2023年4月29日土曜日

星の王子さまミュージアム

 San-Exupery 

箱根の「星の王子さまミュージアム」へ久しぶりで訪れようと思ったら、3月いっぱいで閉館になっていた。タッチの差だった。園内はフランスの街並みや庭園を再現していて、その中にサン・テクジュぺリの遺品や、著作にまつわる資料などを展示するミュージアムがあった。


民間航空路線の開拓期に、南米とヨーロッパを結ぶ航空郵便機の飛行士だったサン・テクジュぺリは墜落事故などを何度も経験するが、それもとに「南方郵便機」や「夜間飛行」などの傑作を書いた。砂漠の真ん中に不時着した経験をもとに書いたのが「星の王子さま」だった。(数年前の「リトルプリンス」は、サン・テクジュぺリの生涯と「星の王子さま」の物語を組み合わせたアニメ映画だったが、そこでも不時着した飛行機が登場していた。)第二次世界大戦時には志願してフランス空軍のパイロットになるが、地中海に墜落して消息を絶つ。


「夜間飛行」をもう一度読んでみた。単発複葉機の郵便機が大西洋上で暴風雨に巻き込まれ、墜落の危機に直面している。生死の狭間で必死に飛び続ける飛行士の内省的な瞑想を描いている。展開は劇的だが、文章は詩的で繊細かつ透明だ。(同書にサン・テクジュぺリの飛行機の写真が載っている。)


2023年4月22日土曜日

ベストセラー「我々はどこから来て、今どこにいるのか?」



ユヴァル・ノア・ハラリの人類史「サピエンス全史」が全世界で超々ベストセラーになったが、今度は、同じく人類学者 エマニュエル・トッドの人類史「我々はどこから来て、今どこにいるのか」がベストセラーになっている。 

ハラリの「サピエンス全史」では、人類史は、人間を脅かす「戦争」「飢餓」「疫病」の3つを克服してきた歴史であると捉え、現在それらはほぼ達成しつつあると主張している。 しかしその直後にウクラウイナの「戦争」、アフリカの「飢餓」、コロナの「疫病」が起こり、それぞれたくさんの死者が出て、その根拠が揺らいでしまった。

対してトッドは、「第三次世界大戦はもう始まっている」「西洋は没落に向かっている」などと楽観的ではない。その人類史は斬新で、各国各時代における「家族構造」が「政治体制」を決定づけてきたという。例えば、長男だけが家を継ぐ「直系家族型社会」の国では、親子関係は権威主義的で、兄弟間は不平等で、女性のステイタスが低い。ドイツ、日本、北欧、などがその類型だという。だからドイツでも日本でも、女性が子供の養育に集中するため子供の教育レベルが高い。その代わり女性の社会進出率が低い。また家を継がない次男・三男を自立させるために高等教育を受けさせる率が高く、それが日本とドイツの科学技術力の高さにつながっている、・・・などなどの分析をしている。

ロシアは「共同体家族型社会」の国で、家族全員が大きな共同体を作っている。西欧のような完全個人主義と違って、家族のあっての個人だという家族観があるという。だからプーチン大統領が、ウクライナはロシアと同じ家族の一員なのに、そこから離れて西欧社会へ行ってしまうのは許せないと考えるのはごく自然なことだという。そして、そのロシアの伝統的価値観を西欧が壊そうとしているという危機感がある。しかし、国民の結束力が強く、教育レベルが高く、科学技術力が高く、女性のステイタスが高いロシアは決して滅びることはないとトッドは言う。


この本の上下2巻の表紙をつなげると1枚の横長の絵画になる。これはゴーギャンの「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」という題名の絵で、人間の一生を描いている。右側の女性と子供は生命の始まりで、中央の若者は成人期、左の老婆は終末期を表している。しかしこれは人間の一生に例えて、人類全体の過去・現在・未来を描いているといわれる。奥にいる青い彫像は、人類の行く末を決めている、人間を超えた存在の象徴だという。西洋の文明社会を捨てて、原始社会のタヒチへ渡り、生涯をそこで終えたゴーギャンの世界観を表した絵だとされる。

西洋は没落へ向かっているというトッドの世界観と重なっている絵で、だから本の題名を、この絵の題名から取っている。

2023年4月19日水曜日

「コードブレーカー 生命科学と人類の未来」

「The Code Breakers」  

コロナが始まった頃日本では、ワクチンができるまで3年かかるだろうと言われていたが、アメリカではあっいう間に完成してしまい、今のコロナ収束に貢献した。

なぜそんなことができたのか。ジェニファー・ダウドナというノーベル賞を受賞した女性科学者の研究があったからで、「コードブレーカー  生命科学と人類の未来」という本が、その足跡をたどっている。

