2019年12月31日火曜日

ドガの未完成作品

Degas

もう終わってしまったが、「コートールド美術館展」で、ポスト印象派巨匠の未完成作品のコーナーがあった。その中で2点のドガが印象に残っている。どちらも女性を逆光で描いて、顔の表情は見えないが、完成でどうなるかを想像させてくれる。それとも、光の効果を追求していたドガだから、これは研究のための試作品で、初めから完成させるつもりはなかったのだろうか? こういう試みが後に、ライトで照らされている舞台の踊り子の絵につながっていったのかもしれない。(写真:図録より)
「傘をさす女性」

2019年12月28日土曜日

自動車の「キャット・ウォーク」

Cat Walk

ネット動画にこんなのがあった。猫が窓の縁の細いところを歩くが、途中でこけてしまう。' 60 年代頃の車(特にアメ車)は、窓とボディの間に段差があり、その部分は「キャット・ウォーク」と呼ばれた。現在の車は段差がほぼ無くなってしまった。猫が「じゃあやってみるか」(?)とチャレンジしたが、失敗に終わった。
動画→  https://amusingly.net/2392/

' 66 年のポンティアック。キャット・ウォークの幅が 10 cm 位もありそう。自動車のサイズに余裕(というか無駄)があった時代ならではだ。これなら確かに猫は楽勝だろう。(絵:AF VK)


2019年12月26日木曜日

「音をみる、色をきく」展に無かった音楽的絵画

「Seeing Sound,  Listening Color」

神奈川県立近代美術館(葉山館)でやっている『音をみる、色をきく 美術が奏でる音楽』展( 12 / 25 で終了 )は、音楽がテーマの絵画の特集。しかし、楽器を演奏する人、的な絵が多く、本来の「音楽を奏でる絵画」は少なかった。そこで、展示の無かった「音楽的絵画」をあげてみた。(大学入試の時の実技試験課題で、ドヴォルザークの「新世界」を聴かせて、その印象を描け、というのが出たのを思い出した。)



パウル・クレー 「木のリズム」
クレーの絵は多くが音楽的だが、この作品は題名通り、ここちいい音のリズムを感じる。

パウル・クレー 「ポリフォニー」
ポリフォニーというとおり、バロック音楽的な単調で静かな音が聞こえてくるようだ。
ワシリー・カンディンスキー 「音の響き合い」
様々な図形が「響き合い」をしている。カンディンスキーはシェーンベルクと交流があり、現代音楽に関心があったという。だから音楽的イメージを絵画化した作品が多い。題名にも「インプロビゼーション」や「コンポジション」など音楽用語をよく使っている。なお「コンポジション」は「作曲」の意味と同時に「構成」の意味もあるから、写実ではなく構成する絵画には、もともと「作曲」に通じるものがあるのだろう。
ワシリー・カンディンスキー 「コンポジション7」
色が激しくぶつかりあって不協和音のようだ。それとも不協和音に聞こえるシェーンベルクの無調音楽のイメージだろうか。視覚と聴覚の共感覚をとても感じる作品だ。
ワシリー・カンディンスキー 「コンポジション8」
円や直線などの幾何学的図形だけで構成している。カンディンスキーは著書「点・線・面」の中で、図形要素を使って、音楽のリズムや音色を絵に翻訳する方法を理論化している。これはその実践作品なのだろう。
ルイージ・ルッソロ 「反乱」
作曲家でもあった未来派のルッソロの絵は音楽そのもの。「既成秩序を破壊する騒音音楽」を提唱して音楽活動を行った。だから絵の題名も「反乱」なのだろうが、そんな激しさがある。
ピエト・モンドリアン「ブロードウェーのブギウギ」
厳格なモンドリアンだが、これはまさに「ブギウギ」のようなポピュラー音楽的な(?)絵だ。

2019年12月24日火曜日

ミヒャエル・ハネケ監督の映画術   「セブンス・コンチネント」

Michael Haneke

ハネケ監督の映画術は独特だ。普通は最初の 10 分ぐらいで、主人公の人物像や、状況設定などが説明され、ストーリーが始まるが、それをしない。「セブンス・コンチネント」の場合でも、親子3人が登場するが、無表情な顔だけをアップで写し、セリフもしゃべらないから、登場人物がどういう人で、何を考えているか、わからない。

もともと人間を写すことは少なく、何かの物だけをアップで撮り、それを断片的につなげていく。食事のシーンで、人物は写さずセリフもなく、テーブルだけを写している。親子3人の豊かな生活を暗示しているが、それがどういう文脈でのことなのかは分からない。

最後に夫婦は突然、部屋中の家具を叩き壊し、衣服を切り刻み、本をビリビリ破り、金をトイレの水に流してしまう。すべての日常を壊して、題名の「セブンス・コンチネント」(架空の島「第七大陸」)へ "旅立つ" らしいことがやっと分かるが、やはり人物は写さず、ゴミの山になっていく部屋を淡々と撮り続ける。「何故?」という理由は最後まで分からないまま終わる。

ハネケ作品の全てで、殺人や自殺などの事件が起きるが、ミステリー映画のように最後に事件が「解決」することはない。断片的な短いショットをコラージュのようにつなげていくだけで、物語を「説明」しないし、観客も「理解」しようとして観る映画ではない。合理的に説明できない人間の歪んだ部分を描くのがテーマだから、映画表現もこうなるのは分かる。

2019年12月22日日曜日

絵画の写真以前と写真以後

「What is Painting ?」by Julian Bell

(前投稿の続き)「絵とはなにか」に面白い話がでてきた。下は両方とも 19 世紀の肖像画で、左がアングルで、右がドガ。両者の開きは 18 年しかないが、この間に写真が発明され、その影響で絵画が大きく変わったことが、この2つから分かるという。


