2026年2月6日金曜日

映画「アバター:ファイアー・アンド・アッシュ」

「Avatar : Fire and Ash」  

物語の基本は第1作以来、変わっていない。地球の資源を使い尽くした人類が、パンドラという惑星へ進出して、巨大な基地を作り、鉱物資源を略奪しようとしている。しかしその星にはナヴィ族という先住民がいて、彼らは豊かな自然と一体化して生きている。そして人間とナヴィ族との闘いになる・・・

この闘いで、人類側には最新のハイテク兵器があるが、ナヴィ側の兵器は原始的な弓矢だけだ。しかしナヴィ側には巨大な怪鳥の戦闘機があり、巨大な鯨の潜水艦がある。自然の一部として生きているナヴィ族にとっては、鳥も鯨も同じ仲間なのだ。ハイテクと暴力によってナヴィを壊滅しようとする人類との対立が映画の基本になっている。

人類は火の発明から始まり、さまざまな技術を身に着けて来たが、その結果が自然を破壊し、戦争をもたらしてきた歴史がある。技術の発達によって、最後には人間は滅びるという終末論思想がこの映画の根底にある。


この映画についてさまざまな論評がされているが、その中で、アデル・ラインハルツというカナダ人の聖書学者の「ハリウッド映画と聖書」が参考になる。そこでは「アバター」には聖書的要素が無数にみられると言っている。

例えば映画で、人間の攻撃で窮地に立たされたナヴィ族が救済を求めて母なる女神エイワに祈る点や、最後に人間に勝ってエイワのいる聖なる大木に感謝を捧げる点など、破壊と再生という聖書の枠組みそのままの映画であるとしている。またナヴィ族が挨拶する時、「あなたが見える」( I See You )と言う場面が何度か出てくるが、これは「あなたの本来のあり方ゆえに私はあなたを見る」という聖書のイエスの言葉が元になっているという。


もうひとつは、岡田温司の「映画と黙示録」で、やや批判的にこの映画を評している。先住民のナヴィ族たちを、明らかにアメリカの先住民であるインディアンのイメージで描いている点だ。そして人類側の侵略を阻止する救世主となるのが、人類側の人間であるジェイクの「アバター」だ。パンドラ星を救うのは先住民自身ではなく、白人の人間だという筋書きが結局は、白人がアメリカインディアンを征服したという植民地主義を背景にした白人中心的な物語に過ぎないと言っている。

なおエンドロールで  ”KABUKI" という表示が出てくるが、ナヴィ族のメイクが歌舞伎の「隈取り」のイメージをもとにしているらしい。アメリカ・インディアンではなく・・・

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