2025年9月4日木曜日

今年は「昭和 100 年」 自分が生まれた年の歴史を映画で知る


今年は「昭和 100 年」ということで、昭和を振り返る企画がたくさん行われている。なかでも産経新聞の「プレイバック100 年」は、昭和生まれの有名人たちが自分の生まれた年の出来事を調べて、それをつないでいくことで、昭和の歴史を浮かび上がらせる、という企画で、面白かった。それで自分でも生まれた年の出来事を調べてみた。

昭和 17 年(1942 年)の出来事
 ・日本軍、マニラを占領
 ・日本軍、シンガポールを陥落
 ・大日本婦人会発足
 ・アメリカ大統領が、日系人の強制収容を命令
 ・食料管理法制定、米が配給制になる
 ・東京に初空襲
 ・ミッドウェー海戦で日本軍敗北
 ・日本軍、ガダルカナル島から撤退

戦中なので戦争関係の事項ばかりだが、当時は誰もがウソだらけの「大本営発表」でしか戦争を知らなかった。歴史の真実を知るには映画がいちばんいい。ということで上記の 1942 年の出来事のうちの3つを題材にした映画を紹介する。(これらは現在でも DVD で観ることができる)



⚫︎ミッドウェー海戦で日本軍敗北 「ミッドウェー海戦」

1942 年のミッドウェー海戦は、真珠湾攻撃以来、連戦連勝だった日本軍が敗戦への坂を転げ落ちていく始まりだった。よく知られているように、すでにアメリカは日本の暗号を解読していたので、日本軍の作戦が筒抜けになっていた。それでアメリカ艦隊がミッドウェーで待ち伏せして、日本艦隊を壊滅させた。しかし日本の「大本営発表」では日本の大勝利ということになっていた。

その戦いを記録したのが、ジョン・フォード監督の「ミッドウェー海戦」だ。従軍して戦争記録映画を撮っていたフォード監督が、ミッドウェー海戦を撮った実写映像だから迫力がある。フォード自身も被弾して負傷したが撮り続けたという。その年 1942 年にすぐに公開されて、アメリカ人の戦意高揚に役立った。


⚫︎東京空襲が始まる 「東京空襲 30 秒」

上記ミッドウェー海戦の大惨敗で、日本は太平洋の制海権と制空権を失った。この年に東京空襲が始まったのも、そのためだった。その後アメリカは「飛び石作戦」で次々と太平洋の島々を奪って日本に近づいていく。1942 年の時点ではまだ日本から遠かったが、ドゥーリトル中佐の爆撃隊が初の東京空襲を試みた。

その再現ドラマが、「東京空襲 30 秒」だった。ガソリンは満タンでも片道分しかないが、爆撃後は中国に不時着する計画だ。そして空襲は成功し、東京・横浜・川崎などに打撃を与えた。当時中国はアメリカの同盟国だったので、計画通り中国に不時着した乗組員は、中国人に助けられ、無事にアメリカに帰還できた。映画は戦中の1944 年に公開された。


⚫︎アメリカで日系人の強制収容が始まる 「愛と哀しみの旅路」

真珠湾攻撃の時、ハワイに住む日系人が、真珠湾のアメリカ艦隊の動静を日本に通報していたとされていた。日系人は敵性外国人とされ、 1942 年にルーズベルト大統領は日系人の強制収容の命令を出す。日系人は全て拘束されて、アリゾナの砂漠地帯の収容所に送られた。

「愛と哀しみの旅路」は、収容所送りになった日系人女性の悲劇を描いている。LA のリトルトーキョーで働いていた主人公は、差別を受けている。そして白人の夫と引き離され、収容所に送られる。この映画で、今でもほとんど知られていない収容所の過酷な実態を見ることができる。ただしこの映画は、すでにアメリカ政府が強制収容は誤りだったと認めた後の1990 年制作なので、日本人の側に立った映画になっている。


2025年9月2日火曜日

「防災の日」の政府防災会議

 Disaster Prevention Day

昨日9月1日は「防災の日」だった。例年どうりこの日には、首相以下全閣僚が危機対応の訓練をする「総合防災会議」が行われ、その様子が TV で報じられていた。

しかしこの会議は、全員防災服を着ている儀式的なパーフォーマンスで、緊迫感などまったくない。そのことをある官僚が暴露していた。この会議のシナリオは官僚が作っていて、誰がどういう順番で、何を発言するかがも全て決まっていて、その台本どうりにペーパーを読んでいるだけなのだという。(写真でも全員がペーパーを眺めている)まず首相が「全力で被害状況を把握して、住民の安全を最優先に、政府一丸となって対応にあたるように・・」的なお決まりの訓示を垂れる・・・

