2024年4月13日土曜日

科学の軍事利用の元祖 アルキメデスの「死の光線」 

Archimedes Death Ray


科学の知見を軍事に応用し、戦争に使った最初の人は、紀元前3世紀のギリシャのアルキメデスだといわれている。ローマ軍との戦争で、敵軍船を攻撃する兵器を作ることを頼まれたアルキメデスは、「死の光線」を発案した。(「身近な物理学の歴史」より)

海岸線にたくさんの市民を並ばせて、それぞれに手鏡を持たせ、敵船に向けて集中的に太陽光を反射させる。すると敵船はあっという間に炎上してしまう。このとき市民を放物線上に並ばせるのがミソで、放物線の「焦点」に敵船が入ったとき一斉に光を浴びせる。

パラボラアンテナが放物線断面の曲面で電波を反射させ焦点にある受信装置に集めるのと同じ原理だ。アメリカの MIT は「死の光線」の再現実験をしたが、30 cm 角の鏡を130 枚使って30 m 先の木造船を発火できたという。

アルキメデスの祖国ギリシャはオリンピック発祥の地だが、聖火の採火式で、古代ギリシャ風の衣装の女性がパラボラ型の鏡でトーチに着火している。


2024年4月11日木曜日

レオナルド・ダ・ヴィンチは、「軍事技術者」だった

 Leonardo da Vinci

ダ・ヴィンチは宮仕えするときの履歴書に、自分の職業を「軍事技術者」と書いたという。当時のイタリアは小さな都市国家に分裂していて、いつも戦争をしていたことと、兵器の主流が弓矢から銃火器になったことで新兵器が必要になったことが背景にあるようだ。たしかにダ・ヴィンチの絵画は「モナリザ」や「最後の晩餐」など数点しかなく、画家は”副業” だったのかもしれない。

ダ・ヴィンチは機械のアイデアをスケッチ入りで記録した「手稿」を大量に残している。そのなかに軍事技術関係のものがたくさんある。ミラノにある「レオナルド・ダ・ヴィンチ科学技術博物館」は、ダ・ヴィンチの発明スケッチを模型にして再現していて圧巻で、イタリアに行ったらおすすめの場所だ。その日本展「知られざる科学技術者レオナルド・ダ・ヴィンチ展」(1998 年)があった。(下の画像は同展の図録より)


「戦車」 中に人間が入って駆動する。全方向に向いて銃が装備されている。4つの車輪は独立しているので自由に方向転換できる。(模型は一部断面で内部を見せている)


「機関銃」 11 個の銃が3段に並べられていて、計 33 の銃口を持つ。1段目を打ち終えて弾を装填すると、すぐに 2・3段目を続けて撃つことができる。(スケッチは3案が描かれている) 


「城壁攻撃用はしご」 車輪のついた台にはしごが装備されている。堀の手前で停止させ、はしごを倒し城壁に架けて城内に一挙に攻め込む。はしごには屋根がついていて、上からの銃撃から兵士を守る。


「大鎌をもつ軍船」 船首に大鎌を備えていて、素早い振り下ろしで敵船を破壊する。鎌は回転台座に乗っていて、どの方向へも向けられる。



2024年4月9日火曜日

暮れ残る空「マジックアワー」の光の美しさ  ミレーの「晩鐘」と映画「天国の日々」

Magic Hour 

写真や絵画で「マジックアワー」という言葉がある。日没時には、真っ赤な太陽の光が空を染めるが、それが終わって、太陽が地平線の下に沈むと、地平線の下から空へ向かって光が照らされる。空に反射した間接光なので、光は弱く優しく、微妙な色に輝く。完全に暗くなるまで 20 分くらい続くが、一日のうちで空が最も美しい時間帯で「マジックアワー」と呼ばれる。日本語の「暮れ残る空」に近い。

「マジックアワー」の光を描いた有名な絵画はミレーの「晩鐘」だ。わずかに明るさを残す空を背景に農夫夫婦がシルエットで浮かび上がっている。マジックアワーの光は詩情や郷愁の感情を呼び起こす。



映画で、「マジックアワー」の光の美しさを最大限生かした映画が名作「天国の日々」だった。ミレーの「晩鐘」と同じく、見渡す限りの平原を舞台にした農民の物語だが、ほとんどすべてのシーンが「マジックアワー」で撮影されている。

