2026年1月28日水曜日

映画「サタンタンゴ」の長回し映像

 「Satan Tango」

名作「サタンタンゴ」は最後まで救いのない絶望の映画で、タル・ベーラ監督の映画に一貫している終末論思想の映画だ。ストーリーはこんな感じだ。

専制独裁政治体制(共産政権時代のハンガリーを下敷きにしている)のもと、集団農場政策が失敗して、村が荒廃している。農民たちは貧しく、路頭に迷う絶望的な生活をしている。人々は救世主が現れることを願っているが、そこにかつて反体制派のリーダーだった若い男が帰ってくる。その若者が悲惨な現状を打開してくれるだろうと人々は期待を抱く。しかし・・・

他のタル・ベーラ作品と同じく、この映画も白黒で撮られていて、暗い陰鬱な映像に終始する。そしてこの映画は7時間超の長尺だ。それでいて全編およそ150 カットしかない。だから1カット平均3分くらいという驚異的な長回しのシーンが続く。

一例をあげると、絶望した少女が、飼い猫に農薬を飲ませて殺してしまう。自分も死のうと、死んだ猫を抱えて廃墟になった教会へ向かう。このシーンで、少女が歩いているのをカメラは少女と一定の距離を保ったまま2分半も撮り続ける。その間、画面のフレーミングも一定のままで、放心したような少女の表情もまったく変わらない。絶望的な死というタルベーラ監督の終末論思想をこのカメラワークで表現している。


もうひとつの例は、救世主と思われていた若者が、荒廃した村に帰ってくるシーンで、無数の紙片が風に舞っている。若者とその相棒の後ろ姿を約2分間も長回しで追い続ける。この紙片は役所の書類を暗示していて、若者が、権力に取り込まれた官僚主義者になっていて、決して救世主ではないことが後になって分かるのだが、そのことをこのシーンで暗示している。


居酒屋で村人たちが酒を飲んでいるシーンは延々と10 分以上続く。狂ったようにダンスをしまくる2組の男女、グラス片手にパンを頭に乗せて歩き回る男、酔い潰れてベンチで寝ている男、など全員が、酔っ払って呆けている。その人間たちを、動物園の動物を観察するかのように、第三者的な冷ややかな目で、カメラを固定したまま撮っている。抜け殻のようになっている人間たちの虚無感の表現で、この長回しは効果的だ。ここもセリフはなくアコーディオンの音楽だけが鳴り続ける。


これらのシーンは、セリフもないし、ナレーションもない。背景音がかすかに鳴っているだけだ。タル・ベーラ監督自身も、「映画で肝心なのは物語よりも、空間や時間の組み立てそれ自体にある」と語っているとおり、映像で物語る映画だ。逆に観客は映像を読み取る力が求められる。

2026年1月27日火曜日

高齢者の長生き願望

 

高齢化社会で、長生き願望の強い年寄りが多い。だから健康長生きの秘訣を求める人たちの需要に応じて、老人医療が専門の医者の本が売れる。例えばある本では、「人生のピークを老後に持ってこよう」と言っている。現役時代にやりきれなかったことを、引退した後にも諦めずに頑張ろうと言う。それが「幸せな最期を迎えるコツ」だというのだ。

自分を振り返ってみると、失敗だらけのろくでもない人生だった。だからこれ以上長く生き続けたいとは思わない。しかしこの本に共感する人たちは、きっと素晴らしい人生を送ってきたから、それをもっと続けたいと思っているのだろう。うらやましいことだ。

しかし自分の場合、現役時代にじゅうぶんにやれなかったのは、自分の能力が足りなかったからで、今更「老後にピークを」などと言われても意味がない。それができるくらいなら若いうちからもっと努力しておけよという話だ。

だからいまさら頑張ろうなどという気はない。今までやってきた趣味を気楽に続けるだけだ。趣味は、本と映画と絵の3つなので、引退後は、図書館、映画館、美術館へ通ってきた。それを勝手に「3館生活」と呼んできた。しかし最近はそこへ行くだけの体力が衰えてきた。その代わりに、ネット通販の Amazon で、本もDVD も画集も入手する。だから「3館生活」はもう必要なくなった。くだんの医者先生は体力があるうちにいろいろやっておけというが、そんな心配はない。


2026年1月26日月曜日

ブログについて

 

「フェイスブック」の情報は、日々流れていくだけなので「フロー型情報」と呼ばれる。一方「ブログ」の情報は、投稿した情報が蓄積されていくから「ストック型情報」と呼ばれる。

「フェイスブック」の投稿は FB友全員に配信されるが、「ブログ」は誰か特定の人に向けて発信されるものではない。ネット上に置いておくだけで、それを不特定多数の読みたい人だけが読みにくる。多くは、Google の検索で見つけて読みにくる。だから3年前や5年前の投稿でも読みにくる人がいる。

だからブログの内容は、何らかのまとまりのある「考え」を書く必要がある。フェイスブックのような日々の近況報告的な内容とは違う。添付画像も文章の文脈に沿ったものだけでなければならない。撮った写真を文脈に関係なく、やみくもにたくさん添付すると、ときどき画像添付ができなくなる。これは、サーバー側のストレージ容量を超えてしまうのが原因だ。


2026年1月25日日曜日

女子の痩せ願望とメディア

 

最近の TV 報道によれば、若い女の子たちが、ダイエットのために、糖尿病治療薬を飲んでいるという。この薬で食欲を減らす効果があるそうだ。「痩せているのが美しい」というジェンダーバイアスのさいたるものだ。メディアで目にするタレントなどのイメージが自分の中でどんどん蓄積していき、それらと比べて自分は太りすぎていると不満を覚えるようになる。