この防災会議は、福島原発事故のわずか1ヶ月前にも開かれていた。その時もおざなりな台本朗読方式だったから、全員がその訓練のことなど頭に何も残っていない。だから事故が実際に起きて、首相以下全員どうしていいか分からず右往左往した。

特に住民の避難指示がひどかった。事前の訓練会議で、すでに住民避難のさせ方についてレクチャーされていた。この地域の風向きが南東からなので、放射能は北西の方向へ広がっていく。だから北西方向の 30 km の範囲の住民を避難させなければならないとしていた。ところが実際に出された避難指示は、原発から半径 10 km の同心円を描いただけの範囲だった。そして官房長官は連日 TV で「健康被害の心配はありません」と言い続けた。そして教わったとうりの避難区域に訂正したのが一週間後だった。その間、被害状況は悪化し続けた。ちなみにこの時政府が言い訳けに使った「想定外」は、政府のバカさ加減を表す言葉として、当時流行語になった。


2025年8月31日日曜日

子供のスマホ使用制限条例

Smartphone Idiot 

愛知県豊明市という町で、子供のスマホ使用を、1日2時間に制限する条例ができるというニュースが話題になっている。最近オーストラリアでも同様の法律が制定された。そうしたい気持ちはわかるが、実効性はほとんどないだろう。かんじんの親たちが、「子供がコミュニケーションができなくなる」とか「子供が情報収集ができなくなる」などの理由で反対しているからだ。スマホさえあれば「コミュニケーション」や「情報収集」ができると思っている親たちを見て、子供たちも「スマホ人間」に育っていく。ちなみに「スマホ人間」のことを英語では「Smartphone Idiot」という。つまり「スマホ馬鹿」だ。

スマホで得られる知識は、どうでもいい雑学的なことばかりだが、それで十分満足しているスマホ人間は、本を読まない。もともと子供は、知識欲が旺盛で、本を読むのが大好きだ。読書は、「読解力」という言葉のとうり、「読んで理解する」ことで、それには自分の頭で物事を考える力を必要とする。読書によってその能力が身についていく。しかし読書嫌いで、本を読まないまま育った人間は「スマホ人間」になる。スマホは本と違って、自分の頭で考えることを必要としないお手軽な道具だからだ。


2025年8月29日金曜日

ヒトラーのプロパガンダ建築

 Propaganda Architecture

前回書いた日経新聞の連載コラム「プロパガンダの威力 10 選」の9回目で「クレメンス・クロッツ設計『プローラ』」という建築が取り上げられていた。ドイツの島にある一般労働者のための保養施設で、最大2万人が宿泊できる巨大施設だったそうだ。

ヒトラーは政権を握ると、産業の近代化をはかり、大恐慌以来あふれていた失業者をゼロにし、労働者の所得を大幅に増やした。そして労働者を優遇する社会保障政策を推し進めた。子育て世代の育児支援、8時間労働と住職接近、新婚者の新築住宅の税金免除、福利厚生施設の拡充、などで、ドイツは福祉大国になった。(池内 紀 著「ヒトラーの時代」による)

その福利厚生の一つとして、労働者が誰でも休日に旅行ができるようにする政策を強力に進めていた。安く泊まれるリゾート地の開発や、誰でも旅行ができるための安い国民車(フォルクスワーゲン)の提供などは有名だ。おそらくこの施設もその一貫として建てられたのだろう。

こういう政策が次々に実現していくのを見て、反ヒトラーだった人たちも熱烈なヒトラー支持者に変わっていったという。そのプロパガンダ役を果たしたものの一つが、この保養施設だった。「プロパガンダの威力10 選」の一つに選ばれたのはそのためだろう。

この写真で、窓が一列に機械的に並んでいて、味も素っ気もない。室内の造りも全室均一だそうで、リゾートの施設らしいうるおいがまったくない。だから戦後は軍隊の兵舎として利用されたという。同記事によると、地位や職業に関係なく、ドイツ民族であれば同じ空間で同じように余暇を過ごす。それがナチスの「民族共同体」思想のプロパガンダの具現化だったとしている。


