2025年12月25日木曜日

「スマホはどこまで脳を壊すか」

 Smartphone Idiot

スマホの使いすぎで「スマホ馬鹿」になるというのは、今や常識になっている。スマホ使用制限を法律で定めようとする国も増えてきた。スマホ依存になると、子供の場合は成績が悪くなり、大人の場合は認知症になりやすい。最近出た「スマホはどこまで脳を壊すか」という本で、脳科学者の著者が、スマホ依存の害を科学的に説いている。

脳の領域のなかで「前頭前野」という部分が、何かを考えたり、理解するような、「認知機能」を担当している。ところが、この前頭前野は加齢とともに萎縮しやすい。そのため、高齢者は認知機能がどんどん失われて、認知症になりやすいという。

脳の萎縮を防ぐには、脳の運動不足を防ぐこと、つまり「脳を使うこと」に尽きると著者は言う。ところがスマホを使うとき、手間をかけずに情報を得られるので、人間は「脳を使っていない」状態だという。そのことを以下のような実験で立証している。

ある難しい言葉を与えて、その意味を調べるという課題を、被験者を二つのグループに分けてやらせる。一つはスマホを使って調べるグループで、他方はスマホ以外の紙メディアを使って調べる。その間、脳波を測定して、脳の活動状況を調べる。するとスマホのグループは、スマホがすぐに答えを出してくれるから、人間の脳は全く働いていない。いっぽう紙のグループはあれこれ調べてそれらを総合して答えを出さなければならないので、脳は活発に活動する。

つまりスマホを使っている間、脳は寝ているのと同じ。だから、何かというとスマホに頼るスマホ依存の人は、脳の機能をスマホに「外注」しているようなものだという。著者は「ラクをするな、頭を使え!」と言っている。


2025年12月24日水曜日

ターナーの「死に神」

The Pale Rider

デューラー展にあった「4人の騎士」は、聖書の「ヨハネの黙示録」のビジョンを描いている。4人の騎士はそれぞれ、武器を持って馬に乗り、人間を襲っている。人間に厄災をもたらす恐ろしいものが現れるという、黙示録の予言を絵にしている。

4人のうちの、「蒼白い騎士」 (図左下の赤線)が「死に神」で、デューラーは、この絵を描く前に、「死に神」の習作スケッチを描いている。骸骨姿で人間を狩る大鎌を持ち、痩せこけた馬に乗っている。人間を倒した死に神は、次の獲物を狙っている。


デューラーが描いたこの「死に神」は、後々の時代まで多くの影響を与え、いろいろな画家が、さまざまな形の「死に神」を描いた。「黙示録---イメージの源泉」(岡田温司)にそのような作品を紹介しているが、19 世紀のターナーまでが「死に神」を描いたそうだ。それがこの「蒼白い馬に乗る死」という絵。ターナー独特の、モノと空気が溶け込んで、輪郭がはっきりしない絵だが、馬の背中に骸骨の「死に神」が仰向けに乗っている。右手の骨は虚空をつかもうとしている。


ターナーの絵はデューラーの近代版といっていいが、このような黙示録の「死のイメージ」は近代までずっと生き続けてきた。それは西洋の美術史の大きな底流のひとつになっている。

2025年12月23日火曜日

映画「地獄の黙示録」

「Apocalypse Now」

「黙示録---イメージの源泉」という本が出た。聖書の「黙示録」をイメージの源泉にした、古代から現代までの芸術作品を取り上げている。「黙示録」がいかに芸術の歴史に大きな影響を与えてきたかを知ることができる。また「黙示録」がいかに人間の想像力を掻き立てる源になってきたがわかる。

この本は絵画だけでなく、映画についても取り上げている。その一つがコッポラ監督の名作「地獄の黙示録」で、題名通りズバリ「黙示録」をテーマにしている。自分が見たのはずいぶん前だが、おどろおどろしく、狂気じみたイメージに溢れていて、強烈な印象が残っている。

