2020年2月27日木曜日

映画「ジョーカー」とキリスト的人間像

"Joker"

すごい映画だった。今年のアカデミー賞の有力候補だったのに、東京都内でもたった3館しか上映しておらず、しかもガラ空き。某韓国映画に賞が行ってしまったせいか?

内容は控えるが、気付いたことがある。ラストで、市民の暴動に巻き込まれた主人公が、押しつぶされた車の中て死んでしまう・・・のだが、人々に引っ張り出されると生き返る。そして車の屋根に立って両手を広げると、デモ隊から大歓声があがる。この十字架のポーズから、監督は、主人公をキリスト的人間として描いていることが分かる。

カナダ人の聖書学者が書いた「ハリウッド映画と聖書」を読んでいたおかげで、それに気付いた。同書によれば、ハリウッド映画には「キリスト的人間像」の主人公がたびたび登場する。「キリスト的人間像」とは、虐げられた人々を「救済」し、自らは犠牲になって処刑される「受難」と、最後に再び生き返る「復活」、という聖書のキリストの物語を、形を変えてなぞっている主人公を指す。しかしそれは説明されるわけではなく、映像で視覚的に、シンボリックに表現される。それが両手を広げた十字架のポーズだという。そして多くの場合、主人公は一見、聖書やキリストとは無縁な人間なので、このポーズを見過ごすと、監督の意図に気付かない。この「ジョーカー」の主人公も映画の中で計7人も殺す ”悪人” だからなおさらだ。

同書は「キリスト的人間像」の主人公が登場する映画の例を3つあげている。彼らはいずれも、救済・受難・復活を経て、ラストシーンで十字架のポーズをする。

「グラン・トリノ」 誰彼構わず口汚く罵り、教会の牧師にも悪態ばかりついている頑固な年寄りが、最後に隣人の移民一家を救うために、自分の命を犠牲にする。

「ショーシャンクの空に」 無実の殺人罪で刑務所に入れられた主人公が、他の受刑者を援助し、喜びと希望を与え、最後に脱獄に成功する。

「主人公は僕だった」 執筆中の小説の主人公にされてしまった男に小説の通りのことが起こる。最後に死ぬストーリーにされ、実際に子供を救おうとしてバスに轢かれる。

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