Fantasy Art
ファンタジーアート展(横浜 アソビル)を見た。ゲームやアニメのキャラククターのデザインを手掛けいる天野喜孝の個展だ。繊細かつ精緻で浮世絵の美人画の流れを感じる。
ゲームやアニメでよくある SF 的未来都市だが、これもどこか日本的な感じがする。
アメリカのファンタジーアートといえば、SF 映画によく登場するが、必ずスーパー・リアリズムの CG で描かれる。下は「スターウォーズ」にでてくる未来都市だが、これと比べると違いがよくわかる。
Fantasy Art
ファンタジーアート展(横浜 アソビル)を見た。ゲームやアニメのキャラククターのデザインを手掛けいる天野喜孝の個展だ。繊細かつ精緻で浮世絵の美人画の流れを感じる。
「Ulysses」and illustrations
ジェイムズ・ジョイスの「ユリシーズ」を何十年ぶりかに新訳版で読んでいる。旧訳版にはなかった挿画が入っていて、版画家の山本容子が描いている。ジョイスと山本容子とは意外な組み合わせだが、言葉遊びのような言葉が連発する、都会的で洒落た本文と、この挿絵はたしかに合っている。この「ユリシーズ 1-12」は、題名のとうり、超長編の原作の半分だけの第 1章から第12 章までの訳だが、各章ごとに12 枚の挿絵が挿入されている。
「Information」
「情報」とは何か?、について一般的な定義では、①ある物事についての知らせ ②それを通してなんらかの知識が得られるもの、とされている。ネットメディアの普及で、誰でもが「情報」を発信できる時代だが、そこで発せられる「情報」は、上記の定義に照らしたとき、本当に「情報」といえるのかどうか?
「ブロガー」と称する人たちが毎日「情報」を発信して、「フォロワー」と称する人たちの膨大な数のアクセスがある。試しに人気No.1というブログを検索してみたら、こんな感じだ。
Snow White
問題とされている最大の点は、白雪姫役にヒスパニック系の女性を起用したことだ。雪のように白い肌だから「白雪姫」と呼ばれているのに、小麦色の肌は原作のイメージと違いすぎると批判されている。
近年ハリウッドは、白人中心的すぎることを批判されている。だから、「多様性」を求める時代の流れに沿って、マイノリティの俳優を主役にすることが多くなってきた。特にディズニーは人種差別的な作品が多いと批判されてきたので、アニメを実写版にリメイクするときに、白人以外の俳優を起用する傾向がある。3年前の「リトルマーメイド」で、人魚姫役を黒人にしたのもその例だ。
しかしアメリカには、多様性を求める社会の流れに反発する保守的な国民も多い。だから「リトルマーメイド」は、そういう社会層の攻撃で炎上したし、今回の「白雪姫」もまたそれを繰り返している。アメリカ社会の反動的な傾向は、トランプ大統領のヒスパニック系移民への攻撃を支持する層が多いことでもわかる。「白雪姫」への反発も、そういう傾向が背景にあることを感じる。
「白雪姫」が批判されているもうひとつの点は、脚色されすぎて、原作とイメージが違いすぎるということだ。住民に対する女王の専制政治を批判して、公正で平等な社会を作りたいという白雪姫の意志が映画全編で強調されている点だ。政治なメッセージ性が強いことが反発を受けている。原作アニメが作られたのはもう90 年近くも昔(1937 年)のことで、童話をもとにしたおとぎ話だった。しかしそれに対して、リメイクでは時代に合わせて現代風に脚色するという制作側の意図は理解できる。
Photo-Realism
「フォト・リアリズム」は、写真をもとにして、細密描写をする超写実主義の絵画だが、必ずしもただ写真のとうりに描くだけではない。ヤマガミ ユキヒロという人は、写真を使いながら、新しい視覚体験を生み出すことを試みている。
これは絵のもとにする写真だが、同氏の制作プロセスがわかる。川沿いの建物のつながりだが、左右の視角が相当広い。実際のこの風景を見た時、視野角の中に全部が一度に見えることはないはずだ。左右に視線を動かして見ないと、こうは見えない。だからいくつかに分割して撮った写真を繋げている。
「The Truman Show」
主人公のトゥルーマンは、ある離島の街に暮らしている。彼は保険会社のセールスマンとして平凡だが平和な毎日を過ごしている。ところが彼は孤児で、生まれた時からテレビ局のプロデューサーの養子になったのだが、大きくなっても本人はそのことを知らない。
そのプロデューサーは、トゥルーマンを主人公にした「トゥルーマン・ショウ」という TV のリアリティ番組を制作している。トゥルーマンの生活を隠しカメラで毎日 24 時間撮り続けていて、そのライブ映像がそのまま TV で放映されている。それは人気番組で、主人公の子供時代から現在までずっと続いている。
ところが、番組で登場する彼の妻も両親も友人も、すべてニセ者で、俳優が台本のセリフをそのまま喋っているだけなのだが、本人だけがそのことを知らない。しかも街全体が巨大なドームの中に作られたセットなのだ。主人公は作られた世界の中で、作られた生活を生きているあやつり人形のようなものだ。
やがて主人公は何かがおかしいことを感じ始める。そしてついに「真実」を求めて、ヨットに乗って島を出て行く。・・・はずだったが、ヨットは壁に突き当たる。海は本物そっくりに作られたセットで、空と雲はセットの壁に描かれた絵だった。
そこで彼は最後の決断をするのが映画のラストシーンだ・・・
Photo-Realism
「アメリカン・リアリズムの系譜」という本の表紙が、銀座の風景の絵だったので、作者を調べたら、ヤマガミ ユキヒロという日本人だった。超精密描写のフォト・リアリズム絵画だが、こんな作家がいるとは知らなかった。この絵の、2枚の画像を重ねるという手法は、画像処理ソフトの Photoshop の「レイヤー」の概念と同じだ。絵画であるが、写真の画像処理と同じことをやっている。
「フォト・リアリズム」は、超写実主義の絵画で、日常的な風景をあえて感情を混えず、没個性的に描く。しかしそれは、写真をそのまま再現することではなく、写真を素材にして、写真とは違った「リアル」を創り出すことだといわれる。17 世紀にすでに、フェルメールが「カメラ・オブスクラ」を使って超写実絵画を描いたが、「フォト・リアリズム」はその現代版とも言えるかもしれない。