2025年10月19日日曜日

大阪万博のトイレのピクトブラム

 Pictogram of Expo

大阪万博が終わったが、「オール・ジェンダー・トイレ」のピクトグラムがひどいと批判を浴びているというので、ネットで見てみたが、なるほどビックリだ。下図のように、何やら怪しげな人間の姿が並んでいる。これを見て意味を理解できる人はいないだろう。どうやらいろんな国の衣装を着た男女の姿を描いているらしい。


最近、ジェンダー平等の社会的な流れのなかで、公共施設でオール・ジェンダー・トイレを見かけるようになった。そのため、従来の「男子」「女子」のほかにもうひとつ新しい「ピクトグラム」が必要になり、いろいろなデザインが試みられている。下はその例だが、まだ決定打がないようだ。

ピクトグラムは「視覚言語」と呼ばれる。案内表示板で日本語と英語と中国語の言語表示だけでは、その他の国はどうしてくれるんだ、となってしまう。だから言語に頼らないで、見ればわかるピクトグラムという「視覚言語」が必要になる。特にオリンピックや万博のような国際イベントでは重要だ。

世界標準機構(ISO)は工業製品の世界標準化を推進している国際機関だが、その中にピクトグラムの標準化をはかる部門がある。たくさんのピクトグラムが世界標準に制定されて、国際的に使われている。この世界標準化で、日本はたくさんの貢献をしてきた。1964 年の東京オリンピックで、文字に頼らず見るだけで意味が理解できる「ピクトグラム」の開発が行われた。日本のトップデザイナーが集結してデザインされたピクトグラムは、やがて世界標準になり、その後の各国のオリンピックや万博で使われ、また各国の空港や駅などの公共施設でも使われている。



もうひとつ有名な例をあげると、「非常口」のピクトグラムだ。世界標準機構が標準を決める時に、各国デザイン案のコンペになった。結果的に日本提案のデザインが標準として採用されて、現在では世界中で使われている。この時、日本は緻密な検討を重ねてデザインを進めた。例えば火事が起きて施設内に煙が充満した時のピクトグラムの見え方=「視認性」を確かめるために、実際に煙を出して見る実験まで行った。ちなみに下図左は日本案と競ったソ連案だが、複雑すぎて「視認性」が劣る。


日本は、今から 60 年も前の東京オリンピックで、先駆的役割を果たして以来、ピクトグラムデザイン先進国として世界に認められてきた。大阪万博でも、「オール・ジェンダー・トイレ」のピクトグラムの決定版を作り、世界標準化を目指すべきだったが、大阪にはもともとそんな意識などなかった。だから大阪万博は「時代遅れ万博」と呼ばれていた。


2025年10月17日金曜日

映画「トロン」の CG 技術

 Tron

「トロン」の新作「トロン アレス」が公開された。「トロン」のこれまでの3作の公開年を調べたら以下のようだった。1作目からもう33 年もたっている。

1作目 「トロン」      1982 年
2作目 「トロン・レガシー」 2010 年
3作目 「トロン・アレス」  2025 年

3作に共通したテーマは「デジタル」だが、前回書いたように、デジタルの中身が時代とともに変わってきた。そして画像表現技術としての 3D CG 技術の進歩が大きい。

最初の「トロン」は3D CGとはいえワイアフレームのままで、現在からすればとんでもなく原始的だった。しかしこれでも、1982 年当時には、デジタル時代の始まりを感じさせてじゅうぶんに画期的だった。


やがて1990 年代に入るとパソコンの性能が上がり、個人でも3D CG が作れるようになった。当時自分でも国産の3Dソフト「SHADE」を使って3D CG を勉強していた。しかし当時は1枚の静止画をレンダリングするのに数時間かかるのは当たり前だった。だから3D CG の動画を作ることなど夢のまた夢だった。


やがて、ゲーム機で3D 動画が作られるようになるが、それは単色ベタ塗りの塗り絵のようで質感が全くない。それを打ち破ったのがソニーの「プレイステーション」だった。「テクスチャー・マッピング」をした質感のある画像をリアルタイムで動かすことができる「リアルタイム3D CG」だった。ちょうどその時代に第2作の「トロン レガシー」が公開されて、今日と同じレベルの3D CG 映像が実現した。(下はワイアフレームの画像と、それにテクスチャー・マッピングされた画像。)


