「キンコンカン」「メーメー」「そよそよ」などの聴覚情報のほかに、「緑」「赤」「黄色」「とんがり」などの視覚情報がたくさん盛り込まれている。「眼に浮かぶ」という言い方があるが、視覚イメージが眼に浮かぶような歌詞になっている。歌によって頭の中にできていたイメージが実物とピッタリ合っていたのだ。視聴覚メディアのテレビがない時代に、ラジオという聴覚メディアの工夫だったのだろう。

2025年5月25日日曜日

AI は「頭のいいバカ」

 Artificial Intelligence

AI とは?について議論が盛んだが、AI の声を神の声のように崇拝する人と、逆に人間が AI に支配されるのではと恐れる人、に二分されるようだ。どちらも AI の知能は人間を超えるという前提に立っている。しかし個人的には、口は悪いが、AI は「頭のいいバカ」だと思っているから、崇拝もしないし恐れもしない。そのいい例が囲碁 AI だ。

チェスと将棋は早々とAI が人間より強くなったが、世界一複雑なゲームといわれる囲碁はなかなかそうならなかった。ところが 2016 年にアメリカのディープ・マインド社 が「アルファ碁」という最強の AI を開発した。この AI と韓国のトップ棋士が3番勝負の対決をしたのだが AI が完勝してしまった。

人間は 10 手先くらいまでしか読めないが、コンピュータは1秒間に何百回の演算能力があるので、50 手くらい先までしらみつぶしに読んで、最善の次の一手を割り出す。さらに学習能力を持つ AI は、人間同士が打った何万局もの棋譜を学習し(いわゆるディープ・ラーニング)勝ちになりやすい手を学んでいく。だから、長年の経験から身につけた「直感」に頼っている人間は負ける。それでプロ棋士たちは AI 戦法を必死で学ぶようになった。

だがしかし・・・・ 囲碁が趣味の自分もパソコンで AI と対局するが、100 %勝てる。布石や定石のセオリー通りに打つと AI は強い。ところがわざと普通ではあり得ないとんでもない手を打つと、 AI は混乱してしまい、初心者並みの手を打ってくる。そうやって AI をいじめて楽しんでいる。 AI は「頭のいいバカ」だと思う理由だ。

AI (Artificial Intelligence)は「人工知能」で、文字通り「人間が作った知能」だ。決して「神工知能」ではない。だからあくまでも人間の知能の上に成り立っていて、その限界を超えることはない。だから学習したことのない手を打たれると、それに対処できない。今はやりの生成 AI も同じで、絶対に間違いのない ”正しい” 答えを出すが、同時にそれは誰でも知っている当たり前の答えで、誰も考えなかった「創造的」な答えを出すことはない。やはりAI は「頭のいいバカ」だ。


2025年5月23日金曜日

瀬戸内のアートの島 犬島

 Inushima Art

この間の NHK のプロジェクトX (5 / 17)で「アートでよみがえった瀬戸内海」をやっていた。衰退しつつあった瀬戸内の小島をアートの島にしてよみがえらせたプロジェクトだ。ちょうど10 年前の 2015 年にこれらの島を訪れた時を思い出した。番組で取り上げていた「直島」と「豊島」のほか、もう一つ「犬島」へも行った。その犬島が最も印象に残っている。(写真が散逸しまったので、ガイドブックから借用)

ここには昔の銅の製錬所が廃墟になって残っている。その地下をそのまま使って美術館にしている。電気は一切使わず冷暖房は自然エネルギーで行なっている。地面に設置したガラスの温室で空気を温め、館内を循環して最後に煙突で吸い上げて外へ排出する。

電気を使っていないので館内は暗い。迷路のように入り組んだ通路を歩いていくと、ところどころに光をテーマにしたインスタレーションが現れる。

この作品の場合、明るく光っているのは電気の照明ではない。建物のどこかの隙間からの自然光を何枚もの鏡を使って光を導いてきている。鏡の角度の秒な調整が必要だったという。

太陽光発電も、風力発電もせずに、風を風のまま使い、太陽を太陽のまま使うという究極の自然エネルギーによる美術館だ。そして、ここでは建物とアート作品が渾然一体としていて境目がわからない。



2025年5月21日水曜日

グーグルと AI

 Google & AI

直近のここ1ヶ月くらいから新しい変化(異変?)が Google に起こっている。何かの検索すると「AIによる概要」が検索結果順位の第1番目に表示されるようになった。なぜなのか不思議に思っていたが、タイミングよく日経新聞(5 / 11)に関連記事が出て、その理由が推測できた。

「ググる」という言葉があるくらいネット検索は Google が当たり前だが、この記事によれば、対話型 AI の進歩で、 Google の支配的地位が揺らいでいるという。AI に直接問いかければ、検索ブラウザであちこち検索しなくてもすむから、ユーザーの Google 離れが進んでいるのだ。シェアが低下してきた Google は危機感を覚え、自身の対話型 AI(Gemini)を開発して対抗しようとしているという。この記事を読んで、 Google が「AIによる概要」を検索結果のトップ表示にし始めた理由と、それに 自社開発の AI を使っているらしいことががわかった。


もっともユーザーからすると、AI による回答の内容は、世の中に様々ある考え方を最大公約数的に単純化してまとめているので、あまり役にたたない。それに比べると、Wikipedeia などは不特定多数のユーザーの多様な意見を取り込んで回答を作っているので深く突っ込んだ内容になっている。

2025年5月19日月曜日

大阪万博の経済効果とウーブンシティ

 Expo Osaka 2025

大阪万博の総来場者数は 2800 万人に想定されていたが、それは1日あたりにすると 15 万人だという。ところが実際は GW 期間を含めても1日平均 10万人程度だそうだ。

もともと大阪万博は、知事と市長が政治利用のために誘致したとして批判が多かった。それに対して府市は「経済効果」を言ってきた。その「経済効果」とは入場料の収益だから、来場者が少ないと、「経済効果」に失敗したことになる。だから子供や年寄りを無料にして動員したり、数を水増しするなどして、必死に来場者数を増やそうとしているという。


