Homo Sapiens with Forms
「かたちと人類」という本が出たので、タイトルにひかれて買った。さまざまなキーワードごとに、絵画やデザインや建築などの「かたち」を収録している。帯にある「5万年の歴史と未来を描く」というほどには内容は深くないが、網羅的なので事典的に使うには便利だ。閑人の絵日記
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2025年12月30日火曜日
「かたちと人類」
2025年12月29日月曜日
「ジェット・ストリーム」の CD
「JET STREAM」
地元の商店街で、CD 屋の露天の店が出ていた。30~40 年くらい前の古い CD ばかりで、足を止めているのはお年寄りばかり。つられて、なにか ”昔懐かし” 的なものはないかとみたら、「ジェット・ストリーム」が目について思わず買ってしまった。
もう 40 年前くらいの昔になろうか、FM の深夜放送でみんなが一生懸命聴いていたこの番組は、JAL がスポンサーで、外国旅行への憧れをかき立てていた。ジェット旅客機が空港を飛び立つキーンという音から始まり、城達也の”しみじみ”としたナレーションが入る。例えば、ミッシェル・ルグラン楽団の「パリの空の下」や「ラ・セーヌ」などのノスタルジックなムード・ミュージックを聴くと、憧れのパリの街角を歩いているような気分 になったものだ。
しかし外国旅行が普通になった現在、昔のような ”憧れのパリ” といった感覚になる人はいないだろう。そもそもパリの街の真ん中に日本人観光客向けのラーメン屋があるくらいだから。だからこの CD を今聴くと、城達也のナレーションもわざとらしく聞こえてしまう・・・
2025年12月28日日曜日
ダ・ヴィンチの「東方三博士の礼拝」と映画「サクリファイス」
The Adoration of the Magi
前回書いた映画「サクリファイス」のオープニングで、レオナルド・ダ・ヴィンチの「東方三博士の礼拝」の絵の一部分がアップで映し出される。聖書のイエス・キリストの生誕の物語を描いている絵で、祝福する人たちがキリストを抱いた聖母マリアを取り囲んでいる。
映画「サクリファイス」は、核戦争で滅びる運命の人間の恐怖を描いている。人々は神の救済を求めて祈る。そのとき登場人物のひとりである「マリア」という女性に救いを求める。その「マリア」はこの絵の「聖母マリア」に重ねられている。だから映画全体のテーマを象徴するものとしてこの絵を使っている。
上がダ・ヴィンチの絵の全体。下半分は祝福する人たちで埋まっているが、背景には戦争で破壊された教会があり、まだ戦闘を続けている人たちがいる。映画「サクリファイス」は核戦争が始まり、滅びる運命の人間を描いているが、この絵にそれを象徴させている。「黙示録」は、人類の「終末」と、救世主キリストによる「救済」の物語だが、この絵はそのヴィジョンを視覚化している。
2025年12月27日土曜日
映画「サクリファイス」
「Sacrifice」
何年ぶりかで、タルコフスキー監督の名画「サクリファイス」を観た。冒頭のシーンで、湖のほとりで男が、枯れて倒れた木を起こして植え直している。そばの小さい息子に毎日水をやれば木は生き返るよ、と言う。そしてラストで、息子が水をやって、木を見上げているシーンで終わる。この象徴的な二つのシーンで、タルコフスキーの世界観を表現している。二つに挟まれたストーリーは、黙示録にある、人類の「終末」と「再生」の物語だ。
タルコフスキーは「西洋の文明は物質的進歩によって絶滅する」という信念があり、映画の最後で主人公に同じセリフを言わせる。この映画が作られたのはチェルノブイリの原発事故の頃で、黙示録的恐怖が現実のものになった時代だった。
2025年12月26日金曜日
スマホの無い一日
2025年12月25日木曜日
「スマホはどこまで脳を壊すか」
Smartphone Idiot
スマホの使いすぎで「スマホ馬鹿」になるというのは、今や常識になっている。スマホ使用制限を法律で定めようとする国も増えてきた。スマホ依存になると、子供の場合は成績が悪くなり、大人の場合は認知症になりやすい。最近出た「スマホはどこまで脳を壊すか」という本で、脳科学者の著者が、スマホ依存の害を科学的に説いている。脳の領域のなかで「前頭前野」という部分が、何かを考えたり、理解するような、「認知機能」を担当している。ところが、この前頭前野は加齢とともに萎縮しやすい。そのため、高齢者は認知機能がどんどん失われて、認知症になりやすいという。
脳の萎縮を防ぐには、脳の運動不足を防ぐこと、つまり「脳を使うこと」に尽きると著者は言う。ところがスマホを使うとき、手間をかけずに情報を得られるので、人間は「脳を使っていない」状態だという。そのことを以下のような実験で立証している。
ある難しい言葉を与えて、その意味を調べるという課題を、被験者を二つのグループに分けてやらせる。一つはスマホを使って調べるグループで、他方はスマホ以外の紙メディアを使って調べる。その間、脳波を測定して、脳の活動状況を調べる。するとスマホのグループは、スマホがすぐに答えを出してくれるから、人間の脳は全く働いていない。いっぽう紙のグループはあれこれ調べてそれらを総合して答えを出さなければならないので、脳は活発に活動する。
つまりスマホを使っている間、脳は寝ているのと同じ。だから、何かというとスマホに頼るスマホ依存の人は、脳の機能をスマホに「外注」しているようなものだという。著者は「ラクをするな、頭を使え!」と言っている。
2025年12月24日水曜日
ターナーの「死に神」
The Pale Rider
デューラーが描いたこの「死に神」は、後々の時代まで多くの影響を与え、いろいろな画家が、さまざまな形の「死に神」を描いた。「黙示録---イメージの源泉」(岡田温司)にそのような作品を紹介しているが、19 世紀のターナーまでが「死に神」を描いたそうだ。それがこの「蒼白い馬に乗る死」という絵。ターナー独特の、モノと空気が溶け込んで、輪郭がはっきりしない絵だが、馬の背中に骸骨の「死に神」が仰向けに乗っている。右手の骨は虚空をつかもうとしている。