2024年2月29日木曜日

閏(うるう)の日と、日本の暦を作った渋川春海

leap day

今日 2 / 29 は閏の日。閏日は季節と暦の間のズレを調整するためのものだが、日本では、西洋のグレゴリオ暦とは違う独自方式の暦を使っていた。だから和暦では「うるう」の設定は今とは別のやり方でやっていた。かなり複雑な方法だったそうで、毎年、その年の「うるう」決めた面倒臭いカレンダーをもとに人々は生活したという。江戸幕府には暦を作る「天文方」という部署があり、天体観測をして、それをもとに暦を作った。

江戸時代初めに天文方を務めたのが「渋川春海」で、天才的な天文学者であり数学者でもあった。地道な天体観測をもとに作った暦が幕府に公式の暦として採用された。

その渋川春海の生涯を描いた映画「天地明察」が 10 年ほど前にあって、天体観測の様子などが詳しく描かれていた。「今日は日食が起きます」と予言して、そのとうりになり、将軍が驚くというエピソードなどもあった。

これは渋川春海作の天球儀。自分で観測した星の位置データをもとに作ったもので、星座が表示されている。彼の新発見の星もある。北極星を基準にして、そこからの星の距離や角度をもとに作っている。

渋川春海は「安井算哲」という名の囲碁棋士でもあった。将軍の前でトップ棋士どうしが戦う「天覧碁」を打っていた。囲碁ファンの一人として、古碁の棋譜を並べていたので、「渋川春海」より「安井算哲」の方がなじみがあった。碁盤の中央の「天元」に1手目を打つという常識はずれをやって驚かせたのだが、それも天の中心が北極星だとする天文学者らしい発想から来ていた。


2024年2月27日火曜日

絵が描けるようになるには 左脳を働かせない

 「Drawing on the Artist Within」

初めて絵を描く高校生に、どう教えていいのか苦労していたある美術教師の話が面白い。静物を描かせるのだが、モチーフを「見た通りに描くように」と言っても描けない。「リンゴが容器の前にあるのが見えない?」と聞くと「ええ、見えます」と答える。「でもあなたの絵ではリンゴと容器が同じ距離にあるよ」と言うと、「ええわかってます。でもどうやって描いたらいいか分からないんです」と答える。

目の前にあるモチーフを見てはいるが、しかし見えていない。それは物を見る見方の問題だとその教師は気づく。人間は物を認識するとき、「右脳」と「左脳」を使い分けしている。「左脳」は論理的な、「右脳」は直感的な認識という役割分担をしている。

リンゴが前にあれば、容器より大きく描かなければならない。しかしそうすると、論理的に考える「左脳」は、それでは大きさが違ってしまうからダメだと止める。つまり「左脳」がジャマをしているのが描けない原因だった。そこで「左脳」が働かないようになる課題をやらせる。


有名画家のデッサンのコピーを上下逆さにして、それを模写するように命じる。例えばピカソの「レオン・バクストの肖像」というデッサンでやってみる。すると、人間の顔はこうだからとか、衣服はこうだからとかいった論理的に考える「左脳」が働く余地がなくなる。生徒たちはただひたすらピカソのデッサンの線と線の関係だけを見ながら描いていく。

出来上がった絵を逆さまにして本来の位置に戻させると、生徒たちは「おお!」と声をあげて、自分もこんなに描けるんだと感激する。


2024年2月22日木曜日

「内なる画家の眼」

 「Drawing  the Artist Within」

初級者の大学生に美術教育をしている B・エドワーズという人の本「内なる画家の眼」に面白いことがのっている。学生に8つのキーワードを与えて、それぞれに該当する小さな図を鉛筆で描けという課題を出す。条件として具体的な物の形を描いてはいけない。

8つのキーワードは、「怒り」「喜び」「平穏」「静寂」「エネルギー」「女らしさ」「病気」「恐れ」で、学生たちが描いた絵は例えばこんな感じだった。


次にキーワードごとの各学生の絵を集めると、そこには多くの類似性が見られた。例えば「喜び」の場合、曲線が軽くカーブして渦を巻きながら上昇していくような性質の図を描いた学生が多かった。これと同じ性質の絵画を名画の中から探すと、ゴッホの「糸杉」がぴったり一致していて、木の葉が渦巻きながら上昇していくタッチで「喜び」を表現している。


