2026年3月18日水曜日

絵巻のマンガ・アニメ的表現

 Twelve Century's EMAKI   &  Today's Manga / Animation

高畑勲氏の「十二世紀のアニメーション」は、絵巻のなかに、現在のマンガ・アニメと同じ表現技術のほとんどが使われていることを検証している。先日紹介した、語り口やカメラワークだけでなく、描画の手法でもマンガ・アニメ的なものに溢れている。


⚫︎輪郭線だけで描く。「鳥獣戯画」が典型で、兎や蛙を、陰影をほとんどつけないで、シンプルな輪郭線だけで描いている。現在のマンガと同じ。


⚫︎人間の一瞬の表情や動作をいきいきと捉える。この「信貴山縁起絵巻」で、3人の男女が笑いながら誰かの噂話しをしている場面。表情豊かに描いている。


⚫︎動くもののスピード感表現。「信貴山縁起絵巻」の疾走する童子で、後ろ「ビューン」という感じの直線の束を描いている。スピード感を表すマンガの定番手法。また髪を後ろにたなびかせているのもしかり。


⚫︎自然現象を流れるような線描で描く。「華厳宗祖師絵伝」の大波に人間が飲み込まれるシーンで、波の激しい動きを線だけで表現している。


⚫︎人間を難しいアングルで描く。「病草紙」で、男の尻を覗き込む女を難しいアングルで描いている。西洋絵画で、このように人間を描くのは 14 世紀になってからだという。



2026年3月17日火曜日

鳥獣戯画のアニメ的カメラワーク

 

高畑勲監督の「十二世紀のアニメーション」は、現在のアニメーションで使われているほとんどの技術が、絵巻ですでに使われていたことを指摘している。

そのなかで「鳥獣戯画」は、カメラアングルに変化が多く、空間表現が最も豊かな絵巻だという。その「カメラワーク」についてこんな例を挙げている。右端の弓の的が、左側面から描かれているが、その左にいる兎の射手は右側面から描かれている。つまりこの二つの間を、カメラが「パン」していることになる。また、その次のボス兎が高い位置から振り返って扇で招いていて、その先には酒樽をかついでくる一団がやや低い位置に描かれている。カメラの向きが高い位置から俯瞰する位置に変化しているのは、アニメでいう「クレーンアップ効果」に当たる。



2026年3月16日月曜日

AI の功罪

AI  

AI の功罪についての議論が盛んだが、そのなかで、歴史学者・哲学者のユヴァル・ノア・ハラリが、AI というものの本質をついた指摘をしている。おおむねこう言っている。

「知能(intelligence)と意識 (consciousness) は別物である。「知能」とは、問題を解決する能力であり、「意識」とは、喜怒哀楽などを感じる能力である。ところが、この両者を混同する人が多い。AI(人工知能)は知能を発展させても、意識を持つことはできない。だから AI が人間にとって代わることはない。」


このユヴァル・ノア・ハラリの指摘を裏付ける出来事がたくさん起きている。例えば最近の事件で、問題を抱えているある中学生が、自殺したいと AI に相談した。すると AI は自殺する方法を教えてあげた。そして中学生は言われた通りに自殺した。この場合、 AI は「知能」の力を発揮して、中学生の問題を ”解決” してあげた。しかし AI は中学生の悲しみなどを理解できる「意識」を持っていなかった。


2026年3月15日日曜日

十二世紀のアニメーション

 Twelve Century Animation

今やアニメーション大国の日本だが、そのルーツは十二世紀の絵巻物にあるといわれる。それについて、ジブリの高畑勲監督が「十二世紀のアニメーション」という本で詳細な解説をしていて、実に面白い。

絵巻物は、右手で巻き取りながら、左手でほどいていくから、物語は右から左へと進んでいく。次々に現れる場面で「ドラマが繰り広げられる」。アニメと同じく、時間とともに見進む「時間的視覚芸術」だ。


一例としてあげられている「伴大納言絵詞」という絵巻の中に、「子供の喧嘩」というシーンがある。このシーンは3つのカットが連続的に描かれている。

3カット目    2カット目    1カット目

いちばん右の1カット目で、野次馬がたくさん集まっていて、全員が左の方を見ている。何が起こっているのだろうかと興味を引かせる。

このように、原因を伏せたまま、まず起きていることを見せて、それから徐々に核心を見せるのは、「倒叙法」と呼ばれ、アニメでよく使われる手法。

2カット目へ進むと、2人の子供が喧嘩をしている。それを大人たちが取り巻いて眺めている。

さまざまな階級・職業の人々。その姿態・表情の多彩な表現も現代のアニメに通じている。




3カット目で、親が喧嘩をやめさせようと、走って出てくる。黄色い衣の子供を母親が家へ連れ戻そうとしている。

走っている父親の躍動感あふれる線描きの表現。マンガやアニメと同じ。

2026年3月14日土曜日

菅野聖子の絵画と烏口

Seiko Kanno & Ruling Pen

日経新聞で連載中の「メディアアート的視点」のコラム記事で、菅野聖子という作家の「「レヴィ・ストロースの世界」という作品が紹介されていた。横幅2m以上の大作だが、画面全体が均一な細い線だけで埋めつくされている。


