2020年1月14日火曜日

ブルーノ・タウトと「アルプス建築」

Bruno Taut

学生のとき、美術史の授業かなにかで、京都へ桂離宮と修学院離宮を見学に行った。建物のことはまったく記憶に残っていないが、先生がブルーノ・タウトのことを解説したのをかすかに憶えている。桂離宮の価値を世界中に知らしめたタウトの見方で、おそらく自分も桂離宮を見たに違いない。「モダンデザインが結ぶ暮らしの夢」展(汐留美術館)でブルーノ・タウトが大きく取り上げられていたので、それを思い出した。

ヒトラーの民族主義に反対していたタウトは、世界の平和共同体を夢見て、30 枚のスケッチからなる「アルプス建築」というコンセプトを発表する。 深い精神性のもとに、人間と自然が渾然一体となったユートピアを描いた幻想スケッチだった。1933 年にヒトラーが政権を握ると、タウトは自分が逮捕者リストに乗ったことを知り、日本に亡命した。すると初めて見た日本文化に彼の夢がすでに実現していることを知った・・・
(長谷川章著「ブルーノ・タウト研究」より)

2020年1月12日日曜日

「モダンデザインが結ぶ暮らしの夢」展とブルーノ・タウト

Bruno Taut

戦前・戦後にかけて日本に来て、大きな影響を与えた建築家やデザイナーの仕事を紹介する展覧会。(汐留ミュージアム、~3 / 22 ) アントニン・レイモンドやイサム・ノグチとともに、主役はやはりブルーノ・タウト。

ブルーノ・タウトといえば桂離宮だが、日本の筆と墨を使って、桂離宮の観察スケッチをした「画帖桂離宮」の展示がある。建物だけでなく、庭や樹木や池などとの関係性に特に注目している。「世界それ自体の中ですべてが有機的に関連しており、調和的な絆がすべての一つの生きた全体に統一して結合している。」とタウトは日本文化の世界観を紹介している。


2020年1月10日金曜日

横浜のアントニン・レイモンドの作品

Antonin Raymond

アントニン・レイモンドは、F・L・ライトが帝国ホテルを建てるとき助手として来日し、その後も日本に留まって設計事務所を持ち、戦後に至るまで活動を続けた。だから彼の作品のほとんどは日本にあり、今でも多くが現存していて、横浜にも3つほどある。

エリスマン邸
山手にある洋館のひとつで、外観は昔のアメリカ風住宅だが、インテリアはモダニズムデザインで、特に暖炉の造形は素晴らしい。(1926)

不二家
伊勢佐木モールにある店舗ビルだがガラスブロックの窓など、いかにも近代建築だが、今では、まわりの新しいビルに囲まれて埋没している感がある。(1938)

フェリス女学院 10 号館
今は大学の施設になっているが、元は企業の社宅だったものを移築したという。(1927)
(構内に入れないので、写真はネットから借用)





明日1/ 11 から汐留ミュージアムで、「モダンデザインが結ぶ暮らしの夢」(野暮ったいタイトルだ)という戦前の日本に影響を与えた建築家やデザイナーの展覧会があり、ブルーノ・タウトなどと並んでアントニン・レイモンドが取り上げられるようだ。

2020年1月8日水曜日

ミヒャエル・ハネケの監督の「カフカの『城』」

「The Castle」

「カフカの『城』」は、原作を忠実に映画化している。文章のイメージがそのとうりに視覚イメージ化されていて、ミヒャエル・ハネケ監督の腕が見事だ。

主人公 K は、城へ行って城主に会おうとするが、実現できない。色々な試みを執拗に繰り返すが、誰によってどういう理由で阻まれているのかも全くわからないままだ。

このポスターは映画のイメージをぴったり表している。城は「支配者」の象徴で、書類の山は、役人たちの「官僚機構」の象徴。下に小さく写っている人間は、主人公を惑わす村人たち。この権力の3層構造が立ちはだかっている。(映画で実際にこういう映像が出てくるわけではない)

