2024年5月12日日曜日

日本人洋画家第一号の五姓田義松とチャールズ・ワーグマン

Yoshimatsu Goseda 

前回書いたように、江戸末期に来日したイギリス人画家チャールズ・ワーグマンは、イギリスの挿絵雑誌の特派員として、日本の風俗を描いた。また横浜在留の外国人向け雑誌を刊行し、風俗だけでなく、時事問題についても描いた。

右は、イギリスの「ヴィクトリア女王」が、日本の「将軍」からお金を搾取している風刺画で、不平等条約で日本が苦しめられていることを世界に向けて発信している。


五姓田義松(ごせだよしまつ)といえば、日本人の洋画家第一号として有名だが、チャールズ・ワーグマンの弟子になって絵を学んだ。学んだのは油彩画だが、ワーグマンのスタイルを真似た風刺画が1枚だけ残っている。自分がまだ子供のように小さいという自虐的な絵で、若い頃の五姓田の謙虚さが表れている。

やがてフランスへ留学して、日本人初の「サロン・ド・パリ」の入選者になる。帰国後も明治時代を通して日本の洋画の第一人者として活躍した。

数年前、横浜の「神奈川県立歴史博物館」で、五姓田義松の展覧会「没後 100 年  五姓田義松  最後の天才」展があった。膨大な数のパリ時代の作品や帰国後の作品を見ることができた。すべてアカデミックな写実絵画で、その技術は素晴らしい。しかしこの頃すでに印象派が盛んになっていて、晩年は時代遅れ的になったようだ。          展覧会の映像はこちら→ https://www.museum.or.jp/report/710


2024年5月10日金曜日

日本の洋画の始まりに寄与した画家チャールズ・ワーグマン

Charles Wirgman

イギリス人のチャールズ・ワーグマンは、江戸時代末期に日本に来た画家で、西洋絵画が日本で始まるきっかけになった人だ。明治時代なかばに亡くなるまで横浜で活動し、日本人女性と結婚し、横浜外人墓地に眠っている。外人墓地資料館(写真)にワーグマン関連の資料があり、神奈川県立歴史博物館に大量の作品が展示されている。だから横浜人には比較的知られている人だ。(今でも命日には絵画愛好家たちが墓参りしている)


イギリスの挿絵雑誌の特派員として来日して、日本の風俗のスケッチを描いてロンドンに送っていた。また横浜居留の外国人向け風刺漫画雑誌を創刊したりした。(その雑誌の名前「ジャパン・パンチ」は、日本語の「ポンチ絵」のもとになった)


日本各地の風景を描いた油彩画を多数残している。そして日本初の洋画家として有名な五姓田義松や高橋由一はワーグマンに弟子入りして学んだ。日本の洋画が始まったばかりの揺籃期に大きな貢献をした。


水彩画も多数制作している。日本の自然を題材にして、淡彩で描いた風景スケッチのみずみずしさは日本人の感性と一致して、急速に世に広まっていった。そして現在の日本人の淡彩水彩画愛好につながったといわれる。


2024年5月8日水曜日

贋作絵画と 画像生成AI

Counterfeit & AI 

史上最大の贋作事件として有名なのは、フェルメールの贋作を描いたオランダの画家メーヘレンの事件だ。20 世紀初頭、彼と同世代のシャガールやキリコなどの現代美術が主流になるなか、アカデミックな写実絵画にこだわるメーヘレンは時代遅れになってしまう。しかし絵画の技量は確かだったことを活かして贋作に手を染める。

フェルメールの新発見の作品だとして発表した「エマオの食事」は、フェルメールの筆致と完璧に一致しているので美術館は信用して購入する。美術評論家もフェルメールの最高傑作だとして賞賛する。

するとメーヘレンは、これは自分が描いた贋作だと自ら名乗り出る。しかし信用されなかったため、公開の場でフェルメール風の絵を描いてみせて、自分が ”犯人” であることを証明する。左がフェルメールの「手紙を読む女」で、右はそれをもとにしてメーヘレンが描いたフェルメール風「楽譜を読む女」だが、そのうまさに驚いて彼の言うことは本当だと信じられる。


彼は、権威あるとされる美術評論家たちがいかに見る目がないかを証明してみせたのだ。そして人々は、絵そのものではなく、描いたのが有名な画家かどうかで絵の価値を判断していることへの当てつけをしたのだった。彼の贋作は、金儲けのためではなく、自分の絵を評価してくれない世の中への復讐が目的だった。

