2014年7月13日日曜日

ワイエスの「絵の作り方」

アンドリュー • ワイエスは一枚の絵を完成させるまでの過程で、たくさんのスケッチやデッサンを繰り返し、繰り返し描いている。最初は実際の物や風景を見たままスケッチすることからスタートするのだが、次々にそれは変化していく。イマジネーションをどんどんふくらませて、最初のスケッチとは全く違う絵になっていく。その過程を最終作品と見比べると、彼にとって、絵とは「描く」ものではなく、「作る」ものと考えていたのではないか、と思う。だが、写実力にごまかされて、対象をありのままに描いていると錯覚してしまう。彼は「メランコリーの画家」といわれるが、物を即物的に写実しているだけではメランコリーのような感覚は生まれない。心のなかにあるイマジネーションを形にしようとして試行錯誤をいくなかで、それは徐々に生まれてくるのだろう。


この絵は、牛乳しぼりの作業小屋を描いた作品。井戸水の水槽があり、壁にバケツが掛かっている。窓の外には牛の姿が見える。すべての物が写実的に緻密に描かれている。ワイエスがどうのように「絵を作っていく」のか、この絵が出来るまでのプロセスを順に見てみる。(図版引用:「ワイエス画集 - カーナー牧場」より)



奥さんが作業している情景のクイックスケッチから 始まる。


壁に掛かったバケツだけに着目したスタディスケッチ。





全体画面構成を検討。人物はなくなり、正面に窓が現れる。







構成が固まってきた段階。窓の外に牛の姿が加えられた。








水槽の詳細スケッチ。蛇口から水が出ていたり、水槽から水があふれているなどを加え「活き活き感」をだしている。






着色スケッチによる質感表現などのスタディ。窓の形はまだ最終と違う。






最終作品。

2014年7月9日水曜日

ワイエスを見に福島へ

日本の公的施設としては最大級のワイエスコレクションのある福島県立美術館を初めて訪れた。今回展示されていたワイエス作品はこの4点のみだったが、ベン • シャーンなどワイエス以外のアメリカ絵画も展示されている。ワイエスの4点は水彩画だが、透明水彩ではなく、ガッシュのような不透明水彩で、絵の密度がとても濃い。

                                              「松ぼっくり男爵」1976年 ボード・テンペラ
この絵は有名な作品のひとつ。隣家のドイツ人のカーナーさんが第一次世界戦争で使っていたヘルメットを、奥さんが松ぼっくりを拾う入れ物にしていたのを見て描いた。ヘルメットと松ぼっくりの精密描写がすごい。

   「そよ風」1978年 紙・水彩
ワイエス独特の構図の面白さ。正方形の画面の右端に人物を置き、背後にがらんとした室内空間を広々と取っている。窓からの風でなびく髪の毛の一本一本までが描かれている。光と影のコントラストの作り方が巧妙。

「冬の水車小屋」1978年 紙・水彩
ワイエスは雪の景色もたくさん描いているが、その一枚。風の吹きすさぶ寒々した
雪景色の雰囲気を表現するのがとてもうまい。


「農場にて」1988年 紙・水彩
なんでもない風景を絵にしてしまう構成力がすごいと思う。影の暗さを思いっきり強くして、光の当たったところとのコントラストで画面構成をしている。日本でもよくこんな小屋を見かけるが、こんなふうには描けない。

2014年7月3日木曜日

ワイエスの「クリスチーナの世界」

この絵をずっと昔の若い頃、ニューヨークの近代美術館で見たが、どうも違和感を感じたというか、あまり好きになれなかった。その頃すでにワイエスのファンになっていて、彼の作品が大好きだったのに、最高傑作といわれるこの絵だけは「?」だった。その後、彼の画集を見る時にも、この絵はいつもパスしてきた。


なぜそう感じるのか、自分でも説明できないでいた。ただ、映画の1シーンを見るようなドラマチックな雰囲気が関係しているとは感じていた。しかし最近になってアメリカで活動していた画家 • イラストレーターの津神久三という人(帰国後、わが母校の教授もつとめた)の本を読んで、その点が明快に分かった。

アメリカ絵画について書いた「画家たちのアメリカ」という本で、ワイエスを取り上げている。その中で津神さんも初めてこの絵を見たとき感じたことを書いているが、それは僕の場合とまったく同じく「?」だったそうだ。そして、理由をこう言っている。「作り事めいたわざとらしさ」「過剰な文学性」「絵に物語は必要ない」などという言葉で説明しているが、とても納得させられた。物語を視覚的に説明するのが「イラストレーション」だが、「絵画」がそれと同じになってしまってはいけない、という言い方もしている。とはいえ、この作品は特異な例で、ほとんどのワイエスの作品は物語の説明ではなく、精神的なものを語りかけてくる。だからそれらは素晴らしい。

ついでに。この本に面白いことが書いてある。それは近代美術館が実は内心「クリスチーナの世界」を売りたいのだが、それができないということ。近代美術の総本山である美術館がこの絵を展示していることのギャップのためだが、すでにこの絵がこの美術館の目玉作品になってしまっているため、やめるにやめられない、ということだ。


2014年7月2日水曜日

ワイエスの「影の構成」

影と光は裏はらなので影の構成は光の構成と重なるが、ワイエスには影をうまく使った絵も多い。影についても、実際のモチーフには無いものを、画面を構成する手段として、頭の中で作り出している。だからよく見ると物理的にはあり得ない形で影が描かれているのだが、それが面白いパターンを作っている。また、影は空間感を感じさせるというおおきな効果もある。例えば下の犬の絵では、画面全体に「く」の字形の影を作り、そのことで犬の顔を明るく際立たせている。裸婦の絵では、人体という立体の上に作られた影の三次元的な形が魅力的なパターンを生み出している。





ワイエスの「光の構成」

ワイエスの絵で多いのが光を使った構成だ。画面の大部分を暗く塗りつぶして闇のようにしてしまい、そこに射し込んでくる一筋の光の形で絵を構成する。勇気がいる大胆なやりかただが、空間感と空気感を感じさせてくれる。





ワイエスの「白黒コントラストの構成」

アンドリュー • ワイエスの絵でひんぱんにでてくるのが、白と黒の強いコントラストで画面を構成する手法だ。物の質感や立体感などは強調せず、どちらかというと平面的でグラフィックデザイン的な感じを受ける絵で、造形的な面白さ、新鮮さにあふれ、絵に対する既成概念を吹き飛ばすような感がある。それでいて現実感と説得力があるのは写実力のおかげだろう。木の前の女性像では、木も衣服もほぼ真っ黒で立体感も質感もなく描かれていて、顔の白さだけが際立っている。いちばん下の裸婦の絵は、背景が湖だが、大胆にも真っ黒く塗りつぶされていて、人体の白さと強いコントラストを作っている。そこで生まれる強い輪郭の曲線がこの絵のテーマだろう。




ワイエスの「反射の構成」

アンドリュー • ワイエスの絵は、写実技術のすごさについつい目を奪われて、そちらばかりを注目してしまうが、実は、ものを見たとうりに忠実に写実しているのではない。彼は頭の中で絵を作っている、または組み立てている。このことを「構成」と呼んでみる。彼のいろいろな絵をよく見ていると、さまざまな「構成」の手法が分かってくる。

有名なこの絵では、家がくっきりと水面に映っている。反射した家の像を使って、二つの家のイメージで画面を構成している。この絵のモチーフになった実景写真を見ると、ごく平凡な風景でしかないが、アイデアスケッチをくりかえしながら、魅力的な絵を作りあげていっているようすが分かる。



「反射の構成」の他の例では、このような作品もある。