2019年5月31日金曜日

パステル画「シリベツ川の夏、朝もや」

"Morning haze"

シリベツ川は北海道のニセコ近くの川だが、森の中を無数の小さい支流が流れている。夏の朝に、そんな場所で出会った風景。夏でもひんやりしている朝の空気だが、昇ってきた太陽の日差しで急に温められて朝もやになる。そんな空気感を描いた。

Soft pastel,   Canson pastel paper,   63cm × 46cm

2019年5月29日水曜日

ホーホの絵とタイルの床の遠近法

Perspective of floor tiles

ホーホのこの絵は、消失点が極端に左に寄っていて、女性の背中あたりにある。そのため、女の子あたりより右のタイルは歪みが大きく、正方形に見えない。

同時代のフェルメールは、視野周辺の歪みに気づいていたので、それを減らすために消失点をできるだけ画面中央に置いたり、周辺のタイルを物で隠すなどの工夫をした。

現在の研究では、平面投影での画面周辺の歪みについて、視角が 40 度くらいを超えると正方形が正方形に見えなくなると言われている。実際のタイルの床を写真に撮って確かめてみた。ホーホの絵ほどは視角が広くないから極端ではないが、周辺の歪みは確認できる。


しかし球面投影にすれば、歪みはなくなり、周辺まで正方形に見えるはずなので、上と同じタイルを魚眼レンズで撮ってみた。こちらは隅まで正方形に見えている。右奥の遠いところのタイルも、視角が相当大きいのに、正方形を保っている。ただし魚眼だから、当然タイルの列は湾曲している。


(左上)通常の遠近法 
(左下)タイルの対角線の消失点がアイレベルより上にある
(右)この方法を使った雑誌広告のイラスト
遠近法の本を調べたら、魚眼レンズと似た仕組みで歪みをなくす方法が載っていた。(「How To Use Creative Perspective」) タイルの対角線の消失点をアイレベルより上に持ってくるというのだ。この図を見ると、タイルの横方向の連続は湾曲していて(図の赤線)、魚眼レンズの写真と同じであることがわかる。フェルメールやホーホの ”正しい” 遠近法からすると違反だが、自然に見える。


2019年5月27日月曜日

シド・ミード展

Syd Mead

シド・ミードの回顧展だが、比較的新しい作品が多く、ガンダムが中心になっている。(アーツ千代田、~ 6 / 2 )



シド・ミードは、明るい未来社会の象徴として、夢の自動車を描いてきた。最初の画集「Innovation」はスポンサーが US スチールで、鉄と自動車の技術革新がもたらす希望の世界を視覚化していた。しかし時が移り、今の自動車は夢の存在ではなくなってしまった。

だから映画「ブレード・ランナー」の車(写真は画集「Oblagon」より)は、頽廃的な終末社会のパトカーだった。そのあたりを最後に、シド・ミードの絵から自動車が消えていったような気がする。未来を描くには、自動車よりガンダムを、と変わったのだろう。

制作プロセスの原画があったが、改めてすごい。みんなが目標にしたお手本の現物を見ることができる。ラフスケッチ(左上)→エスキース(右上)→  線画(左下)→ ファイナル(右下)


2019年5月25日土曜日

横浜「ベーリック・ホール」のスペイン風アイアンワーク

Classic Ironwork

横浜の山手の洋館の一つ「ベーリック・ホール」は、イギリス人貿易商の邸宅だった建物で、 1930 年築。施主は南欧風が趣味だったらしく、オレンジ色の瓦屋根や明るいベージュの壁が特徴。内装にもスペイン風の魅力的な造形が詰まっている。特に、あちこちに使われている鉄製の装飾(アイアンワーク)が素晴らしい。






2019年5月23日木曜日

冬の残照



北海道の冬。日没の頃に稚内の外れの海沿いを走っていると、すごい廃屋を見つけた。完全に潰れて屋根の残骸だけになっている。凄みさえ感じる残照と合わさって、「寂寥感」を絵にしたような風景だった。風が寒くて、写真だけ撮って早々に引き上げた。

Soft pastel,   Canson pastel paper,   60cm × 43cm

稚内駅前に着くと、まだ早い時間なのに閑散としている。一軒だけ開いていたラーメン屋で 900 円也の「帆立ラーメン」(帆立が丸ごと5個も入っている)を食べた。・・・冬の北海道のそんな寂しい感じが好きだ。

2019年5月21日火曜日

鉄道博物館

The Railway Museum

鉄道博物館を初見学。S L を主に見る。後ろへ引けないので、目の前で 18 mm の広角を使って撮るが、かえって迫力と、機械らしい密度感が出る。「機械シリーズ」のモチーフに使いたくなってきた。





2019年5月17日金曜日

絵とは?

ある絵仲間どうしの、絵とは何かについての会話が興味深かった。ある人が、絵とはモチーフを正しく描くことで、抽象絵画など無意味だ、といきまいていた。しかし別の人が言ったことの方が、ストンと腑に落ちた。「絵とは、見たものを描くことによって、見えないものを表現することだ。」

よく「絵になっていない。」と酷評されてきたが、「絵にする」とはどういう意味なのかなかなか理解できないでいたが、この言葉で分かりかけた気がした。風景の写生や人物のデッサンは、いくら上手くても、描いているだけで表現していないから、絵になっていないと言われることになる。

見たものの写実をしながらも、見えてはいないが自分の感じた何かを表現する。表現するとは、対象の本質を見つけることだから、見えている具体的な姿からは離れていく。「描くこと」の主体は対象側にあるが、「表現すること」の主体は人間側にある。それは写実でありながらも、程度の差こそあれ、なんらかの抽象化につながるから、具象か抽象か、といった画一的な議論はあまり意味がない。

モンドリアンも、りんごの樹を描き続けて、抽象絵画の元祖になった。