映画は、ベトナム戦争を題材にしている。ストーリーはこんな感じだ。米軍の大佐が、軍から離脱して、ジャングルの奥深くに立てこもり、原住民たちを従えた王国を作り、その王になっている。大佐は原住民から崇められる神のような存在だ。いっぽう特殊部隊の大尉が、大佐の暗殺を軍から命じられ、川を下ってジャングルのなかの大佐の王国へたどり着く。そして二人は対決する。映画は、戦闘、転がる死体、轟音と死臭、拷問、生贄の儀式、などの地獄のようなシーンが続く。

黙示録のテーマとイメージに溢れたこの映画について、同書の著者 岡田温司氏はこう解説している。黙示録のテーマは、世界の「終末」と、その「再生」だが、この映画は、「終末」をもたらしている大佐と、世界の「再生」を目指している大尉との対決とらえることができるとしている。大佐は「偶像を崇めている邪教徒の巣に君臨する悪魔」というアンチキリストであり、大尉は大佐を殺して、救世主としての新たなキリストになろうとしている。

2025年12月22日月曜日

黙示録絵画の「4人の騎士」

  The Pale Rider in Four Horsemen

一昨日、「デューラー展」(国立西洋美術館)にあった「4人の騎士」について書いたが、その続きを。この絵で、4人の騎士が、人々を蹴散らしながら疾走している。4人は、世の中に災厄をもたらすものを表すシンボルになっている。

白い馬の騎士は「戦争」のシンボル。
赤い馬の騎士は「内乱」のシンボル。
黒い馬の騎士は「飢饉」のシンボル。
青白い馬の騎士は「死」のシンボル。

この「4人の騎士」のテーマは、中世から現代まで、繰り返し取り上げられてきた。だから、西洋美術史を理解するには、この「4人の騎士」について知ることが避けて通れない。

4人の中でも特に、「青白い馬の騎士」を主役にした絵画が多い。この絵の左下で、人を刺し殺す道具を持って、痩せた馬に乗っているヒゲの老人だ。

ルドンにもこの騎士をテーマにした絵がある。馬に乗った骸骨が長い棒を持って人を殺している。「・・・それに乗っている者の名前は『死』と言い」という題名の絵で、ズバリ「青白い馬の騎士」をテーマにしている。

この騎士は、英語で「Pale Rider」で、Paleとは「青白い」という意味で日本語の「蒼」にあたる。(「顔面蒼白」などいう言い方がある。)

日本に「蒼騎展」という絵画の公募展があるが、「蒼騎」も「青白い馬の騎士」からきている。こんなところにも、「青白い馬の騎士」の絵画への影響の大きさがわかる。(アマチュアの展覧会で、内容は名前と関係ないが)

2025年12月21日日曜日

水面反射の遠近法 モネとワイエス

Perspective of Reflection

モネの画集を見ていると、水辺の絵が多いこと気づく。そして、そこでの水面反射の描写がモネの魅力になっている。例えばこの絵は、画面を上下ピッタリ2分の1に分けて、上半分が森の木々で、下半分を木々の水面反射を描いている。早朝の波のない静かな川なので、鏡面反射して、完璧に上下反転している。こういう構図は珍しいが、モネが描きかったのは森そのものよりもむしろ川の反射の方だったことがわかる。



遠近法の解説書で、反射の遠近法について、こんな原理図が必ず出てくる。鏡の上に直方体があり、上下反転した直方体の像が鏡に映っている。そして直方体そのものと反射像は共通の消失点に収束する。いまさらの常識だが、モネの絵はそのとうりになっている。

モネの絵は森が水面と接しているから、原理図のとうりで簡単だが、下のワイエスのような例では難しくなる。建物が斜面の上にあり、水面と接しておらず、建物と反射像の間に地面が挟まっている。だから単純に上下反転できない。


このような場合、遠近法の解説書ではこんな図をあげている。左図はインク瓶が鏡の上に直接置いてある。右図ではインク瓶を持ち上げて鏡から離している。右図の場合、仮想の鏡面(点線)を想定して、それに対して上下反転して描かなければならない。

