2014年10月31日金曜日

チンパンジーと人間の子どもの描画の比較

数日前(10/28)のテレビ • 新聞で京都大学の研究が報道されていた。チンパンジーと人間の子供にお絵描きをさせて、その違いを調べるというもの。目鼻口のパーツを除いた顔の輪郭だけを描いた絵を見せて、両者がどう反応するかを比較する。人間の子供は目鼻口の足らない部分を付け加えたのに対して、チンパンジーは顔の輪郭をなぞるような線を描いただけで、不足のパーツを補うことはできなかった。人間にはこのような「現実に目の前にない見えないものを想像力で描く」というすばらしい能力があるということだ。


人間の子供がどのような絵を描くかは子供の言語能力の発達と密接な関係があるとこの研究者たちは言っている。実際、実験した子供たちは「この顔、おめめがないね」などと言いながら描いていたという。人間の子供でも1才くらいの言葉をしゃべれない幼児はチンパンジーと同じく意味の無い線をなぐり書きするだけだったという。言語能力を身につけると、「概念」でものを考えることができるようになる。「顔とはこういうものだ」とい
う概念を持つことができれば、不足している部分も気がつくことができるわけだ。

研究メンバーの一人、斎藤亜矢さんがこの研究について本を書いているというので、さっそく図書館で借りて読んでみた。「ヒトはなぜ絵を描くのか」というとても興味深い本だ。この中につぎのような面白い例が紹介されている。右の絵は、なにかの障害で言語能力の発達が遅れたアメリカ人の6才の子供が、絵本かなにかで見たことのある馬と人間を記憶で描いた絵だが、写実力がすごくてびっくりする。その子が9才になるころに訓練で言語能力が普通になったときに描いたのが左の絵で、一般の子供が描く普通の絵になってしまっている。

このことから著者は、子供の絵には、感覚的な絵と記号的な絵の2種類があると言っている。概念が身についていないときには、見たとうりのイメージで感覚的に描く。だが、言語収得によって顔とはこういうものという概念が身についた子供は顔をその概念どうりの「記号」として描く。だから個別の人間の特徴は弱くなり、だれの顔を描いても同じようになってしまう。上の例で9才の絵に写実性がなくなってしまったのはそのせいだ。

チンパンジーにはできない、概念で描けるという人間のすばらしい能力は一方で、子供の絵を画一的でつまらいものにしてしまう面があるということだ。このことから、ものの形を見いだすには記号的な見方は必要だが、個々の特徴を描くには概念(常識といってもいいだろう)を押さえて、見たものを直感的にありのままに描くこと、この二つを交互に行き来することが必要だ、と著者は言っている。実はこれ、子供以上に常識でがんじがらめになっている大人にはもっとあてはまることではないかと思う。常識から解放されて自由な感覚で描くのは大人にとって容易でない。

これを読んでいて、自分の孫たちの絵を思い浮かべてとても納得した。5才と3才の姉妹が時々遊びに来ると、お絵描きが好きな二人はいつもアトリエで喜々として絵を描く。左は妹のほうが3才のちょっと前に描いた絵で、右はそれから2〜3ヶ月後に描いたもの。子供の成長は速く、この間、彼女のボキャブラリーは急速に増えた。それとともに、母親を描いた左ののびのびした絵が、右の絵では普通に子供が描いた絵になってしまって、いささかがっかりさせられた。明らかに彼女の頭のなかに、服装 • 髪型などについて、女性とはこういうものだという概念ができあがり、それに従って記号的に描いている。


では成長してしまうと記号的にしか描けなくなってしまうのかというと、そうでもないようだ。これは姉のほうが描いた絵だが、かなりいいと思う。イタリアで買ったワインのデカンタがたまたまそばにあって、それを見ながら描いたもの。紫の着色ガラスとそこに金で描かれた模様のキラキラと輝くようなイメージが感じられる。これはたぶんデカンタという子供のなかでは概念ができあっがていないものだったため、見たとうりを感覚的に描いたからだと思う。それで「今日は何を描こうかな」などと言ったときには「じゃあ昨日見た夢を描いてみて」といった、イメージでしか描けないお題を出してやると、とても面白い絵が出来上がる。

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