ワイエスは若い頃、イラストレーターだった父親から絵のてほどきを受けた。父親は「まずそこにあるものを正確に描写するように、次に見なくても存在するかのように描くように」という指導を受けたという。前回「その2」で書いたような、「写生」ではなく「構成」というワイエスの特徴は、このような教育から生まれたと思うととても納得できる。
父親はイラストレーションという存在するものを描く自分の仕事と、絵画という実際には存在しない心のなかのイメージを描く絵画の仕事の違いを自覚した上で、子供を絵画の世界へ導こうとしたのだろうと解釈できる。イラストレーターを含めてデザインの仕事には
イラストレーションの仕事が必ずつきものだ。工業デザインの世界では、レンダリングであったり、映像の世界では絵コンテと呼んだり言い方は違うが広い意味でイラストレーションだ。イラストレーションは目の前にあるものをいかに魅力的に描くかの問題だが、絵画は見えるものの向こうにあるものを示さなければならない、と言われる。
実は先に書いた「ワイエスが好きでしょ」と言った先生が続けて聞いたもうひとつの質問がある。それは「あなた建築かデザインの仕事をしてませんでした?」というもので、これも図星で2度びっくりだった。そのときは分からなかったが、あとあと考えてみると、二つの質問は関係していて、しかもたいへんなことを言われたのだと気がついた。それは自分の絵がイラストレーションにとどまっていて絵画になっていない、という意味だろうと。つまり、ワイエスの父親の言う「イラストレーション:存在するものを描く」→「絵画:存在しないものを描く」への転換ができていないということだ。
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2014年6月11日水曜日
ワイエス(その2)
以前、ある先生に絵を見てもらう機会があった。持参した作品を並べたら、見た瞬間、初対面なのにいきなり「あなたアンドリュー • ワイエスが好きでしょ?』と言われてびっくりした。ワイエスは好きだが、真似しようとはまったく思っていないし、例えしたとしてもできるわけはないし、実際似ていることはないと思うので、なぜそう思われたのか不思議だった。そう感じさせる影響のような何かがあるのだろうか。
それでワイエス談義になったが、先生の言いたかったことは、「あなたはワイエスが好きなようだが、その本当の良さは分かっていないですね。」ということだった。(実際にはそんなきつい言い方ではなかったが)そして、この絵を勉強するといいですよ、と言って示してくれたのがこの絵だった。
この絵も画集でよく見てはいたが、あまり注目せずに、どちらかというと通りすぎていた。だから前回の「その1」で自分流で書いたワイエス魅力にこの絵があてはまる項目がない。「懐かしい風景」とか「写実的描写」などがそんなに前面に出ている絵ではない。しかし、この絵にワイエスのエッセンスが凝縮されているという。それは風景を「写生」しているのではなく、風景の素材を使って絵を「構成」している点だという。そのため、ほとんど白と黒だけに単純化し、そのリズムやバランスの面白さで絵を「作っている」のだ。写実力のすごさに目を奪われてそこばかり見てしまうが、実はちがうということだった。実際、本によると、この大砲はワイエスがアンティークのオークションで買ったものを描いたので、実際にこのような風景があったわけではないそうだ。しかしその「構成」がうそではなく、本当のように見せてしまう説得力がある。そういう目であらためて他の絵も見てみると、同じことが見えてきて、なるほどと思う。
それでワイエス談義になったが、先生の言いたかったことは、「あなたはワイエスが好きなようだが、その本当の良さは分かっていないですね。」ということだった。(実際にはそんなきつい言い方ではなかったが)そして、この絵を勉強するといいですよ、と言って示してくれたのがこの絵だった。