2025年8月27日水曜日

「深読み」が必要なプロパガンダ絵画

Propaganda Painting

日経新聞(8 / 13 ~ 8 / 27)の文化欄に「プロパガンダの威力 10 選」という連載コラム記事があった。絵画、彫刻、建築、映画などの各分野における代表的なプロパガンダ作品を 10 個選んでいる。とくに題名に「威力」とあるように、プロパガンダとして「威力」のあった作品を取り上げている。

例えばこの「神兵パレンバンに降下す」は、太平洋戦争中の落下傘部隊の活躍を、従軍画家が描いたもので、国民の戦意高揚をねらった有名な戦争プロパガンダ絵画だ。

しかしこのようなわかりやすいプロパガンダばかりではない。同記事も言っているように、プロパガンダには「深読み」が必要な場合が多い。国の政策が国民に本当に支持されているならば、わざわざその政策を強調する必要などないからだ。歴史的にみると、一見プロパガンダには見えない巧妙なプロパガンダ絵画が多くあり、それらは「深読み」が必要になる。「全体主義芸術」(イーゴリ・ゴロムシトク著)という本は、ナチスドイツと、社会主義ソ連との二つの全体主義国家のプロパガンダ芸術を研究している。そのなかから「深読み」が必要な作品のいくつかを紹介する。(写真は同書より)


ソ連の集団農場のコルホーズを描いた「コルホーズの祝日」という絵で、祝日に労働者たちが集まって食事をする光景が描かれている。食卓には豊かな食事が並び、人々の顔は喜びに満ちて、コルホーズの豊かさを表している。何も知らずにこの絵を見れば農村の平和な風景に見える。しかしこの絵が描かれた1930 年代は、農業集団化政策の失敗のため、ソ連全土で無数の餓死者が出る凄まじい飢饉が起きていた。社会主義の計画経済の失敗を隠そうとするソ連政府が、飢饉などなかったように見せるためのプロパガンダ絵画だ。

S・ゲラシモフ 「コルホーズの祝日」(1936 年)

同じくコルホーズ農場の絵画で、「昼食は母たちのもとで」がある。昼食時間に母乳をやるために連れてこられた赤ん坊と母親が対面するという喜びに満ちた明るい絵だ。しかし子供を産んだばかりの母たちが家庭から引き離されて、コルホーズでつらい肉体労働をさせられているという事実の裏返しだ。

ガポネンコ 「昼食は母たちのもとに」(1935 年)

ソ連では、社会主義イデオロギーの成功を誇示して、 ”偉大な国” としてのイメージを高めるための、工業力の発展をテーマにするプロパガンダ絵画で溢れていた。溶鉱炉や、煙を吐く工場や、疾走する列車などの工業的風景がモチーフだった。

コトフ 「第一溶鉱炉」(1931 年)

戦後の米ソ冷戦時代の作品「新しい制服」で、新しく支給された制服を、家庭で試着している光景を描いている。裕福そうな住居と、幸福そうな家庭生活を強調している。当時の社会主義経済 対 資本主義経済の競争時代に、社会主義経済が成功し、市民たちが豊かさを獲得したことをうたっている。しかしやがて経済は破綻して、ソ連の崩壊へ向かっていくのだが。

ポノマリョフ 「新しい制服」(1952 年)

2025年8月25日月曜日

万博のプロパガンダ建築

Paris Expo 1937

大阪万博が ”時代遅れ”と批判される理由の一つは、大屋根リングに代表されるように、昔の万博を思い出させるからだろう。戦前の1937 年のパリ万博などのような。

パリ万博で、数年後に第二次世界大戦の「独ソ戦」で戦う両国の「ドイツ館」と「ソ連館」がエッフェル塔を挟んで向かい合って建てられた。世界の覇権を狙う全体主義国家どうしの「プロパガンダ建築」だった。



ナチスドイツと、スターリン主義時代のソ連の芸術を研究した「全体主義芸術」(イーゴリ・ゴロムシトク著)という本で、このプロパガンダ建築について詳しく説明しているので一部を引用する。

「ドイツ館は、160 m の天を目指すような高さを誇り、神聖なるドイツ産の鉄と石から建設された。」「塔の上にナチス国家の象徴である鉤十字のついた鷲が据えられている。」「ドイツの生活の姿を変えるという使命を帯びた、ヒトラー総統の偉大な理念を鮮やかに表現している。」

「ソ連館は8階建の建物の高さの塔で、国家の上昇志向を強調している。」「塔の頂上には、ソ連の象徴である鎌とハンマーを持った労働者の像が据えられている。」「ソ連館は、達成と勝利の道におけるソヴィエト連邦の目的への意志と理念を鮮やかに表現している。」

