「The Compact Culture」
『「縮み」志向の日本人』(李 御寧 著)は目のつけどころがユニークな日本文化論で、 40 年前に大ベストセラーになった。いろんなものを片っ端から「縮ませ」てしまうのが日本の特異な文化だとしている。例えば、世界のどこにでもあったウチワを、折りたためる「扇子」にしてしまう。そして単に持ち運びに便利な道具にしただけでなく、そこに絵を描いて優雅な美術品にしてしまう。
そのほかにもたくさんの例をあげている。木を小さくして室内で楽しめる「盆栽」、持ち運んでどこでも食べられる「折詰弁当」、自然の風景を模して縮小した「枯山水」、にじり口から4畳半の狭い部屋へ入るだけで俗世から離れられる「茶室」、五七五の17文字だけで広い宇宙を表す「俳句」、宮廷をミニチュア化した「雛人形」、使わない時にたためる壁「ふすま」、広い自然を一輪だけの花に凝縮する「生け花」・・・など数限りない。
西洋の美学が「大きいことは偉大だ」のような「拡がり」の文化を発達させたのと逆だ。清少納言の「枕草子」で、「なにもなにも、ちいさきことはみなうつくし」と書いているくらいに、古くから「縮み」が日本人の美意識の根底にある。その例として、石川啄木の短歌「東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたわむる」をあげている。「東海」→「小島」→「磯」→「白砂」→「蟹」と、どんどん小さいものへズームアップしている。広い世界を最後に小さい「蟹」まで凝縮したとき、そこに感情移入して涙一滴を落とす。
そういう「空間」の縮小だけでなく、「時間」の縮小もある。北斎の「神奈川沖浪裏」は、激しく動く大波がくだけ散ろうとする一瞬をストップ・モーションで描いた「動きを縮めた美学」だとしている。確かにこういう絵画は海外にはない。
同書は、この文化が現在のハイテク技術の時代でも受け継がれているとして様々な例をあげている。トランジスタ、電卓、カメラ、ポータブルTV、VTR、などの日本が得意な小型化技術は、日本の「縮み志向」の文化と深く関連している。そのひとつ「ウォークマン」は、巨大だったオーディオ装置を手で持てるくらい小さくして、どこでも音楽を聴ける道具にしてしまった。
だが、日本人自身は、技術開発として「軽薄短小」を競っていても、このような日本文化との繋がりを意識することはあまりなかった。しかしこの著者が韓国人であるように、外国人にとってはそれが普通の見方だった。そしてこの本とちょうど同じ頃、ロンドンの V & A 美術館で、「ソニーデザイン展」が開かれた。イギリス人のキュレーションによる展覧会だが、その図録の第1ページ目にこのイラストが載っていた。浮世絵風の絵で、江戸美人がウォークマンを使っている。ウォークマンが単にテクノロジーの成果ではなく、「ウチワ」を持ち運べる「扇子」にしたように、日本の伝統文化の延長線上にあることを、このイラストによって、はっきりとうたっている。
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