2024年6月7日金曜日

「日本人はどのように森を作ってきたのか」

 「The green archipelago;forestry in preindustrial Japan」 

日本列島の山々はどこも緑の森林でおおわれていて、我々はそれを当たり前だと思っている。しかしこういう国は珍しいという。例えば黄砂は、自然現象ではなく、中国内陸部の農地転換による森林減少と砂漠化が原因とされている。このように近代になって、森林が伐採され、山がはげ山になっている地域は世界中にたくさんあるという。アメリカ人のコンラッド・タットマンという歴史学者が、なぜ日本だけ「森林荒廃」が起こらなかったかを「日本人はどのように森を作ってきたのか」(原題:「緑の列島」)という本で詳細に解説している。(以下の図は同書より)

日本でも過去には、森林伐採と林地開墾が進み生態系の劣化が進む大きな危機に直面した。鎌倉時代から江戸時代初期にかけて、大きな建設事業が盛んになる。城や神社仏閣や武家屋敷や城下町建設などで木材消費量が莫大になり、木材の供給量が追いつかなくなる。そのため森林伐採が加速していく。

便利な場所で良木が少なくなり、山奥で伐リ出すようになる。川を利用してイカダで運ぶが
効率化のためにすでに角材に加工してある。それを蔓でイカダに組んでいる光景。

建物の建築を描いた鎌倉時代の絵巻。木材の使用量を抑えるために
平安時代の大規模建築に比べ、柱が細くなっている。


このような結果、18 世紀になると、山がはげ山になり始める。危機感をもった徳川幕府は森林の利用と木材の消費に対して強い規制を加えるようになるが、その効果はあまりなかった。そこで幕府は、森林を人工的に育成する「造林」政策をとるようになる。そしてスギ・ヒノキの人工造林が作られていく。

幕府は全国で造林のための技術指導を行なった。そのための図入りのマニュアルも作る。
種蒔き、蒔き付け、除草と施肥、間伐、伐採、加工、などの全作業工程が図示されている。


造林政策は、明治以降、現代にも続いてきた。日本は「収奪的林業」から「持続的林業」への転換に成功する。今でいう「SDGs」の先駆けだ。


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