上の二つの説明でわかるように、両者にはっきりとした共通性があることを同書は強調している。全体主義国家の理念を大げさに強調するプロパガンダ建築であることだ。政治体制が違って対立していても、全体主義という両国の目指す方向は全く同じであることが、二つのパビリオンのデザインにはっきり現れている。


2025年8月23日土曜日

ロトチェンコに憧れていた昔の写真

 Photo Works of Student Days

 前回「写真」と「絵画」の関係について書いたなかで、写真に熱中していた学生時代にロトチェンコの作品に憧れていたことに触れた。そのついでとして今回は、当時の作品を紹介してみる。(2022 年に一度投稿したものを再編集。)今のようにスマホで気軽になんでも撮る時代ではなく、「作品」を作るような感覚で撮っていた。プリントも引き伸ばし機を買って自分でやっていた。


なにか面白いモチーフがないかと、あてずっぽうで競馬場へ行ってみた。馬券を買う人の列と、まわりにハズレ馬券が散らばっている光景を上から見おろすチャンスがあり、「これだ」と思ってシャッターを押した。人間と馬券が画面の中で面白い構成を作っている。「ロシア構成主義」といわれたロトチェンコの写真は、遠近法を基本にした絵画的な構図を排除して、奥行きや立体感をなくすアングルで撮った。それによって2次元的で平面的な画面構成をした。モチーフの人間や物は構成のための要素でしかない。


場所は忘れたが、どこかの海辺で撮った写真。オレンジフィルターを使って中間トーンを飛ばして、光と影のコントラストを強調した。そのことで、対象を「点」や「線」や「面」の幾何的形態に還元して、写真的なリアリティをなくし、画面構成に徹している。


ワイングラスをいろいろなアングルで撮って、それらのネガを複数枚重ねてプリントした。いわゆる「ダブルイメージ」だ。「構成主義」そのままの写真。



ロトチェンコは、遠近法を基本にした絵画的な写真を排除するために、対象を真上や真横から撮るアングルを多用した。それを真似したのがこの写真。どこかの駅の線路と乗務員用の通路を高いアングルから撮った。線路の水平線と通路の垂直線の交差による構成が面白い。点景の乗務員の位置も絶妙だ。


彫刻家の本郷新のアトリエを見学に行った時の写真。真夏の太陽の光と暗い岩の陰とで画面を真っ二つした大胆な構図だ。コントラストを強調するためにオレンジフィルターを使った。今見てもよく撮ったと思う一枚だ。


2025年8月21日木曜日

写真と絵画の関係の歴史

 

1839 年にダゲールが写真を発明して以来、写真はさまざまなかたちで発展してきたが、特に「写真」が「絵画」から受けた影響と、「絵画」が「写真」から受けた影響と、その両者の関係が面白い。そのことを当ブログで何回か書いてきたが、今回それらを再編集しながら一つにまとめてみた。ちょっとした「写真と絵画の関係史」になりそうだ。


⚫︎絵画の模倣をする写真(2025. 8. 9. 投稿)

19 世紀に写真が発明されると、絵画が大きな影響を受ける。それまでの写実絵画が、写実性の点で写真と対抗できなくなって、カメラという機械にはできない、人間が感じる印象を描く「印象派」が生まれたとされる。

一方で誕生したばかりの写真は、外国の珍しい風景や、人間の肖像を撮るなど、「記録」の機能しかはたせなかった。しかしやがて、写真も芸術になりたいという願望が生まれ、絵画の模倣をするようになる。現在、東京写真美術館で開催中の写真展「トランス・フィジカル」展に出展されている「アジャンの風景」(1877 年)は写真だが、どう見ても印象派の絵画のように見える。実際に印象派全盛の時代の作品で、初期の写真は、絵画を追いかける「絵画の模倣」(ピクトリアリズム)だったことがよくわかる。なおカラーフィルムがない時代だったのに色がついているのは、3原色れぞれのモノクロームで撮ったフィルムを3枚重ねるという色彩の減算混合の原理を応用している。

「アジャンの風景」ルイ・デュコ・デュ・オーロン(1877 年)

⚫︎ピクチャレスク絵画(2014. 8. 4. 投稿)

