2026年6月21日日曜日

ドキュメンタリー「1975 世界がひっくり返った」

 「Breakdown 1975」

NETFLIX のドキュメンタリー『1975  世界がひっくり返った』(原題:Brekedown 1975)が面白かった。1975 年にアメリカで、それまでなかったような映画が続々登場したが、それは当時の政治・社会のあり方が大転換したことの反映だったと言っている。例えば以下のような映画を取り上げている。

      「ジョーズ」
   「羊たちの午後」
   「カッコーの巣の上で」
   「ナッシュビル」
   「王になろうとした男」
   「タクシー・ドライバー」
   「ネットワーク」
   「大統領の陰謀」
   「チャイナタウン」
   「アリスの恋」

この中から例えば「王になろうとした男」について。この冒険スペクタクル映画は、二人の男が、ヒマラヤの奥地の未開の地へ行って、その地の部族を平定し、王として君臨する。そして彼らは「神の生まれ変わり」として崇められる。しかしあるとき主人公がケガをして血を流したことで、普通の人間であることがバレてしまい、主人公の権威が失墜してしまう・・・

同ドキュメンタリーの解説者によれば、この映画が作られた1975 年は、ベトナム戦争でアメリカが敗北した年で、他国に軍事介入して支配しようとして失敗したことに対する国民の批判が、この映画の背景になっているという。この映画は、アメリカの政治をパロディ化していたというわけだ。


それにしても今また、イランを攻撃したりして、自分が世界の王様になりたがっている大統領がいて、それに対して「NO KINGS !」(王様はいらない!)というデモが起きているが、歴史を繰り返しているようで面白い。


2026年6月20日土曜日

映画「ソイレント・グリーン」

「Soylent Green」

「ソイレント・グリーン」という SF 映画は、食糧問題をテーマにしているが、ただのフィクションとは思えない恐ろしい映画だった。

ストーリーは 50年後の世界で、気候変動による食糧の激減と、人口爆発で、世界的に深刻な食糧難に落ちいっている。市民は政府から配給される「ソイレント・グリーン」というまずい食べ物で生きている。

政府は人口を減らすために、希望者に安楽死を勧める政策をとっている。そして死んだ人は、ゴミ収集車のような形をした車で、密かに謎の工場に運ばれる。

ある事件が起きて、主人公の刑事が犯人を探すうちに、その工場の存在を知り潜入する。するとそこは「ソイレント・グリーン」の工場だったのだ。ベルトコンベアーで国民の毎日の食べ物が流れてくる・・・

これはまるで現在の「遺伝子組み換え食品」や「人工肉」の問題を連想させる。そして1973年のこの映画は、環境問題による食糧の減少や、食の安全性などの、現在の「食の持続可能性」の問題を先取りしている。

2026年6月19日金曜日

映画「ラストサムライ」

 「The Last Samurai」

徳川幕府が終わり、明治が始まった直後、まだ旧幕臣が新政府に抵抗する内戦が続いていた。映画「ラストサムライ」はその時代に、最後の闘いをして消えていったサムライたちの美学を描いていた。映画では、主人公のサムライ(トム・クルーズ)は日本人ではなく、アメリカ人となっていたが、そのモデルは、ジュール・ブリュネという実在したフランス人で、幕府の軍事顧問だった人だといわれている。

政府軍はイギリスの援助を受け、大砲や機関銃などの近代兵器で武装しているが、反政府軍のサムライたちは昔ながらに、刀を抜いて突撃するだけだからバタバタと死んでいく。そして主人公が最後の一人になった・・・

この映画の背景になっている当時の歴史的状況は以下のようだった。

幕末に、欧米の軍艦がたびたび日本周辺に現れたが、薩摩藩は日本が侵略されるのではないかという危機感を抱いていた。それで薩摩藩は欧米の近代的兵器を導入して軍備をしていた。そしてイギリスの軍艦が鹿児島湾に入ってきた時、砲撃をして戦闘になった。これが有名な「薩英戦争」だ。イギリスは日本の軍事力の高さに驚いたが、同時に薩摩藩も欧米式の兵器の重要性を痛感した。それで薩摩藩は排外主義をあらためで、イギリスとの友好関係を築いていく。

まもなく薩摩藩を中心とする反幕府の勢力が、イギリスの武器支援を受けて勢力を伸ばし、明治新政府の樹立にいたる。そして明治政府になってもこのイギリスとの関係は続いていく。

「ラストサムライ」は、サムライの日本が近代国家になる瞬間を描いた歴史映画だ。映画のラストでとても印象深いいシーンがあった。イギリスとの友好条約を結ぶための天皇臨席の会議の場面だ。そこにイギリスのハリー・パークス公使が実名で登場していた。彼は薩摩藩以来イギリスの軍事技術を日本に売り込んできた人物だ。するとそこへ突然、主人公のラストサムライが飛び込んでくる。政府に逆らった自分を処罰することを天皇に願い出る。すると若い明治天皇は、ラストサムライを称えながら言う。「我々は外国から大砲や機関銃を手に入れた。しかし日本人は武士道精神の魂を忘れてはならない。」