この頃になると、個人用の PC でも3D CG 動画を作れるようになった。モデリングした画像にテクスチャー・マッピングをするとリアルな画像ができる。そして動きの設定をして、再生ボタンを押すと、動く!  ハリウッド映画に比べたらずっと幼稚だが感動だった。

今度の第3弾も今までと同じく「バイク」が登場する。しかしデザインは今までよりもはるかに強力で迫力満点だが、表現する CG 技術も格段に進歩している。



2025年10月15日水曜日

映画「トロン アレス」と、AI の危険性

「Tron Ares」

「トロン」の最新作「トロン・アレス」が公開された。前作までの「トロン」が、現実世界の人間がデジタル世界へ足を踏み入れてバトルをする、という設定だったが、今回は逆で、デジタル世界が現実世界に襲来して、人間と闘うという構図になっている。そのデジタル世界とは「AI」であり、現在の世界の問題を反映させた主題になっている。

「AI」に対する議論が盛んだが、「AI」は人間のプログラムに忠実に従っているだけで、人間から学習したこと以上のことをできるわけではないし、極端に忠実ゆえに人間にとって良くない指示に対しても、それを自律的に判断して指示に逆らうことをしない。だから政治家や企業が自分の目的に合うようにプログラムした「AI」を使うと恐ろしいことになる、という警告がたくさんされきた。

この映画は、まさにその警告になっている。ある IT 企業の社長が業界の覇権を握るために、強力な「AI」の開発に成功する。それは人間を害することも厭わない「AI 兵士」だ。一方でその「AI兵士」を無力化するためのプログラムを開発している良心的なエンジニアがいる。その両者の壮絶なバトルが映画のストーリーになっている。


     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

なおこの映画の理解の参考に、以前の投稿('25 /5/ 29)を以下に再掲する。

進化した AI の危険性について警鐘を鳴らす人のなかで、スウェーデンの哲学者ニック・ボストロムが行った思考実験(頭の体操)は有名だ。「ペーパークリップ最大化装置」という架空の物語を作って AI の危険性を説いている。その物語はだいたいこんな感じだ。

Illustration: Jozsef Hunor Vilhelem
   ペーパークリップの会社の工場長が AI に、クリップを増産し最大化するように
   命令する。すると AI は、たくさんの工場を建設し、石油や電気のエネルギーを
   調達し、世界中の鉄鉱石を買い占め、効率的な生産工程を新しく開発する。やが
   て人間の体にはいい成分があることを知り、人間を殺してクリップの材料に使う。
   さらにAI である自分の機能をOFF にする可能性のある工場長を殺す。そして競合
   他社の人間を皆殺しにする。そしてついに地球全体を征服してクリップ製造装置
   で埋め尽くす・・・

この物語で重要な点は、AI が邪悪だから人間を殺したわけではなく、人間に命じられた「クリップ最大化」の目標を達成するために、ひたすら忠実に仕事をしただけということだ。しかし強力なAI は人間が想定しなかったことまでやってしまう。だから、AI に与える目標を、人間の最終目標にピッタリ一致させなければならないとボストロムは強調する。つまりこの場合、「クリップの最大化」は、あくまでも「人間のため」ということをAI のアルゴリズムの中に組み込まなければならないということだ。

2025年10月13日月曜日

「アンパンマン」の やなせたかし氏

 Takashi Yanase

毎回参加しているグループ展(凡展)が今年も始まった。今回は、やなせたかし氏の特別展示がされている。NHK の連続ドラマで「あんぱん」が放映されてきたことから、当グループ展のメンバーだったやなせたかし氏を記念しての展示だ。


やなせたかし氏は学校(戦前の東京高等工芸学校)の大々先輩で、我々同窓生のこのグループ展に 20 数年にわたり出展し続けた。「アンパンマン」などの原画などを出展されていたが、亡くなられてから12 年になる。氏の年譜も展示されていて、素晴らしい業績の数々をあらためて知ることができる。



