ポーランドの画家ベクシンスキー(1929〜2005)は、ナチスドイツ占領下での戦争や虐殺を経験し、戦後には、ソ連による抑圧を受けました。そのため「終焉の画家」などと呼ばれ、その絵は全体主義やホロコーストなどに対する抗議のメッセージだと解釈されることが多いのですが、彼自身は、絵から何かの物語を読み取られることを望んでいなかったそうです。伝えたいのは、絵そのものが喚起する感情だけだと言っています。すべての作品に題名をつけなかったのもそのためです。
(左)焼けこげた鉄骨むきだしの巨大な建造物が空中に浮かんでいますが、全体は人間の顔の形です。彼は人間を描くときも、生命体としてではなく、人工物として描きました。片方の眼から炎と煙が吹き出しています。(右)塔が炎上し。最上階の石が崩れ落ちて骨格がむき出しになり、空中には燃えかけの紙が舞っています。
祖父も父も建築監督や測量技師など建築関係の仕事だった影響で、自身も工科大学の建築学科で学び、卒業後は建築現場監督の仕事をしています。そのためでしょう、絵に「建築」を強く感じます。なぜそう感じるのか、具体的にどのようなところにそれが現れているのか、を考えてみました。
(1)当然ながら、建築物の絵が多いのですが、それは実際にある建物ではなく、現実にはありえない、頭の中の幻想の建築を描いています。だから、まぼろしの建物なのですが、まったくの架空とは思えない「現実感」があります。風景の点景としてではなく、建築そのものを、建築を知っている人が描いているからでしょう。
(2)よくある風景画のように、表面の屋根 • 壁 • 窓を描いて • • • というのと違って、建物にがっちりとした「構造感」があります。廃墟の建物の絵が多いので表面は崩れていますが、骨格の構造は、永久に建ち続けていそうな強固さを感じます。このような建築に対する感覚はやはり建築家としての経験から来ているのだろうと思います。
(3)「空間感」を強く感じる絵です。建築物が単独でなく、空間との関係でとらえられています。奥行きや広がりのある空間の中にぽつんと置かれた建築によって、空虚感であったり、不気味感であったりの感情を呼び起こします。それはパースペクティブの使い方の巧みさによります。建築出身の彼は当然パースは得意だったはずです。
(4)石や鉄などの材質のごつごつした「材質感」を表すテクスチャーで画面がうめつくされています。テクスチャーによって、建物が実際の材料で現実に建てられているような強い実在感をもたらしています。実在感はさらに、独特の「凄み」となって、せまってきます。これも建築材料を実際に扱っていたことが役立っているのでしょう。
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