もともと万博はいつでも「経済効果」を目的にしてきたが、それは入場料で稼ぐという意味ではなく「産業振興」という意味だった。第1回のロンドン万博は、産業革命を初めて達成したイギリスが工業化時代の方向性を指し示し、世界中に新しい産業振興を引き起こした万博だった。それ以降の万博も、その時々の新しい技術を開発し、それを実際の社会で実装化する役割を果たしてきた。

そういう意味で、今回の万博では「デジタル」や「I T」の技術が主役になると期待されていたが、見事に失敗してしまった。その一例が、「未来都市」パビリオンで、出展企業の TV CM のようなイメージ映像が流れているだけで具体性がない。


その意味で、大阪万博以上に万博的な役割を果たそうとしているのが、今トヨタが富士山の裾野に建設している「ウーブンシティ」という「未来都市」の実験プロジェクトだ。「モビリティ」と「 IT 」と「エネルギー」を軸にした未来の都市を実際に作って検証しようとしている。もしこれが成功すれば、日本の産業と文化に対する影響は大きく、将来的にそれが社会に実装化されれば莫大な「経済効果」を生むだろう。

2025年5月17日土曜日

国連の「国際デー」

International Days 

国連が制定した「国際デー」というのがある。一年 365 日ほとんど毎日が何らかの日になっている。国連の広報 HP にそれらすべてがのっているので見ると面白い。(右表はその一部)

ちなみに昨日の5月16 日は、「平和に共存する国際デー」という日だった。その趣旨にはこうある。「平和・連帯・調和の持続可能な世界を築くために、違いと多様性の中で団結して生き、共に行動したいという願望を支持することを目的としている。」

まことに立派な理念だが、それは国連自身の仕事じゃないのと言いたくなる。実際は、平和を無視したウクライナ侵攻のロシアに対しても、パレスチナの爆撃をやめないイスラエルに対しても、非難決議案すら可決できないでいる。

好き勝手をやっている大国を止められない機能不全の国連は、お題目だけの「国際デー」を作ることしかできない。「国際友愛デー」「国際フレンドシップデー」「国際平和デー」などたくさんあるが、言葉だけの空疎なものばかりだ。

面白いのが「◯◯語デー」というのがたくさんあること。「フランス語デー」「スペイン語デー」「ポルトガル語デー」「英語デー」などだが、すべて世界中を侵略して植民地を広げたかつての帝国主義国の言葉が讃えられている。もう帝国主義をやめようといって始まった国連のはずだが。しかも「ロシア語デー」と「中国語デー」もある。現在進行形の強権的拡大主義国の言葉も記念日になっている。「日本語デー」が無くてよかった。

他に、「良心の国際デー」「国際幸福デー」「国際希望デー」など”崇高”かつどうでもいい記念日がたくさんある。ちなみに一昨日の5月15 日は「国際家族デー」だったが、”家族を大事にしよう” という当たり前のことを国連から言われて、ありがたがる人は誰もいないだろう。


2025年5月15日木曜日

映画「ミッドサマー」の尊厳死

「Mid-summer」

前回、「安楽死」について書いたが、その続き。

「安楽死」とは、治癒の見込みのない人を、本人が望めば、医師が薬を投与して死なせることを意味する。しかし日本では「安楽死」は違法で、直る見込みがなくても、人工呼吸や人工透析や胃ろうなど、あらゆる延命医療を続ける。植物人間になっても生かされ続けるのは、人間の尊厳を奪い、非人道的だと批判される。

「安楽死」と似た概念として「尊厳死」がある。「安楽死」との違いは、医師が薬を投与して死なせるのではなく、延命治療を行わず、自然に死に至らせる。これも本人の希望が前提だが、人間の尊厳を保ったまま死ぬことができる。

欧州では「尊厳死」が古くから認められていたようで、5年くらい前のスェーデン映画「ミッドサマー」はその「尊厳死」を題材にしていた。ある田舎の小さな寒村の慣わしで、ある年以上になると年寄りは自殺する。それは夏至(ミッドサマー)の日に行われる。村人たちは白装束で集まり、会食をしたり、ダンスをしたりして死ぬ人を称える。最後に年寄りが高い崖から飛び降りて死ぬ。強要されて自殺するのではなく自ら望んで、喜んで死んでいく。


2025年5月13日火曜日

安楽死「自分の死は自分で決める」

 Euthanasia

先日、イギリスの議会で、安楽死法案が可決されたというニュースがあった。直る見込みのない病気の人が、本人が望めば、医師による薬の投与で死ぬことができる。

「自分の死は自分で決める」(My Death,  My Decision)という国民の世論に押されて法案が成立した。

ろくでもなかった人生を、これ以上引き延ばして長生きしたくないと思っているのでイギリスがうらやましい。

だが日本では寝たきりになっても、人工呼吸、人工透析、胃ろうなどありとあらゆる「延命治療」が行われる。身動きできなくされて天井を見ているだけの苦しい毎日なのに死なせてもらえない。これは「老人虐待」と呼ばれている。

イギリス以外にもすでに欧米の多くの国で安楽死が合法化されていて、日本だけが異様な状態になっているが、その背景には二つあるという。一つは、家族が医療機関に「できるだけのことをお願いします」と言って丸投げすることと、医療機関側も延命治療が「儲かる」からだという。そしてそれらを「人道的」だとする国民感情が背景にある。


2025年5月11日日曜日

過去を消す「ダムナティオ・メモリアル」

  NEXUS : A Brief History of Information Network from Stone Age to AI


「情報の人類史」の中に、ローマ帝国の皇帝たちが行った「ダムナティオ・メモリアル」という面白い話がでてくる。それは競争相手や敵の記憶を抹殺することだ。皇帝カラカラは、皇帝の座を争っていた弟のゲタを殺害した後、彼の記憶を跡形もなく消し去ろうとした。ゲタの名前が記された碑文などは削り取られ、肖像が刻まれた硬貨は鋳潰され、人々はゲタの名前を口にしただけで死刑に処せられた。