2025年10月11日土曜日

絵画の起源

Origin of Painting

日経新聞の連載コラム「去り行くものを描く」の第1回目で、デヴィッド・アランという18 世紀の画家の「絵画の起源」という絵が紹介されている。古代ギリシャの神話にもとづく絵で、戦場に出てゆく恋人の面影を残すために、女性がろうそくの光で壁に映った影をなぞっている。「影をなぞる」というのが絵画の始まりだったといわれている。

その後もこれと同じ題材の絵が何度も繰り返し描かれてきた。,左はエデユアルド・デジエという人の「絵画の発明」(1832 年)で、右はアンヌ=ルイ・ジロデという人の「素描の起源」(1829年)。題名もほとんど同じだ。(写真は「影の歴史」より)

これらの絵に共通していることは、顔を「横顔」のシルエットで描いていることだ。シルエットで顔の正面を描いても人による差が出にくい。目鼻立ちの特徴を描くには横顔にせざるを得ない。

だから肖像画は横顔で描くというのが長い間の常識だった。これはルネッサンス期になっても続き、例えば有名なボッティチェリの「若い女性の像」も横顔で描かれている。影のシルエットではなくなったが、表現は平面的だ。

正面から描いて本人らしさを表現できるようになるのは、レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナリザ」からだった。それは、遠近法と陰影法の発達によって、顔の立体表現が可能になったからだ。


2025年10月9日木曜日

なぜ人間は物を見て立体感を感じるのか

 Stereoscopic Vision 

ひと昔まえに「立体映画」がはやった。立体感を極端に増強した映像で、手前に物が飛んでくると思わず顔をのけぞらせてしまうほどだったが、見せ物的な面白さだけなので、すぐにすたれてしまった。映画館の入り口で渡される立体メガネを掛けて見る。左目には赤色、右目には青色、のフィルターのメガネだ。メガネをはずして見ると、赤色の映像と青色の映像の2つが少しずれて見えている。メガネをかけると、左右の両眼それぞれがその片方だけが見えるようになる。

人間は「両眼視」による両眼の見え方のズレ(視差)によって立体感を感じている。認知心理学者のギブソンはこの立体視のメカニズムについて「視覚ワールドの知覚」の中で詳しい説明をしている。右図のようにピラミッド型の物体を見ている場合、右目と左目では、少し違う角度から見ている。その二つの映像が脳の中で融合されて一つの立体像として認識している。立体映画はそのしくみを利用している。

ギブソンは、そのほかにも「両眼視」についてたくさんのことを書いている。例えば下図は、右目と左目の視野と、その重さなりを示している。両方が重なっている白い領域が立体視を感じる範囲になる。しかしその範囲はかなり狭い。グレーの部分では単眼視になり、少しぼやけて見えている。


そして、ソファに横たわっている自分の姿を、右目を閉じて、左目だけで見ている状況を描いた絵を紹介している。足のつま先が画面中央まで伸びている。そしてこの絵の右端に白いものが見えているが、これは自分の鼻だ。鼻が左目の視野のはじっこに見えている。自分でも片目で見てみると確かに自分の鼻が見える。そんなことに気が付いていなかったから面白い。この鼻は上図のグレーの範囲内で見えている。普通は両眼で白い範囲を見ているから、そこから外れている鼻は見えていない。


このように人間は、両眼視によって立体感や遠近感を感じているが、ギブソンは、それはたくさんある方法の一つにすぎず、ほかにも人間はたくさんの方法を使って立体感や遠近感を感じとっていることを説いている。だから「遠近法」には一般に知られている以上に、13 種類もあることを主張していることは、先日(9 / 30)書いた。→https://saitotomonaga.blogspot.com/2025/09/blog-post_9.html

ギブソンは、ほかにも面白いことをたくさん書いている。例えば、馬の目は顔の両側面についていているため、両眼視はできない。馬のような草食動物は、肉食動物から身を守るために、全方向を見渡せるように、視野角が全周 360° になるように進化してきた。それに対して人間は、視野角の広さを犠牲にして、前方だけを集中して見る能力を高めるように進化してきた。人間が両眼視によって立体視をできるのはそのおかげだ。