これについて『文化戦争  やわらかいプロパガンダがあなたを支配する』という本に面白い話しが出てくる。1929 年にニューヨークで行われた復活祭のパレードで、スタイルの美しい女性たちが堂々と「ラッキーストライク」のタバコを吸った。それは当時の社会的タブーに対する挑戦だった。このことが新聞に大々的に報じられたことで、ジェンダーと喫煙についての社会通念が覆され、女性の自由を求めるという世論が盛り上がったという。

ところが実はこれは、広告会社が仕組んだ PR 戦略のパーフォーマンスだった。この時代の女性のいちばんの関心事が痩せることだったが、タバコには食欲を抑える効果があるという証言を医師にさせた。そのことを上記のパレードで実際に目に見えるかたちにした。そのおかげで「ラッキーストライク」は大儲けした。


「痩せているのが美しい」という情報を人々に刷り込ませるのに、 TV などのメディアが強い影響力を持っていることを示している。そして現在ではネットメディアによって人々は動かされている。ダイエットのために糖尿病予防の薬を飲んでいる女性は SNS でその情報を得たと言っていた。そして今、若い女性だけでなく、高齢者もネットで、健康長寿に効く食事や生活習慣の情報を必死になって探したりしている。


2026年1月24日土曜日

ロゴのデザイン 二つが合併したとき

Logo-Mark design 

前々回、二つの政党が合併してできた新党のロゴマークについて書いた。それで、同じく二つの銀行が合併してできた銀行のロゴを思い出した。

両者のデザインは、考え方が似ている。二つが合体したことを意味する二つの円が交差している。その結果、両側に三日月形ができている。違いは、銀行の方が、三日月形の真ん中にもう一つの円を置いているのに対して、政党の方は、三日月形に挟まれた中央が空白のままだ。

企業にしろ政党にしろ、二つが合併するとき、ただの「1+1」ではなく、それ以上の新しい価値を生み出そうとする。でなければ合併する意味がない。この銀行のロゴの方は、中央の円でそれを表している。(実際にそうかどうかは知らないが)しかし政党のロゴの方はそれがなく、ただ二つがくっついたというだけの形だ。

報道を見ている限りでは、この新党が、合併することによって何を目指すのかがはっきり伝わってこない。そのことがロゴのデザインに現れているのかもしれない。


2026年1月23日金曜日

子供の頃の食べ物の味

 

子供の頃、農家で育ったが、当時の食べ物の味をときどき思い出す。

米がうまかった。当時食べていた米と比べると、現在スーパーで買う米は、これが米かと思うほど不味い。農家は出来がいい米を自家用にして、それ以外を出荷していた。

トマトやキュウリは朝獲れで味が濃く、切った時にプンといい香りがする。冷蔵庫のない時代、井戸の中で冷やしたのをガブッとかじる。今のトマトやキュウリは味も香りもまったくない、形がトマトやキュウリに似ているだけの ”もどき” 野菜だ。

庭には、ビワや、いちじくや、柿などの木があったが、食べ物が豊富な農家では、それらは食べ物とはみなされていなかった。たまに子供が遊び半分で取って食べるだけで、ほとんどは鳥が食べた。そんな果物が、今はスーパーで立派な値段がついた高級果物になっているのが不思議に感じる。

漬け物も今昔の差が大きい。たくあんなど、もちろん自家製で、ぬか漬けしただけのシンプルな味で、素材の旨さが生きている。今は店でそんな漬け物を探すが見つからない。妙に味付けしたり、着色したものばかりだ。そんなのを買ってしまって、食べずに捨てることがしょっちゅうだ。日本漬物協会という業界団体があるそうだが、その人たちは、本当の漬け物の味を知らないのだろう。


2026年1月22日木曜日

「視覚の法則」

 Gestalt Psychology

「視覚の法則」という本は、人間がものの形を見た時、それをどう認識するかという「視覚心理学」のバイブルのような本だ。様々な事例をあげているが、一例を挙げるとこの図がある。

3つの円の一部が欠けていて、3つの直線が途切れている。いずれも不完全な形だ。しかしこれを見た時人間は、中央に目に見えない三角形があって、それに丸と線の図形が隠れていると感じる。

つまり、丸も直線もバラバラで不完全であるが、それらをまとまった一つのものとして見る性質が人間にはある。


同様な例として、こんな図も出てくる。右図のような図を見た時、人はどういう形として認識するかという問題だ。当然、下図の左のように、二つの円が交差していると見る。右図のようにバラバラな3つの形には見ない。左の方が、線が連続した、まとまりのある形だからだ。


最近、日本の二つの政党がくっついて、一つになり、そのロゴマークが発表された。このデザインを上記のことに照らして見ると面白い。

そのマークは右のようなデザインで、上記の二つの円の交差に該当している。この特徴は、二つの円のずれ方が少ないことと、円が重なっていない部分が青に着色されていることだ。だから重なり部分よりも、二つの三日月形の部分が強調されている。つまり上の図の右側のバラバラの円の見え方になっている。

発表によれば、今まで政策がかなりズレていた2党が歩みよって、共通の「中道」を目指すということだ。しかしこのデザインでは、共通部分よりも元の二つのバラバラの形ばかりが見えてしまう。これでは二つの党がくっつくことで、今までとは違う新しい共通の理念が生まれるということが伝わってこない。