マジックアワーの微妙な光を背景に、平原のなかにポツンと一軒だけの豪邸が建っている。建物は暗いシルエットになり、左側面だけがまだほのかに明るい。古い様式の建物が、映画の時代設定の 1910 代の雰囲気を出している。空の色と相まって、映画全体を覆う郷愁感を高めている。 (・・・・建物に住んでいるのは若い男一人だけで、彼は農場の所有者の金持ちなのだが、余命がいくばくもない。・・・・) 



遠くの地平線まで平原が広がっていて、ミレーの「晩鐘」とまったく同じ構図のシーン。マジックアワーの雲がピンクがかった柔らかい色に染まっている。人物は暗いシルエットに沈んでいる。 (・・・・主人公の二人は農場に働きにきている貧しい季節労働者で、夫婦なのだが兄妹と偽っている。・・・・)



一日の農作業を終えて、宿舎に戻る季節労働者たちのシーン。マジックアワーの空が美しい。 (・・・・安い賃金で重労働させられている彼らの悲哀感をこの空が引き立てている。主人公の二人も、この境遇から抜け出したいと思っている。・・・・)



この映画は、準備をして待っていて、日が沈むと同時にマジックアワーの 20 分間に撮影したという。その光の美しさが、シーンに郷愁や哀愁の感情を与えている。「物語る」という俳優の役割を光がしている。だからこの映画の登場人物のセリフはとても少ない。


2024年4月8日月曜日

映画「黒い太陽 731」

「Men Behind the Sun」 

映画「オッペンハイマー」は、原爆という非人道的兵器を作ったことで、自責の念にとらわれる科学者オッペンハイマーを描いている。このような「科学者と倫理」の問題は日本にもあった。


戦時中の、科学者たちの研究組織「731 部隊」だ。細菌兵器を開発する目的で、さまざまな非人道的な実験が行われていた。隠蔽工作のおかげで永らく実態が闇の中に葬られていたが、近年その全貌が明らかになってきた。「七三一部隊と大学」という最近出た本は、部隊の実態を詳細に調べている。中国のハルピンにあった研究所に集められた数十人の京都大学医学部の優秀な科学者たちが活動していた。研究を指揮したのが部隊長の石井四郎で、京都大学医学部教授、医学博士、陸軍軍医中将、などの肩書きを持つエリートだ。


この七三一部隊の実態を映画化したのが、「黒い太陽 731」(1988 年、香港映画)だった。中国人を実験台に使って様々な生体実験をする。十字架に縛り付けて、空から細菌を振りまいて、兵器としての実効性を調べたり、感染した人間を生きたままベッドに縛り付けて、麻酔もかけないまま、身体を切り開いて内臓を取り出す生体解剖、などアウシュビッツ顔負けの非人道的医学研究だった。


やがてソ連軍が進攻してきて、日本の敗戦がはっきりすると部隊は撤退するが、あらゆる証拠を隠滅する。研究資料を焼却し、実験用の中国人は全員銃殺し、施設は爆破する。そして部隊長の石井四郎は日本に帰っても部隊のことは一切口外しないように厳命する。

ナチスドイツで同じく細菌兵器の研究をしていた医学者たちはほとんどが戦犯として死刑になったが、石井四郎の場合は連合軍に逮捕されることなく、東京裁判にかけられることもなかった。なぜか。それは部下には焼却するよう命じた研究資料を自分だけは密かに持ち帰り、それを細菌兵器の情報を欲しがっていた米軍に渡して、引き換えに逮捕を免れたのだ。そして研究者たちは何事もなかったかのように大学の医学部教授に復帰した。

戦後、オッペンハイマーは核兵器開発に反対したため、政府から反米科学者の烙印を押され、すべての公職から追放された。それほど原爆を作ったことへの自責の念が強かった。しかし、731 部隊の科学者たちはそうではなかった。

2024年4月6日土曜日

オッペンハイマーは悪者か?