印象派と同じ頃の19 世紀アメリカでは、「ピクチャレスク絵画」が大人気になる。それは「絵のように美しい風景を描いた絵」の意味であり、アメリカ人が大好きな写実絵画だった。その代表が「ハドソン・リヴァー派」で、まだ未開の土地だったハドソン川流域の風景を描いた。アメリカらしい壮大な大自然を、美しく崇高な絵として描いた。

彼らは旅行をしながら写真を撮って、それを参照しながら、時には複数の写真を組み合わせるなどして、実際には存在しない理想の風景を描いた。それらは大キャンバスに細部まで非常に精密に描かれていた。19 世紀末には、大サイズで高精細のステレオスコープ写真がすでにあり、それに対抗するためだったという。

 「シエラ・ネバダ山脈のあいだ」アルバート・ビアスタット

⚫︎ロシア構成主義のロトチェンコの写真革命(2021, 1, 11, 投稿)

「ロシア・アヴァンギャルド」と呼ばれる20 世紀初頭のロシアの前衛芸術運動は美術に革命を起こした。それは「ロシア構成主義」とも呼ばれ、中心になったロトチェンコは、グラフィック・デザイナーであり、写真家でもあった。

ロトチェンコは、絵画的な美しさを理想として、絵画の追随をする写真を否定して、写真独自の可能性を追求した。そのため絵画の遠近法的視覚でなく、真上や真横からのショットを多用した。代表作のひとつのこの写真は、光と影の強烈なコントラストによって、対象の立体感をなくして、2次元的な平面構成を作っている。写真に凝っていた学生の頃、ロトチェンコに憧れて、それを真似したような写真を撮っていた。

「ライカを持つ女」ロトチェンコ

⚫︎マン・レイの「ソラリゼーション」写真(2022, 10, 26, 投稿)

マン・レイは1930 年代に、雑誌などの商業写真で活躍した。「ソラリゼーション」の技法を始めて、一世を風靡した。写真でありながら写真的でない、手で描いたイラストレーションのような写真だ。露光した印画紙を現像液につけて画像が現れ始めたら一瞬だけ暗室のライトを点ける。するとネガとポジが入り混じったような不思議な感じになる。昔、「ソラリゼーション」を真似していたが、「マン・レイと女性たち」展(2022 年)で初めて現物を見ることができた。



⚫︎スティーグリッツの「ピクトリアル写真」(2014, 8, 4, 投稿)

20 世紀前半にアメリカで活躍した写真家アルフレッド・スティーグリッツは、ニューヨークの街をモチーフにして、雪・雨・霧などの自然現象を使って詩情たっぷりの写真を撮った。霧に煙ったビルや、雨に濡れた歩道に映る光など、絵画的な写真を、自ら「ピクトリアリズム」と呼んだ。

スティーグリッツは、撮したい場所を事前にロケハンをして構図を決め、イメージスケッチをした。そしてその場所にカメラを設置して、イメージ通りの光と影ができる瞬間を何時間でも待った。そして、すべてのバランスが整った瞬間にシャッターを押した。

アルフレッド・スティーグリッツ

⚫︎「フォト・リアリズム」(2014, 8, 4, 投稿)

1970 年代から1990 年代にかけてアメリカで、「フォト・リアリズム絵画」が大流行した。写真をプロジェクターでキャンバスに投影して、その像をなぞりながら描く。写真以上に細密な超絶写実絵画だ。下の例でわかるように、ひとつひとつのモノの微妙な光の反射に至るまで、細密に描かれている。高精細の写真や CG の発達で、人間の目では見えなかったものが見えるようになった時代に、「写真的視覚」というものの見方が発見され、それを利用することで生まれた新しい概念の絵画だった。




参考文献
「アメリカン・リアリズムの系譜」 小林剛著
「トランスフィジカル」展 図録 東京都写真美術館編
「ロトチェンコの実験室」ワタリウム美術館編
「マン・レイと女性たち」展 図録 神奈川県立美術館編
「影の歴史」 ヴィクトル・I・ストイキツァ著

2025年8月19日火曜日

映画「血を吸うカメラ」

「Peeping Tom」

「血を吸うカメラ」という映画がある。1960 年の古い映画で、ジャンル的にいうと「サイコホラー」映画だ。 原題が「Peeping Tom」で、日本語で「のぞき魔」だ。公開当時、興行的に全くダメで、B級映画として葬り去られてきた。それが近年、映画理論研究の観点から、この映画が注目されているようだ。

