2021年1月7日木曜日

絵画の中の「影」の意味

 Shadows in painting

「暗い影を落とす」という言い方があるが、絵画でも、何かよくないことの表象として影が描かれる。ムンクの「思春期」は、わずか 1 5 歳で結核で死んだ姉がモデルだとも、うつ病から精神を病んでしまった妹がモデルだともいわれる。影の形は歪んで、大きく膨張していて、ムンク自身の死に対する不安な気持ちを表している。


キリコの「通りの神秘と憂鬱」の与える不安感の原因は、巨大な人間の影にある。影だけが見えているが、影を作っている人間自体は隠れていて見えない。正体不明で人間を脅かすような不気味な影だ。そこへ向かって無心に走っていく少女にこれから何が起こるのか心配になる。第一次世界大戦勃発の年の絵だが、どうなるかわからない世界の先行きへのキリコ自身の不安を表しているといわれる。



フェルメールと同時代のオランダの画家ホーホストラーテンという人の著書「高等絵画術入門」のなかに、こんな図がが載っているそうだ。小さな人形を左下の光源から照らして壁にできた影が巨大でしかも歪んでいる。影は人を脅かす悪魔のような姿に変身し、実際の人間から離れて一人歩きする。(ストイキツァ「影の歴史」より)


このように、普段は隠れている恐ろしい人間の正体を影が暴くという着想の絵画がたくさん描かれた。1 6 世紀のロレンツォ・ロットという人の「受胎告知」で、美しい大天使の床に映った影が悪魔の姿をしていて、マリアに襲いかかろうとしている。本来は祝福を受けるはずのマリアは恐れおののいている。


「ビガー・ザン・ライフ」( 1 9 5 6 年)という映画にも同様の影が出てくる。男が子供の宿題をみているが、答えができない子供にいらだつ。そのシーンで、男の巨大な影が子供に覆いかぶさるように壁に映る。男はやがて精神に異常をきたし、子供を殺そうとするのだが、男の内面に潜んでいる悪魔的な本質をこの影が暴き出している。


ピカソに「影」という作品がある。男の影が女性の部屋に押し入り、女性の無防備な裸体に覆いかぶさるように男(ピカソ自身)の影が投影されている。このように人体の上に投影される別の人体の影は、二人の力関係の不均衡(パワハラ的な)またはジェンダーの不均衡(セクハラ的な)を表しているという。(ストイキツァ「影の歴史」より)


巨匠オーソン・ウェルズのサスペンス映画「ストレンジャー」(1 9 4 6 年)でもそのような影が出てくる。ナチの残党がアメリカの田舎町に潜伏していて、妻にも本性を隠しているが、やがて戦犯調査委員会の捜査官が嗅ぎつけてくる。妻も夫についてうすうす何かを感じ始めた時、寝ている妻へ男が近づいてきて・・・ ここで男の巨大な影が妻に襲いかかるかのように投影されるのはピカソの絵と似ている。そしてユダヤ人を大量虐殺した悪魔のような男の本性を影で表現している。影が、その人物の内面で起こっていること、つまりその人物が何者であるかを暴き出している


ゴッホは「タラスコンへの道を行く画家」という絵で自身の姿を描いているが、画材を背負って歩くゴッホの姿が地面に暗い影を落としている。ゴッホは絵も売れず、苦悩の生活を送った末に、精神を病んで自殺してしまうが、太陽を目指してひたすら耐えて歩くがゴールにたどれつけない苦悩の人生をこの影が表している。
この絵をもとにフランシス・ベーコンが 1 9 5 7 年に「ファン・ゴッホの肖像画のための習作」を描いている。ゴッホ自身と影が溶け合って一体になっている。ベーコンは「路上に現れた亡霊のように、不安に悩み苦しむ人間を表象すること」そして「ロウソクが自分自身のロウの中に向かって崩れ落ちていくように、ゴッホが自分の影の中に溶解していく様子を示した。」と言っている。(ストイキツァ「影の歴史」より)


