2020年8月14日金曜日

アントニオ・ロペスの絵画

Antonio Ropez

スペインの超リアリズム画家アントニオ・ロペスの代表作のマドリードの街の絵は、早朝のようで、車も人もいない。正面遠くの建物に朝日が当たっている。街の風景をまるで写真のように描いている。しかしロペス自身は「自分の絵は写真と無縁だ」と言っていたそうだ。この絵もよく見ると、このとうりに一枚の写真で撮ることはできないはずだ。

 
画面がちょうど半分に分かれていて、上半分は建物で、下半分は道路、というのががユニークだ。画面を正方形にして、道路を大きく描いているのは、空間の奥行きを表すためだろう。そして道路のゼブラゾーンがうまい具合に3角形なので、遠近法的な奥行き感を強調する役目もしている。

これを描いているロペスを撮った写真がある、絵に描かれているゼブラゾーンの手前端は、ほぼロペスが立っている足元にあることがわかる。つまり建物を描くときは水平な視線で描いているが、道路を描くときは下を見ていることになる。

固定した一つの視点から、固定した一つの視軸で描くことが、遠近法の大原則だが、この絵では視軸の向きを変えた情景を組み合わせて一枚の絵にしている。本来の遠近法に違反しているが、これも「1視点・多視軸の遠近法」として広義の遠近法の一つとされることがある。

下の図で、左は建物を見ている水平な視軸で、右は道路を見ている時の下に向けた視軸。
(図は「空間を描く遠近法」より)

2020年8月12日水曜日

オリンピックの国旗

 Olympic games and national flag 

8 0 年以上前の 1 9 3 6 年オリンピック、ベルリン大会の光景。日本女子初の金メダルをとった前畑秀子が表彰式で、日の丸が揚がり「君が代」が流れている最中に、国旗に向かってお辞儀をしている。銀メダルのドイツ選手は自国旗のハーケンクロイツに「ハイルヒトラー」の敬礼をしている。銅メダルのデンマーク選手だけは普通にしている。

選手たちは「お国」のために闘い、国もオリンピックを愛国心高揚のために利用していた時代を象徴している。しかし国民のナショナリズムを煽るオリンピックの姿は今も変わらない。ただ違うのは、それをやっているのが、テレビメディアだという点だ。サッカーなどと違って競技自体はたいして面白くないオリンピック競技に、ナショナリズムという調味料を大量にまぶして、視聴率を稼げるコンテンツにしている。そのテレビからの放送権料で成り立っている I O G もオリンピックからナショナリズをなくすことはできない。

2020年8月10日月曜日

ヒトラー式オリンピックは変えればいい

 The 1936 Berlin Olympic Games

オリンピックまであと1年だが、もう無理だろう。もしやるなら今のようなオリンピックはもう変えればいい。コロナという人類共通の敵を経験したのだから、ナショナリズムを煽る大会はもうやめて、新しいオリンピックの形を作ればいい。

今の形を作ったのは戦前のベルリン大会で、ナショナリズムの権化ヒトラーが始めた。それを 8 0 年以上経った今も後生大事に受け継いでいる。聖火リレーや表彰式の国旗と国歌などいろいろあるが、開会式での各国選手団の国旗を先頭にした閲兵式のような入場行進もヒトラーの発明だ。日本選手団は戦闘帽をかぶって敬礼している。さすがに今では軍隊的ユニフォームや敬礼はないものの、基本は何も変わっていない。画像はベルリン大会の記録映画「民族の祭典」から。(映画の題名がすでに民族主義だ。)東京大会は「人類の祭典」にして、国旗・国歌を全廃する史上初の大会にすればいい。

 


2020年8月8日土曜日

暗号「ニイタカヤマノボレ一二〇八」と鉄塔の記憶

Radio tower and Pearl Harbor

この航空写真は子供の頃住んでいた場所の近くだが、完全な正円の道路が見える。わりと有名なので「あれか」と分かる人もいると思う。千葉県船橋市の行田という地区にある。
円の中に団地の建物が並んでいて、外側にも民家がびっしり建っているが、こうなったのは 1 9 7 0 年代以降で、それまでは畑ばかりだった。そこに鉄塔がたくさん並んでいて、下の写真の感じだった。ここは戦前「海軍無線電信所船橋送信所」という海軍の軍事用無線通信の施設だった。円形の道路は、この鉄塔群をとり囲んでいる管理用の道路だった。


真珠湾攻撃の時、日本艦隊に向けて、「ニイタカヤマノボレ一二〇八」という暗号電報がこの鉄塔から送信されたのは有名だ。1 2 月8日に作戦を決行せよという命令だ。(新高山は台湾の最高峰で富士山より高いので、日本統治時代には日本一の山だった。)