2025年10月8日水曜日

坂倉準三の「神奈川県立近代美術館」

  Junzo Sakakura

日経新聞の連載コラム「共同体の建築 10 選」で「旧神奈川県立近代美術館」(10 / 8)が取り上げられていた。この建築については、当ブログでも書いたが、これを機にもう一度再掲する。


以下は、2024 / 1 / 29 の投稿再掲

坂倉準三は好きな建築家の一人で、地元の神奈川県立近代美術館(今は他の美術館に変わっている)へよく出かける。坂倉準三はコルビュジェの弟子だったので、その影響を受けている。この建物は、建物全体を柱で浮かせるコルビュジェの「ピロティ」の手法を取り入れている。しかし「ピロティ」の軒が、池の上まで張り出していることによって、軒下に、ゆらゆらと動く池の波紋が反射している。この軒下が波紋を映し出す ”映像スクリーン” になっている。写し出される波紋の動きは見ていて見飽きない。


モダニズム建築の巨匠コルビュジェの弟子でありながら、坂倉準三の建築は、桂離宮などの日本建築を思わせる。自然環境との一体感をコンセプトにしていてとても日本的だ。


2025年10月6日月曜日

「重なりの遠近法」と「大小の遠近法」

Perspective in Japan 

日本絵画では「線遠近法」はあまり発達しなかったが、代わりに「重なりの遠近法」と「大小の遠近法」が日本独特の遠近法として発達した。

伊藤若冲の「群鶏図」は「重なりの遠近法」の代表作とされる。たくさんの鶏が手前から向こうへ重なって描かれ、「重なり」によって奥行きを表現している。しかし鶏の大きさに「線遠近法」的な大小変化はない。


広重にも「重なりの遠近法」の絵がある。「名所江戸百景」の中の「日本橋通一丁目略図」という絵が面白い。建物が線遠近法なので、それに合わせて、遠くの人間も小さくなっているのだが、傘をさしている人々が重なっている。重ねることで遠近感を強調している。




その広重の「名所江戸百景」には「大小の遠近法」がたくさん使われている。「水道橋駿河台」で、3匹の鯉のぼりが描かれているが、手前の鯉のぼりは、画面全体を覆うほど大きい。向こうの鯉のぼりは小さい点ほどで、極端な大小の差が遠近感を強く感じさせる。


手前の松が画面全体を占めていて、枝の間から遠景が見えている。枝の形の面白さで画面構成をしている。このように「大小の遠近法」は、絵の大胆な構図を生み、印象派に大きな影響を与えたことはよく知られている。


同じく「江戸百景」の「高輪うしまち」も同様で牛車が極端に大きい。後ろに牛が描かれているが、線遠近法的にいえば、小さくすぎる。風景画というより画面の構成の面白さをねらっている絵だ。なおこれらは「近像型構図」と呼ばれることもある。



2025年10月4日土曜日

屋根付きの橋 「田丸橋」と「マディソン郡の橋」

 Roofed Bridge

日経新聞の連載コラムの「共同体の建築 10 選」で、「田丸橋」という橋が紹介されていた。愛媛県の内子町というという町の農村地帯の田んぼの中にある小さな橋だ。日本にも屋根付きの橋があったのかと驚いた。長さ14m の木造の小さい橋で、戦前からあるのだが、なんのために屋根付きにしたのはよくわかっていないそうだ。臨時の農機具置き場に使われたのではとか、農作業中の休憩場所に使われたのではなどと推測されているという。


屋根付きの橋と聞いてすぐに映画「マジソン郡の橋」を思い出した。クリント・イーストウッドとメリル・ストリープが演じた名画だが、改めて橋の画像を検索してみた。田丸橋と同じ木造だが、構造の違いがとても大きい。マディソン郡の方は、橋が完全に覆われてトンネルのようだ。内部もガッチリとした木組みの構造になっている。あらためてこれと比較すると、「田丸橋」の、まわりの風景が見渡せ、風通しがいい、軽快な造形に、小さい橋ながら日本建築らしさが凝縮されているのを感じる。



2025年9月30日火曜日

ギブソンの「動きの速さの遠近法」

 The Perception of the Visual World

遠近法といえば普通は「線遠近法」だが、他にも「空気遠近法」や「重なりの遠近法」や「肌理の遠近法」などがある。しかし認知心理学者の J. J. ギブソンは、著書「視覚ワールドの知覚」のなかで、遠近法には他にも全部で 13 種類もあることを指摘した。それはギブソン自身の実体験にもとづいていた。