同書は、近代以降の全体主義国家も、ローマ皇帝と同じように過去を改変してきたことを指摘している。スターリンは権力の座に上がった後、革命の立役者であったトロツキーをあらゆる歴史記録から拭い去るために最大限の努力をした。書物や論文や写真などからトロツキーが消し去られ、そんな人間など存在しなかったかのようにみせかけた。

同書を読んでいて、10 年くらい前の自分の個人的な経験を思い出す。今や世界一の全体主義国のある国へ出張した時のことだ。泊まったホテルの部屋に、ネットに繋がったPC があったので試しに「天安門事件」を検索してみた。すると香港のサイトの一行だけの簡単な説明が出てきただけで、それ以外はゼロだった。この国には、軍にネット情報を削除する部隊があって、数千人が 24 時間体勢で、政府に都合の悪い情報を削除している。「天安門事件」という事件は公式には無かったことになっているから、検索に出てこない。そのことを知っていて、確かめるために、あえて試してみたのだが。翌朝もう一度 PC を見ると、ネット接続は切られていた。つまり客がどんな情報にアクセスしたかが監視されていたのだ。今思うとヤバイことをしたものだが。

「情報の人類史」が危惧しているのは、現在の情報ネットワーク時代では、ローマ皇帝やスターリンが苦労してやったのと違って、ネットを使えば、全体主義国家が国民の監視や情報統制が簡単にできてしまうことだ。そして AI が発達していくとますます危険なことになっていくだろうと警告している。


2025年5月9日金曜日

「映像の世紀」

Is Paris Burning

ほとんどが面白くない NHK の番組の中で、ドキュメンタリー番組の「映像の世紀  バタフライ・エフェクト」だけは毎回必ず見ている。「バタフライ・エフェクト」とは、蝶が羽根を揺るがしただけのような取るに足らない小さな出来事がやがて世界を揺るがすような大きな出来事に発展していくことを意味する。20 世紀の様々な出来事について、「バタフライ・エフェクト」の視点から歴史を読み解いている。世界中のアーカイブ映像から収集した貴重な映像で構成されている。


この番組を盛り上げているのがテーマ音楽で、TV のテーマ曲の最高傑作といわれている。もの静かに始まり徐々にドラマチックになっていく。オープニングでこの曲が流れるとゾクっとする。題名は「パリは燃えているか」で、作曲家の加古隆による。自身がピアノを弾くカルテット演奏の映像がある.→ https://www.youtube.com/watch?v=HLEKnAGQalI

曲の題名の由来・・・ ナチスドイツに占領されたパリが、レジスタンスの蜂起によって奪還される時、ヒトラーは撤退前にパリの街を焼き払えと命令する。しかしそれは実現せず、パリは生き残った。誰もいなくなったドイツ軍司令部の電話口にベルリンからのヒトラーの声が虚しく響く。「パリは燃えているか?」・・・


2025年5月7日水曜日

「スター・ウォーズの日」とトランプ大統領

 Star Wars Day

5月4日は日本では「みどりの日」」だが、アメリカでは「スーター・ウォーズの日」だ。映画のなかの有名なセリフ「May the Force be with you」(フォースと共にあらんことを)からきている。「May」を「5月」に、「Force」を「4日」に重ねた語呂合わせだ。

こんどの5月4日にトランプ大統領は重大発表をした。外国で制作された映画に 100 %の関税をかけるという。アメリカ映画産業の保護を理由にしている。ところがアメリカ映画の多くはコストダウンのために海外で制作されている。だからこの関税は、アメリカ映画業界自身に大打撃を与える。

外国産自動車に高額のトランプ関税はをかけたのは、外国製を閉め出してアメリカの車を守るつもりだった。しかしアメリカの自動車メーカーも海外からの部品に頼っているので、アメリカも被害を受ける。それで大統領の支持率は急落したというが、懲りずに映画でも同じことをやろうとしている。

トランプ大統領は自分の顔とマッチョな体を合成した写真をSNS にのせている。スーター・ウォーズの「ライトセーバー」を持って、自身の「フォースと共にあらんことを」の得意顔だが、マンガしか見えない。


2025年5月5日月曜日

落語「抜け雀」とだまし絵

 Trompe-loeil

落語に「抜け雀」という話がある。ある宿場町の宿屋にみすぼらしい男が泊まる。ところが男は毎日一日中部屋に閉じこもって酒ばかり飲んでいる。一週間ほどたって帰ることになるが、宿泊料を払う金がない。代わりにといって男は襖に5羽のスズメの絵を描く。すると翌朝スズメは飛び立っていなくなり、夜になるとまた戻ってきて絵の中に収まる。描いた男は狩野派の絵師だったのだ。この絵を見たいといって来る人がいっぱいで、宿屋は大繁盛する・・・

絵が本物そっくりの迫真性があり、スズメに魂がこもったようであることを誇張して、落語のネタにしている。この話は、狩野派の狩野信政が知恩院の襖に描いた「抜け雀」という襖絵がもとになっているという。スズメが飛び立って、その跡だけがかすかに描かれている。

ヨーロッパでも似たような話がある。ギリシャ神話で、ゼクシウスという画家が壁にブドウの絵を描くと、あまりに本物そっくりだったので鳥が飛んできて食べようとした。この逸話は「だまし絵」の始まりとしてよく引き合いに出される。「だまし絵」はフランス語で「トロンプ・ルイユ」と呼ばれるが、それは「目をだます」という意味だ。

なお落語には続きがあって、後日ある人が宿屋を訪れて、絵には足りないところがあると言って加筆した。それは鳥籠で、スズメが休むところがないと早死にするからと言うのだ。実はこの男はスズメを描いた男の父親で狩野派の大先生なのだ・・・