この線はすべて「烏口」で引かれているそうだ。そういえば、かつて「烏口」という道具があったことを何十年ぶりかで思い出した。製図をするのに普通に使っていた「烏口」のことをすっかり忘れていた。

同記事は、この 1971 年の作品について、現在のコンピュータ・グラフィックス的な発想をすでにもっていたといっている。たしかにコンピュータの時代になって「烏口」の姿が消えたことを思うと納得がいく説明だ。

2026年3月13日金曜日

「老い」がテーマの名作映画3選

"Old Age" Movies

先日、認知症映画を取り上げたが、そのついでに認知症以外で、老人の老いをテーマにした映画を挙げてみる。この3作はいずれも映画史に残る名作だ。


「ウンベルト D」
古い映画だが、老いの悲哀を描いた名作。わずかな年金で暮らしている元公務員の主人公は、家賃が払えずアパートを追い出されて、路頭に迷う。しかし身なりは昔のままにパリッとして、プライドを保とうとしている。道で思わず人に手を出して物乞いをしてしまうが、あわてて手を引っ込める。代わりに愛犬に帽子をくわえさせて物乞いをさせる。そしてついに、愛犬を抱いたまま線路で飛び込み自殺をはかるが・・・ 

ヴィトリオ・デ・シーカ監督のイタリアン・ネオ・リアリズム映画の傑作。予告編映像→  https://www.youtube.com/watch?v=NqxkPx786pE


「八月の鯨」
海の見える見晴らしのいい家に高齢の老姉妹が住んでいる。妹は体が不自由で、一日中窓から海を眺めている。姉は妹の面倒を見ている。何もすることがない二人は、若い頃の思い出の中に生きている。まるで時が止まったような毎日だ。しかし8月になると海に鯨の群がやってくる。若い頃は鯨を見るために海岸へ走って行ったのだが・・・

往年の大女優、リリアン・ギッシュとベティ・ディビスが共演した。予告編映像→ 


「生きる」
定年退職が目前の区役所の課長が、ガンで余命いくばくもないことを告げられる。そして自分の人生を振り返る。書類にハンコを押すだけの毎日で、自分が生きてきた意味とは何だったのか、虚しさを感じる。そのとき、近くの空き地に子供用の公園を作って欲しいという主婦たちの陳情を受ける。そして公園を作ることを決めて実行に移し、最後に完成する。雪が降る夜中にそのブランコにひとり乗りながら、人生で初めて、ささやかな「生きる」ことの意味を見つけたのだった。

監督:黒澤明、主演:志村喬の名作で、4年前にイギリスで「Living」としてリメイクもされた。予告編映像→


2026年3月12日木曜日

美術館建築

Museum Architectsre 

美術館建築といえば、やはりニューヨークのグッケンハイム美術館が NO. 1 だと思う。近現代美術を年代順に一つの流れとして見せるために、展示室を区切ることなく、螺旋状のスロープに沿って作品が展示されている。外観もその構造をそのまま生かした形になっている。展示内容と、見せ方と、外観の3つがピッタリ合致している。



日本の美術館でよくあるのが、ただ目立てばいいだけの奇をてらったデザインだ。千葉市にある「ホキ美術館」はその典型で、宙に浮いた四角い筒のデザインは展示内容と何ら関係がない。


東京墨田区にある「北齋美術館」は、アルミパネルを貼ったピカピカの超現代的デザインで、造形的には素晴らしい。さすが世界的建築家の妹島和世だ。しかし展示内容は北齋の浮世絵で、まわりは下町的な住宅街で、ミスマッチ感がある。もちろんそれは承知の上で意図的にやっているのだろうが。



「国立新美術館」は、収蔵作品は何もない、ただの公募展用の貸し画廊だ。国際基準では「美術館」(Museum)ではない。内部は四角い展示室が並んでいるだけだが、表面には内部構造と関係がない、表面を飾るだけの巨大なガラスが覆っている。芝居の書き割りのような建築だ。



優れたデザインの美術館としては、「金沢 21 世紀美術館」がある。これも妹島和世の設計による。厚い壁に覆われて薄暗い美術館の普通のイメージと違って、すべてがガラス張りになっている。展示室もガラス張りで通路から中が見える。自然環境にもオープンで、市民に対してもデザインは、従来の美術館の概念を覆している。



瀬戸内海の直島にある「地中美術館」は安藤忠雄の設計で、島の美しい風景を壊さないように地中に埋まっている。安藤らしいコンクリート打ちっぱなしの力強い造形で、建築自体がひとつの作品になっている。ところどころに空が見える天窓のような部分があり、時間とともに太陽の光と影が変化していく。自然と建築との一体感を感じさせる。