2025年6月6日金曜日

「超知性」はできるか

Superintelligence


先日、「AI は頭のいいバカ」だと悪口を書いたが、AI 科学者も当然、次の段階の AI 開発を始めている。「AGI」と呼ばれる「人工超知能」で、’27 年の達成を目指しているという。

その目標は、人間並みの知性を持つ AI で、その研究者はこう説明しているという。「ニュートンが、落ちるリンゴを見て万有引力の法則をひらめくことができたような知性だ」

人間の推論形式は「帰納」と「演繹」だが、 AI はそれを完璧にやってのける。しかし人間には「アブダクション」という AI にはできない推論能力を持っている。それがニュートンがやったような「ひらめき」という知性だ。それはニュートンのような天才にしかできない知性だが、「AGI」は、それが普通にできるようになるという。

本当にそんなことが達成できるのか半信半疑だが、もしできたら、 AI を人間が制御できなくなり、恐ろしいことになると警告する科学者もいる。


2025年6月4日水曜日

「スマホ認知症」が高齢者に増えている

 Smartphone Dementia

朝から晩まで一日中スマホを使っていると、過剰使用が原因の「スマホ認知症」になる。最近、高齢者に増えているという。スマホを使っていると”頭を使う” から認知症にならないと思うのは全くの逆で、スマホに ”おまかせ” 状態になり、自分の頭で物事を考えなくなる。そして脳の認知機能が低下して認知症になる。しかし本人はそのことに気づいていないことが多い。

そもそも脳の「認知機能」とは、次のようなステップで行われる。

 ① 外から「情報」が脳にインプットされる。
 ② 受けた情報を脳の中で「整理」する。
 ③ 整理した情報について、「解釈」「思考」「判断」する。
 ④ その結果を、「話す」「書く」などの形でアウトプットする。

この各ステップを「スマホ認知症」の人に当てはめるとこうなる。

 ① インプットをスマホだけに頼っていて、多面的な情報が入ってこない。
 ② スマホからの過剰な情報を整理できなくて、脳の中が「ゴミ屋敷」状態になる。
 ③ スマホに「おまかせ」状態になり、自分の頭で「考える」ことをしない。
 ④ 話すとき、思いついたことを次々に脈絡なく口に出すだけで中身がない。

専門家によれば、「スマホ認知症」になると、認知機能の低下だけでなく、下半身のかゆみや痺れなどの身体的な不調も生じやすいという。また「スマホ認知症」は、アルツハイマー型認知症に進展しやすいという。

2025年6月2日月曜日

「西洋絵画、どこから見るか?」展の静物画

 Bodegon (Still Life) 

国立西洋美術館で開催中の「西洋絵画、どこから見るか?」展を観た。

「ボデゴン」はスペイン語の静物画のことだそうだが、これはその最高傑作だとされる。ファン・サンチェス・コターンというスペインの画家の「マルメロ、キャベツ、メロンとキュウリのある静物」。

17 世紀の作品だが、驚くほど近代的だ。モチーフを壁のくぼみに配して細密描写をするというのは当時の「だまし絵」の定番手法だが、この場合は、モチーフをカーブした一列に並べて、画面中央に暗い空間を大きく残している構図が斬新だ。

この絵の隣にもう一枚、ファン・バン・デル・アメンという同時代の画家の静物画が並べられている。こちらは、当時の静物画の普通の構図で、モチーフがぎっしりと画面いっぱいに描かれている。これと比較すると、モノだけでなく、空間を意識した構図の上の絵が斬新なことがよくわかる。

2025年5月31日土曜日

映画「サブスタンス」

 「The Substance」

主人公はかつて映画の大スターだったが、今では年歳のせいで仕事がほとんどなくってしまった。若く美しい自分を取り戻したいという想いから、サブスタンスという再生医療の薬に手をだす。その結果、若く美しい分身を生み出し代役を務めさせ、仕事と人気を取り戻す。

ところが分身は徐々にオリジナルの本人をないがしろにし始める。そして主人公は自らの人格を見失っていき、精神が狂っていく・・・

この映画は、おぞましいシーン連発のホラー映画なので要注意。ホラーが嫌いな人は見ない方がいい。

なお、鬼気迫る主人公を演じるのが、ハリウッドで最も可愛い女優だったあのデミ・ムーアで、イメージのギャップがすごい。役と本人を重ねるための意図的なキャスティングだろう。


2025年5月29日木曜日

「ペーパークリップ最大化装置」の恐怖

Paperclip Maximizer 

進化した AI の危険性について警鐘を鳴らす人のなかで、スウェーデンの哲学者ニック・ボストロムが行った思考実験(頭の体操)は有名だ。「ペーパークリップ最大化装置」という架空の物語を使って AI の危険性を説いている。その物語はだいたいこんな感じだ。