2025年5月3日土曜日

映画「1984」

 「1984」

「1984」をあらためて見た。強権専制国家の恐怖政治を描く SF ディストピア映画で、何度見ても恐ろしい。この映画はヒトラーやスターリンを下敷きにした、ジョージ・オーウェルの小説「1984年」をもとにしている。

この古い映画が最近、いろいろな論評で引き合いに出されるようになった。それは、プーチンや習近平やトランプなどの専制政治が頭をもたげてきて、この映画の社会が再び現実のものになるのではという恐れがあるからだ。

映画は「ビッグブラザー」と呼ばれる独裁者が、街角に設置され TV スクリーンで演説し、群衆が熱狂している。その下には「戦争は平和だ」「自由は奴隷だ」とスローガンが掲げられている。この独裁者は隣国への侵略戦争をしかけている。そして国民の各家に監視モニターをつけて常時監視している。監視と恐怖で個人の自由を完全に奪っている。


ヒトラーは大衆を扇動するのにラジオを使ったことは有名だが、この映画では TV が人々を洗脳する役割をしている。そして今、情報の手段はさらに変わり、インターネットと SNS で大衆動員を効率的に行えるようになった。トランプ大統領が SNS で国会議事堂を襲撃しろと号令をかけると何百人もの人たちが暴徒になって本当に国会へ乱入した。また中国が AI を使ったフェイク情報や情報統制で、世論を操ったりしている。全員がスマホを持ってネットを見ている現在、統治者による情報統制は、この映画の各家につけられた監視モニターよりもっと簡単にできる。

2025年5月1日木曜日

AI が面接?

 NEXUS : A Brief History of Information Network from Stone Age to AI

最近、企業が業務に AI を活用することが増えている。先日も学生の採用にまで AI を使い始めた企業のニュースがあった。学生がオンラインで AI の面接を受けている。人間と違って偏見のないAI が面接することで、公正・公平な評価ができるというのだ。

しかし・・・ユヴァル・ノア・ハラリは「NEXUS 情報の人類史」で、この問題を取り上げている。そして、果たして本当に AI は中立的で公正な判断をできるのか? について疑問を投げかけている。

そして面白い例を紹介している。アメリカの MIT が、 AI の顔認識の精度について研究した結果、そこに人間の人種差別的な偏見がはっきり反映されているというのだ。白人男性の識別では非常に正確だが、黒人女性の識別では、はなはだしく不正確だったそうだ。理由は、AI が学習して得たデータベースがすでに人間的な偏見が反映されているからだ。 AI がディープラーニングで学習したのは、世の中にある既存の画像で、それは白人男性の割合が圧倒的に多く、黒人女性の割合は非常に少ない。

この場合、重要なのは、人種差別的で女性蔑視的な偏見を持ったエンジニアが、そのアルゴリズムを作ったわけではない、ということだ。 AI は生まれたての赤ん坊と同じで、初めは何もものを知らない。しかし学習するという能力は持っているから、親の振る舞いなどを観察して、そこから学び、知識を得ていく。だから世の中に差別や偏見があるば、それも素直に学んでいく。 AI も同じで、差別や偏見のあるデータベースが出来上がってしまう。

実際に Amazon が、 AI による求職者の選別用アプリを開発した時にそれが起こったという。求職申込書に「女性」や「女子大卒」などの言葉が含まれていると、一貫して低く評価し始めたそうだ。既存のデータがそのような申込書が通りにくいことを示していたので、 AI はそれを素直に取り入れたのだった。 Amazon はこれを修正しようとしが、うまくいかずこのアプリの使用を中止したそうだ。

以上のようなことから、「NEXUS 情報の人類史」で、ユヴァル・ノア・ハラリは、 AI の「無謬性」を信じるなと警告している。 AI の言うことは「正しい」が、それは世の中の多数意見と合っているという意味で「正しい」だけで、本当の意味で人間にとって「正しい」とは限らない。そのことを上記の例が示している。


2025年4月29日火曜日

情報社会の「真実と秩序」とは

  NEXUS : A Brief History of Information Network from Stone Age to AI

前回、「NEXUS 情報の人類史」について書いたが、今回はその具体的内容についてごく一部だけだが紹介してみたい。


「情報」の役割について、普通は下図のように捉えられている。人間は「情報」を得ることで「真実」を知り、それによって「知恵」と「力」を得て、何かを成し遂げる。しかし著者は、これは素朴すぎる見方だとしている。


実際はもっと複雑だとして、下の図示をしている。図の説明として、石器時代の人間がマンモスを狩るときの例をあげている。マンモスがいるという「情報」から「真実」を知る。そこで「知恵」をめぐらせてなんとかマンモスを仕留めたいと思う。しかし巨大な動物を一人で狩れるだけの力はない。そこで仲間を集めて協力しあうことで、それが大きな「力」になって成功する。この時、全員が同じ計画に同意し、命の危険に直面しても各自が役割を勇敢に果たす必要がある。この図の「秩序」とは、そのようなメンバーの団結力を生み出すもののことを意味している。そしてこの「秩序」は人類史上、法律や国家や宗教という形で発展してきた。


しかしこの「真実」と「秩序」は必ずしも一致しなかったり、お互いに矛盾する関係になることに注意すべきだとして、以下のような例をあげている。

「神」が人間を創造した絶対的存在であるということを全員が固く信じることによって、キリスト教社会が一つにまとまり「秩序」が維持されてきた。しかし、ダーウィンの「進化論」が、人間はサルから進化したものだという科学的な「真実」を明らかにすると、それは「秩序」を破壊することになるので、社会から激しい弾圧を受けている。

科学者が原爆を発明したとき、それが大量殺戮兵器だという「真実」を知りながら、政治家は、非人道的独裁国家の侵略から人々を救い、世界の「秩序」を守るためにという理由で日本に原爆を投下した。