戦後は米軍に接収されたが、中央に管理棟があり、屋上でアメリカ軍の兵士がカービン銃を持って周りを見張っていたのを覚えている。それは昭和 2 7 年くらいだったが、まだ「戦後」が完全には終わっていなかったことを示していた。やがて 1 9 7 0 年頃に鉄塔は解体されて、現在のように丸い道路だけが残った。

真珠湾攻撃の実録映画「トラ、トラ、トラ!」でも「ニイタカヤマノボレ一二〇八」が出てきたが、それが子供の頃のこの鉄塔の記憶と結びついて、戦争が映画の中の出来事ではなかったことを思い出させてくれた。

2020年8月6日木曜日

松本竣介の焼跡の「Y 市の橋」

Shunsuke Matsumoto's painting of fire-destroyed bridge 「A Bridge in Y-City」

松本竣介は「Y 市の橋」という絵を繰り返し、描いている。Y 市とは横浜のことで、モチーフは横浜駅のすぐそばにある「月見橋」で、現在も復元されて当時のまま残っている。そのシリーズは 1 9 4 2 年から 1 9 4 4 年くらいの、戦争真っただ中の時代に描かれた。

1 9 4 5 年に横浜が爆撃された時、この橋はコンクリート部分が壊れ、鉄筋がむき出しになってしまった。松本竣介は、終戦の1ヶ月後にはもう現場に行ってスケッチした。3枚目のスケッチには進駐軍のジープが描かれている。その後、油彩にするが、悲惨だとか悲しいとかいう感情をまじえず、客観的にクールに描いている。(画像は「松本竣介展」より)


竣介自身は、家も焼かれず、肉親も亡くすこともなかったが、こう言っていたそうだ。「われわれは申し訳けないくらい全てが残った。そして思想的にも無キズのまま、前途のある自分がいる。」と自分を励ましていたという。(画集「松本竣介展」による) 戦争中、有名な画家たちが戦争賛美の絵を描いたが、松本竣介は無関係だったことを「思想的に無キズ」と言っている。・・・もうじき 7 5 年目の 8 / 1 5 を迎える。


2020年8月4日火曜日

時代物パンデミック映画「Black Death」

「Black Death」

感染症やパンデミックの本に必ず書かれているのがペスト(黒死病)で、1 4 世紀ヨーロッパで猛威をふるい、全人口の半分が死んだ恐怖の感染症だ。人々は神に祈るしかなかったが、神が人間を救うことはない。恐怖にかられ、ペストは悪魔の仕業だと信じて、狂ったように魔女狩りをする。また神の代わりに自分は人間を救えると称して、怪しげな黒魔術師が暗躍する。それがキリスト教と神の権威が失われる原因になり、やがて中世の時代を終わらせ、ルネッサンス時代になっていく。パンデミックが世界史を塗り変えてきたといわれるが、ペストはその代表的なものだった。

このことを題材にした映画が「Black Death」で、題名のとおり黒死病と、それに立ち向かおうとするキリスト教徒の「信仰」がテーマになっている。邦題の「ゴッド・オブ・ウォー  導かれし勇者たち」は、内容と無関係なバカな題名だが、そのせいで B 級映画だろうと思っていたら、実際はなかなかの映画だった。1 4 世紀イギリスのペスト大流行の時代、敬虔な若い修道士の主人公が、神の救済を求めて必死に祈る。しかし救済はなく、人間はバタバタ死んでゆく。そして人間同士が残虐に殺しあう。凄惨な現実を目の当たりにして、修道士の信仰が揺らぎ始め、やがて崩れていく・・・



2020年8月2日日曜日

ワイエスのバケツの存在感

Vessel in Wyeth's painting

「Spring Fed」はワイエスの中でも好きな絵の一つだが、牛舎を描いている。ワイエスはいつも、必要なものを他所から持って来て必要な場所にはめ込むので、窓の外の牛がこんなに都合のいい位置にいたわけではないだろう。壁のバケツもおそらく同じに違いない。しかしこのバケツはとても存在感がある。

ワイエスの解説書「Andrew Wyeth  Memory & Magic」の中に、このバケツの拡大写真がフルページで載っていて、こう解説している。普通は、風景画に何か小さいものを描きこむ場合、点景として軽く描くだけだが、ワイエスは静物画のようにきっちり描く。風景画の中に静物画を取り入れているようなもので、このバケツがその典型だとしている。

このバケツの存在感は、質感もあるが、形の正確さによる。遠近法的に確かめてみた。回転体の回転軸と楕円の長軸は直交するという、円の遠近法の原則が完璧に守られている。

回転軸と楕円の長軸は直交するという、遠近法の教科書の説明図。上のバケツのように軸が斜めの場合、狂わないように描くのは特に難しい。