アングルは、「モデルになった貴婦人の偉大さにふさわしい格式ある完璧な姿で再現しました」と言ったという。つまりこの絵は肖像写真の役割をしている。一方ドガは、「用心深いモデルと用心深い肖像画家の出会いの瞬間をとらえたものです」と言ったという。モデルの姿よりも、画家がモデルから受けた印象を描いている。究極のリアル再現の写真が生まれたことで、絵画で対象を「再現」することが無意味になってしまい、画家自身の内面を描く「表現」の時代に入っていく。

2019年12月20日金曜日

なぞって描くこと

「What is Painting ?」by Julian Bell

ジュリアン・ベル著「絵とはなにか」という本を読んでいたら、面白い話が出てきた。

ギリシャ時代、遠くへ去る恋人の姿をいつでも思い浮かべられるように、ロウソクの光で壁にできた影をなぞって描いている。「なぞる」ことで対象をリアルに再現したのが絵画の起源だという。

影をなぞるよりもっとリアルに描けるようになったのが、ピンホールカメラの原理による「カメラ・オブスキュラ」の発明。暗い部屋の壁に映した像をなぞって描いた。17 世紀頃にはそのポータブルタイプも生まれ、フェルメールが愛用していたのは有名な話。
頭にかぶる ヘッド・マウント・ディスプレイ(?)タイプもあったというから驚く。半透明のスクリーンに映った像をなぞっている。これなら屋外でも描ける。


三次元の対象を二次元の上にリアルに再現したいという人間の欲望で、このような技術開発(?)がされてきた。そして最強のリアル技術である写真が 19 世紀に発明されると、絵画で再現する必要性がなくなり、「なぞる」ことの歴史が終わる。そして絵画の役割は「再現」から「表現」へと変わっていく。

2019年12月18日水曜日

映画「エッシャー 視覚の魔術師」

Escher

公開された「エッシャー視覚の魔術師」を早速観た。エッシャーの生涯をたどりながら、発想の源泉と、それを作品として完成させる過程がよく分かって興味深い。

予告編  ↓
http://pan-dora.co.jp/escher/

作品を動かしてアニメーション化しているのも展覧会で見るのと違う映画ならではの面白さがある。「正則分割」の原理も動画で見ると分かりやすい。スペインのアルハンブラ宮殿のタイルからそれを思いつき、あの独創的な作品に結びつける過程なども見ることができる。


2019年12月16日月曜日

映画「シュヴァルの理想宮」

「Cheval」

平凡な郵便配達員がたった一人で作った夢の宮殿の物語。拾ってきた小さい石を一つずつ積み上げた壮大な建築を 33 年かけて完成させる。その造形がすごい。うねった曲面や、細かい形の密集や、爬虫類的なテクスチャーなど、ガウディと共通するものを感じる。




2019年12月14日土曜日

「配管」をモチーフにして描く

Piping collection

工場や機械の「配管」が好きで、あちこち探して撮っている。機械製品なのに腸や血管などの内臓のように見えるのが面白い。このモチーフで絵にするのをトライしている。













今までの成果(?)



2019年12月12日木曜日

「窓展」に無かった「窓」の絵

「The Window    A Journey of Art and Architecture through Windows」

「窓展」は「窓」を切り口に、絵画・写真・映像・インスタレーション・建築など、あらゆるジャンルの作品を集めた面白い企画展。(国立近代美術館)それだけに絵画は少なかったので、展示の無かった「窓」の絵を思いつくまま追加してみた。(ポスターの絵はマティス)







キャスパー・ダヴィッド・フリードリッヒ
窓は風景を切り取る額縁の役割をするが、人物を描くことで、一層「額縁の絵を見ている感」が強まる。

ヴィルヘルム・ハンマースホイ
孤独で静かな室内が、窓の光だけで外と繋がっている。

ギュスターブ・カイユボット
眺める窓。

ピエール・ボナール
風景画と静物画を融合させる窓。

ポール・デルボー
窓の内と外の奇妙な関係が作る、夢のような不思議な世界。

M. C. エッシャー
外に見える道路が手前のテーブルにつながっている視覚トリック。内と外を区切らない窓。

アンドリュー・ワイエス
ずばり「窓」

エドワード・ホッパー
男が外を眺めているが、それをもう一つの窓から眺めている。内→外、外→内の二重構造。

ルネ・マグリット
キャンバスに描かれた風景がリアルで、窓外の風景との区別がつかない。それともキャンバスが透明なのか?

2019年12月10日火曜日

横浜の「外国製」

Technology from overseas

明治・大正・昭和にかけて、外国から輸入された当時のハイテク工業製品の遺産が現在も横浜に残っている。急速に進む近代化に技術が追いつかず、外国に頼っていた様子がよくわかる。


現在は遊歩道になっている「汽車道」は、横浜駅と赤レンガ倉庫を結ぶ貨物線の線路だった。
鉄橋の銘板に「American Bridge Company of New York  1907」とある。こんな物まで外国製だった。


「赤レンガ倉庫」には日本初の貨物用エレベータがあって、そのモーターが残っている。
上端にレリーフで「Otis Elevator Company」の字が読める。今でも有名なあの「オーチス」だ。

「日本丸」のある場所はかつて造船所だった。100 年前、そこで動力に使われていた
エアー・コンプレッサーが残されている。「Chicago Pneumatic Tool Co」というからシカゴ製だ。

1930 年竣工の「氷川丸」のエンジンは、当時発明されたばかりで最先端のディーゼル・エンジン。
デンマークの B&W という会社製で、「Burmeister & Wain Copenhagen」とある。