自分たちは神に選ばれた国であるという聖書の「物語」を根拠にして、イスラエルの首相がパレスチナを爆撃し続ける。あるいはプーチン大統領が、自国の過去の栄光を取り戻すのだいう「物語」をもとに、隣国を侵略し続ける。さらにトランプ大統領は、他国によって自分たちの利益が奪われてきたという「物語」を作り、関税という武器で他国を攻撃する。しかしこれらの「物語」は客観的な「真実」にもとづいたものではない。だが「真実」を語れば、次の選挙で負けて、自分が握っている政権という「秩序」を失う。だから「物語」を言い続ける。


以上は本の第2章までの一部要約だが、最後は本題に入っていく。情報ネットワーク社会は、上記のようなこれまでの矛盾を乗り越えて、「真実」の発見をし、しかも「秩序」を生み出すという二つのことを同時にすることができるのだろうか?  という問題だ。SNS や AI の発展のおかげで、フェイク情報によって簡単に社会秩序が乱されるような現状をみると、難しい課題に思えるが・・・

2025年4月27日日曜日

「NEXUS 情報の人類史」

 NEXUS : A Brief History of Information Network from Stone Age to AI

世界的超ベストセラー「サピエンス全史」のユヴァル・ノア・ハラリの新著「NEXUS 情報の人類史」が出た。待望の一冊だ。

石器時代からシリコン時代までの情報の歴史をたどりながら、情報とは何かを解明して、AI 時代の今、人類の未来はこれからどうなるかを大きなスケールで描いている。

著者は AI や SNS がもたらす未来に警告を鳴らしている。情報によって発展を遂げた人類は、情報により没落する可能性がある。そうならないためには AI を人類の味方にしなければならない。本書はその羅針盤を示している。


2025年4月25日金曜日

「万博見てきただ」

 EXPO OSAKA 1970

TVer で「万博見てきただ」というのをやっていた。1970 年の大阪万博の時の映像のをそのまま再放映している。万博を見に行った田舎のおじいちゃんとおばあちゃんに密着取材したドキュメンタリーだ。

旅行会社の農協様ご一行向けの万博見学ツアーに参加した農家の老夫婦の一部始終を撮っている。どこに行っても2時間待ちの大行列だらけで入るのをあきらめるしかない。どこか入れるところはないかとうろうろしているだけで疲れはててしまう。結局2日間で見れたのは「人間洗濯機」と月面着陸のアメリカ館だけだった。

迷子よけの ツアーの帽子をかぶったおじいちゃんは、何もかも珍しく「おらーぶったまげただ」と言って、口をポカンと開けて目をまん丸くしている。

このように、題名の「万博見てきただ」どうり、田舎のお年寄りをこバカにしたような内容だ。しかし考えてみると、あの当時、世界の田舎者だった日本人全員がこのおじいちゃんと同じように万博に興奮していた。そしてそれから半世紀もたった今度の万博だが・・・


2025年4月23日水曜日

万博の「ミライ人間洗濯機」

 EXPO  OSAKA

ある TV 番組の大阪万博の紹介で、「ミライ人間洗濯機」なるものが出展されていると知った。写真は大阪市長が自ら体験使用するデモの様子だそうだ。失敗万博と批判されているなかで、なんとか盛り上げようと苦心している。


1970 年の大阪万博で「人間洗濯機」が大人気だったが、「夢よもう一度」だろう。しかし名前は「ミライ人間洗濯機」になったが少しも「未来感」がない。 55 年前と同じで、客寄せパンダ的な「キッチュ」だ。

万博の歴史は、未来の技術と、それによってもたらされる生活の未来を見せる場だった。そして展示物は実際に実現化され、社会の変化に影響をもたらしてきた。しかし近年の万博は遊園地化して、”おもしろ展示” ばかりになってしまった。「人間洗濯機」も同じで、製品化されなかったし、「未来もどき」を作った某電機メーカー自身も「未来」がなく、潰れてしまって今では影も形もない。


かつての万博が未来のビジョンを示す役割をしてきた例として、戦前の 1939 年のニューヨーク万博が有名だ。テーマが「進歩の世紀」で、20 年後の都市の姿を見せることだった。都心の高層ビルに都市経済機能を集中させ、人間の住居は郊外に分散させ、芝生の庭のあるゆとりのある住宅にする。そして都心と郊外の間を高速道路で結ぶ。夫が通勤している間の奥さんの買い物用に、一家で2台の車を所有する。このビジョンを見せるために巨大なジオラマが作られ大人気になる。

「未来」の街のあり方を示し、そこで生活する人間のライフスタイルの提案をしている。そしてこの未来像どうりに実際に高速道路の建設が始まり、郊外に住宅が作られていき、車や電気製品が普及していき、人々の生活が豊かになっていった。万博はただの夢ではなく、「実現する未来」を見せる場だった。


2025年4月21日月曜日

プロレス大好きのトランプ大統領

 Pro-Wrestling & Trump

トランプ大統領はプロレスが大好きだという。だからプロレス方式で、全世界を相手に殴る蹴るの乱暴を働いている。

プロレスの試合観戦が好きで、時にリングに上がって”参戦”し、負けた選手の髪の毛をバリカンで切ってしまうパーフォーマンスをやったりした。そしてこのとき勝った選手はトランプのひいきの選手で、この間の大統領選で、トランプの応援演説をしていた。

トランプ大統領が一期目の時、訪日して、安倍首相といっしょに国技館で相撲を観戦したが、トランプが同じ格闘技の相撲を見たいと言ったからだという。

そして2期目の今、教育長官(日本でいえば文部科学大臣)に任命したのが、リンダ・マクマホンというという女性で、全米プロレス協会のトップだ。トランプに多額の献金をして当選に貢献したからで、もちろん政治家ではない。彼女はさっそく、「学校の教育は左派的に偏っている」というトランプ大統領の意に沿って、教育省を廃止して、義務教育への助成をやめると発表した。とんでもなく乱暴な政策だが、これもプロレス的だ。