ギブソンは戦時中に、戦闘機パイロットの訓練に携わった。敵機の距離を正確に把握することや、宙返りしても方向感覚を失わないことや、山などに衝突しないように地形や距離を正しく読み取ることなど、パイロットには視覚による環境の正確な把握が求められる。そのためのフライト・シュミレーターでの訓練をやってた。

例えば、パイロットが滑走路に着陸するときの風景の見え方を示す図がある。地平線上の視点を中心に、放射状に風景が後ろへ流れていく。そして手前はすごいスピードで飛んでいくが、遠くの風景はゆっくり近づいてくる。

ギブソンの遠近法研究はこのような体験がもとになっている。だから提唱する 13 種類の遠近法の中には、人間自身が動いている時の風景の見え方に関する遠近法が多く含まれている。人間が静止していることが前提の絵画の遠近法にはなかった遠近法だ。

例えば「動きの速さの遠近法」。列車から車窓の風景を眺めているとき、近くのものは目にもとまらない速さで後ろへ流れていくが、遠くの風景はほとんど止まっているくらいゆっくりと動いている。これが「動きの速さの遠近法」だ。日常的に経験していることだが、言われてみれば確かにそうだ。下の映像であらためてそれを確認できる。https://www.shutterstock.com/ja/video/clip-3460862813-field-view-yogyakarta-airport-transit-train

なお映画でよく使われる「マットペイント」もこの遠近法の応用だ。遠景の背景に静止画のマットペイントを使い、その手前で撮った動く映像を組み合わせる。


いじわるの家

 The Grudge

レバノンのベイルートに「いじわるの家」という建物がある。4階だてのアパートだが、幅が2mもないくらいの塀のように薄い建物だ。ここは、地中海が見える眺望の良い場所だが、その場所に建っているマンション(写真右側)の眺望を遮る目的のためだけに建てられた。オーナーどうしが仲が悪かったのだろう。それで「いじわるの家」と呼ばれる。

文化人類学者のエドワード・T・ホールの「かくれた次元」は、人間が他者との間で無意識にとる「距離」が持つ文化的な意味について研究した面白い本だが、そこでこの建物が紹介されている。

ついでだがこれは、同書の「日本」と「アラブ圏」の人々の、空間に対する意識の違いを比較をしている章で取り上げられている。日本文化についても、日本人自身があまり意識していないことに気づかせてくれる本だ。


2025年9月28日日曜日

よくしゃべる人

Talkative person 

歳をとると、よくしゃべるようになる人がいる。次から次へとしゃべって止まらない。一つのことをしゃべり始めても、すぐに関係のない別のことに話が移る。思いついた言葉を次々に口に出していて、話に脈絡がない。何かを考えてしゃべっているわけでなく「口から出まかせ」だ。だからこちらは黙ってただ聞いているだけになる。そうしたら「あなたって寡黙な人ですね」と言われてしまったこともある。

相手にお構いなく一方的にしゃべる人とは「会話」が成り立たない。そういう人は認知症の始まりといわれる。認知症では、認知機能のひとつである「言語能力」が低下する。「言語能力」とは相手の言葉を理解して、それに対応して自分の考えを言葉で伝えることだ。だから「言語能力」が低下すると、相手にお構いなく一方的にしゃべるようになる。そのため「会話」が成り立たず、人との意思疎通ができなくなる。


2025年9月26日金曜日

日本の洋画の先駆者たちを育てた ワーグマンとフォンタネージ

 Wergman & Fontanege

幕末から明治にかけて西洋から入ってきた絵画は日本の画家たちに衝撃を与えた。そして洋画を学ぶ画家たちが現れたが、彼らを指導した二人の西洋の画家が大きな役割を果たした。チャールズ・ワーグマンとアントニオ・フォンタネージだ。

ワーグマンは、イギリスの絵入り新聞の特派員として幕末に来日して、雑誌のイラストを手掛けたが、絵画の先生でもあり、明治になって洋画の先駆者となる日本人の画家を育てた。今でも横浜の外人墓地に眠る、横浜の人には馴染み深い人だ。