この絵も画集でよく見てはいたが、あまり注目せずに、どちらかというと通りすぎていた。だから前回の「その1」で自分流で書いたワイエス魅力にこの絵があてはまる項目がない。「懐かしい風景」とか「写実的描写」などがそんなに前面に出ている絵ではない。しかし、この絵にワイエスのエッセンスが凝縮されているという。それは風景を「写生」しているのではなく、風景の素材を使って絵を「構成」している点だという。そのため、ほとんど白と黒だけに単純化し、そのリズムやバランスの面白さで絵を「作っている」のだ。写実力のすごさに目を奪われてそこばかり見てしまうが、実はちがうということだった。実際、本によると、この大砲はワイエスがアンティークのオークションで買ったものを描いたので、実際にこのような風景があったわけではないそうだ。しかしその「構成」がうそではなく、本当のように見せてしまう説得力がある。そういう目であらためて他の絵も見てみると、同じことが見えてきて、なるほどと思う。
ワイエス(その1)
アンドリュー • ワイエスのファンになってからもう 40 年くらいになる。日本でも愛好者がとても多いので、何年かごとに展覧会があるが、必ず見に行く。最近 90 何才かで亡くなるまで絵を描き続けたので作品数がとても多く、そのたびに違った作品が見れる。個人のコレクターもいて、例えば埼玉県にある「丸沼芸術の森」という施設に多数のワイエスコレクションが所蔵されている(常設展示はしていない)。彼の絵の魅力はどこにあるのか。魅力を生み出している要素の分類を試みてみた。
(1)懐かしい風景
生涯を田舎で暮らし、たくさんの身近な風景をアメリカの原風景のように描いた。この例では、古い平凡な農家を描いているが、単に建物を描いているだけでなく、住んでいる人の生活を感じさせ、どこか懐かしい感じを与えている。手前のバケツが効果的。
(2)精密描写
「アメリカン • リアリズムの巨匠」と言われるとおり、写実的描写力が圧倒的。この例は大きい絵の部分だが、物の材質感がすごい。
(3)空間感
空間の広がりや奥行きを強く感じさせる風景画も多い。この絵は何も無い草原を描いているが、どこまでも続く広大な空間が魅力的に表現されている。
(4)光と風と静けさ
光や風を描くのがとてもうまい。ここでは、窓から吹いてくる風がカーテンをゆらしているが、しんと静まりかえったような寂しくメランコリックな感情をさそう。
(5)ミクロのクローズアップ
身近かにある何げない対象物に目を向け、それだけを主題にして描くことも多い。これは、丸太と斧だけの小さいモチーフだが、とても力強い存在感がある。
(6)意表をつく構成
モチーフの扱い方や画面構成で、ときどきあっと驚くようなことをよくやる。これは老夫婦の絵だが、人物画でこのような構成は他ではあまり見たことがない。夫の持っている銃が妻の方へ向いているのがユーモラスだ。
(1)懐かしい風景
生涯を田舎で暮らし、たくさんの身近な風景をアメリカの原風景のように描いた。この例では、古い平凡な農家を描いているが、単に建物を描いているだけでなく、住んでいる人の生活を感じさせ、どこか懐かしい感じを与えている。手前のバケツが効果的。
(2)精密描写
「アメリカン • リアリズムの巨匠」と言われるとおり、写実的描写力が圧倒的。この例は大きい絵の部分だが、物の材質感がすごい。
(3)空間感
空間の広がりや奥行きを強く感じさせる風景画も多い。この絵は何も無い草原を描いているが、どこまでも続く広大な空間が魅力的に表現されている。
(4)光と風と静けさ
光や風を描くのがとてもうまい。ここでは、窓から吹いてくる風がカーテンをゆらしているが、しんと静まりかえったような寂しくメランコリックな感情をさそう。
(5)ミクロのクローズアップ
身近かにある何げない対象物に目を向け、それだけを主題にして描くことも多い。これは、丸太と斧だけの小さいモチーフだが、とても力強い存在感がある。
(6)意表をつく構成
モチーフの扱い方や画面構成で、ときどきあっと驚くようなことをよくやる。これは老夫婦の絵だが、人物画でこのような構成は他ではあまり見たことがない。夫の持っている銃が妻の方へ向いているのがユーモラスだ。
2014年6月9日月曜日
絵の大きさ
また秋の公募展に向けて、制作の時期になった。ふだん、気軽にスケッチなどしているのは楽しいが、公募展はそもそも何を題材に描くかで悩むことから始まるむしろ憂鬱な作業だ。悩む原因のひとつは絵の大きさだ。
自分の参加している展では「20号〜50号」という規定になっている。しかし実際の展示を見ると、ほとんどの作品が最大限度に近いサイズだ。日展の場合だと100号に統一されている。100号というと幅 160cm になる。50号でも1mを越すので、描いているときの取り回しがたいへんだ。ところが、自室では巨大に感じた大きさも、会場に展示されるととても小さく見えてがっかりする。