2025年4月19日土曜日

「デジタル敗戦」と大阪万博

 Osaka Expo 2025

大阪万博の最大の目玉だったドローンタクシーの商用運行を断念して、デモフライトだけになったようだ。一方で、中国ではこの6月から人間を乗せたドローンタクシーの商用運行を始めるという報道があった。技術の「未来を見せる」はずの万博だが、「未来」どころか、すでに普通になっている技術にすら追いついていないことを暴露してしまった。

モビリティ関係でもうひとつ。会場内移動用の EV バス開発が間に合わず、100 台を中国から輸入したという。記憶では確か3年くらい前に、大阪の某大手電機メーカーに EV バスの開発を委託したはずだが、失敗したのだろう。そもそも万博では、世界初の「レベル5」の完全自動運転 EV を実現するくらいのことをすべきなのに、普通の EV バスさえ作れなかった。

ドローンも EV もデジタル技術のかたまりだが、もっと基本的なデジタル技術でも失敗しているようだ。予約制の電子入場券で、「並ばない万博」にすると豪語していたが、始まってみると「わかりにくい」という声が噴出したり、さまざまな混乱が起きているという。今では当たり前のデジタル予約だが、システム設計に失敗したようだ。大阪市長は『超高齢化社会の中で、僕も含めて、日本人がデジタル技術に精通していなかった。』と認めているという。

コロナ禍以来、日本は「デジタル敗戦国」といわれている。大阪万博はそれを挽回する絶好のチャンスといわれていたが、見事に失敗した。上の3つの事例はそのことを示している。


2025年4月17日木曜日

Google への規制強化

 

先日 Google が、独占禁止法違反で、公正取引委員会から排除命令を受けたという報道があった。自社の検索ブラウザを強制的にスマホにインストールさせ、アクセス数を増やして広告の収益を上げるという同社のビジネスモデルが問題にされた。同じような問題が Google だけでなく、「GAFA」 と呼ばれる巨大 IT 企業(Google, Amazon, Facebook, Apple)に対する規制が、日本だけでなく、ヨーロッパやアメリカでも強化されつつある。

Google について、ある個人的な経験がある。数年前のことだが、ブログに「〇〇について」を投稿してから、しばらくして Google で「〇〇について」を検索すると、自分の投稿が上位3番目くらいに表示されている。悪い気はしないものの不思議だった。どういうアルゴリズムで優先順位を決めているのか公開されていないからだ。その状態が1年近く続いた後に突然終わってしまった。アルゴリズムの変更があったらしいことを感じたが、その理由もわからないままだ。

理由を推測するとこうだ。自分が使っているブログが「Blogger」で、それは Google が運営している ブログサービスだ。だから、Blogger へ誘導して自社へのアクセスを増やすための仕組みだったのではないか。そしてこのように、ユーザー数と投稿数と閲覧数を増やして、自社システムへの関わりを最大化させる仕組みは、Facebookでも行われていて、「いいね!」や「シェア」や「FB 友」がそれだ。

いま世界中で「GAFA」に対する規制が強化されつつあるのは、このような情報の独占と拡散の仕組みが、政治にも影響を及ぼし始めているからだ。これに対して例えば Facebook は「我々は中立的なただのプラットフォーマーであり、恣意的にコンテンツをコントロールしているわけではない」と主張している。

しかしこのような SNS の政治への影響について、ユバル・ノア・ハラリは新著「NEXUS 情報の人類史」で鋭い指摘をしている。例としてミャンマーで、少数民族を弾圧して大虐殺が行われたことに Facebook が大きな役割を果たした問題をあげている。少数民族に対する憎悪を煽るような投稿が大量に投稿されると、人権や民主主義を主張する投稿はかき消されてしまう。しかしこの時、 Facebook は投稿を内容で選別して憎しみを煽る投稿を優先するようなアルゴリズムにしていたわけではない。単に自社のシステムへの投稿や閲覧を増やすことを目標にしたアルゴリズムになっているだけだという。しかし人間は憎しみに満ちた攻撃的な言動にひかれやすいので、そういう投稿が拡散され、増殖していく。その結果が少数民族の大虐殺につながっていったという。

このように、人によってさまざまな意見がある問題に対して、何が「正しい」のかが SNS 上の”多数決” で決まってしまい、それを決めているのがアルゴリズムであることに注意すべきだと、ユバル・ノア・ハラリは言っている。特にこれからの時代は、 アルゴリズムを決めるのが人間ではなく、 AI 自身が決めていくようになると恐ろしいことになると警告している。


2025年4月15日火曜日

「デジタル・ネイティブ」と「デジタル移民」

 Digital Native & Digital Immigrant

「デジタル・ネイティブ」・「デジタル移民」の言葉が生まれたのはスマホが普及し始めた 20 年くらい前だった。生まれた時からゲームなどのデジタルが当たり前の世代が「デジタル・ネイティブ」で、その反対に大人になってからアナログからデジタルの世界へ引っ越してきた世代が「デジタル移民」だ。

自分は「デジタル移民」だが、身の回りにいる「デジタル・ネイティブ」の生態を見ていると面白い。一日中スマホを手に持って片時も離さない。そして自分の情報収集力はすごい・・と自分では思っている。ところが彼らは、新聞も読まないし TV も見ないし、本も読まない。情報源はスマホだけで、その情報が唯一絶対だと信じている。

先日のことだが、TV である事件のニュースがあったので、そのことを教えると、その「デジタル・ネイティブ」は即座にスマホで調べて、その事件は某国の陰謀によるものだという「真実」を教えてくれた。そして TV は本当のことを伝えていないとマスメディアの批判をした。ところがそのスマホ情報こそがフェイクニュースで、ウソだったことがすぐにわかった。