「静寂」のキーワードの場合は、動きのない水平線を重ねた図が多かった。アメリカの原野の郷愁あふれる風景を描いたマーティン・ジョンストン・ヒードの絵はそれに当たる。


キーワード「エネルギー」の場合、中心から外へ向かう放射状の線が描かれていたり、激しい爆発のような図が多い。ロイ・リキテンシュタインの現代絵画「爆発するスケッチ」はまさにそのままだ。


もちろん学生にこれらの名画を事前に見せていたわけではない。人間の感情とそれを表す形の間には一定の関連性があることを気づかせるための課題だという。見たものをそのまま描く「写生」と違って「絵画」は、対象を見て自分が感じたものを表現しなければならない。その時、自分が感じた感情を絵を見る人にも伝えて共感してもらうためのコミュニケーションの道具が必要だが、それが「視覚的な言語」だ。そのことを学生に意識させることがこの課題の目的だと著者は言っている。

2024年2月20日火曜日

ドキュメンタリー番組「マンハッタン計画 オッペンハイマーの栄光と罪」

Oppenheimer

「オッペンハイマー」が今年のアカデミー賞の有力候補になっているようだ。アメリカで公開されたのが去年の夏だったのに、日本公開はやっと今年3月になるという。それは「被爆国日本では批判されるから」という訳の分からない理由のようだが、被爆国日本だからこそ原爆開発の真実を知りたいと思うのだが。

その映画公開直前の今、タイミングよく NHK がドキュメンタリー番組「映像の世紀」で「マンハッタン計画  オッペンハイマーの栄光と罪」( 2 / 19 )をやっていた。今までよく知られている事実のほかにもさまざまな秘話が出てきた。


オッペンハイマーは「原爆の父」と呼ばれ、「戦争を終わらせた英雄」として讃えられたが、広島・長崎の地獄のような惨状を見て、生涯にわたって後悔し、罪の意識に苛まれ続けた。そして死ぬまで一貫して核兵器開発に反対をした。戦後は米ソ間の核開発競争の時代だったので、オッペンハイマーは一転して、反米科学者として糾弾され、公職を追放された。番組ではオッペンハイマー以外にも原爆開発に関わったさまざまな人物が登場する。

アインシュタインは、ドイツの原爆開発が進んでいることに危機感をおぼえ、アメリカも開発を急ぐよう政府に提言し、それがマンハッタン計画開始のきっかけになった。そこには亡命ユダヤ人である自身のドイツに対する憎しみという個人的な感情があった。 

トルーマン大統領は、もう日本の降伏は目前だから原爆を使う必要がないという周囲の意見を振り切って投下を命じた。それは戦勝大統領という名誉を得るためと、対ソ連牽制のためという政治的理由だった。番組で、オッペンハイマーが後悔していると言ったのに対して大統領は「あの泣き虫野郎」と言ったという映像が出てきた。

ローレンスは天才物理学者だが、戦後オッペンハイマーらの核兵器反対の声を押し切って、原爆の何倍も強力な水爆を開発した。それはオッペンハイマーより先輩である自分が原爆で遅れをとったのを取り戻そうとする功名心のためだった。 

仁科芳雄はオッペンハイマーらと同じくドイツのハイゼンベルクのもとで原子物理学の研究をしていたが、戦争になると軍部からの依頼を受けて原爆開発研究をした。しかしアメリカの資金力には到底かなわず終戦を迎えたが、戦後はオッペンハイマーらとともに核兵器反対運動に加わった。


これらの事実を紹介することで番組は、はたして原爆の罪をオッペンハイマー1人に押し付けていいのかと疑問を投げかけているようだ。今度の映画でも予告編によれば、オッペンハイマーがマッカーシー委員会で共産主義者だと指弾される場面があるようで、どう描かれているか興味がある。


2024年2月18日日曜日

動く対象を描く ジャコモ・バッラの絵画 

Giacomo Balla 

19 世紀末から 20 世紀初めに活躍した「イタリア未来派」のジャコモ・バッラは動いている対象物のダイナミズムを絵画で表現した。「くさりにつながれた犬のダイナミズム」(1912 年)は代表作で、散歩する子犬の脚やしっぽのチョコマカした動きを捉えている。それと比べて、飼い主の脚の動きはゆったりしている。