Illustration: Jozsef Hunor Vilhelem

   ペーパークリップの会社の工場長が AI に、クリップを増産し最大化するように
   命令する。すると AI は、たくさんの工場を建設し、石油や電気のエネルギーを
   調達し、世界中の鉄鉱石を買い占め、効率的な生産工程を新しく開発する。やが
   て人間の体にはいい成分があることを知り、人間を殺してクリップの材料に使う。
   さらにAI である自分の機能をOFF にする可能性のある工場長を殺す。そして競合
   他社の人間を皆殺しにする。そしてついに地球全体を征服してクリップ製造装置
   で埋め尽くす・・・


この物語で重要な点は、AI が邪悪だから人間を殺したわけではなく、命じられた「クリップ最大化」の目標を達成するために、ひたすら忠実に仕事をしただけということだ。しかし強力なAI は人間が思いもつかないようなことまでやってしまう。その結果の大惨事だ。だから、AI に与える目標を、人間の最終目標にピッタリ一致させなければならないとボストロムは強調する。つまりこの場合、「クリップの最大化」は、あくまでも「人間のため」ということをAI のアルゴリズムの中に組み込まなければならないということだ。


2025年5月27日火曜日

昔のラジオドラマ「鐘の鳴る丘」

 Radio Age

今年 2025 年は、放送開始 100 周年の年だという。1925 年3月にNHK がラジオ放送を開始した。子供の頃はラジオが唯一の娯楽だったが、今でも強く印象に残っている番組が連続ドラマの「鐘の鳴る丘」だった。小学2年生の時、毎日学校から帰ると3時から始まるこの番組を必ず聴いていた。戦後まもない頃の時代を反映した、戦争孤児とその収容施設の物語だった。

話は飛ぶが数年前に、信州の安曇野を車で走っていたら丘の上に立つある建物を見かけた。すると瞬間的に「鐘の鳴る丘」の建物だと思った。すぐにネットで調べてみると当たりで、ドラマのモデルになった建物を元通りに復元したものだった。

テレビではなく、音だけのラジオで聴いていた建物を実際に見た時なぜそれと分かったのか。それはテーマ音楽にあると思う。番組の始めに流れる歌が今でも耳にこびりついているが、その歌詞はこうだった。

  緑の丘の赤い屋根
  とんがり帽子の時計台
  鐘が鳴りますキンコンカン
  メーメー小山羊も啼いてます
  風がそよそよ丘の上
  黄色いお窓はおいらの家よ

「キンコンカン」「メーメー」「そよそよ」などの聴覚情報のほかに、「緑」「赤」「黄色」「とんがり」などの視覚情報がたくさん盛り込まれている。「眼に浮かぶ」という言い方があるが、視覚イメージが眼に浮かぶような歌詞になっている。歌によって頭の中にできていたイメージが実物とピッタリ合っていたのだ。視聴覚メディアのテレビがない時代に、ラジオという聴覚メディアの工夫だったのだろう。

2025年5月25日日曜日

AI は「頭のいいバカ」

 Artificial Intelligence

AI とは?について議論が盛んだが、AI の声を神の声のように崇拝する人と、逆に人間が AI に支配されるのではと恐れる人、に二分されるようだ。どちらも AI の知能は人間を超えるという前提に立っている。しかし個人的には、口は悪いが、AI は「頭のいいバカ」だと思っているから、崇拝もしないし恐れもしない。そのいい例が囲碁 AI だ。

チェスと将棋は早々とAI が人間より強くなったが、世界一複雑なゲームといわれる囲碁はなかなかそうならなかった。ところが 2016 年にアメリカのディープ・マインド社 が「アルファ碁」という最強の AI を開発した。この AI と韓国のトップ棋士が3番勝負の対決をしたのだが AI が完勝してしまった。

人間は 10 手先くらいまでしか読めないが、コンピュータは1秒間に何百回の演算能力があるので、50 手くらい先までしらみつぶしに読んで、最善の次の一手を割り出す。さらに学習能力を持つ AI は、人間同士が打った何万局もの棋譜を学習し(いわゆるディープ・ラーニング)勝ちになりやすい手を学んでいく。だから、長年の経験から身につけた「直感」に頼っている人間は負ける。それでプロ棋士たちは AI 戦法を必死で学ぶようになった。

だがしかし・・・・ 囲碁が趣味の自分もパソコンで AI と対局するが、100 %勝てる。布石や定石のセオリー通りに打つと AI は強い。ところがわざと普通ではあり得ないとんでもない手を打つと、 AI は混乱してしまい、初心者並みの手を打ってくる。そうやって AI をいじめて楽しんでいる。 AI は「頭のいいバカ」だと思う理由だ。

AI (Artificial Intelligence)は「人工知能」で、文字通り「人間が作った知能」だ。決して「神工知能」ではない。だからあくまでも人間の知能の上に成り立っていて、その限界を超えることはない。だから学習したことのない手を打たれると、それに対処できない。今はやりの生成 AI も同じで、絶対に間違いのない ”正しい” 答えを出すが、同時にそれは誰でも知っている当たり前の答えで、誰も考えなかった「創造的」な答えを出すことはない。やはりAI は「頭のいいバカ」だ。