遺伝子の管理部門である DNA の情報が RNA に転写され、その情報が細胞の製造部門に伝えられ、タンパク質の製造を促す。つまりRNA は情報を運ぶ働きをするから「メッセンジャーRNA」と呼ばれる。今回のコロナのワクチンが「m-RNA」型と呼ばれるが、その「m」は「メッセンジャー」 を指す。

従来型のワクチンは弱毒化したウイルスを体内に注射するが、「m-RNA」型はウイルスの生成を促す RNA を注射することで、抗体を作らせる仕組みになっている。ダウドナは早くから、難病の治療をするために、m-RNA による遺伝子編集の研究をしてきたが、その技術を応用するだけで、コロナワクチンが簡単に出来てしまった。

題名の「The Code Breakers」は、戦争で敵国の暗号をぶち破るというニュアンスだろうが、この本は、遺伝子の暗号を解読していく過程が、サスペンス小説のようにスリリングに書かれていて面白い。

 

2023年4月12日水曜日

黒澤映画「蜘蛛巣城」と能

 Akira Kurosawa & Now 

先日、TV ( 4 / 8  Eテレ)で「能の美」という番組があって大変興味深かかった。黒澤明はさまざまな作品で、能の美学を取り入れていたが、晩年にその意図を説明するドキュメンタリー「能の美」を作ろうとして撮影を開始したという。それは未編集のままで中断してしまったが、残されたシナリオから黒澤の「能」に対する傾倒ぶりと、映画に「能」が与えた影響の大きさがわかるという。能の影響が強い作品の具体例として番組が取り上げていたのは「蜘蛛巣城」だった。シェークスピアの「マクベス」を翻案して、日本の戦国時代に置き換えた作品だ。


武将に謀反をそそのかす妻(山田五十鈴)の顔を能面そっくりに近ずけることにこだわって、メイクに何時間もかけたという。

能は、リアリズムと正反対の究極の「様式美」(Stylization)の演劇だが、能舞台の、松を描いた「鏡板」と呼ばれる背景にもそれが表れている。映画のこの場面では、背景に、絵巻や屏風絵によく使われた雲が描かれている。写実性とは異なる日本独特の様式美だ。役者の所作振舞も、摺り足の歩き方など、リアルな「演技」ではない能の様式をそのまま取り入れている。


すべての能の物語構造は、あの世から現世に戻ってきた者が演じるのが基本になっているそうで、役者が「橋掛り」という両者の橋渡しの役割をする廊下を通って舞台へ登場するという能の舞台構造はそのためだという。そういう「夢幻」の物語としての能の世界観をこの映画でも取り入れている。老婆の姿をした妖怪が、主人公が主君を裏切って城主になるという予言をするが、それがこの物語の骨格になっている。


ラストで、謀反を起こした武将自身もまた部下から裏切られ、壮絶な死を遂げる。番組で、この場面について、アメリカ人の黒澤研究の専門家が強調していたのは、アクション映画のようなリアルな血なまぐささはなく、馬鹿なことを繰り返す人間を、天から神が見下ろすような冷めた視線で描いている、ということだった。確かにこの映画全体が主人公の側から第一人称的に語られるのではなく、突き放したような第三者的な語り口になっている。



2023年4月8日土曜日

記録映画の ”ウソ”

 Image Montage

最近あるTVの報道番組で、東京オリンピックの開催反対デモの参加者が、「日当をもらって動員されただけだ。」と打ち明けたと報じたのが問題になった。反対運動はそれほどでもなかったと印象付ける内容だが、それは事実でなかったことがわかって、TV 局は批判された。

この番組は、映像の力が人々の意識にいかに影響を及ぼすかというテーマで、その例として五輪記録映画での反対デモを取り上げたのだった。そこで「東京 2020 オリンピック」の映画そのものを、公開から1年遅れで見てみた。全体的に、反対デモの扱い方が「こんなこともありました」程度で ”軽い” 。登場するのは当時批判が大きかった、商業主義のIOCや、不祥事続きの組織委員会や、五輪を政治利用する政治家、などばかりで、彼らがいかに苦難を乗り越えて大会を”成功” に導いたかという”美しい” 物語に仕立てている。オリンピックそのものの根本的な意味が問われた史上初の大会だったから、記録映画の責務として、その点を掘り下げるべきだと思うが、そういう負の部分にはほとんど触れていない。結果的にプロパガンダ映画とまでは言わないが、政府側に寄った映画になっている。(ちなみに「映画館も無観客」と揶揄されたほど不人気だった。)