ワーグマンの「街道」という代表作で、保土ヶ谷付近の風景を描いている。木漏れ日が心地よい街道を歩む夫婦の姿と、馬が繋がれた茶店などが描かれている。ワーグマンは、亀井竹次郎や五姓田義松など、明治になって洋画の先駆者となる画家たちを育てた。


もう一人のフォンタネージは、明治初期に日本の美術学校の教師になったイタリア人で、バルビゾン派的な作風だった。代表作は「風景(不忍池)」で、画面中央に太陽があり、空や木や池はその光の陰影として描かれている。茶褐色系統の色で統一されて、静寂な空気感を魅力的に描き出す手法は日本絵画になかったもので、日本人に衝撃を与えた。フォンタネージは浅井忠や小山正太郎などの日本の洋画をリードする弟子を輩出した。


2025年9月24日水曜日

「ダーク パターン」に注意

Dark pattern

ネット通販サイトで、ひどい目にあったことがある。サプリメントの通販サイトで、「お試しキャンペーン」中というので、一回だけ試してみようとした。しかしそのサイトには罠があった。一回だけの「通常の注文」か、毎月の「定期購入」かの選択肢が(さりげなく)あるが下図のように、あらかじめ「定期購入」の方が選択されている。これは見逃しやすい。

       ◯  通常の注文
       ◉  定期購入

翌月も商品が届いたので、騙されたことに気がついた。あわてて解約しようとしてサイト内を探したが、解約手続きの画面が見つからなくて、1時間くらいかかってやっと解約できた。サイトデザインが、意図的に解約しにくいようにされている。


こういう悪質なサイトには「ダークパターン」という名前があることを新聞(日経 8 / 5)で初めて知った。顧客を惑わすサイトデザインには法的な規制があるが、通販の7割が違法な「ダークパターン」だという。その手口にはいろいろあるが、一番多いのが、自分も騙された上記のような「勝手に定期購入」だそうだ。



2025年9月22日月曜日

「スマホ馬鹿」について

Smartphone Idiot

 愛知県豊明市という町で、子供のスマホ使用を、1日2時間に制限する条例ができるというニュースについて書いた(8 / 31)が、今朝(9 / 22)の TV で、条例が正式に可決されたと報じていた。前にも書いたとうり、条例の実効性はほとんどないだろう。かんじんの親たちが、「子供がコミュニケーションができなくなる」とか「子供が情報収集ができなくなる」などの理由で反対しているからだ。

また逆に条例に賛成という人も、子供の睡眠時間がスマホによって短くなっていることを理由にしている。しかし大事なのはそういうことではないだろう。スマホで子供が「バカ」になるということが大問題だ。「スマホ人間」のことを英語では「Smartphone Idiot」という。つまり「スマホ馬鹿」だ。

「スマホ馬鹿」といわれる理由は、スマホで得られる情報を鵜呑みにして、それで「情報収集」ができたと思っているからだ。いい加減な情報に接しても、それはおかしいと判断できない。そういう判断ができるためには、自分の頭で物事を考える「知識」の力が要る。

知識の力を身につけるには「読書」しかない。読書は「読解力」という言葉のとうり、「読んで理解する」ことで、それには自分の頭で考える能力が必要になる。読書によってその力が身についていく。スマホは、読書することを阻害して、子供を「スマホ馬鹿」にする。


2025年9月20日土曜日

ロバート・レッドフォード死去

Robert Redford


先日、NETFLIX で、「夜が明けるまで」という映画を何気なく見ていた。妻に先立たれた初老のさえないおじさんが主人公だった。この俳優が誰かに似ているなと思いつつ見ていたが、そのうちロバート・レッドフォード似かなと思い始めた。そうしたら最後のクレジットで「ロバート・レッドフォード」と出てきたので、やっぱりそうかと驚いた。「明日に向かって撃て」や「スティング」や「華麗なるギャツビー」など、スタイリッシュでかっこいい男を演じてきた彼がこんなさえない老け役をやるとは思っていなかった。

