2016年3月21日月曜日

横浜のアール・デコ:馬車道大津ビル

 "ART DECO" in Yokohama

横浜には様々な様式の歴史的建築が現存している。ネオ・バロック様式(現神奈川県立歴史博物館)、ネオ・ルネッサンス様式(現日本興亜馬車道ビル)、帝冠様式(神奈川県庁舎)、など。その中で昭和初期の建築ではアール・デコが多い。パリで生まれて世界に広まったこの様式は、現代建築と比べるとレトロだが、当時の最先端デザインだった。

「馬車道大津ビル」は昭和11年(1936年)築の現役のオフィスビル。外壁のタイルを平面的に貼るのではなく、立体的にしたり、グラフィック的に構成をするのはアール・デコの特徴だが、このビルはその素晴らしい例だ。老朽化していて、タイルの落下防止のための薄い金網でビル全体が覆われている(写真がボケて見えるのはそのせい)が、よく生きのびている。テナントは建築事務所が多いそうだが、空家になって取り壊しという話にならないように守っているのかもしれない。




2016年3月13日日曜日

横浜「キングの塔」

The architecture of the prefectural government office in Yokohama and its design competition in 1926


横浜三塔のひとつ「キングの塔」のある神奈川県庁舎でオープンハウスがあったので見学に行ってみた。展示室に建物の建設当時の資料が展示されていて興味深かった。

この建物は建築史的には「帝冠様式」と呼ばれるそうで、鉄筋コンクリート構造でありながら和風の瓦屋根を乗せた和洋折衷的デザインを指す。戦前のナショナリズムとファシズムの時代に公共建築によく取り入れられた様式で、この県庁舎はそのはしりだったそうだ。

建設にあたり大正15年に設計コンペが行われ、ほぼ当選案どうりに建設されている。下がその当選案と上位入選案のパースで、面白いのはこれらが全体プロポーションや塔がある点など非常に似通っていることだ。自由コンペと言いながら、デザイン条件に「こんなデザインを」という暗示がされていたらしい。またパース自体も版で押したように同じなのはテンプレート的なものが用意されていたからだそうだ。現在では考えられないコンペのやり方だが、当時の全体主義のドイツやソ連などと共通する文化統制の影を感じる話だ。



2016年3月6日日曜日

パステルで小スケッチ

パステルで静物の小さいスケッチを描いた。どこかの海へ行った時に買った漁の浮き。
Soft pastel & Pastel pencil,   Sanded pastel paper,   25cm × 20cm

ついでに以前描いた絵にも手を加えた。サンドペーパーへ描くのに少しずつ慣れてきた。
Soft pastel & Pastel pencil,   Sanded pastel paper,   26cm × 17cm

こういうのを描いていると、以前ある先生から、静物画では「空間感」が大事だと言われたのを思い出す。物自体の色や形や質感ばかりに気をとられがちだが、物が置かれている空間を意識しなさい、ということだった。                     

2016年3月1日火曜日

「ヘイトフルエイト」の美術

クエンティン・タランティーノ監督の最新作「ヘイトフルエイト」を観た。この監督の作品は演出やセットがわざとらしく、映画全体がいかにも「作り物」という感じなのだが、それをわざとやっているのがよく分かる。例えば冒頭のシーンで磷付けにされたキリストの像がアップで出てくる。アメリカ西部の原野の中にそんなものがあるか、という感じなのだが、そういうところが魅力だ。

この映画の美術監督をやっているのが日本人の種田陽平で、映画のビジュアル全体をデザインしている。舞台になっている山小屋などのイメージスケッチが公開されている。美大で勉強をしただけあってイマジネーションに溢れた絵で素晴らしいが、映画でもこの通りに再現されている。黒澤明や宮崎駿のように自分で絵を描く人は別として、普通は監督の意図を具体的に視覚化する美術監督は映画の出来を左右する大事な役割なのだろう。

(上)山小屋のスケッチ (下)馬小屋のスケッチ 
(映画公式サイトより)





2016年2月22日月曜日

パステル「工場」

本番へ向けて習作(その1)を描いた。


モチーフの工場の写真。

サムネイルスケッチ。構成の検討。

最終エスキース。構図と明暗を確定。

線描き。グリッド方式でエスキースを30号に拡大。

下塗り。モノトーンでバリュー決め。

彩色。ソフトパステルとパステルペンシルで。

2016年2月16日火曜日

閑人の 5☆ 映画 「2001年宇宙の旅」

" 2001 : A Space Odyssey "


