2026年10月8日木曜日

カズオ・イシグロの小説と映画

 Kazuo Ishiguro

昨日、ノーベル文学賞について書いたついでに・・・ 日本人の文学賞受賞は川端康成と大江健三郎の二人と一部で報じられているが、もう一人カズオ・イシグロがいる。イギリス国籍だが、日本生まれの日本育ちだ。

「遠い山なみの光」は、戦後の長崎と現在のイギリスを交錯させている小説だが、去年(2025年)映画化された。原作は読んでいないが、映画は見た。

映画「わたしを離さないで」はイシグロの小説の映画化だが、最後のエンドロールで「Based on the Nobel by Kazuo Ishiguro」と出てきたので、初めてカズオ・イシグロの名前を知った。

この映画は、表面的には、甘く切ない青春映画だが、登場する若者たちは、政府の政策によって作られたクローン人間だ。彼らは臓器移植で臓器を提供するためだけに生まれてきた。そして臓器を提供すると自分は死んでしまう運命にある・・・ というデイストピア映画だ。

その当時、日本人のノーベル賞候補として村上春樹が有力視されていたが、この映画を見て、カズオ・イシグロが先に受賞するのではないかと密かに思っていたが、実際に 1017 年に受賞して、予想は当たった。

もうひとつのイシグロの小説「日の名残り」は、名門貴族の執事として一生を捧げてきた男の人生を描いているが、これも映画化されたが名作だった。


2026年10月7日水曜日

明日発表の「ノーベル文学賞」は?  多和田葉子の小説と、堀江栞の絵画

「The Emissary」 Yoko Tawada  &  Painter Shiori Horie

明日(10 / 8)は、ノーベル文学賞の発表の日だ。日本人で候補とされているのは、万年候補の村上春樹と、ここ2〜3年で名前があがるようになった多和田葉子だ。多和田の代表作「献灯使」は、核戦争か何かで文明が崩壊した未来を舞台にして、生き残った老人と少年の物語というディストピア的世界を描いている。

この本の表紙の絵(右図)を描いたのは堀江栞という新進画家だ。ハシビロコウという立っているだけで動かない鳥と、不安な表情の人間を合体させていて、多和田の小説を視覚化している。4年前に神奈川県立近代美術館で堀江栞の個展があったが、この絵の原画もあった。

展示のひとつ「後ろ手の未来」という2mくらいの大作が強烈だった。囚人服のような同じ衣服を着て、性別も不明な若者たちが抗議するような眼でこちらを見つめている。抑圧された、未来のない社会の閉塞感と、それにあらがう個人、という現代的なテーマを描いている。


これでわかるように、多和田葉子の小説と、堀江栞の絵画は、ディスピア的世界観という点で完全に共通している。

2026年10月6日火曜日

空気感を描く

 Drawing Atomospher

季節や、天候や、時間帯などによって変わるその場の「空気感」を描くのは難しいが楽しい。「あそこに山があって、ここに海がある」だけでは面白くない。


「霞ヶ浦・暖かい日」 (パステル)
田植え前の水を張った田んぼが広がっている初春の寒い日だが、日差しが暖かい。

「霞ヶ浦・雨上がり」 (パステル)
降りしきっていた雨が止んで空が明るくなり、雲間から青空が見えてきた。

「寒風・積丹半島」 (アクリル)
空気が澄んでいるので遠くまでくっきり見える冬。海からの風が刺すように冷たい。

「荒れ模様」(パステル)
雲が暗くなり、荒れ模様の空になってきた。廃屋の漁師小屋におあつらいの雰囲気。

2026年10月5日月曜日

映画「エデンの東」 NETFLIX版

 East of Eden

NETFLIX で「エデンの東」の配信が始まった。あの超名作映画のリメイク版だ。厳格な父親と二人の息子の確執の物語というストーリーの基本は変わっていない。

そもそも「エデンの東」(East of Eden)とはどういう意味なのか。旧約聖書で、アダムとイブの長男であるカインは、神の愛を受けている弟のアベルを嫉妬から殺害してしまう。カインは神によって、楽園である「エデンの東」を追放される。罪を背負った人間が孤独にさ迷い、さすらいながら生きていくという物語だ。

映画の「エデンの東」はこの聖書のアナロジーが物語の核になっている。厳格な父親が優秀な弟ばかりを可愛がり、自分は愛されない兄が、父の愛を求めて苦悩する。しかし最後には、人間は自分を縛る運命を自分の自由意志によって、それを乗り越えられるという「希望」が描かれる。

