2023年11月15日水曜日

万博の歴史、大阪は?

Expo 

大阪万博が開催できるか危ぶまれているそうだ。そもそも、万博を日本でやると聞いたとき、「万博なんてまだあったの」という感じだった。インターネットなどない時代、未来の技術や異国の文化を目の当たりにできる万博は、最高の「情報メディア」だった。しかし、人・モノ・情報が世界を自由に行き交う現在では存在意義が薄い。時代遅れになった万博だから、撤退する国が続出しても当然だろう。


1851 年のロンドンが第1回の万博だった。会場の「水晶宮」は、最先端の技術を使った世界初のガラスの建築で、世界に衝撃を与えた。また、プレファブ工法を使った初めての建築でもあり、「工業化社会」への方向性を示すモニュメントだった。「未来を見せる」という万博の使命を果たしていた。


日本が初めて参加したのは、 1867 年のパリ万博からだが、明治維新直前の時代だったので、「幕府」「薩摩藩」「鍋島藩」の三つがそれぞれ別々の展示をして、自分たちが「日本代表」だと主張しあった。その時の出品物は、美術工芸品で、有田焼などの陶磁器はヨーロッパに衝撃を与え、「ジャポニズム芸術」のきっかけになった。また、アールヌーボーの製品に日本的なデザインが多かったのもその影響だった。

時代が下って、第二次世界大戦直前の1937 年のパリ万博は有名だ。世界の覇権争いをしていた二つの全体主義国家、ドイツ館とソ連館がエッフェル塔を挟んで、にらみ合うように向かい合って建てられた。不穏な時代を象徴するような光景だ。ドイツ館の設計は、ナチスの建築を一手に引き受けていた有名なシュペーアによる、列柱をテーマにした「ナチス様式」 のデザインだ。ソ連館は巨大な労働者の像が最上部に置かれ、モスクワに建設計画中だった「ソヴィエト宮殿」の縮小版のようなデザイン。どちらも全体主義国家の威容を誇ろうとするモニュメント建築で張り合っている。


この頃から万博は、統一テーマを掲げるようになったのだが、このパリ万博のテーマは「現代生活の中の芸術と文化」だった。この時スペイン館で、ピカソの絵画「ゲルニカ」が初めて展示された。この絵は、スペイン内戦で一般市民が虐殺されたことへの抗議だった。しかしその内戦は、フランコ総統を支援したドイツと、人民戦線を支援したソ連との代理戦争だった。そのさなかで行われた万博の、ドイツ館とソ連館が、両国の対立を見事に視覚化している。統一テーマの「生活の〜」ではなく、「政治の〜」になってしまい、テーマは空疎になってしまった。

今度の大阪万博のテーマは、「いのち輝く未来社会のデザイン」だそうで、「持続可能な社会」というコンセプトだとそれなりに理解はできる。そのモニュメントとして、「リンク」という木造の巨大建造物を作っている。巨大な木造建築は東大寺のように日本の伝統技術であると同時に、最近日本では巨大ビルを木造で作る技術も進んでいる。鉄とガラスの時代は終わり、これからは持続可能な「木」の文化だ、というメッセージを発信すれば、日本で万博をやる意義が出てくると思う。ところが「リンク」への批判に万博担当大臣が「これは熱中症対策の日よけだから必要だ」と言ったのにはがっかりする。第1回万博での「水晶宮」のように、次の時代に向けてのメッセージを発信するという万博の意味を大臣自身が理解していない。これでは大阪万博は失敗に終わるだろう。


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