2014年12月31日水曜日

森美術館(六本木ヒルズ)で開催中「リー • ミンウェイとその関係展」


台湾出身のアーティスト、リー • ミンウェイ(李明維)の展覧会を観た。一種のインタラクティブ • アートで、作品を介して人と人がインタラクションすることで、「つながり」が生まれる、というコンセプトである。最近、メディア技術やネットワーク技術を応用したインタラクティブ • アートが大流行りだが、みな一様に「つながり」をうたっている。それらは割と簡単な技術で出来てしまうので、情報メディアでつながれば、それが「つながり」だという安易なものが氾濫している。(そういう自分も大学では、それらしきことを研究したりしていたのだが)しかし彼の作品はデジタルを一切使っていない。あくまで「モノ」によるインタラクションにこだわっている。


(上)ブースの中で鑑賞者が誰かに手紙を書き、それを壁に掛けておく。封をしてもいいし、しなくてもいい。宛名を書いても書かなくてもいい。宛名の書いてある手紙はあとで館員が投函してくれる。封をしていない手紙は他の誰かが読むかもしれない。

(下左)飾ってある花を鑑賞者は自由に取って持ち帰っていい。ただし、必ず帰り道に出会った、通りすがりの人にその花をあげて下さい、と説明書きがある。

(下右)並べてある箱を自由に開けて中身を見ることができる。中にはいろんな人の思い出の品が入っていて、見知らぬ持ち主に思いをはせることができる

これらの作品を見ていて思い出したことがある。以前テレビで紹介されていたのだが、大津波で全滅した岩手県のある町に、「風の電話」というのがあるそうだ。公衆電話ボックスだが、電話線はつながっていない。犠牲になった家族や知人と、「話しをする」ために、ここを訪れる人たちが後をたたないという。電話線(インターネットと言ってもいい)がつながっていなくても「つながる」ことができるあかしで、これらの作品はそんな試みであるように思える。

展覧会の紹介ビデオ(公式サイトより)



2014年12月26日金曜日

「ティム • バートンの世界」展


すごい人気で、入場するまで1時間以上、行列させられたけれど、見応え十分です。スケッチやオブジェや映像など、盛りだくさん。彼の頭の中にある独特の世界が、押さえようとしても押さえきれず、大量のスケッチとして溢れ出ている、といった感じです。

彼の作品の中で、自分が好きなベスト3は、「フランケンウィニー」「アリス • イン • ワンダーランド」「シザーハンズ」ですが、これらに登場するキャラクター達のイメージスケッチのバリエーションが繰り返し出てきて、アイデアを発想してから、熟成させていくまでのようすがわかります。

2014年12月19日金曜日

ザハ • ハディドの新国立競技場について


ザハ • ハディド氏の設計した新国立競技場のデザインで大論争が続いています。反対派の理由は、巨大すぎて目の前に立ちはだかる壁のようで、景観や環境を壊すという点です。反対論に押されて、修正案が作られましたが、これは原案に形だけ似せて、おおもとのコンセプトを無視した「似て非なる」デザインです。


原案は建物と地面の間をゆるやかなスロープでつなぐことで、自然に人を誘いこむ
し、立ちはだかる壁にならないようにしていす。修正は、作っ
 た物もっきて、ポンと置いたようなで、周辺環境とのりません。

オリジナル案が大きさやコストの点で問題があるのならば、勝手に修正するのではなく、ハディド氏本人に修正を依頼すべきだと思います。そうすればコンセプトをキープしつつ問題を解決する策を作ってくれるはずです。デザインのネタだけもらって、あとは都合良く利用すればいいという、一昔前の、デザインを軽く考える風潮がまだ残っていたのかという思いがします。

ザハ • ハディド氏の設計による建物が今、中国の北京で建設中だそうですが、これとそっくりなデザインが同じ中国の重慶で建設されていて、こちらのほうが本家より先に完成してしまうというマンガみたいな話があるそうです。国立競技場の場合はこんな単純なパクリではないですが、デザインのオリジナリティ尊重への意識の低さ、という意味では共通性が大だと思います。

槙文彦氏をはじめとする反対派建築家の方々の主張にしっくり来ていなかったので、いろいろな専門家の考え方を調べたなかで、とても納得性のある意見がありました。下記サイトでご覧下さい。