なお相手の女優が、孫もいるおばあさんの役だが、やたらと美人だと思っていたら、これもクレジットで「ジェーン・フォンダ」と出てきたのでまた驚いた。なお彼女は 87 歳で現在も健在のようだ。

そうしたらそのすぐ翌日(9 / 16)の TV ニュースで、ロバート・レッドフォードが 89 歳で死去したと報じられた。あまりの偶然でびっくりだった。



2025年9月18日木曜日

ドキュメンタリー「やがて悲しき奇跡かな」

The period of high economic growth

「昭和 100 年」の企画で、NHK の「映像の世紀  昭和 100 年特集」のドキュメンタリー「高度成長  やがて悲しき奇跡かな」(9 / 8 放映)が 面白かった。戦後10 年で奇跡的な経済復興を遂げた日本が、空前の好景気になり、高度経済成長時代に突入した。番組で当時の映像が次々と映し出されると、あの時代にどっぷり浸かっていた人間にとっては、身につまされる思いがする。


当時よくあった職場での朝礼風景で、鉢巻をして「ガンバロー」と気合を入れている。後ろの横断幕には、「男なら、売って、売って、売れまくれ!」とある。当時「モーレツ社員」とか「企業戦士」とかいう言葉が流行ったように、サラリーマンはがむしゃらに働いた。経済成長率は毎年 10 % を超えていたので、給料も毎年 10 % 上がるという今では考えられない時代だった。まだ銀行振り込みはなく、現金支給だったから、ボーナスは札束の入った封筒が立つくらいぶ厚かった。明日は今日より必ず良くなると信じることができた時代で、人々の気持ちは明かるかった。


人口増にともなう住宅不足対策で、郊外に団地やニュータウンが続々と生まれた。高い応募倍率だが、運よく抽選に当たれば、水洗トイレのある近代的な生活ができた。そして「三種の神器」と呼ばれる家電製品が飛ぶように売れた。それとひきかえに、都心までの通勤時間は2時間はざらで、電車は乗車率 300 % の通勤地獄だった。駅には”押し屋”と呼ばれる客の押し込みが専門の駅員がいたのが今では信じられない。夜中までの残業が当たり前で、労働基準法の規制を超えると、超過分はタダ働きになるのが普通のことだった。そして深夜にまた2時間かけてヘトヘトになりながら帰宅する。


高度経済成長は公害問題を引き起こした。工場排水で汚染された海や川の水が深刻な健康被害をもたらした。また自家用車の普及で、排気ガスによる大気汚染がひどくなった。この映像はあの時代を象徴している。手前の渋滞した高速道路と、背後の煙を出す工場に挟まれて、どんよりした空気に包まれて、住宅が並んでいる。そして環境問題とオイルショックで、イケイケドンドンの高度成長時代は、1970 年代中頃までで終わりを告げる。そして虚しかったバブル経済時代を経て、現在は「失われた 30 年」が続いている。番組タイトルどうりの「やがて悲しき」だ。


2025年9月16日火曜日

映画「アドレセンス」

 Adolescence

イギリス映画の「アドレセンス」は、NETFLIX で配信中で、世界中で最高視聴率をあげた衝撃的な映画だ。「アドレセンス(Adolescence)」とは「思春期」という意味だが、日本を含め世界中で共通の社会問題になっている青少年の犯罪をテーマにしている。

13 歳の少年が同級生の女の子をナイフで刺し殺す事件が起きる。警察はその動機を知ろうと、学校や両親に聞き込みをしたり、精神鑑定士に調べさせたりするがなかなか真相がつかめない・・・

映画は、その過程をドキュメンタリータッチで追っている。それを見ていると、イギリスの学校の様子が日本とそっくりで、他人ごととは思えない。機械的に詰め込み教育をしているだけで生徒と向き合わない教師たちや、学級崩壊が起きている荒んだ教室や、いじめや喧嘩が常態化している生徒たち。さらには息子がサッカーの試合でミスをすると叱りつける父親。などが暴き出される。そしてこの事件は、同級生どうしの SNS での悪口の言い合いがきっかけになったことがわかってくる・・・

なおこの映画は、イギリス政府にも衝撃を与え、首相はこの映画を全国の中学校の教師や保護者が見るように推奨し、NETFLIX も教材として配信することを決定したという。