ストーリーはざっとこんな感じ。

内気な映画カメラマンの主人公は、裏の顔がある。常軌を逸した方法で女性を惨殺しては、恐怖と苦痛に歪む顔を映像に収めてコレクションし、自宅で密かに上映している。ある時、近所の女性と親しくなり、交際を始める。やがて主人公は彼女をモデルにして、より迫真の恐怖の映像を撮りたいという欲求が高まっていく・・・


映画研究者の岡田温司氏は著書「映画は絵画のように」のなかで、映画の本質には3つの要素があり、それは「窓」「皮膚」「鏡」で、「血を吸うカメラ」にはこの3つが見られるとしている。だからこの映画は、「映画とは何か」について語っている「メタ映画」だとしている。(だから主人公が映画カメラマンだ)3つについての説明が膨大で、簡単に紹介できないので、同書を読んでもらうしかないが、それぞれをひとことでいうとこうだ。

「窓」としての映画。
映画の冒頭、主人公が手持ちカメラを持って夜の通りにただずむ娼婦にゆっくりと近付いてゆき、やがてカメラは長回しのまま、彼女が部屋へ入って服を脱ぎ始めるところまでノーカットで写し続ける。その間、画面は、主人公のカメラのファインダーで見た画像を映し続ける。だから、ファインダーの中の照準を合わせる十字の線が入っている。カメラという「窓」を通して対象を見つめている。

「皮膚」としての映画。
「皮膚」とは「触覚」のことで、映画はこれまで、視覚芸術として「視覚」中心にしすぎたをことに対する反省があるという。この映画で、主人公の恋人の母親が盲目なのだが、彼を怪しい人間だと感じていて、その顔を手で触ってそのことを確かめようとするシーンがある。たしかに現代では CG の発達で質感表現などの「接触的視覚性」が高度にできるようになっている。

「鏡」としての映画。
映画のクライマックスで、主人公の撮った殺しの映画を見せられた恋人は「あれは女優の演技でしょ」と祈るように尋ねる。しかし彼は残酷に「ノー」と答える。そして主人公は凶器を手にして恋人に迫っていく。凶器が首スレスレに近ずいた時の彼女の歪んだ表情が、凸面鏡に映る反射像のように映し出される。

2025年8月17日日曜日

終戦の日の玉音放送

Imperial Rescript on the Termination of the War

8月15日は終戦の日で、天皇の玉音放送がラジオで放送された日だ。しかし当時、徹底抗戦して本土決戦に持ち込むべしという強硬派の軍人たちがいた。彼らは、玉音放送を阻止するために、録音原盤を奪おうとして宮内庁に乱入した。しかし職員が原盤を隠して難を逃れた。この事件は以前、TV のドキュメンタリー番組でやっていたが、あまり知られていないようだ。

そして8月15日の正午に NHK で、予定通り玉音放送が放送されたが、漢文調のため、ほとんど意味が聞き取れなかったという。玉音放送といえば「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」のフレーズが今でも有名だが、わかったのはそれぐらいだったそうだ。しかし全体的な調子から敗戦になったということはわかったという。

 2015 年に宮内庁はこの原盤を修復して、音声を公開した。それに字幕や画像をつけ加えて編集したものを、TouTube で聴くことができる。アジア諸国を侵略するつもりはなかったとか、アメリカが残虐な原爆を落とした、など ”言い訳け” 的な文言もあるが、全体的には戦後日本の方向性を示している。日本の歴史の転換点を示すものとして、一度は聴いておいていいと思う。

こちら→  https://www.youtube.com/watch?v=RFVzDGSiojs


2025年8月15日金曜日

映画「星つなぎのエリオ」

 Elio

ディズニーの新作「星つなぎのエリオ」を見た。ディズニー映画は、いつも学校が夏休みの間に公開されるが、今回もシネコンはちびっ子たちで、あふれかえっている。

主人公のエリオは両親が亡くなり、叔母に育てられている。「誰からも愛されていない」「自分の居場所がない」と感じている孤独な少年は「人とのつながり」を求めて、宇宙に行って異星人に会いたいと思う。やがて願いがかなって宇宙船が迎えに来る。着いた星は「コミュニバース」で、いろいろな惑星から来た異星人たちが仲良く平和に暮らしている。そしてエリオは、自分と同じく孤独である子供の異星人「グロードン」と仲良くなる。ところがその父の魔王は暴力でコミュニバースを支配しようとしている。エリオはその魔王に立ち向かう・・・