(図:Perspective Made Easy より)

2025年12月20日土曜日

デューラーの「4人の騎士」

 The Four Horsemen of the Apocalypse

「デューラー展」(国立西洋美術館)の作品で、最も有名なのが「4人の騎士」。聖書の「黙示録」に登場する4人の騎士が、人々を蹴散らしながら疾走している。4人は世の中に災厄をもたらすものを表すシンボルになっている。

白い馬の騎士は「戦争」のシンボル。
赤い馬の騎士は「内乱」のシンボル。
黒い馬の騎士は「飢饉」のシンボル。
青白い馬の騎士は「死」のシンボル。


デューラーの時代は、ペストや飢饉に苦しんでいた時代で、この世の終わり的雰囲気のなかで、「黙示録」が熱心に読まれたという。その時代背景でデューラーは黙示録をテーマにした「ヨハネの黙示録」シリーズを描いた。

そしてこのモチーフは、中世から現代まで、繰り返し描かれてきた。一例は「死の島」で有名な19 世紀のベックリンの作品。


2025年12月19日金曜日

デューラーの「メランコリア」と映画「メランコリア」

「MELANCOLIA」 

国立西洋美術館で開催中の「デューラー展」を観た。デューラーの3大書物といわれる「ヨハネの黙示録」「大受難伝」「聖母伝」のほぼ全点がそろっている。本でしか見ていなかった現物を見るのは初めてだ。ところが、なぜか一番見たかった「ヨハネの黙示録」のなかの一枚「メランコリア」だけがないのががっかりだった。


下がデューラーの最も有名な作品のひとつ「メランコリア」。女性が頬杖をついて憂いにふけっている。背中に羽根がついているのは天使の寓意で、知的な女性であること示している。手にコンパスを持っていて、足元には球や幾何形体などの物理学のシンボルが置かれていて、女性は天文学者なのだ。そして天には、惑星が光っていて、そばに惑星の名前「MELANCOLIA」という文字が示されている。天使の女性はやがて惑星が近づいてきて地球に衝突してこの世は終わることを知っている。そして鬱(メランコリー)になっている。聖書の「黙示録」はやがて地球が滅びて、人類はみな死ぬことを予言した終末の書だが、デューラーはそれを10 数枚の絵で視覚化した。この「メランコリア」はその一枚だ。



このデューラーの「メランコリア」にインスピレーションを得た映画が、ラース・フォン・トリアー監督の同名の映画「メランコリア」だ。この名作映画のストーリーは、こんな感じ。

主人公の女性は、優秀なコピーライターの知的な女性だが、結婚したばかりで結婚披露宴をやっている。ところがそのとき大変なことが起きている。惑星が地球に近づいていて、衝突しそうなのだ。しかしTVのニュースでは「惑星が地球に接近していましたが、どうやら軌道がずれて、地球との衝突は避けられそうです。」と言っている。パニックになっていた人々はそれを聞いて安堵する。ところが、主人公の女性は天文学の知識があって、その TVニュースは嘘だということを知っている。そして鬱の錯乱状態になっていき、新夫にも、披露宴に来ている友人や上司などにもわざと悪態をついたりして、自分の結婚披露宴をメチャメチャにしてしまう。どうせこの世が終わりになるのだからと、自分という人間も壊してしまうのだ。やがて惑星が刻々と近づいてきて天を覆うほどに巨大になる。女性と姉とその子供の3人は木の枝で作った形だけの”シェルター”に入って死を待つ。そして姉は恐怖に怯えているが、主人公の妹は平然としている。もともと地球は邪悪なものだから消えて無くなってもいいという心境なのだ。



以上のように、映画の「メランコリア」のストーリーは、デューラーの「メランコリア」と完全に一致していることがわかる。そしてデューラーの「メランコリア」は、聖書の「ヨハネの黙示録」に書かれている『松明のように燃える巨大な星が天から落ちてくる』を絵画によって視覚化している。この絵は「黙示録」の終末思想を最もよく表していている作品だ。