Marine Traffic
ホルムズ海峡封鎖の TVニュースで、船の状況を示す地図がよく出てくるが、これは「Marine Traffic」(マリン・トラフィック)という地図アプリで、世界中の船の動きをリアルタイムで見ることができる。自分でも見てみたが、ホルムズ海峡に船が密集していることがよくわかる。
Marine Traffic
ホルムズ海峡封鎖の TVニュースで、船の状況を示す地図がよく出てくるが、これは「Marine Traffic」(マリン・トラフィック)という地図アプリで、世界中の船の動きをリアルタイムで見ることができる。自分でも見てみたが、ホルムズ海峡に船が密集していることがよくわかる。
Danger of AI
AI が急速に進歩している最近、AI の危険性をテーマにした映画が作られている。その中から強烈なインパクトがあった3作をあげる。なおこの3作以前の映画で、殺人ロボットを題材にした名作「ブレードランナー」があるが、別格すぎるので割愛する。
「エクス・マキナ」(2015)
人里離れた山奥の研究所で、ロボット研究者がAI ロボットを完成させる。それは若い美人ロボットだが、本物の人間とまったく見分けがつかないくらい人間性を感じさせる。ある時そこへ研究者の友人が訪れて来るが、そのロボットを好きになってしまう。そして美人ロボットの方も男を好きになる・・・ロボットは好奇心があって、外へ出て人間の世界を見たいと思っている。そして男を誘って、2人で駆け落ちをする。しかし外へ出るとロボットは男が不要になり、殺してしまう。ラストシーンで、都会の人混みの中を人間に紛れて歩くロボットが映されるのが不気味だった。
「ザ・クリエーター/創造者」(2023)
AI ロボットが進化して、人間以上の能力を持ち、人類文明にチャレンジするというストーリーの映画だ。 AI による核攻撃でロサンジェルスが壊滅してしまい、報復としてアメリカが AI と戦争を始める。ところがこの映画では、AI ロボットはただの機械ではなく、人間以上に人間的な感情を持っている。だから優しい女の子のAI ロボットが主役になっている。
題名の「ザ・クリエーター/創造者」とは、キリスト教の、天地を創造した神を意味するが、映画では、これからは AI が「神」になって、新しい "AI 文明" を「創造」するだろうと言っている。AI が人間を超えるのではないかという、人々が 抱いている不安や恐れをベースにした映画だった。
「トロンアレス」(2025)
AI がすでに最新兵器として使われている現在、去年公開されたこの映画は、すでにSF 的な空想ではないリアリティがある。前回までの「トロン」が現実世界の人間がデジタル世界へ踏み込んで、バトルを繰り広げるという設定だったが、この第3作では逆で、デジタル世界の AI が現実世界へ襲来して人間と闘うという構図になっている。ある IT 企業の社長が業界の覇権を握ろうとして、強力な AI ロボットの開発に成功する。それは人間を殺すことも厭わない「AI 兵士」だ。一方でその「AI 兵士」を無力化するためのプログラムを開発している良心的なエンジニアがいる。その両者の壮絶なバトルが映画のストーリーになっている。
AI は人間が作ったプログラムに忠実に従っているだけなので、この AI 兵士も平然と人を殺す。 AI には倫理観などの人間性はない。だからこそ AI を作る人間・使う人間の人間性が問われるというということを改めて強調している映画だ。
AI & War
19 世紀最大の大量破壊兵器はダイナマイトだった。20 世紀最大の大量破壊兵器は核兵器だった。21 世紀の大量破壊兵器は AI である。・・・といわれている。この問題を議論する番組を昨日(4 / 17) の TV ( BS TBS の「報道1930」) でやっていた。TV でこの問題を本格的に取り上げたのはおそらく初めてだと思う。
今回アメリカがイランをミサイル攻撃をした時、ターゲットになったのが小学校で、百数十人の子供が犠牲になった。他にも数千人の一般市民が犠牲になった。その攻撃を決定したのは人間ではなく AI だった。その AI はアメリカ軍が普段から使っている「アンソロピック」という会社の「クロード」というAI だったそうだ。
すると、アンソロピック社は、そんな非人道的なことに自社の AI を使うなという抗議をアメリカ政府にした。それに対してトランプ大統領は怒って、アンソロピック社の AI はもう使わないという決定をした。
という話しから始まり、番組では「AI が人間を使うのか、人間が AI を使うのか」という問題設定で議論していた。その中で、あるアメリカの研究者がやったシミュレーションを紹介していた。それは、21 社の AI に架空の戦争の課題を与えて、核兵器を使うかどうかの判断をさせるというもの。すると21 社のうちの 20 社の AI が「使う」という判断をしたという。倫理観というものがない AI を戦争に使うことの危険性を示していた。
