2025年12月6日土曜日

雲の遠近法 と ロイスダールの風景画

perspective of cloud

近代的な意味での風景画が始まったのは、17 世紀のオランダだったが、その中で一番有名なのがロイスダールだ。地平線を画面の低い位置に置いて、画面の大部分が空になる構図にする。それによって広々とした空間の広大さを表現した。

この「漂白場のあるハーレムの風景」という有名な絵で、手前の漂白場(布などを漂白する場所?)の向こうに平坦な地面が地平線まで続いていて、地平線上に塔のある教会が小さく見えている。遠くまで見渡す距離感を感じさせるうえに、空が3分の2以上を占めていて、広大な空間を感じる。

空が広いということは、空の表情を描くために雲が重要になる。ロイスダールの時代は遠近法が確立した時代だから、雲も遠近法にもとづいて描いている。いちばん手前の雲は大きく、地平線に近い遠い雲は小さく描いている。


 
このことを図(図は「アルウィンの風景画入門」より)にするとこうなる。実際の雲は不定形だが、四角い箱に単純化して、それが空に浮いている状態で雲の遠近法の原理を示している。手前の雲は大きく、遠くの地平線に近づくにつれて小さくなる。そしてすべての箱が地平線上の消失点に収束する。もちろん実際の雲は箱ではないから、消失点などないが、傾向としてそういう意識で描く。そのうえで、上のロイスダールの雲をあらためて見ると確かに、この原理図どうりに描いていることがわかる。


2025年12月5日金曜日

「世界でいちばん古い国はどこ?」とAI 検索に聞いてみたら

「Which is the oldest country in the world ?」

最近、ある新聞のコラム記事で面白いことが書いてあった。google のAI 検索で、「世界でいちばん古い国はどこ?」と聞いてみたら「それは日本です」と答えたという。古い国といえば、紀元前 3000 年もの古くから古代文明が栄えたエジプトやイランだろうと誰でも思っているから、これには「えっ?」と思ってしまう。

そこで自分でも google のAI モードで同じ質問をしてみたら、その通りの答えだった。その理由として「日本は紀元前 660 年に神武天皇が即位して以来、現在まで一度も王朝が変わらず、天皇の皇統が約 2700 年続いている世界最古の国です。」としている。

たしかに神話伝承としてはそうだが、実際にはヤマト王朝ができたのは、はるか後の古墳時代の6世紀だというのが常識だから、AI の答えは科学的でない。

もうひとつ面白いことがある。試しに同じ質問を英語でしてみた。「Which is the oldest country in the world ?」と聞いたら、日本語の時と違う答えをしてきた。「The oldest countries are Egypt and Iran」的な感じでエジプトやイランを真っ先にあげる。後の方では日本も出てくるが、「日本も王朝が今も続いている点では古い国と言える」と付け足しのような言い方をしている。AI は利用者の気に入るような答えをするとよく言われるが、それかもしれない。

この問題の要点は、「古い国」の定義が曖昧なことだ。人類初めての文明が始まった国ならエジプトやイランだろうし、文化や民族の継承性という点では日本だろうし、近代国家が最初に始まったという点ではヨーロッパの国々だろうし、「古い国」の定義によって答えが異なる。

ここからわかるのは、AI 検索を使うには、何のためにその検索をするのかという目的をはっきり持ったうえで、それに適した定義をした言葉を示さなければならないということだ。何も考えがないまま、漫然とAI 検索を使うと、かたよった答えを鵜吞みにして、分かったつもりになってしまう危険性がある。そのためには、「問題設定する力=問い生む力」という知力が必要になる。


2025年12月4日木曜日

生成 AI の著作権侵害問題

 Generation AI

「生成」という言葉から、「生成 AI 」は無から有を生み出すかのように錯覚をしがちだ。だから AI は人間にはできないことをやるんじゃないかという期待や懸念を持たれる。しかし実際には AI は、赤ん坊が大人から学んで賢くなっていくことに例えられるように、人間から学習したこと以上のことをできるわけではない。

そのことがわかるのが、最近欧米で起きている生成 AI による著作権侵害の訴訟だ。例えばドイツで AI が、いくつかの音楽をデータマイニングして自分のオリジナルであるかのようにしてチャットGPT に使った。それが著作権侵害に当たるとして Open AI の会社が訴えられ、敗訴した。(こちらを参照 ↓)

https://gai.workstyle-evolution.co.jp/2025/11/27/german-court-openai-copyright-violation-ai-memorization-landmark-ruling-impact/


この生成AI 訴訟の流れはアメリカなど世界的に広がっている。そしてついに日本にも波及してきた。最近の報道で、新聞の記事データを無断で収集し、AI 検索に利用したのは著作権侵害だとして、日本の新聞社が「パープレキシティ」というアメリカの IT 企業を提訴したという。要するに、AI は自分で独自のコンテンツを生み出す「生成」ができるわけではなく、パクリをしているだけだということがやっと気付かれ始めたということだろう。


2025年12月3日水曜日

健康長寿の秘訣

Long and healthy life

少し前のことだが「敬老の日」のあるTV 番組で、100 歳を超える長寿のおばあさんへのインタビューをやっていた。そのおばあさんは 顔の色つやがよく、話しもシャキシャキしていて、とても100 歳超には見えない。「健康の秘訣は何ですか?」と聞かれて「朝起きるとまず日本酒を飲むの。昼と夜も必ずお酒を飲むのよ。」と答えていた。思わず「えらい!」と拍手したくなった。