「イタリア未来派」は機械類をモチーフにして、現代技術のスピード感や力強さを礼賛する絵画を描いたが、バッラは主に動物の動きをモチーフにした。



静止メデイアである絵画で動きを表現する試みで最も有名なのはマルセル・デユシャンの「階段を降りる裸婦」だが、デユシャンとジャコモ・バッラは共に同じ19 世紀末の時代の人だった。それは映画が発明された頃で、静止画の写真が動画の映画になったことに触発されてこのような絵画が生まれたといわれている。


2024年2月13日火曜日

アメリカ映画とキリスト教

「Bible and Cinema」

「アメリカ映画とキリスト教   120 年の関係史」という本で、著者の木谷佳楠はアメリカ映画についてこう言っている。アメリカは建国以来、その精神を支えてきたのがアメリカ独特のキリスト教的価値観だった。「神の国アメリカ」を偉大にするという使命のためにキリスト教会は「映画」というマスメディアをツールに使ってきた。圧倒的な資金力をもとにして、自分たちの宗教的価値観に基づく映画を作っている。アメリカ映画に繰り返し見られるキリスト教や聖書の影響はさまざまなジャンルに及んでいる。例えば、

・アクション映画や戦争映画での善悪二元論
・ディザスター映画やディストピア的 SF 映画での聖書的終末論
・アメリカン・ヒーローに反映されている救世主 (メシア) 思想

それらの映画はプロガンダ的なメッセージを前面に出す訳ではなく、普通のエンターティンメント映画として作られているが、聖書の知識のある人にはそれと気づく表現が用いられている。(以下は「ハリウッド映画と聖書」による。)例えば、

「イングロリアス・バスターズ」
・筋書きやテーマを展開するための方法として聖書を用いる。(例
「イングロリアス・バスターズ」:ナチス狩りをしている米軍将校が捕虜の額に印をつけるシーンは、聖書の創世記にある「カインとアベル」の物語を引喩している。)

・聖書のイエスを想起させるキリスト的人間像を描く。(例「ショーシャンクの空に」:無実の罪で刑務所に入れられた男が他の受刑者を援助し、最後に自分が脱獄に成功する主人公は、救済と受難そして復活というキリストの生涯になぞらえている。)

「ショーシャンクの空に」
・道徳や倫理の源泉としての聖書を用いる。(例「3時10分、決断の時」:悪党を刑務所に送ろうとする男の格闘という、善悪の倫理が主題の映画だが、筋書きや主人公の風貌やセリフや小道具などで聖書を想起させている。)

・破壊や救済といった主題を表現するために聖書を用いる。(例「アヴァター」:自然と人間の調和が調和している惑星と、自然環境を破壊している地球とが争うというストーリーの中に創世記などの聖書的要素がたくさん盛り込まれている。


キリスト教や聖書の知識のない日本の観客に対して「アメリカ映画とキリスト教」はこう言っている。映画の根本にある宗教性を含めた「原材料」にもっと注目するべきだと。健康にいい食べ物かどうかを知るために「原材料」を知ろうとするように、映画がどのような「原材料」から製作されたものかを知り吟味するべきだと。


2024年2月8日木曜日

イタリア系移民の哀しみ 映画「ゴッド・ファーザー」

「THE GODFATHER」

前回、日本人とアイルランド人のアメリカ移民の苦しみを描いた映画(「愛と哀しみの旅路」と「ブルックリン」)について書いたので、今回はイタリア系移民をテーマにした「ゴッド・ファーザー」について。哀愁を帯びた音楽とあいまってイタリア系移民の哀しみを描いた超名作だ。

子供の頃にイタリアからやってきた貧しい移民が、最後はマフィアのドンにまでに登りつめる生涯を描いている。そして 「ゴッド・ファーザー  PART 2」では、その息子が父の跡目を継いでマフィアの強力な支配者になっていくまでを描いている。

「ゴッド・ファーザー」の背景になっているイタリア系アメリカ人について、「シネマで読むアメリカの歴史と宗教」(栗林輝夫)で以下のように解説している。

『寄る辺のない移民たちに懸命に手を差し伸べたのはカトリック教会だった。教会は行事や祭りを開催し、住民の結束力を強めた。「ゴッド・ファーザー」で、聖人祝祭日に人々がマリア像を乗せた山車を担いでニューヨークの街を練り歩く姿が描かれている。そして駆け出しだった主人公はその当日、花火の打ち上げ音に紛れて敵対するマフィアのボスを射殺する。』