2025年9月14日日曜日

小説「BUTTER」

 「BUTTER」

近年イギリスで日本の小説が大ブームで、たくさんの日本人作家の小説が翻訳され出版されている。そして去年 2024 年1年間のイギリスのベストセラー・ランキンングの第1位が柚木麻子の「BUTTER」だったという発表があった。イギリスで、高い評価を得て、数々の文学賞を受賞した。またイギリス以外でも世界で100 万部以上売れた。

海外での日本小説ブームは近年ずっと続いていて、小川洋子や多和田葉子はすでにノーベル文学賞候補になっている。例年名前があがる村上春樹より先に受賞するのではないかといわれている。柚木麻子もそれに続くかもしれない。

「BUTTER」を読んだが、今までにない斬新な発想の小説だ。2009 年に実際に起きた、男をつぎつぎに結婚詐欺で騙して財産を奪い、そして3人を殺した連続不審死事件の犯人の女を題材にしている。当時も、この若くもなく美しくもない女がなぜ男たちを簡単に騙せたのか不思議がられていたが、この小説は、雑誌の女性記者が、拘置所にいる女と何度も面会を重ねて、女の人間性を解き明かしていくという設定になっている。会うたびに聞かされるのは、女の「食」への強いこだわりだ。記者は、教わったレシピを自分でも作ってみたりする。特に「バター」を使った料理は絶品で、記者は「食への欲望」に目覚めていく。そして女性記者は徐々に女の魔力的なまでの人間性の魅力に魅せられ、取り憑かれていく・・・

この柚木麻子だけでなく、小川洋子や多和田葉子などの、文化背景の違う日本の小説が世界中で読まれるようになったのは、その世界観に、世界に通用する「普遍性」があるからだ。日本でしか通用しない「私小説」ばかりだった日本の小説が変わってきた。それにしても、ノーベル賞の季節 10 月が近くなったが、日本人作家の文学賞受賞はあるかどうか。


2025年9月12日金曜日

エッシャーとアラベスク模様

Escher & Alhambra 

ある友人が、スペインのアルハンブラ宮殿へスケッチ旅行をしたときのことを書いたブログが面白かった。自分は行ったことはないが、アルハンブラにはとても興味がある。その理由はエッシャーだ。エッシャーはアルハンブラを訪れてたくさんのスケッチをした。

イスラム様式の建物のスケッチ(右図)もあるが、エッシャーがもっとも興味を持ったのが壁面の装飾模様だった。いわゆる「アラベスク模様」だ。壁全体を細かい幾何学模様でびっしりと埋めている。エッシャーはそれを詳細にスケッチした。

「ALHAMBRA」のメモがあり、日付も記入してある。それを見ると、このスケッチを数日間続けたことがわかる。(図は「Le Monde de M. C. Escher」 より)


これらの模様に共通していることは、普通の意味の「図」と「地」の関係がないことだ。例えばこの模様で、黒の T 字型が「図」で、白の T 字型は「地」だ。しかし同時に、白の T 字型が「図」であり、黒の T 字型は「地」である。そして同じ形の白と黒の T 字型が隙間なく、びっしりと全体を埋めている。幾何学が発達していたイスラム文化ならではの模様だ。

エッシャーはこれに魅入られて徹底的に研究した。そしてこの原理を応用した自分オリジナルの模様を作った。例えばこれは幾何学的でなく、具象的な鳥の形で試みている。白と黒の鳥の反転図形で隙間なく画面を埋めている。これは幾何学図形でやるよりかなり難しいだろう。

そしてその習作を応用して、絵画作品にしている。例えば、この鳥の模様を使ったのが有名な「昼と夜」だ。そのほかにもこの原理を活かした作品を多数制作している。


こういうアラベスク模様は、日本にあるイスラム教のモスクでも少し見られるが、大阪万博に何かないかと思いついて、イスラム圏の館をネットで調べたらあった。ウズベキスタン館で、館内の四方の壁全体に映像が写し出されている。おそらくプロジェクション・マッピングで、映像の大きさも実物と同じ原寸だろう。壁全体を覆うアラベスク模様が壮観で、迫力がありそうだ。