よく歩いた散歩道。山手から元町へ下る階段。
「山手から元町へ下る道」3号 水彩
SNS Addiction
先日、小中学生の全国学力テストの結果が発表された。それによると、「思考力」を試す問題で成績が悪い子供が多いという実態を示していた。そしてスマホや SNS の利用時間が長い子供ほど「思考力」の成績が低いというデータも示されていた。
SNS から流れてくる手軽な情報を見て分かったつもりになってしまい、それ以上に「なぜ?」とか「どうして?」とか能動的にものを考えなくなってしまう。昔の子供は本を読むのが大好きで、それが「思考力」を養っていたが、現在はスマホや SNS が子供から本を読む習慣を奪い「考える力」を低下させる原因になっている。
最近、子供の SNS の使用を制限する法律を制定する国が増えているのも。子供が SNS 依存のままで大人になってしまうことへの危機感がある。
歴史上「なぜ?」とか「どうして?」などと国民が思わないように、本を読むことを禁止して国家権力を維持していた時代がたくさんあった。その代表がヨーロッパの中世で、王権専制政治の権力を守るために、庶民がいろいろな考え方に触れて目覚めることのないように、本を読むことを禁じていた。だから中世は「暗黒時代」と呼ばれる。この時代を描いた「神々のたそがれ」という映画がある。本を隠し持っている人間は役人に見つかり、処刑される。
今 SNS のおかげで、本を禁止する中世のようことをしなくても、国民を操るのが簡単な時代になっているようだ。
「1941」
NETFLIXで「1941」という映画を見たが意外と面白かった。これはスピルバーグ監督の映画で、こんな映画がスピルバーグにあったとは知らなかった。太平洋戦争中に日本の潜水艦がカリフォルニアに現れて、ロサンジェルスを攻撃して、人々がパニックになるというドタバタ喜劇だ。調べてみたら、1941年に、日本の潜水艦がアメリカ本土を攻撃したのは実際にあった史実だった。カリフォルニア州の製油所を潜水艦から艦砲射撃して破壊した。すると日本の爆撃機がロサンジェルスに襲来するというデマが飛び交い人々はパニックになる。するとデマに慌てた米軍は飛んでもいない敵機に向かって対空砲火をメチャクチャに乱射する。これも映画通りに実際にあった事件だという。
映画はこの時のアメリカ人と米軍のおバカぶりを笑いものにしている。なおこれは1979 年の古い映画で、潜水艦艦長役で三船敏郎が出演している。こちらはかっこいい軍人として描かれている。
Morning River
倉庫にしまいっきりだっただいぶ昔の絵。北海道のシリベツ川の上流の風景。夏の早朝、森に朝日が登ってきたた。このあたりはニセコのスキー場があり、冬には賑わうが、夏は誰もいず、シンと静まりかえっている。
「The Creator」
3年前に見た映画「ザ・クリエーター / 創造主」を NETFLIX でやっていたのでもう一度見た。この SF 映画は、AI ロボットが登場するが、AI が人間を超えた能力を持ち脅威になるのではないかという人々の恐れを背景に作られている。Short Drama for Smart-Phone in China
昨日NHK BS で、「縦の支配 中国ショートドラマの光と影」という面白いドキュメンタリー番組をやっていた。。このビジネスが今中国ですごい勢いで伸びているという。もともと人に考えることをさせないスマホというメディアならではのビジネスだが、日本でも同じことがジワジワ広がりつつあるという。
Flag Desecration Law
「国旗損壊罪」が国会で成立したが、アートにおける表現の自由との関係がよく問題になる。
アメリカの例で有名なのは、ジャスパー・ジョーンズの「星条旗」で、汚れたアメリカ国旗が画面いっぱいに描かれている。!950 年頃の作品で、当時全盛のポップアート作品だと本人は言っているが、政治的メッセージが込められていると解釈されることが多い。その時代はマッカーシズムが吹き荒れて、アメリカの民主主義が危機的な状況だったからだ。
ドレッド・スコット・タイラーというアーティストが、1989 年にシカゴ美術館の展覧会に出品した「星条旗の適切な掲げ方は?」というインスタレーション作品が猛烈な批判を浴びた。
壁に、人種差別に抗議するデモで星条旗が燃やされている報道写真が貼られていて、その下に作品への感想を書くノートが置いてある。その手前の床には本物の星条旗が置かれている。ノートに書き込むためには国旗を踏みつけなくてはならない仕組みになっている。自身がマイノリティであるアーティストの、アメリカの人種差別に対する抗議が込められている。
多くの国民が星条旗への冒涜だとして激怒し、ブッシュ大統領も「けしからん」と非難し、議会は「国旗損壊罪」の法律を成立させたという。本の著者が指摘しているのは、芸術という「文化」が、政治権力者の武器として使われることと、一方でアーティストが自分を売り出すための道具として「文化」が使われるという「文化戦争」の実態だ。