『一方で、そのようなカトリックのイタリア人が街を練り歩いたりする姿は、プロテスタントがほとんどのアメリカ人にとっては胡散臭く、「誤った」信仰に感じた。そして大量のイタリア系移民によって、アメリカがカトリック国家になってしまうのではないかと怯えた。また犯罪の増加はカトリック系移民のせいだとか、イタリア人移民がアメリカ人の仕事を奪うとか、偏見と差別が根強かった。この映画でも、住民が家主からイタリア人だからとアパートから追い出されるシーンが出てくる。』


そういう差別の中で、イタリア人のコミュニティは結束が強くなる。その中心がゴッドファーザーで、困っているイタリア人を助けて信頼を得てゆき、やがて裏社会での強大な権力を握ってゆく。イタリア人コミュニティーを守り、またファミリーを守るために陰謀や裏切りに対しては非情に敵を殺す。

「PART 2」の主人公はイタリア系移民2世だが、高等教育を受けた知的なエリートで、軍隊でも功績をあげた立派な ”アメリカ人” だ。しかしマフィアのボスの子に生まれたばかりにファミリーをを守るために自分もゴッド・ファーザーとして裏社会で生きていかなければならない。その哀しみが映画の主題になっている。

映画のシーン:(上)軍隊から戻り、盛大な結婚式を挙げる。各界名士が参列して祝福される。(下)エリートになるはずだった夫がやがて闇世界に入り、人間が変わってしまう。部下と殺しの相談をしている夫を見ている妻の表情。


2024年2月4日日曜日

アメリカ移民の苦悩を描いた映画 「ブルックリン」

 「BROOKLIN」

「ディアスポラ」は「離散」のことで、迫害を受けた民族が外国へ逃れて「移民」することで、民族がバラバラになることを意味する。いちばん有名なのが「ユダヤ・ディアスポラ」で、紀元前のパレスチナで周辺の民族から迫害されたユダヤ人がパレスチナ以外の地に移り住んだ。現代でもユダヤ人は世界中に散らばって生きている。(映画「十戒」は、エジプトに住んでいたユダヤ人が迫害を逃れて故郷パレスチナへ帰還する物語だった。)

そのユダヤ人が現代ではイスラエルを建国し、その地に住んでいたパレスチナ人を逆に迫害して追い出し、大量のパレスチナ難民を生んでいる。そのようにディアスポラは歴史上の話ではなく、現代でも世界中で続いている問題だ。さまざまなディアスポラのひとつが「アイリッシュ・ディアスポラ」だ。イギリスの植民地だったアイルランドは宗教と民族の違いから永くイギリスから迫害されてきた。(1970 年代に独立を求めて武装組織が内乱を起こしたアイルランド紛争は有名。)

19 世紀に、大量のアイルランド人がアメリカへ移住する。その数は数千万人といわれ、アメリカ移民中の最大の数に上る。しかしユダヤ人が、逃げた地のヨーロッパ各地でも差別や迫害を受け続けたように、アイルランド人はアメリカ社会で偏見と差別を受ける。大量のアイルランド人移民労働者がアメリカ人の職を奪うとしていじめられる。(現代のアメリカで中南米からのヒスパニック系移民が差別を受けているのと同じ。)

映画「ブルックリン」(2015 年)は、そのようなアイルランド人移民のアメリカ社会での苦しみを描いた映画だった。アイルランドの田舎から「自由の国」アメリカに憧れて、一人でニューヨークへ移民してきた若い女性の苦悩を描いている。

ニューヨークの港に着くと入国審査があるが、外国移民には特に厳しい。入国をいちど経験している女性から主人公がアドバイスを受けるシーンが印象的だった。化粧っ気のない女性に 『そんな顔じゃ病気と思われて隔離されちゃうよ。でも派手だと娼婦と思われるし、といってあどけないのもダメ。口紅とマスカラをして少しアイラライナーもね。真っすぐに立ち、靴は磨いておくのよ。咳は絶対にしないで。無愛想や緊張しすぎはダメ。アメリカ人のように毅然としていなさい』 アドバイスのとうりにしてなんとか検査を通ることができたが、アメリカに移民することの大変さを象徴しているシーンだ。(下記 注参照)


入国して、職を探すが容易でない。やっとデパートの売り子になるが馴染めず、上司から叱られるばかり。一般労働者のままでは幸せな生活はできないと知り、より良い地位を得ようとして会計士の勉強をして資格をとる。