2014年12月12日金曜日

ホイッスラーの「画家の母」が登場した映画


先週、当ブログに、今開かれている「ホイッスラー展」(横浜美術館、〜’15 . 3. 1)について書きましたが、その中で、彼の最高傑作である「画家の母」についてふれました。そのとき、この絵が「ビーン」という、10数年前のドタバタコメディ映画に登場していたことを思い出し、もう一度見てみました。けっこうヒットしたので記憶にある方もいるかもしれませんが、改めて見てみると、コメディ映画としてはあまりレベルが高くはないですが、ホイッスラーがアメリカでどう受けとめられているかを知ることができます。

画家の伝記映画は別として、エンタメ映画に登場する場合の絵は、誰でも知っている名画で、しかもとんでもない高価な作品でなければなりません。この映画でもホイッスラーの絵を汚したり壊したりハチャメチャにしてしまうストーリーがコメディとして成り立つのはこの絵がそういう名画だからです。

        (左)学芸員が「画家の母」をパリの美術館から 50 億円で購入
        (中)ドジな主人公が薬品をかけてしまい、絵がとんでもないことに
        (右)同サイズのポスターを貼ってごまかし、なんとか除幕式をきり抜ける
            (1997年、アメリカ•イギリス協同制作、メル•スミス監督)

フランスの美術館からアメリカの美術館がこの絵を買い取ることから始まる話だが、除幕式で講演をするゲストとしてロンドンから呼ばれた美術研究者は実はまったくの素人でしかも大ドジ。彼がこの絵に鼻水をかけてしまい、それを拭こうとしたハンカチにインクが着いていて絵が真っ青になってしまい、あわてて拭き取ろうとシンナーでゴシゴシすると絵の具が溶けて「画家の母」の顔が消えてしまう• • • といったドタバタが続くが、それは省略します。最後に、購入費用を寄付した美術館後援者である将軍の除幕式でのスピーチが面白いです。「自分は絵の愛好者ではないが、愛国者だ。ピカソの絵なんか落書きだ!そんなフランス人から我が国の絵を取り戻したのだ!」

ところで、アメリカではクリスマスプレゼントなどで画集を贈るのが一般的らしいのですが、画集の人気作家ベスト3は、アンドリュー • ワイエス、エドワード • ホッパー、ノーマン • ロックウェル、だそうです。すべてアメリカン • リアリズム系のアメリカ人作家ばかりでヨーロッパの画家は入っていません。逆にワイエスなどはヨーロッパではほとんど無視されている画家だそうです。アメリカ絵画は、世界のなかでは我が道をゆくような存在のようですが、そんな関係がこのスピーチにも反映しているのでしょう。

ホイッスラーはアメリカ人ですが、生涯のほとんどをイギリスで活動していて、イギリス美術家協会の会長にまでなったりしました。美術史のなかで国際的に認められているアメリカ人画家は少ないのですが、彼はその一人ななわけです。だから映画では、この絵がアメリカの誇りとして扱われていて、例の将軍が言います。「これは『画家の母』だが『アメリカの母』でもある。お帰りなさい!」と。

2014年12月7日日曜日

「ホイッスラー展」を見ました


「ホイッスラー展」を見ました。
(横浜美術館、2014 . 12/6 〜 2015 . 3/1)
  展覧会公式サイト: http://www.jm-whistler.jp/


彼の時代は、19世紀なので、まだ絵画が物語やメッセージを伝えるためのメディアだった頃です。それに対して、ホイッスラーは、絵から「ストーリー性」をなくし、「形」と「色」で画面を「構成」することで、純粋に視覚に訴える絵画に挑戦しました。そのため、空間に奥行きのない平面的な「グラフィック的」な絵になっていくのです。彼のめざしたこのような方向性は、日本の浮世絵と合い通じていたため、そこからおおきな影響を受けるわけです。

残念ながら今回の展覧会には来ていませんでしたが、一番の代表作「灰色と黒のアレンジメントNo.1:画家の母」は、彼の特徴がもっともよく表れている作品だと思います。絵をもとに、イラストレーターでこの構図を描いてみました。人物を除いた背景が、このようにいろいろな大きさの長方形の組み合わせで「構成」されていることが分かります。色についても、題名から分かるように、写実の色ではなく、あくまでも「色彩構成」をするための色です。これらは20世紀の抽象絵画の元祖モンドリアンと同じことをすでに始めていたということになります。