 「Oppenheimer」

映画「オッペンハイマー」で印象的なシーンがある。いよいよ最初の爆発実験の日、実験場へ向かうオッペンハイマーが、庭で洗濯物を干している妻に、「閃光が見えたらすぐに洗濯物をしまうように」と言う。つまり、爆発で遠くにまで「死の灰」が降るほど原爆の破壊力が強烈であることをオッペンハイマーは知っていたのだ。

その後、日本への投下が「成功」すると、研究所のメンバーたちから祝福される。しかしオッペンハイマーに喜びの表情はない。広島・長崎の惨状を知って、原爆の恐ろしさは自分の予測以上であることを知り、自責の念にかられる。しかし同時に「自分は科学的真理を追求しただけで、原爆を投下する決断をしたのは政府であって自分ではない」と主張する。そして、水爆開発に反対し、核兵器反対運動を推進する。

これはノーベルの話に通じる。自分が発明したダイナマイトが戦争で大量殺戮の道具に使われたことの負い目から平和賞を含むノーベル賞を創設した。そのような科学の進歩に常につきまとう「科学者と倫理」の問題を「オッペンハイマー」は問いかけている。

この問題について、科学者は軍事研究に手を染めるべきではないという立場から、日本学術会議は「科学者の行動規範」を定めている。「科学者は、特定の権威(政府や自衛隊などを指す)から独立して、自らの判断により真理を探求するという重大な責務を有する。〜云々」としているが、そんな単純なことで問題は済まない。オッペンハイマーは、科学の真理を追求することと、アメリカへの愛国心との両面から、原爆開発に突き進むしか選択肢はなかった。

科学の成果が戦争に利用されて人類の脅威になったのはこれまで2つあったといわれている。19 世紀のダイナマイトと、20 世紀の核兵器だ。そして、21 世紀の現代に生まれつつある第3の脅威は「AI」だとされている。すでに AI の軍事利用は世界じゅうで始まっている。しかし AI の研究者たちはそんなことに自分が関与しているとは思っていない。


2024年4月4日木曜日

「バーベンハイマー」?

 「BARBENHEIMER」

去年(2023 年)夏のほぼ同時にアメリカで「バービー」と「オッペンハイマー」が公開された。そのとき、二つをくっつけた画像が SNS に投稿されて話題を呼んだ。「Barbie」と「Oppenheimer」をつなげた「Barbenheimer」(「バーベンハイマー」)を映画ポスター風にした悪ふざけ画像だ。この画像に「バービー」の映画会社(ワーナー)が「いいね」をして宣伝に利用したので、大ひんしゅくを買った。日本ワーナーも本社に抗議したので、ワーナーは謝罪に追い込まれた。

そして先月のアカデミー賞発表で作品賞を受賞したのは、興行成績 No.1 の「バービー」ではなく、「オッペンハイマー」だった。おバカ映画が受賞しなかったことで、ハリウッドにまだ良識があることがわかって安心した。

この騒動の根底にあるのは、原爆に対する日米の意識の差だと言われる。原爆投下は戦争を終わらせるためで正当だったと考えるのがアメリカの大多数の世論だから「バービー」のように原爆を茶化すようなことが起こる。一方で、原爆を単純に悪だとするだけでは済まないもっと大きな問題があることを「オッペンハイマー」は気づかせてくれる。


2024年4月2日火曜日

映画「オッペンハイマー」

 「Oppenheimer」

オッペンハイマーは、悪魔の兵器を作った極悪人だとされる。しかしオッペンハイマーという人がいなければ原爆は生まれなかったかというとそんなことはない。彼個人の自由意志で原爆は作られたわけではなく、時代の要求に応えて、一科学者として貢献したにすぎない。映画には、原爆を計画し、作り、使った人たちがたくさん登場する。

ナチスドイツより先に原爆を完成し戦争に勝つという愛国心と、科学者としての使命感からマンハッタン計画を指揮し成功する。しかし、広島・長崎で何十万人もの人間を殺したことで、自分の手が血塗られたことを自覚する。そして戦後は、これ以上の核兵器の開発を止めることを政府に訴え続ける。しかしすでに米ソ冷戦時代で、ソ連との水爆開発競争になっていたので、それに反対するオッペンハイマーはソ連のスパイだと見なされ、裁判の被告になってしまう。

映画は、科学者としての使命を果たした達成感と、それがもたらした結果への罪悪感とが葛藤するオッペンハイマーの苦悩を描いている。これは今でも答えがない「科学技術者と倫理」という永遠の課題だ。