なおメーヘレンの贋作をナチスの高官ゲーリングが高額で買って自宅に飾っていたことが後にわかり、メーヘレンは戦後、”ナチスを騙した男”として一躍英雄扱いされる。そして美術館は今でも「メーヘレン作」として「エマオの食事」を展示している。


いきなり現代へ話が飛ぶが、今はやりの画像生成 AI は「フェイク」とも呼ばれるとおり、一種の贋作制作ソフトウェアだ。メーヘレンがフェルメールを徹底的に研究したように、 AI も「ディープラーニング」で学習して腕を上げていく。


早い時期から AI による画像生成を研究していたオランダのデルフト工科大学がレンブラントの”贋作”を作ることに成功した。約 350 点のレンブラントの作品をディープラーニングで学習させて、レンブラント作品に共通する特徴を特定する。それをもとに画像生成したのがこのレンブラントの「新作」だ。詳しくはこちら→  https://wired.jp/2016/04/14/new-rembrandt-painting/

生成 AI を使ったことはないが、もし使うとすれば、「今まで誰も描いたことのない独創的な絵で、300 年後もフェルメールやレンブラントのように、歴史的名画として通用するような作品を描け。」というお題を出してみたい。どんな答えが出るか楽しみだ。(笑)


2024年5月6日月曜日

イギリスの水彩画

 History of Watercolor

今でこそ、イギリスは水彩画の本家のようにいわれているが、歴史的にはそうでなかった。17 世紀当時の世界一の絵画先進国はフェルメールに代表されるオランダで、イギリスは遅れていた。グリーナウェイ監督の映画「英国式庭園殺人事件」でそれがうかがえる。


17 世紀のイギリスで、新興の金持ちが絵画を求め始めるが彼らは、きらびやかな油彩画ではなく、現実の自然を題材にした素朴な絵を好んだ。そして自らの邸宅や庭園を画家たちに描かせたが、それらの絵はこの映画のように、小さいサイズの、鉛筆画の風景スケッチだった。(「英国の水彩画」による)

この映画に出てくるような絵画は、当時の風景画としては普通で、ほとんど鉛筆やペンによる素描で、色彩は一部に塗られているだけだった。当時の有名な水彩画家フランシス・プレイスは、横長の画面に広い地平線をを表し、川や小道を遠近法でとらえて、広々とした空間を描いている。しかしほとんどが線描が主体で、一部だけが淡彩の水彩で彩色されているだけだ。(「水彩画の歴史」による)


2024年5月2日木曜日

「英国式庭園殺人事件」の庭園と絵画

 「Draughtsman's Contract」

グリーナウェイ監督は美術大学を出た画家でもあるから美術史に精通している。その博識ぶりが映画に反映されているが、「英国式庭園殺人事件」では、舞台設定の 17 世紀イギリスの美術についての知識を裏付けにした映像があちこちに散りばめられている。


この時代、イギリスで「ピクチャレスク」という言葉が生まれた。「絵のように美しい風景」という意味だが、そんな美しい自然を描く風景画は、「ピクチャレスク絵画」と呼ばれ、市民に愛好された。それが高じて、美しい風景そのものを作ってしまおうとしてピクチャレスクな「英国式庭園」が生まれた。それはイギリス人が理想とする美しい自然の風景をそのまま活かした庭園だった。フランス式庭園が、幾何学的に整然としていて人工的なのと対照的だ。

金持ちたちは、広大な敷地に「英国式庭園」を競って作ったが、映画に登場するのもそれだ。邸宅が樹々に囲まれ、前庭には池があり、その周りは一面の芝生だ。邸宅の夫人が、この自慢の庭に建物を配したピクチャレスクな風景を描くことを画家に依頼する。


画家は依頼されたとうり 12 枚の絵を完成させる。その中の1枚がこれで、鉛筆による細密画的ドローイングだが、彩色されていない。なぜなのか調べたら、「英国の水彩画」(斎藤泰三著)という本に説明があった。


『17 世紀のイギリスは、貴族の凋落と中産階級の勃興の時代で、新興の金持ちは絵画を求め始める。彼らが好んだのは、貴族が好んだ宗教画や歴史画ではなく、現実の自然を題材にした素朴な絵だった。そして自らの邸宅や庭園を画家たちに描かせたが、それらの絵は小さいサイズの、鉛筆だけによる風景スケッチだった。』と、まさにこの映画どうりのことが書かれている。