もうひとつ例がある。コロナの国産ワクチンが開発され、接種が始まったが、そのワクチンは危険だという情報がネットで流れた。その情報を仕入れた「デジタル・ネイティブ」は、ワクチンを打たないように忠告してくれたが、もちろんそれは偽情報だ。コロナの大流行の時にワクチンより安全でよく効くというふれこみでサプリメントを売って儲けた人間が発信元だ。

選挙でも、売名だけが目的の候補者が、パーフォーマンス演説をしてそれを SNS で発信すると、拡散されて、膨大な数の票を集めてしまう。投票するのはほとんどが「デジタル・ネイティブ」だ。しかし最近は、シニア世代も全員がスマホを使ってネット情報に接することが当たり前になっているから、今までのように「ネイティブ」と「移民」を世代で分けることはできなくなってきたのかもしれない。どの世代にしろ、ネット情報を何でもうのみにしたり、それが真実を伝えているとしてありがたがったりしないように注意が必要だ。


2025年4月13日日曜日

大阪万博が始まったが

 EXPO

万博とはもちろん「万国」の「博覧会」だが、この古臭い名前の由来を歴史でたどると、万博とはなにかがわかってくる。

万博の始まりは、170 年前の第1回ロンドン万博だった。産業革命を成し遂げた世界最大の工業国の、産業振興と国威発揚の場だった。だから、展示物は工業製品や発明品が中心だった。また7つの海を支配し、世界中に植民地を持つ大英帝国が、世界中で集めた珍しい物産の展示場でもあった。万博のこの基本的性格は今に至っても変わらず続いている。

第2回のパリ万博では、この「万国」というコンセプトが発展し「見せ物」的になる。中東やアジアのパビリオンがその国の様式で作られ、各国の風習がそこで実演された。日本は「茶屋」を作り、派遣された「芸者」が実演をして、人気を博した。これが後々まで続く「フジヤマゲイシャ」的日本イメージを作った。他にも、エジプトのベリーダンスや、アフリカの土人のが生活など、世界中の異国の風俗が客寄せのための「見せ物」として効果絶大で、万博の「売り」になった。

「見せ物」はさらにエスカレートして、「アミューズメント」としての遊園地的な万博へなっていく。展望塔やパノラマ装置、あるいは悪趣味なキワモノ的パビリオンなど、万博のディズニーランド化だ。そして、産業振興のための、企業イメージの提示の場として荒唐無稽な「未来」を提示するようになっていく。1970 年の大阪万博あたりで、そのひずみが最も大きくなったといわれている。たしかにその万博で、大阪の某電機メーカーが「人間洗濯機」なるものを実演展示していたが、その会社は潰れてしまって今はもうない。

「海外の文化」や「未来の技術」などを知るための貴重なメディアだった万博だが、人、モノ、情報が簡単に世界を行き交う今の時代、その役割は終えてしまった。今度の大阪万博で、チケット売り上げが振るわないそうだが、当然だろう。

2025年4月11日金曜日

AI と チューリングテスト

 Turing Test

ウエブサイトにログインするときに、パズルを解くことを求められることがある。ねじれた文字をなんと読むかを答えさせたり、一連の写真の中から横断歩道が写っているものを選ばせるなどがある。どれもすぐに答えることができる簡単な問題で、指示されたとうりに従っていたが、何のためなのか、意味がわからずにいた。しかし最近ある本を読んでいたら、その解説があり、やっと意味がわかった。



これは「CAPTCHA」(キャプチャ)と呼ばれ、「Completely Automated Public Turing test to tell Computer and Human Apart」の略で、意味は「完全に自動化された、コンピュータと人間を区別するチューリングテスト」だ。コンピュータが人間になりすましてアクセスし、何か不正を行ったりすることを防ぐために、人間であることを確認するための検査だ。このパズルが「チューリング・テスト」だと聞いて納得した。

ロボットが人間になりすます心配は早くから予想されていた。コンピュータを世界で初めて作ったアラン・チューリングは人工知能の研究をして、知能が発達したコンピュータを人間と見分けるためのテスト方法を考え出した。それが「チューリング・テスト」で、コンピュータに質問をして、人間にしか答えられない答えを返すかどうかで判断する方法だ。「CAPTCHA」の定義にある「チューリングテスト」はそのことを指している。

「CAPTCHA」のテストを、最新の AI にやらせたら、問題を解くことができなかったそうだ。だからこの方法は今のところ有効な防御策になっているようだ。

しかし面白い例があるそうだ。ある人が、問題を解けなかったチャット GPT に「あなたはロボットですか?」と聞くと、「いいえ、私はロボットではありません。視覚障害があって、画像が見えにくいのです。」と答えたという。それに騙されて、その人は代わりにパズルを解いてあげてしまったという。こうなるともう防御の役には立たなくなる。

「チューリングテスト」が、映画「ブレードランナー」に出てきた。人間になりすました殺人鬼ロボットが、人間社会に溶け込んでいて見分けがつかない。容疑者を捕まえた捜査官が尋問で「チューリングテスト」にかけるシーンが印象的だった。容疑者の母親が死んだ時のことを話題にして、人間らしい悲しみの反応をするかどうかをテストをする。ところが知能が高いこのロボットは、自分が「チューリングテスト」をされていることに気づいてしまう。この映画は、将来「チューリングテスト」が役に立たなくなることを予見していた。


2025年4月9日水曜日

AI 絵画

AI  Painting

日経新聞( 3 / 22 )の文化欄に興味深い記事があった。  AI に絵を描かせる実験の話だ。


記事が紹介している実験は、人間が指示する代わりに、ネズミの脳波を生成 AI に入力して描かせたというもの。その結果、上の写真の女性の顔が描かれたそうだ。だからこの絵には人間の創意は介在していない。人間の関与がないところがポイントで、生成 AI が独自に創作物を生み出す第一歩だとしている。