公募展が「大きさ」を要求しているのは、スケッチ的な絵ではなく、タブローを求めているからだろう。実際、50号くらいになると、スケッチ的な絵ではもたなくなる。拡大縮小してもあまり価値が変わらない写真と違って、絵の場合は大きくなると、内容を変えないと大きさに耐えられない。とくにパステルや水彩は油彩よりもメディアそのものが強さの点で負けるのでなおさらだ。だから何を題材に、どう描くかというテーマ選びでいつも悩む。
さらに、スケッチとタブローの違い自体があいまいで、また悩む。辞書で調べると「スケッチ、デッサン、習作などでない完成した作品で、作者の思想や構想が画面に組み立てられたものを指す。」となっている。おそろしいことが書いてあるが、なんとなく、実感としては分かる。だから普段小さいスケッチのときから大きい作品にできるかどうかを意識しながら描いてネタを貯めておくといいのだろう。
問題は定義にある「思想や構想を画面に組み立てる」という部分。それが具体的にどういうことなのかについて、公募展の審査員などもやっている先生に聞いてみたことがある。「先生、公募展に入選はしてもなかなか賞がもらえないんですが、どうすればいいんですか?」というずうずうしい聞き方で。すると、そもそも公募展は、絵画の「研究」をする目的で作家たちが集まってグループで活動したことからスタートし、それが大規模な公募展に発展してきたケースが多い、だから、「研究的な態度」で描かないとだめですよ、という答えだった。「思想や構想」よりは「研究的」のほうが少し分かりやすくなったような気がした。
自分の参加している展では「20号〜50号」という規定になっている。しかし実際の展示を見ると、ほとんどの作品が最大限度に近いサイズだ。日展の場合だと100号に統一されている。100号というと幅 160cm になる。50号でも1mを越すので、描いているときの取り回しがたいへんだ。ところが、自室では巨大に感じた大きさも、会場に展示されるととても小さく見えてがっかりする。
公募展が「大きさ」を要求しているのは、スケッチ的な絵ではなく、タブローを求めているからだろう。実際、50号くらいになると、スケッチ的な絵ではもたなくなる。拡大縮小してもあまり価値が変わらない写真と違って、絵の場合は大きくなると、内容を変えないと大きさに耐えられない。とくにパステルや水彩は油彩よりもメディアそのものが強さの点で負けるのでなおさらだ。だから何を題材に、どう描くかというテーマ選びでいつも悩む。
さらに、スケッチとタブローの違い自体があいまいで、また悩む。辞書で調べると「スケッチ、デッサン、習作などでない完成した作品で、作者の思想や構想が画面に組み立てられたものを指す。」となっている。おそろしいことが書いてあるが、なんとなく、実感としては分かる。だから普段小さいスケッチのときから大きい作品にできるかどうかを意識しながら描いてネタを貯めておくといいのだろう。
問題は定義にある「思想や構想を画面に組み立てる」という部分。それが具体的にどういうことなのかについて、公募展の審査員などもやっている先生に聞いてみたことがある。「先生、公募展に入選はしてもなかなか賞がもらえないんですが、どうすればいいんですか?」というずうずうしい聞き方で。すると、そもそも公募展は、絵画の「研究」をする目的で作家たちが集まってグループで活動したことからスタートし、それが大規模な公募展に発展してきたケースが多い、だから、「研究的な態度」で描かないとだめですよ、という答えだった。「思想や構想」よりは「研究的」のほうが少し分かりやすくなったような気がした。
2014年6月6日金曜日
台北にて
台北での国際パステル展で、会場の中正紀念堂へ行ったとき、そこのミュージアムショップへ立ち寄ったら、パステル画の技法書を売っていたので、パステル愛好者として、すぐに購入した。たいへん参考になるいい本だが、これを編集しているのは張哲雄という人で台湾のパステル協会やアメリカのパステル協会の要職を努めている世界でもトップクラスのパステリスト。ご自身の制作のデモンストレーションも載っている。
日台絵画交流展というのがあって、今年初めて、パステル画で参加することにしてエントリーも済ましてある。ところが、この展の去年の図録を見たら、この張先生も参加していることが分かってビビった。