アイルランド人はほとんどがブルックリン地区に住んでいて、コミュニティを作っている。主人公の女性も同郷同士と寮で身を寄せ合って生活している。映画の題名はそこから来ている。(ディアスポラの人たちは団結が強くなるといわれる。ユダヤ人のシナゴーグや中国人のチャイナタウンなどと共通している)


最終的には彼女は恋人もでき、一応は安定した生活になるが、たまたま家族の葬式で里帰りしたとき、元の恋人に再会する。すると、豊かではないが穏やかだったアイルランドの生活を思い出し、アメリカのギスギスした競争社会の生活と比べてしまう。そしてアメリカへ帰らず、このまま昔の暮らしに戻ろうかと思い悩む。二つの国の選択であると同時に、二人の恋人の選択でもある。


彼女が最終的に選択したのは、アイルランドではなくアメリカだった。しかし住むのは今までどうりのブルックリン、つまりアイルランド人コミュニティの中で生き続けることだった。国としてはアメリカを選択したものの、自分がアメリカ人になったという自己認識は持てずにいるのだ。そして恋人はアメリカ人ではなく、やはりブルックリンに住む移民のイタリア人だ。このラストシーンで、アメリカに戻って来て(足元に旅行トランクがある)ブルックリンに直行する、そして恋人がいつも通る道で彼を待っている。


(注:ここで「咳は絶対するな」と言っているが、それが出てきたのが映画「エヴァの告白」だった。ポーランドからアメリカに移民しようとやって来た若い姉妹だが、入国審査で妹が緊張で思わず咳をしてしまう。すると病気とされて隔離されてしまう。妹を取り返すためには検査官への多額の賄賂が必要と知らされて、姉はお金を稼ぐためにある商売を始める・・・これも移民の厳しさを描いていて、見ていて胸が苦しくなるような映画だった。)


2024年2月1日木曜日

映画「愛と哀しみの旅路」の日本人移民の苦しみ 

 「COME SEE THE PARADISE」

「人種のるつぼ」といわれるアメリカ社会だから、映画も「移民」を題材にした作品がとても多い。例えば「ブルックリン」(2015 年)は印象的な映画だった。アイルランドの田舎から一人でニューヨークへ移民してきた若い女性の、苦悩を描いている。豊かな生活を求めてアメリカへ来たものの、そのギスギスした競争社会を知って、貧しいが平和な母国へ戻ろうかと思い悩む・・・ アメリカ移民の数はアイルランド人が最大だったため、その大量移民がアメリカ人の職を奪うとして「アイリッシュお断り」と差別を受けたという。「ブルックリン」は、そういうアイルランド人のアメリカ社会での生きにくさや苦しさを描いている。

それに比べると日系アメリカ人は数が少ないぶん映画の題材になることはほとんどない。一作だけ見つけたのが「愛と哀しみの旅路」(1990 年)だ。日系移民二世の女性のアメリカでの苦難の人生を描いている。

ロサンジェルスのリトルトウキョウで日系人相手の仕事をしていた彼女はそれなりに平穏に暮らしていたが、やがて恋人ができ結婚して子供も生まれる。しかし子供のおもちゃを買おうとしても売ってくれないなど日本人は差別を受けている。やがて太平洋戦争が始まると、日系人は敵性国民とされ、全員が拘束され、アリゾナの砂漠にある強制収容所に送られる。主人公の女性もその一人で、収容所での過酷な生活が描かれている。


これは日系人が収容所へ送られるシーンだが、ナチスもの映画によく出てくるユダヤ人がアウシュビッツに送られるシーンと変わらない。その数は十数万人といわれるが、ほとんどがアメリカ市民権を持っているアメリカ人だ。真珠湾攻撃の際に、ハワイの日系人が、真珠湾のアメリカ海軍の動静を日本に通報していたのではないかと疑われたことが強制収容のきっかけだった。(アメリカ政府は 1993 年に、この強制収容の誤りを認め、収容されていた日系人の生存者に一人2万ドルの補償金を支払った。)

ところで、主人公の女性は同じ日系2世の男との見合いを断って結婚したのはアイルランド系の若者だった。冒頭の「ブルックリン」と同じく、アイルランド人の彼は差別を受けている。工場で働いているがすぐにクビになり、次の職場でもまたクビになる。ついに徴兵されるが徴兵検査官は、アメリカに忠誠を誓えと迫る。しかし彼は NOと言い戦場送りになってしまう。映画はともに差別を受ける側の日本人とアイルランド人を夫婦にすることで、アメリカの人種差別に対して抗議をしている。