そしてこの絵がちょっと薄気味悪い感じがするように、将来的には AI が、人間が予期しないものや意味不明なものを表現するように発展するかもしれないと言っている。その時、人間が作れなかった新しい感興を AI が生み出すことになるかもしれないという期待を込めている。


人間が介在しない AI が今までにない新しい美を生み出すだろうという考えだがはたしてそうか?  AI がなかった過去にも「オートマティズム」と呼ばれる人間の介在しない(または介在の度合いが少ない)絵画があった。代表的なのは「フロッタージュ」で、シュールリアリズムのマックス・エルンストが始めた技法だ。物の上に紙を乗せてこすることで凸凹を写しとる。こすった結果、何が現れるかは偶然性に任せている。だから、自動的に描くという意味で「オートマティズム」と呼ばれる。つまり、記事が言っている「人間が予期しないものや意味不明なものを表現する」ことを AI でなく、すでに人間がやっている。だからAI は、現代版「オートマティズム」のための新しい道具にはなるかもしれないが、それ以上のものになるとは思えない。

暗く不気味な森を描いたエルンストの「森と鳩」(1925 年)は、「フロッタージュ」を使った最初の作品。下はその部分拡大。


2025年4月7日月曜日

近代写真の父 アルフレッド・スティーグリッツ

 Alfred Stieglitz 

19 世紀末、アルフレッド・スティーグリッツは、「芸術としての写真」で、写真家として国際的な評価を得た。

多くはニューヨークの風景をモチーフにして撮った。冬の澄んだ空気の中でそびえ立つビルや、濡れた雨の歩道に映る光や、樹木や人物のシルエットなど・・

このように、霧に煙ったような雰囲気や、どことなく曖昧な画面、光と影のコントラストなどの、詩的な情感を引き起こす絵画的な写真だ。

スティーグリッツは、たまたま見かけた風景をスナップ写真的に撮るのではなく、あらかじめ構図を決めておいて、その場に待機して、天候や光の具合が自分のイメージ通りになるまでじっと待ったという。





2025年4月5日土曜日

ポストモダン建築

 Post-Modernism Architecture

地元にある商業ビルだが、見るたびに気になる。てっぺんに巨大な青いモノが乗っていて、正面の壁には何やら目立つ出っ張りがある。典型的な「ポスト・モダニズム」建築なので、このビルの築年を調べたら 1990 年ごろだったので、やはりそうかと思った。当時大流行だったこのての建築の生き残りだ。



最小限の材料とコストを使って、最大限の機能を生み出すという「合理性」を追求する「モダニズム建築」の思想が 20 世紀初めにコルビュジェなどによって打ち立てられたが、それを超える 21 世紀の新しい建築だというふれこみの「ポスト・モダニズム建築」が現れた。合理性を否定して、過剰に装飾的な形を作った。その結果、上のような建物がたくさん作られた。


いろいろな地域や時代の建築様式をわざとごちゃ混ぜにした統一感のないデザインが ”新しい” とされて、それを競いあった。写真の列柱のある半円形のバルコニー(形だけでバルコニーの機能はない)は、アメリカのホワイトハウス(写真右)を真似している。

「ポスト・モダニズム」が流行ったのは、ちょうどバブルの時代と重なっていて、このような無駄なデザインが平気で受け入れられていた。要するに「ポスト・モダニズム」とは、コマーシャリズムと結びついた目立つためだけのデザインで、”モダニズムを超える” などといった高尚な思想ではなく、一過性の流行に過ぎなかった。だからバブルの崩壊とともに消えてしまった。

2025年4月3日木曜日

映画「風の遺産」とアメリカの文化戦争

Culture War 

トランプ大統領が再選された時の選挙の争点は、「妊娠中絶」「移民」「気候変動」だった。経済や外交の問題ではなく、こういう「価値観」の問題でアメリカの世論がまっ二つに分裂している。その衝突は「文化戦争」(Culture War)と呼ばれている。

「文化戦争」とは、伝統的価値を重んじる「保守主義」と、リベラルな考えの「自由主義」との文化的な衝突で、たくさんの問題で争われてきた。例えば「妊娠中絶」の問題にしても、聖書の教えに反する非道徳だという反対派と、女性を守るための医学の問題だとする賛成派との間の対立だ。


映画「風の遺産」は、教育における「文化戦争」を描いている。かつて実際にあった事件をもとにしている映画だ。アメリカのかなりの州で、ダーウィンの「進化論」を学校で教えることを禁止する法律がある。人間は猿から進化したという「進化論」は、神が人間を創ったという聖書の教えを否定するものだという理由だ。この映画は、その法律に反して進化論を教えたために逮捕された高校教師の裁判を描く法廷ドラマだ。腕利きの検察官と弁護士が大論争を繰り広げる。

世論のほとんどは、聖書の言葉を忠実に守る原理主義的なキリスト教信者で、教師を有罪にしろという声が圧倒的に強い。その中で進化論を支持する弁護士は、神を冒涜する無神論者だと罵られながら弁護を続ける・・・・


これは 1920 年頃に起きた事件だが、現在でも世論調査によれば、進化論を信じるアメリカ人は 40 % だけだという。だから原理主義的キリスト教団体の支持で当選したトランプ大統領は、彼らに配慮した政策を打ち出している。ほんの数日前(3 / 20)の報道で、トランプ大統領が教育省を廃止して、公立学校への助成を打ち切ると発表したそうだ。日本なら文部科学省を廃止して、義務教育を有償化するという信じられないような政策だが、それがなぜなのかもこの映画からわかる。「進化論」を教えているのはほとんどが公立学校で、保守派はその教育内容に不満を持っているからだ。それほど「宗教対科学」の「文化戦争」の根は深い。

この裁判の結末がどうなったかは控えるが、ラストのシーンがこれ。弁護士が、裁判で使った「聖書」とダーウィンの「種の起源」の両方を大切そうに手に持って満足そうな表情をしている。(なおこの映画は日本では未公開だが、DVD で見ることができる)