1955 年のオリジナル版と違い、NETFLIX 版では母親が登場する。自分の欲望のために、手段を選ばず周囲を破滅に導く悪女で、二人の兄弟の間も、彼女によって深い亀裂が生じていく・・・

2026年10月4日日曜日

映画「西部戦線異常なし」の戦場の蝶

 All Quiet on the Western Front


「反戦と西洋美術」という本を読んでいたら、こんな絵が紹介されていた。「春の一日」という題名で、刺々しい有刺鉄線の上に可憐な黄色い蝶がとまっている。反戦絵画といえば凄惨な絵が多いなかで、これは珍しい。

描いたのは、カール・ロベルト・ボデクというユダヤ人画家で、強制収容所に送られ、そこで死んだ人だが、収容所の中でこの小さな水彩画を描いた。背景に見えるのは強制収容所の建物だ。

この絵を見たとたん、映画「西部戦線異常なし」を思い出した。この世界一とされる反戦映画の名作だが、ラストシーンが映画史に残る有名なシーンだ。若い兵士が、塹壕の外にとまっている蝶を捕まえようとして塹壕から身を乗り出した瞬間、撃たれて死んでしまう。

実はこの時、独仏の停戦協定が結ばれていて、撃ち合いが終わる時間のたった3分前だった。戦争の虚しさが強烈に伝わってくるシーンだった。この映画は1930年公開で、世界中で大ヒットしていたので、「春の一日」の画家も映画を見ていて、その影響を受けていたという。


2026年10月3日土曜日

ノーベル文学賞作家の「北は山、南は湖、西は道、東は川」

Mountain to the North,  a Lake to the South,  Paths to the West,  a River to the East

去年(2025年)のノーベル文学賞は、ハンガリーの作家クラスナホルカイ・ラースローが受賞した。 この人は、同じくハンガリーのタルベーラ監督の映画「サタンタンゴ」や「ニーチェの馬」の原作者だ。タルベーラ監督の映画が大好きなので、ラースローの小説を読みたいと思った。ただ日本語に翻訳されているのは「北は山、南は湖、西は道、東は川」だけだった。

この本を買おうと思ったが、すでに絶版になっていて、6万円ものプレミア価格がついている。図書館で借りようとしても、貸し出し予約者が数百人もいる順番待ちだった。今月、新訳の再版本が出て、1年遅れでやっと読むことができた。

作者はかつて京都に長期間滞在し、京都の建築や庭園を研究していた。その経験にもとづいてこの小説を書いている。

この長い題名は、四方をこの地形で囲まれている京都の街を指している。主人公は源氏物語の光源氏の君の孫で、千年前に存在したといわれる美しい庭園を探して京都の街をさまよい歩く。しかしその庭園があるはずの寺には破壊と荒廃の跡があり、脅威や不吉な兆しに満ちている。結局、光源氏の君の孫は求めた庭園を見つけることができなかった。

小説の中で、寺や仏像や庭園の描写に混じって、現代の京都の姿を事細かに描写している。京阪電車の駅や、自動販売機などが何度も登場する。はっきり書かれてはいないが、それらもまたかつての京都の街の破壊と荒廃の象徴だと示唆しているように思える。

文体が特異で、句点(。)がほとんどなく、短い文章を読点(、)でつないでいき、1センテンスが3ページくらいにわたって延々と続く。曖昧な表現や、矛盾した言葉のつながりなどで、読者を惑わせる。人物や風景の輪郭が曖昧で、幻覚を見ているような不思議な感覚になる。それは映画「サタンタンゴ」を見る時と共通する感覚だ。


2026年10月2日金曜日

「制脳権」

 Brain Dominance

最近「制脳権」という恐ろしい言葉が使われ始めたようだ。しかし昨今の状況を見ると、うまいことをいうものだと思う。今までの戦争は「制空権」や「制海権」の争いだったが、認知戦の現代は、相手国民の脳を奪う「制脳権」の時代になったという意味だ。

例えば『日本は今新しい軍国主義が復活している』という認知戦攻撃を受けている。日本の世論を分断させて「制脳権」を奪おうとする。

なぜ日本はこのような攻撃を受けやすいのか。フランス人の歴史学者のエマニュエル・トッドの次のような言葉が参考になる。

『アメリカ人が広島や長崎について謝罪を拒否するなかで、日本人は南京事件について絶えず謝罪を求められてきた。そして日本人は、戦争を始めたことへのトラウマから、強い贖罪意識を抱えている。だから日本は戦後、営々として平和主義国家としての努力をしてきたにもかかわらず、日本人はそのことを口に出して言えないでいる。』