この映画には、宇宙に関する最新の動向が反映されているのが面白い。2019 年にアメリカは、陸軍、海軍、空軍に続いて、「宇宙軍」を創設した。宇宙空間での敵対勢力に対する防衛をになうためで、アメリカ各地に宇宙軍基地がある。映画にはその基地が登場する。そしてエリオの叔母は、その宇宙軍基地に務める「宇宙軍少佐」だ。

話は変わるが、「ディズニー変形譚研究」という本がある。「譚」とは深みのある話のことで、ディズニー映画はすべて、グリム童話や、ギリシャ神話や、言い伝えの昔話しや、聖書の物語、などを原型にしながら、それらの時代や場所の設定を変えて物語を作っている。それが「変形譚」で、同書はその観点からディズニー映画を研究をしている。

同書はディズニーの「変形譚」の種類を次のように分類している。
「ディズニー恋愛譚」(「眠れる森の美女」など)
「ディズニー家族譚」(「アナと雪の女王」など)
「ディズニー友情譚」(「モンスターズ・インク」など)
「ディズニー空想譚」(「不思議の国のアリス」など)
「ディズニー聖書譚」(「塔の上のラプンツェル」など)

これに照らし合わせると「星つなぎのエリオ」は、「空想譚」と「友情譚」の両方にまたがって相当している。そして同書が強調しているのは、これら「変形譚」のすべてに、聖書の「福音」思想が影響を与えていることだ。人間の愛と夢の力は魔法使いや魔女の魔力を打ち破って。奇跡を起こし、幸福を生む、という福音思想で、まさに「星つなぎのエリオ」のストーリーがそれだ。

2025年8月13日水曜日

「錯視完全図解」 錯視とだまし絵

Optical Illusion  

デザインをする人にとって錯視は大事な要素だ。直線と曲線が隣合わせに並んでいる時に、何もしないと直線が曲線に影響されて曲がって見えるから、直線もわずかにカーブさせて補正するなどだ。(形の錯視)

絵を描く人も、錯視を利用することがたくさんある。同じ色のものが明るい部分と陰の部分にまたがっている物を描くとき、同じ色に見えるように明るさを変えるなどを普通に行う。(明るさの錯視)

Newton 別冊の「錯視完全図解」は、錯視の種類や事例について系統的に整理している。「動く錯視」「明るさの錯視」「あらわれたり消えたりする錯視」「形の錯視」など全てが網羅されている。また錯視に脳が騙される心理学的なメカニズムについて詳細に解説している。「鎌倉不思議立体ミュージアム」を見学したのを機に、久々にこの本を読んでみた。

最後に「錯視」と「だまし絵」は同じものか?」という興味深い章がある。「知覚の不一致によって見る人を驚かせるという点では共通している。しかし心理学というサイエンスからみると、両者は別物である。」そしてエッシャーの「上昇と下降」の例をあげて、「実際にこのような階段を作ることは不可能だが、部分部分では間違ったところがなく、正しい知覚と言える。」としている。なるほど、正しいものを間違って知覚するのが錯覚だから、両者は逆のものだ。

そして「だまし絵」のひとつとして、「メタモルフォーシス」をあげている。図形が連続的に変化していいき、別の図形に変わっていくものだ。これの例は、やはりエッシャーの名作「メタモルフォーシス」(題名がズバリそのまま)だろう。


2025年8月11日月曜日

絵画の「影」 映画の「影」

 A Short History of the Shadow

山水画にしろ浮世絵にしろ、日本絵画には伝統的に影がまったくない。それに対して西洋絵画では影が重要な役割をになっている。影そのものが絵画全体の主題になっている例も多い。「影の歴史」(ヴィクトル・ストイキツァ著)という本で、美術(絵画・映画)における「影」の意味と歴史についての詳細な研究が行われていて、とても勉強になる。その中から、いくつかを紹介する。画像のみだが、くわしい解説は同書をどうぞ。


⚫︎分身としての影

ギリシャ時代に絵画が発明されたが、それは人間の横顔に光を当てて、壁に映る影をなぞることで始まった。このことをテーマにして、後世の人たちがたくさん絵を描いたが、19 世紀のエデュアルド・デジュという人の「絵画の発明」もそのひとつ。出征する若者の横顔を恋人の女性が描いている。「影」で分身を残している。







横顔のシルエットで分身を表す伝統は現代でも続いている。アンディ・ウォーホルの「影」で、右側に本人がいて、左側に分身としての横顔の影が描かれている。







⚫︎存在感の影 

ゴッホの「タラスコンへ行く画家」は、ゴッホ自身の姿を描いているが、本人以上に強い影がゴッホの存在感を強めている。日本語で存在感のないことを「影が薄い」というが、これはその逆で、足を地に踏みしめて歩くゴッホの自信を「影」で示しているのだろう。