公募展
先日、学校の先輩の知人 Mさんが出品しているある有名画会の公募展を見に行った。その人の作品に「会員推挙」という表示がされていたのを見たそのとき、たまたまご本人が現れたので、「会員おめでとうございます。」と言った。すると「10 年かかりました。その間、2回受賞しましたからね。」と言われた。やっぱりそうか、と思った。
いろんな画会の公募展のほとんどすべてで、作品名のカードに「一般」「会友」「会員」の区別が表示されている。しかしそれらの作品をよく見ると、「会員」の作品だけが特にレベルが高いわけでなく、「一般」や「会友」の作品にもそれらを上回る作品がたくさんあることが分かる。
しかし、それらの実力のある「一般」や「会友」の人たちが翌年すぐに「会員」になれることは絶対にない。どの画会も建前は実力主義を掲げている。だが、実際には、7回連続入選で「一般」から「会友」に、さらに7回入選で「会友」から「会員」にする、という暗黙の内部規定があるらしいというのは、ほとんどすべての画会の公然の秘密だ。だから応募を始めてから会員になるまで、14 年かかる。ただし、その間、受賞があるとそれは3回入選としてカウントする、というのも各会共通の決まり。だから「一般」から始めて途中2回入選があると10 年で「会員」になれるという計算。だから、Mさんのケースもぴったりこれに合っている。ちなみに自分の場合も、この法則どうりで来ていて、現在「会友」だが、「会員」になるまであと4年、もし1回受賞すると、あと2年ということになる。まあタイトルはどうでもいいが • • • •
去年、日展での事件がメディアに取り上げられ、クリエィティブであるはずの美術の世界で年功序列が常識化されているという実態が明らかになった。このような「会員」システムもそのような体質の一端なのだろうと思う。
いろんな画会の公募展のほとんどすべてで、作品名のカードに「一般」「会友」「会員」の区別が表示されている。しかしそれらの作品をよく見ると、「会員」の作品だけが特にレベルが高いわけでなく、「一般」や「会友」の作品にもそれらを上回る作品がたくさんあることが分かる。
しかし、それらの実力のある「一般」や「会友」の人たちが翌年すぐに「会員」になれることは絶対にない。どの画会も建前は実力主義を掲げている。だが、実際には、7回連続入選で「一般」から「会友」に、さらに7回入選で「会友」から「会員」にする、という暗黙の内部規定があるらしいというのは、ほとんどすべての画会の公然の秘密だ。だから応募を始めてから会員になるまで、14 年かかる。ただし、その間、受賞があるとそれは3回入選としてカウントする、というのも各会共通の決まり。だから「一般」から始めて途中2回入選があると10 年で「会員」になれるという計算。だから、Mさんのケースもぴったりこれに合っている。ちなみに自分の場合も、この法則どうりで来ていて、現在「会友」だが、「会員」になるまであと4年、もし1回受賞すると、あと2年ということになる。まあタイトルはどうでもいいが • • • •
去年、日展での事件がメディアに取り上げられ、クリエィティブであるはずの美術の世界で年功序列が常識化されているという実態が明らかになった。このような「会員」システムもそのような体質の一端なのだろうと思う。
2014年6月1日日曜日
国際パステル画展
台北での国際パステル画展が終わり、図録が送られてきました。作品と作者の顔写真やプロファイルなどが1ページごとに掲載されている立派なものです。同時に出展証明書が送られてきたが、これが 「Authorize 感」たっぷりのとても立派なものでびっくり。このような証明書は、アーチストとしての業績を証明する Evidence(証拠)として重要なものです。(自分は、単なる Sunday painter なので、いい記念として大事にとっておくだけですが。)ちょうどこれは学術研究の世界で、研究論文が審査を通り、学会誌に掲載されることが決定したときの「論文採択通知」と似た大切なものです。(このへんの事情は最近の小保方さんの事件で、一般にも知られるようになりました。)日本の公募展でもこれに相当する「入選通知」が送られてきますが、これほど立派ではない紙ぺら1枚という感じのものです。
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