Shadows in painting
「暗い影を落とす」という言い方があるが、絵画でも、何かよくないことの表象として影が描かれる。ムンクの「思春期」は、わずか 1 5 歳で結核で死んだ姉がモデルだとも、うつ病から精神を病んでしまった妹がモデルだともいわれる。影の形は歪んで、大きく膨張していて、ムンク自身の死に対する不安な気持ちを表している。
キリコの「通りの神秘と憂鬱」の与える不安感の原因は、巨大な人間の影にある。影だけが見えているが、影を作っている人間自体は隠れていて見えない。正体不明で人間を脅かすような不気味な影だ。そこへ向かって無心に走っていく少女にこれから何が起こるのか心配になる。第一次世界大戦勃発の年の絵だが、どうなるかわからない世界の先行きへのキリコ自身の不安を表しているといわれる。
フェルメールと同時代のオランダの画家ホーホストラーテンという人の著書「高等絵画術入門」のなかに、こんな図がが載っているそうだ。小さな人形を左下の光源から照らして壁にできた影が巨大でしかも歪んでいる。影は人を脅かす悪魔のような姿に変身し、実際の人間から離れて一人歩きする。(ストイキツァ「影の歴史」より)
このように、普段は隠れている恐ろしい人間の正体を影が暴くという着想の絵画がたくさん描かれた。1 6 世紀のロレンツォ・ロットという人の「受胎告知」で、美しい大天使の床に映った影が悪魔の姿をしていて、マリアに襲いかかろうとしている。本来は祝福を受けるはずのマリアは恐れおののいている。
「ビガー・ザン・ライフ」( 1 9 5 6 年)という映画にも同様の影が出てくる。男が子供の宿題をみているが、答えができない子供にいらだつ。そのシーンで、男の巨大な影が子供に覆いかぶさるように壁に映る。男はやがて精神に異常をきたし、子供を殺そうとするのだが、男の内面に潜んでいる悪魔的な本質をこの影が暴き出している。
ピカソに「影」という作品がある。男の影が女性の部屋に押し入り、女性の無防備な裸体に覆いかぶさるように男(ピカソ自身)の影が投影されている。このように人体の上に投影される別の人体の影は、二人の力関係の不均衡(パワハラ的な)またはジェンダーの不均衡(セクハラ的な)を表しているという。(ストイキツァ「影の歴史」より)
巨匠オーソン・ウェルズのサスペンス映画「ストレンジャー」(1 9 4 6 年)でもそのような影が出てくる。ナチの残党がアメリカの田舎町に潜伏していて、妻にも本性を隠しているが、やがて戦犯調査委員会の捜査官が嗅ぎつけてくる。妻も夫についてうすうす何かを感じ始めた時、寝ている妻へ男が近づいてきて・・・ ここで男の巨大な影が妻に襲いかかるかのように投影されるのはピカソの絵と似ている。そしてユダヤ人を大量虐殺した悪魔のような男の本性を影で表現している。影が、その人物の内面で起こっていること、つまりその人物が何者であるかを暴き出している。
この絵をもとにフランシス・ベーコンが 1 9 5 7 年に「ファン・ゴッホの肖像画のための習作」を描いている。ゴッホ自身と影が溶け合って一体になっている。ベーコンは「路上に現れた亡霊のように、不安に悩み苦しむ人間を表象すること」そして「ロウソクが自分自身のロウの中に向かって崩れ落ちていくように、ゴッホが自分の影の中に溶解していく様子を示した。」と言っている。(ストイキツァ「影の歴史」より)
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