ディズニー・アニメの「ピーターパン」で、ピーターパンの「影」が本人の足元から離れて、あらぬ方向へ飛んでいってしまう。恋人のウェンディーがピーターパンに「存在」感を与えるために、影を捕まえて足元に縫いつけてあげる。

⚫︎まなざしの影 

ピカソの「影」で、裸婦を描いているキャンバスに重ねて、ピカソ自身の影を描きこんでいる。モデルを見る画家自身の「まなざし」を影で間接的に表している。










今まで気がつかなかったが、ルノワールの「デザール橋、パリ」で、画面下に影が描かれている。画面の外にある手前の橋の影だ。その橋の上でこの風景を見ている人たちの影があり、そのなかの一人がルノワール自身の影だ。






⚫︎他者性の影」

これはシャネルの男性用香水のポスターだが面白い。シャワーを浴びたばかり男性が、ローションの瓶を奪い取ろうとして、影と張り合っている。影は本人の姿と関係なく、攻撃的なポーズをとっていて、影の他者性を強調している。 










漫画「ラッキー・ルーク」の主人公のカウボーイは、「自分の影より早く引き金を引くことができる男」だ。すでに弾丸が影に命中して胸のあたりに白い穴が開いている。本人の浮いた帽子は動きの素早さを示しているのに対して、影の浮いた帽子は驚きを表している。

⚫︎不安の影 

ムンクの「思春期」は、自分の病弱な妹を描いたといわれている。壁に映った影は、大きな黒い雲のかたまりのようだ。それは少女の不安な精神状態を表している。










ミステリー映画の名作「第三の男」は夜のシーンが多く、「影」がミステリアスな雰囲気を高めている。「影」だけしか見えない第三の男の正体をつかむことができず、見る人の不安を煽る。


⚫︎不気味な影

映画「カリガリ博士」は、ドイツ表現主義映画の最高傑作といわれる歴史的名作だが、全編が影の映画といっていいほど「影」が主役をつとめている。このシーンは主人公の博士に横から光が当たり、拡大された巨大な影が壁に映っている。手は歪んで、カギ形になっている。影によって奇怪な博士の心の内面があらわになっている。



キリコの「街路の憂鬱と神秘」で、フープで走っていく少女の向かう先に影が見えている。影の本人の姿は建物の影に隠れて見えていないが、それは巨大で、棒のようなものを持っているようだ。影だけしか見えないことが、不気味さをかき立てる。少女にこれから起きるかもしれないことを想像させる。








2025年8月9日土曜日

写真展「トランスフィジカル」の「絵画の模倣」的な写真

 Tokyo Photographic Art Museum : TRANSPHYSICAL

数年ぶりで東京都写真美術館へ行き、写真展「トランスフィジカル」を見た。写真が発明された19 世紀から、写真がデジタル化された現代までを振り返り、これからの写真がどういう方向へ進むのかを考えさせる展覧会だ。

その中の第1室のテーマが「撮ること、描くこと」で、写真と絵画の関係に焦点を当てている。以下にそのいくつかを紹介。(写真は同展の図録より)

入るといきなりあるのが「アジャンの風景」(1877 年)で、どう見ても印象派の絵画のように見える。実際に印象派全盛の時代の作品で、よく言われるように、生まれてまもない初期の写真は絵画を追いかけていたということがよくわかる。「絵画の模倣」(ピクトリアリズム)の時代だった。なおカラーフィルムがない時代だったのに色がついているのは、3原色それぞれに着色したゼラチンの層を3枚重ねるという方法をとっているという。


「5月の収穫」(1862 年)という横長の大作で、合成写真をやっている。背景の森の写真のネガを一部を切り抜いて、そこに人物の写真のネガをはめ込んでいる。右下の少女の部分のはめ込みパーツも展示されている。


「美濃笠の男、比叡山」(1906 年)は、明治時代の日本人の作品。構図といい、霧の表現といい、日本の伝統的な山水画的な絵画的効果が見事。


「バレエ公演の観客」(1950 年)は、 20 世紀に入ってからの新しい作品。抽象絵画風だが、もはや「絵画の模倣」ではない。絵の具の代わりに、写真という画材を使って、写真でなければできない、絵画的な表現をしている。写真でもあり、絵画でもある、両者の融合だ。