2026年6月18日木曜日

「へんちくりん江戸挿絵本」

Illustrated book in Edo

 浮世絵や絵巻物など”正統派”の江戸文化研究からはみ出した”へんちくりん”な江戸の出版文化を取り上げた本だ。江戸では、様々な情報や知識が本によって人々に伝達されたが、それらの多くは挿絵が中心で「挿絵本」と呼ばれた。そういう本が一般的になると、それを茶化す挿絵本もたくさん出版された。誰でも知っている本の内容をパロディ化して人々を面白ろがらせた。「へんちくりん江戸挿絵本」はそういう江戸人の遊び心をたくさんの事例で示している。

これは遊郭通いする仏を描いている。遊郭で、地蔵とお釈迦様が後光を背負ったまま宴会を楽しんでいる。酒の肴には焼き魚も並んでいて、生臭さ物も厭わない。


宴会が終わって、それぞれが屏風の内で床入りする場面。遊女に「後光はとって寝なんし」と言われ言われ、後光は外している。


仏たちは遊女にモテるだけではなく、三味線や長唄もうまい。この後、地蔵は馴染みの遊女とと駆け落ちしましたとさというお話。神様仏様をパロディ化している物語だ。



2026年6月17日水曜日

映画「Mank / マンク」

「Mank」

映画「Mank / マンク」(NETFLIX, 2020)を見たが、オーソン・ウェルズの不朽の名作「市民ケーン」にすごい裏話しがあったことを初めて知った。

「市民ケーン」は、天才オーソン・ウェルズが、監督、脚本、撮影、俳優、すべてを一人でやったということになっているが、実は脚本はマンキーウィッツ(通称マンク)という脚本家が書いていたことを映画は暴いている。

映画は、マンクが「市民ケーン」の脚本を書き上げるまでの苦悩や闘いを描いている。アルコール依存症のマンクは、ウェルズに脚本の執筆を依頼されるが、期限はたった 90日・・・映画はその過程を、1930年代のハリウッドの回顧をはさみながら描いている。

マンクは、クレジットにウェルズの名前だけが載り、自分の名前が載らないことを知って激怒する。映画会社に抗議してやっと二人の連名にさせる。ところが「市民ケーン」はアカデミー賞のすべての部門にノミネートされていながら、受賞したのは脚本賞だけだった。映画の最後でマンクがアカデミー賞のトロフィーを抱いて満足げな表情で、インタビューを受けるシーンで終わる。


2026年6月16日火曜日

イングランドとスコットランド 二人の女王

Queen Erizabeth & Queen Mary

ワールドカップが始まったが、いつもながらイギリスだけが4チームが出場できるのはズルイ(?)と思うが、そもそもイギリスの正式名称は UK(United Kindom)で、4つの王国の連合国だから仕方ない。それらがひとつの国になるまで因縁深い歴史があるが、なかでもイングランド対スコットランドの歴史はドラマチックだ。


数年前にあった「怖い絵展」で、目玉作品が「レディ・ジェーン・グレイの処刑」という歴史画だった。若いスコットランド女王がイングランドへの裏切りを疑われて、斬首の処刑をされる瞬間を描いている。右側に斧を持った処刑人が立っている。


もうひとつ紛らわしいが「メアリー・スチュワートの処刑」という絵がある。スコットランド女王のメアリーは、イングランド女王のエリザベスと異母姉妹なのだが、王位継承権をめぐってエリザベス女王と敵対関係になる。エリザベスはメアリーを捕らえて、処刑の命令を下す。この絵は処刑場へ向かうメアリーを描いている。


このメアリーとエリザベスの二人の愛憎劇を描いた映画『二人の女王 メアリーとエリザベス』が面白かった。カトリックとプロテスタントの宗教対立や、政略結婚と王位継承、重臣たちの陰謀と謀反、などがからんで、16 世紀イギリスのドロドロした歴史がわかって興味深い。


2026年6月15日月曜日

江戸のボタニカルアート

Botanical Art in Edo 

ボタニカル・アートが流行っているようで、そんな教室の生徒さんの作品展を見かけたりする。植物を写真のとうりありのままに描く、植物図鑑の挿絵と同じで「自己表現」をする絵画ではない。

そんな絵は江戸時代からすでにあった。「江戸の想像力」(田中優子)に、その始まりが書いてあって面白い。平賀源内は日本全国の動植物を集めて展示する「薬品会」というイベントを主催していた。源内は「本草学」という、今でいう「博物学」の研究をしていたが、同じアマチュアのマニアが全国にたくさんいて、源内の呼びかけに応じて千数百種類が集まったという。

会が終わると、「物類品種」という出品物の挿絵入りの図録を発行した。その挿絵は、浮世絵のような「絵画」ではダメで、写真のようにひたすら写実的に描く画家に描かせたそうだ。彼らは無名だが、西洋絵画の手法を学んだ人たちだったという。