「2001年宇宙の旅」は、50年ちかく前の作品だが、映画史上の名画ベスト30くらいにはいつも入るし、SF映画部門では断然トップで、もう古典名画と言っていいと思う。今更ながらこの映画のことを取り上げようと思ったのは、いま公開中の「オデッセイ」を見たからだ。これは火星に取り残された宇宙飛行士をありとあらゆる科学技術の知識を総動員して救出するというSF映画。原題は「The Martian」(火星の人)だが、邦題の「オデッセイ」は内容と無関係なタイトルだ。( 本家の "2001:A Space Odyssey" 以降、宇宙ものであれば内容いかんにお構いなく「〜オデッセイ」とつけたB級映画がたくさんある。)

Odyssey(オデッセイ)とは、ギリシャ神話が語源で「長い旅」といった意味で使われる。「2001年宇宙の旅」では人類史を「長い旅」になぞらえた現代版の神話物語とでも言える壮大な映画だった。しかし今では惑星探査も宇宙船も現実のものになっているので、今度の「オデッセイ」はリアルすぎてそんなロマンはない。宇宙が舞台のサスペンス映画と思えばいい。

「2001年宇宙の旅」の公開当時は「難しい」と言われたようだが、50年経った今では意味が理解し易くなったと思う。スタンリー・キューブリック監督のメッセージは冒頭の猿のシーンに凝縮されている。まだ人類誕生以前の頃、猿の群れどうしが水飲み場の縄張り争いをしている。ある時一匹が動物の骨で物を叩くと強い力が出ることに偶然気がつく。彼らは全員が骨を持って相手に襲いかかり勝利する。動物の骨という「道具」を使うことによっ人類が誕生した瞬間だ。

それから人類は道具を進化させ、より強くなっていくという長い旅(オデッセイ)を続けてきた。骨が敵と戦う道具であったように、その後も人を殺す戦争の道具を進化させ、あるいは原子力のような恐ろしいものも作った。そしてこの映画に登場する究極の道具が人工知能を備えたコンピュータで、それが人間に逆らい敵対的になる。今度の「オデッセイ」が科学技術に対して楽天的なのとは対照的だ。

「説明」のほとんどないこの映画では観る人が意味を読み取らなければならないが、科学技術による道具の進化によって行き着く先の世界を暗示させている。人間が人工知能に支配され、人間自身もクローンのような人工物になってしまい、いわゆる「人間」は消滅してしまう。そして人間をそのように「進化」させるように導いてきたのは、実は高度な地球外生命体で、それが人間を支配する「神」のような絶対的な存在であった・・・

当時よりずっと「進んだ」今の時代、もう一度この映画を観る価値があるように思う。

2016年2月10日水曜日

「ラインズ 線の文化史」

Tim Ingold,  " Lines : A Brief History "

いろいろな角度から「線」について書いた珍しい本で、とても面白い。盛りだくさんの内容から、ひとつだけ紹介します。


このような勢いのある線で描かれた建築スケッチは「建築家の頭の中で成長を続ける発展途上のアイデアのある瞬間を示している。」それに対して「CAD図面は手の軌跡を残すことがないので、検討の途中の線図でも、そのつど完成されたものとしてプリントアウトされてしまう。」 建築やデザインに関わるひとにはピンとくる話だと思う。


作曲家が作曲途上で書いている楽譜の例もあげている。頭に浮かんでくる音を「スケッチ」しているのだが、「ラインは活動的で、生きているように強烈な運動の感覚を伝えている。しかしこれは五線譜に印刷しないと、このままでは演奏者は読めない。建築のスケッチを建設業者に渡すときにはCAD化するのと同じように。」建築と音楽の違いはあっても両者のスケッチの線の性質がとてもよく似ているのが面白い。





近代建築では「直線性」が合理性や確実性を与えるものとされてきたが、同時に矛盾も引き起こす(例えば建築の画一化)ようになり、ポストモダニズムのような考え方が生まれた。この建築図面(左)は線がずたずたに断片化され、場所の連続性がない。現代音楽で五線譜の代わりに使われる図形楽譜の例(右)でも線が断片化されていて演奏の順序も明示されていない。これらも建築と音楽の違いにもかかわらず、見た目がそっくりだ。その共通性は「ばらばらになった位置の断絶の中から、見るひとが自分たちの道を見つけ出し、自分の場所を作ることができることにある。」と言っている。なるほどと思う。