その時、ひとつだけ核兵器を使わないと判断したのが上記アンソロピック社の AI だった。同社には、専属の哲学者がいて、 AI に何が正しくて何が悪いことかを教えているという。それによって AI が倫理観を持つように育てていくことが目的だという。
しかしこれはあまり意味がないと思う。何が正しいかの基準は人によって違うから、人命よりも戦争に勝つことの方が正しいことだと思う人が AI のアルゴリズムを作れば、そういう AI ができてしまう。やはり AI がなんと言おうと最終判断をするのは人間であるべきだというのが正しい考え方だろう。
なおこの問題について以前にも書いたので参考まで→https://saitotomonaga.blogspot.com/2025/10/ai.html
Panorama
一時スマホでパノラマ写真を撮ることがはやったが、そもそもパノラマ写真の始まりはどういうものだったのかについて、美術評論家の中原祐介氏の「タブローとパノラマ. 二つの視座」という論考に詳しい。
もともと19 世紀のイギリスで、見せ物小屋の出し物として、「パノラマ」が大人気を博した。超広角の風景の絵を、360°ぐるりと観客を取り巻くように設置したのが「パノラマ」だった。布に風景の絵を描き、この絵に後ろから光を当てると、布を透かして絵が光輝いて、リアルで幻想的になるというカラクリだった。
下の3枚は、同書に紹介されている当時のパノラマ用絵画の例。上から、山岳風景、ドイツの街の風景、ロンドンの街の風景。画家は見る方向を変えて複数枚の絵を描きそれをつなぎ合わせるのだが、それぞれの絵ごとに別々の消失点があるから、つないだ時に遠近法的な矛盾が出てしまう。それを誤魔化すのに画家は苦労したという。
Perspective in "Last Supper"
「最後の晩餐」といえば、レオナルド・ダ・ヴィンチが有名だが、他にも「最後の晩餐」はたくさんある。下の3つは、14 世紀、15 世紀、16世紀、の各時代の「最後の晩餐」で、それらを遠近法の発達という観点から比較してみると面白い。
16世紀のティントレットの「最後の晩餐」も正確な線遠近法で描かれている。天井、床、テーブルなど全てが画面左端のキリストの頭にある消失点に集まっている。しかしダ・ヴィンチと違うのは、画面の奥行きが強調されていることで、テーブルは画面に対して斜めに置かれている。また床の市松模様は、奥へ行くほど縮小していくから、遠近法空間を強調するのに役立っている。人物もキリストがいちばん奥に小さく描かれていて、手前の使徒が大きいのも奥行き感を強調している。さらにいちばん手前には晩餐と関係ない人物や犬が描かれている。ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」が、キリストを中心とした整然とした遠近法に対して、こちらはもっとダイナミックで、演劇の一場面を見るような劇的な絵になっている。
Phycogeography
日経新聞のコラム「不条理な現実を裂く」シリーズで、ギー・ドゥボールの地図を紹介していた。地図とは一般的に、地形や道路などの情報を客観的に視覚化した記録だが、この地図はまったく違う。
ギー・ドゥボールは、資本主義的な効率や管理に支配された都市空間を批判した思想家だが、その観点からこの地図を提唱した。都市を歩くときに迷ったり、偶然に何かを見つけたりする偶然性が奪われている現在の都市空間への批判だ。これを「心理地理学」と呼んでいた。
これは日本でもよくある。居酒屋などが並ぶ、親密感のある路地裏が、都市再開発で消えて、近代的なビルに変わったりする。
そして記事の筆者は、そういう都市を効率的に移動するための地図として使われているナビゲーションが、街を歩くことの偶然性を奪っていると指摘している。
Edit
去年亡くなった松岡正剛は「編集」ということの意味についてこう定義づけていた。
「編集とは、インプットされた情報を「知」へと変換し、新たな意味のつながり(関係性)を発見・構築するプロセスをいう。」
要するに、かき集めた情報をつなぎ合わせるだけでは価値のある新たな情報は生まれないということだ。編集されていない(新しい知見がない)情報が溢れている今のネット社会に対する批判にもなっている。
それを自ら実践したのが「松岡正剛の千夜千冊」という自身のブログだった。一回ごとに自分が読んだ本について書いているが、単なる書評ではない。本を出発点として独自の論考を展開している。取り上げる本のジャンルはさまざまで、題名の千冊を超えて 1800 冊に及んだ。そのうちの多くが独立した単行本として出版されている。