医者は高齢者に対して、あれを食べろ、これは食べるな、とナントカの一つ覚えのように決まり文句を言う。ましてや一日中酒を飲むなんてとんでもないと叱られる。しかし分かっている医者(数少ないが)は逆のことを言う。どうせもう先が短いのだから節制や我慢などせずに、好きなものだけを食べて、嫌いなものは食べないのが一番だと言う。まさにこのおばあさんはそのとうりをやっている。


2025年12月2日火曜日

「読書」が認知症予防に最も効果がある

 Dementia & Reading

最近の研究によれば、「本を読む」ことが認知症の予防にもっとも効果的だという。ある研究グループの調査では、読書習慣の無い高齢者は、いつも本を読んでいる人に比べて、認知症の発症率が 2.5 倍も高いことがわかったという。

その研究によれば読書は、情報処理、理解、記憶、想像力、分析などの認知プロセスを担当する脳の領域を同時に使う。それによって脳細胞が刺激されて、脳の回路が強化される。認知症は、脳細胞が死滅することによって、認知機能が低下する病気だが、読書によって脳細胞が死滅するのを防ぎ、細胞を活性化し続ける効果があるというのだ。

なお、読書はしなくても、スマホを使っていれば読書と同じではないかというのは間違いだという。スマホは、簡単にひと通りの情報を読めば分かったつもりになれるお手軽な道具だから、読書のように能動的に頭を働かせる必要がない。だからスマホ依存でいると、思考力や理解力などの認知機能が低下し、かえって認知症を促進するという。


2025年12月1日月曜日

映画「ニーチェの馬」」

 「The Turin Horse」

このあいだ、タル・ベーラ監督の「サタンタンゴ」について書いたが、同監督のもうひとつの映画「ニーチェの馬」も 2012 年のカンヌ映画祭でグランプリを受賞した名作だ。そして両方とも原作が、今年のノーベル文学賞を受賞したクラスナホルカイ・ラースローの小説による。


映画は、荒野の中の一軒家に住む父と娘の二人だけしか登場しない。二人の6日間の生活を淡々と撮っているだけ。毎日、空はどんより曇り、吹き荒れる猛吹雪で、土ほこりが舞い上がる、という陰鬱な情景に終始する。会話はまったくなく、常に強風の吹き荒れる音だけが聞こえている。
  • 父親は、土ほこりの中、馬車で作業をしている。

  • 娘は毎日、強風の中を井戸へ水を汲みに行く。

  • 娘は吹き荒れる外の景色を一日中ただ茫然と眺めている。

  • 朝晩ふたりは、沈黙したままジャガイモ一個だけの食事をとる。

  • やがてなぜか馬が餌を食べなくなって衰弱してしまう。

  • 二人は家を出て、街に引っ越そうとするが馬車なしでは無理だった。

           食欲を失った父は一個のじゃがいもも食べなくなる。

そしてついに油がなくなり、ランプが消えてしまう。光のない暗闇のままで映画は終わる・・


この映画の邦題は「ニーチェの馬」だが、原題は「The Turin Horse」つまり「トリノの馬」だ。ニーチェがトリノの街を歩いていた時、馬が虐待されているのを見て、涙を流してそのまま発狂してしまったという史実に由来している。ニーチェは、現代の人間は生きていく目的を持てず、苦しみだけが降りかかり、神の救いもないという虚無の哲学(ニヒリズム)を唱えた。

この映画でも、馬がたびたび出てくるが、それによって二ーチェの思想を暗示させているようだ。なんのために生きているのか目的を持てないまま、ただ生きているだけの二人に苦しみだけが降りかかる。そして絶望のまま最後まで救いはない。

2025年11月29日土曜日

「北は山、南は湖、西は道、東は山」

 Krasznahorkai László 

前々回書いたが、今年のノーベル文学賞を受賞したハンガリーの作家クラスナホルカイ・ラースローはタル・ベーラ監督の映画「サタンタンゴ」や「ニーチェの馬」の原作者だ。この人は京都に半年間滞在したことがあり、建築や庭園などを中心に日本の文化と歴史を深く研究した。その時の経験をもとにして書いた小説「北は山、南は湖、西は道、東は山」がいま話題になっている。

この長い題名は京都の街を指している。作者の作品で邦訳されているのはこれ一冊なので、読みたいと思ったが、すでに絶版になっていて、値段が6万円のプレミア価格がついている。あきらめて図書館で借りようと思ったら、貸し出し予約者がすでに 260 人もいる順番待ちで、これでは順番が来るのは1年先になってしまう。

それでとりあえず、この小説の翻訳者が書評を書いているのを読んでみた。それによるとこんな感じらしい。

・・「源氏の孫君」なる人物が千年の時空を超えて京阪電車に乗って京都の街に現れる。「完璧な美を体現した庭園」を探して亡霊のように京都を彷徨するが、そんな庭園は決して見つかることはない。どこも不吉な破壊の痕跡が残されている。そこには自然や文化を破壊する人間の姿が見え隠れしている。・・

これを読むと「サタンタンゴ」や「ニーチェの馬」に共通する、作者の終末論思想がこの小説にも現れているように感じる。終末論とは、神の怒りによって大惨事が起きて、人間は絶滅し、この世は終わるという思想だが、現代における大惨事とは、核戦争や、パンデミックや、環境破壊や、気候変動などがそれに当たると解釈されている。この小説は、京都の自然や文化が近代化によって破壊されていることを題材にした終末論的な作品のようだ。