オリンピックの記録映画をプロパガンダ映画として利用できることに初めて気がついたのが、ナチスの宣伝相ゲッペルスだった。例の女性監督リナ・リーフェンシュタールに命じてベルリンオリンピックの記録映画「美の祭典」を作らせた。ヒトラーの演説のすぐ後に熱狂する大観衆を映し出す。ところが彼らの大部分は日当をもらって集まった人たちだったという。

ゲッペルスがこれを思いついたのは、エイゼンシュタインの「戦艦ポチョムキン」を見たからだと言われている。それは「モンタージュ」の技法を生み出した世界初の映画だったが、中でも有名なのは、ライオンの石像の場面だ。ロシアの官憲がウクライナの民衆を弾圧し殺戮するシーンの後で、眠っていたライオンが目覚めて立ち上がる映像を映し出す。ライオンと殺戮はなんの関係もないが、二つを繋げることによって、国家権力に立ち向かう民衆の怒りを見る人に強く印象づける。映画は、民衆の力が帝政を倒してロシア革命を成し遂げたことを賛美しているから、革命政府によってプロパガンダに利用された。

このような映像の編集技術によって情報操作を可能にしているのが認知心理学でいう「クレショフ効果」だ。ある映像に別の映像をつなげることで、映像に対する印象が全く違ってくる効果を指している。下図のように、男の映像の後に、死者の映像をつなげると「悲哀」に、食べ物につなげると「空腹」に、女性をつなげると「欲望」に、といった具合に、男の顔は全く同じであるにも関わらず、表情の見え方が違って見えてくる。

「記録映画」というと、写されているものがありのままの事実だと信じてしまいがちだが、個々の映像は事実でも、それらをつなぎ合わせる「モンタージュ」によって事実とは全く違う意味にすりかえることができる。だから記録映画やニュース映像はプロパガンダに利用されやすい。有名な例は湾岸戦争の時の油まみれの水鳥の映像だ。イラクのテロリストが石油精製施設を爆破して油を海に流出させたというアメリカのTV局のニュース映像の中にこの水鳥の映像が挟まれた。世界中にショックを与えた映像だが、後に油の流出はアメリカ軍のミサイル攻撃によるためだったとバレてしまった。しかもこの水鳥自体も関係のない別の場所で撮られたものだった。


「東京 2020 ~」でも、五輪に関係のない美しい風景や、幸せそうな子供の映像などがあちこちにやたらと挿入される。オリンピックを ”感動的なもの" として印象づける「クレショフ効果」を狙っている。今のウクライナの戦争でも様々なニュース映像が飛び交っていて、それらの真偽を確かめるのは不可能だが、たぶん「クレショフ効果」を利用したプロパガンダ映像がたくさん混じっていることだろう。

2023年4月4日火曜日

黒澤明の絵コンテ「海は見ていた」

「The Sea is Watching」 

黒澤明は若い頃、画家を目指して本格的に絵画の修行をしていたから、映画監督になっても絵コンテを自分で描いていた。黒澤明の映画のショットが絵画的なのはそのためだ。

映画「海は見ていた」は、山本周五郎の小説が原作で、江戸の遊郭を舞台に、遊女たちの逞しくも哀しい生き様を描いている。黒澤明が自らシナリオと絵コンテを書いたが、撮影に掛かる前に亡くなってしまい、跡を熊井啓監督が引き継いで撮った。同名の「海は見ていた」という本にその作品のシナリオ全部と主な絵コンテが紹介されている。

4人の遊女が雪を見ているシーン。黒澤のデッサン力の確かさがわかる。

4人が並んで化粧している場面の面白い構図と、実際の映画のショット。
嵐を不安そうに見ている二人。黒澤は窓を使って空間の奥行きを表現するのがうまい。
屋根に登って水没した街を眺めているシーンと、実際の映画のショット。

普通の絵コンテは、カメラのアングルや動きなどを指示するもので、簡単な線画で描かれているが、黒澤の場合は色付きでしっかりと絵として描き込んでいる。セットのデザインや衣装や人物の表情まで含めて、場面の雰囲気全体を指示している。それが絵画的な黒澤映画のもとになっている。