ストーリーらしいものはなく、断片的な出来事をつなげていくだけの原作と同じく、映画も断片的な映像をプツプツつなげていく。原作は未完成のままだが、映画でも突然プツンと画面が暗くなって「原作はここで終わっている。」と字幕が出て終わりになる。物事に対して、合理的な判断や行動をするために必要な「座標軸」が無くなってしまった世界を描いたカフカを映像化するのに、もともとそういう映画を作ってきたハネケ監督はぴったりの適役だ。

2020年1月6日月曜日

サイレント映画を、活弁付きで観る

Silent movie

横浜にあるミニ・シアター「シネマ・ノヴェチェント」は、客席数がわずか 28 の日本最小を誇る(?)映画館。そしてフィルム映画にこだわっている。正月特別企画として、1920 年代のサイレント映画を活弁付きで上映する(2本立てで入場料 4000 円と高い)というので観に行った。映画が「活動写真」と呼ばれた大正時代のまま、弁士と生伴奏付きでサイレント映画を観るという貴重な体験ができた。


1本目は、「ロスト・ワールド」。学者が、絶滅したはずの恐竜がアマゾンの奥地にまだ生きていることを証明するために、捕獲して持ち帰ろうとする冒険映画。「ジュラシック・パーク」や「キングコング」などの元祖のような映画で、特撮技術も 100 年前にしてはなかなかのもの。オリジナルフィルムが完全な形で残っていないので、ストーリーが途中でブツ切れになってしまうのが面白い。

2本目が見たかった本命で、1922 年  F・W・ムルナウの「吸血鬼ノスフェラトゥ」。小説の「ドラキュラ」を映画化したもの。有名な「カリガリ博士」や「メトロポリス」などと並んで、1920 年代ドイツ表現主義映画を代表する名作のひとつ。絵画の表現主義もそうだが、人間の内面の精神を描こうとする時代、映画もこのような、幻想映画や怪奇映画が盛んに作られた。

2020年1月4日土曜日

正月の富士山、朝と夕

Mt. Fuji,  Morning & Evening


富士山は、自宅からほぼ真西の方向、約 100 km 先。(望遠レンズで撮影)

2020年1月2日木曜日

ベストセラー「21 レッスンズ」と  アニメ映画「インサイド・ヘッド」

「21 Lessons」& Animation movie「Inside Out」

歴史学者・哲学者のハラリの世界的ベストセラー「21レッスンズ」は、人類の現在と未来をどう理解するべきかを鋭く洞察した本だが、その中に S F 映画についての章があり、2015 年のディズニー・アニメのヒット作「インサイド・ヘッド」について詳しく書かれている。4年前に受けた印象と全く違うことが書かれていたので、もう一度観てみた。


11 歳の少女ライリーの脳の中に、感情をコントロールする司令部があり、「ヨロコビ」「カナシミ」などの担当者が少女の感情や行動を制御している。同書によれば、わくわく大冒険とハッピーエンドで楽しく仕立てた映画ゆえに、ほとんどの観客が気づかなかった過激なメッセージが背後に隠されているという。「ディズニーの無数の映画で、主人公は危険や困難に直面するが、最後にはそれを乗り越えて正真正銘の自己を見つけ、自分の自由な選択によって勝利する。しかしこの映画は、その神話を情け容赦なく打ち砕く。ライリーは正真正銘の自己など持っておらず、自由な選択など一つもしていない。つまりライリーは、生化学的メカニズムによって管理されているロボットなのだ。」と言っている。

ロボット対人間の戦いという構図の S F 映画はたくさんあり、多くは、「心」を持つ人間が、最後にロボットに勝って自由を得る。しかし、そもそも人間の「心」は、生まれて以来、繰り返されてきた「操作」によって作られたものだから、ロボットがプログラムされているのと何ら変わりはない。「本当の自分」など存在しないことをこの映画は暴露しているというのだ。しかも映画は神経生物学の最新の知見をもとにしていて、架空の話ではないから、なおさら怖いと言っている。