2024年1月29日月曜日

坂倉準三のパリ万博「日本館」

 Junzo Sakakura

坂倉準三は好きな建築家の一人で、地元の神奈川県立近代美術館(今は他の美術館に変わっている)へよく見にいく。この建物はコルビジェの国立西洋美術館の影響を受けている(実際に数年間弟子入りしていた)が、自然環境との一体感を強く意識したデザインという点でとても日本的だ。この外廊下も池の水がすぐ足元にまで入り込んでいるが、古い日本建築によくある形だ。そして池の水の波紋が天井に写っていて、ゆらゆら揺れる波紋のパターンは見飽きない。


先日、NHK の「日曜美術館」(2024.1.21.)で坂倉準三の特集をやっていた。いろいろな作品が紹介されているなかで、30 代の頃に設計した 1937 年のパリ万博の「日本館」が出てきた。初めて知った作品だが、これについて面白いエピソードが紹介されていた。設計段階で、このデザインは西洋的すぎて日本らしさがないと批判されたそうだ。ところが万博では、いかにも日本独特のデザインであると評価されて、建築部門賞の金賞をもらう。すると日本の”有識者”は、これは素晴らしい日本的な建築だと手のひら返しで褒め称えたという。


展示物をただ展示する場所としての建物ではなく、その中を人間が自由に動き回り、楽しむための空間を作るというのが坂倉準三のコンセプトだった。広いテラスからエッフェル塔を眺められて、外と繋がったオープンな空間は、例えば京都の清水寺の舞台を思ったりする。

この 1937 年のパリ万博は、大戦直前の不穏な時代で、覇権を競っていたドイツとソ連が張り合った。エッフェル塔を挟んでにらみ合っている「ドイツ館」と「ソ連館」は共に相手を威圧するような”国威発揚建築”だ。権力の道具として利用する建築の中で、坂倉準三の「日本館」は”人間のための建築”だった。

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