「英国式庭園殺人事件」の原題は「Draughtsman's Contract」だ。「Draughtsman」はアメリカ英語では「Draftsman」で、現代では「製図工」の意味だが、この場合は「画工」のニュアンスだろう。この頃はまだ「Painter」(画家)という職業はなかった。主人公は職人技を発揮して、まさに図面的な正確さで絵を描いている。そしてパースペクティブのための専門用具(前回に説明)を使っている。


2024年4月30日火曜日

グリーナウェイ監督の「英国式庭園殺人事件」

「Draughtsman's Contract」 

ミニシアターで上映中のグリーナウェイ監督の特集(「ピーター・グリーナウェイ  レトロスペクティブ」)でやっと「英国式庭園殺人事件」を見ることができた。キャッチコピーの「美に取り憑かれた鬼才による毒に満ちた世界」の通り、グリーナウェイ流が躍動している。

美術大学を出て画家を目指していたグリーナウェイは、映画の世界に入った後も絵を描いて個展も開いているが、映画でも必ず絵画が何らかの形で関わっている。この「英国式庭園殺人事件」では、もろに主人公が画家という設定で、絵を描くシーンが繰り返し出てくる。

!7 世紀末、主人公の画家は、広大な敷地の中の豪邸に住む夫人に屋敷の絵を描くように依頼される。高額の報酬で、主人が不在の2週間の間に、12 枚の絵を完成させるという契約を結ぶ。ところが夫人の目的は、欲望が渦巻くこの一族の陰謀のために、「証拠写真」ならぬ「証拠絵画」を描かせることだった・・・

画家は、見た風景を写真のように忠実に描く。そのために画家が使っている道具がとても興味深い。フレームにはめたガラスの上にグリッドが引かれている。それを通して風景を見るのだが、紙には同じ比率のグリッドが引かれているので極めて正確に描ける。

現在でも多くの画家がやっているが、下絵スケッチを本番で拡大する時にやるグリッド方式と同じだ。しかしこの道具では、下絵ではなく風景そのものを拡大している。そしてグリッドと目の間隔を一定にするための小さな ”接眼フレーム” までついている。この道具を3脚に乗せて、それを覗きながら描く。

考えてみればこの !7 世紀の時代は、パースペクティブの技術が発達した時代で、画家たちは、対象をいかに「正確に」描くかに熱中していた。フェルメールが「カメラ・オブスクラ」を使っていたことは有名だが、この道具も同じだ。完成した絵は写真のように細部まで正確に風景を写しとっている。


その正確さゆえに、絵は殺人事件の犯人を特定するための「証拠絵画」として使われる。しかし実は、そもそも風景そのものに細工がされていたのだが、それに気づかずに忠実に描いた画家ははめられていたのだ・・・(上の絵の右端にハシゴが描かれているのもそのひとつ)


この映画で思い出すのは、ルネッサンス時代のデューラー のこの絵で、パースペクティブの教科書の第1ページ目に「パースペクティブとは何か?」を説明するためによく出てくる。四角いフレームに糸を張ってグリッドを作り、それ越しに対象を見ながら、同じグリッドを引いた紙の上に描いてゆく。対象を科学的に捉えて描く方法として発明された「パースペクティブ」だが、そのやり方を説明している。「英国式庭園殺人事件」に出てくる画家の道具はこれとまったく同じ原理で、それをポータブル化して屋外でも使えるようにした物だ。


2024年4月28日日曜日

パースペクティブの ”良くない” 絵

 Two-point Perspective

遠近法(パースペクティブ)の教科書に必ず載っているのが、2点透視の「良くない」例で、例えばこの室内の絵。

ベッドの手前の角が 90 度以下の鋭角になっていて、このように見えることは現実にありえない。たとえ 90 度であってもベッドを真上から見ていることになるからありえない。このようになるのは消失点の A と B の間隔が近すぎるため。

これを正すには消失点の間隔を広げればいい。下図で、左の消失点は画面のはるか外にある。するとベッドの手前の角は鈍角になり、自然な見え方になる。


ただしこれは図法上の話しであって、絵画ではそうではないことがよくある。ひとつは見る人の視点が対象と至近距離にある場合で、ベッドに近い位置から見て描けば「悪い」例のようにならざるをえない。もうひとつは、上の「悪い」例の方が「良い」例よりも、ベッドが迫ってくるような ”迫力” があるから、絵画としてはデフォルメして、あえてこうすることがある。

そのいい例がゴッホの「アルルの寝室」で、ベッドと椅子の手前の角が 90 度に近い鋭角になっていて、「悪い」例に近い。これは部屋が狭いためにベッドを足元を見下ろすような角度から描いていることと、絵として動きのある構図にするために、あえてしているはずだ。