2021年1月5日火曜日

フリードリヒの「氷海」

Caspar David Friedrich  「The Sea of Ice」

冬の絵といえばカスパー・ダビッド・フリードリヒだろう。「氷海」は北極の海で難破した船を描いている。右のほうに黒い船が小さく見えていて、まわりを巨大な氷塊が船を閉じ込めている。フリードリヒは厳しい自然に対する恐れを描いた画家だった。超越的な自然の力の前に人間が無力であることのイメージとして、雪の中で朽ちている教会の廃墟などを描いた。この絵でも氷塊の形は、石造建築が壊れて瓦礫になった石のブロックのようにも見える。ほぼ同時代の印象派が自然をただ美しいものとして描いたのと対照的な宗教的で内省的な絵で、ドイツロマン主義絵画の代表作だ。


印象派と対極的なフリーリヒの絵が、印象派大好きの日本へ来ることはまずないだろうが、4年前に徳島県の大塚国際美術館(名画の完璧なレプリカを展示している美術館)へ行ったとき、これがあったので驚いた。もしここを訪れることがあれば一見をおすすめしたい。


2021年1月3日日曜日

ラスコーの牛の絵

Lascaux cave painting 

2万年前のラスコーの洞窟壁画の牛。生命力にあふれた描画で、狩りの対象だった牛を畏敬の念で描いている。彼らは、天体現象から時間の高度な知識を持っていたという。だから今年は牛年だから(?)と描いた牛は、馬年に描いた(?)馬に上書きしている。


当時の家族を復元した模型。安全で暖かく灯りもあった洞窟で暮らしていた。コロナもなく健康的で、余裕のある文化的な生活を送っていたという。時間がたっぷりあったので、じっくり時間をかけて絵を描いたという。自分のイマジネーションを「表現したい」という強い意志を感じる。そんなホモ・サピエンスの時代に「芸術」が初めて生まれたという理由がわかる。


2021年1月1日金曜日

パステル画の雪景色

 Winter paintings

雪を描くとき、水彩画では紙の白を塗り残すしかないが、パステル画では雪そのものを描けるので雪景色との相性がいい。エリザベス・モーリーというパステル画家のアマチュア向け指導書「パステルで描く変わりゆく四季」(「Paint the Changing Seasons in Pastel」)という本の中で雪景色の描き方を教えている。



2020年12月29日火曜日

驚異の「光」と「質感」の表現

James Toogood 「Incredible Light & Texture」 

James Toogood という水彩画家の絵がすごい。変わった名前の人だが、文字通り too good のうますぎだ。水彩で描いているが、光と質感の表現が驚異的にうまい。' 6 0 年代から ' 7 0 年代にかけて流行ったハイパー・リアリズムの流れを汲んでいるが、当時のように無機質ではなく、情感がこもった絵だ。画集「Incredible Light & Texture」から紹介。


カリフォルニアあたりの風景だろうか、真昼のまぶしいくらいの強い日差しを描いている。建物の陰の部分が隣の建物からの反射光で明るい。光の強さを感じさせる表現が見事。


日没前の空の明るさと、店の電気の明るさがちょうど均衡している。昼から夜へ切り替わるわずかな時間の微妙な光を描いている。


剥げかけた壁、たるんだテント、古ぼけたコンクリートの歩道、などの質感が年季の入った古ぼけた商店の雰囲気を出している。


濡れた歩道が美しい雨の夕景。制作プロセスが紹介されているが、特に変わったテクニックを使っているわけではなく、オーソドックスな水彩画の描き方をしている。




2020年12月28日月曜日

陰影の無いモネの絵は浮世絵の影響?

 Monet and Ukiyo-e

近代になって、絵画から光が無くなり始めたのは印象派のマネあたりからだったという。「ブラン氏の肖像」で、顔も衣服も陰影がなく、色が平面的にベタ塗りされている。レンブラントなどのように、光による陰影によって形の立体を表現する陰影法の歴史が終わっている。

形を輪郭だけで平面的に描くのは、日本の浮世絵の影響によるとよくいわれる。しかし必ずしもそうではないという。もともと西洋絵画には平面としての美しさを求める流れと、立体としての美しさを求める流れの二つがあって、両方がせめぎあってきたという。ボッティチェリの「若い女性の肖像画」は陰影がなく、線のリズムによる平面的な美しさで、ダ・ヴィンチの「モナリザ」は逆に輪郭線をなくし、陰影によって立体感を与えている。西洋絵画にとって浮世絵の平面性は新しいものではなく、従来からあった平面表現の新しい可能性に気づかせるきっかけにすぎなかったという。(「国立西洋美術館の名画の見かた」による)


2020年12月26日土曜日

クリスマス映画「すばらしき哉、人生」

 Classic Movie「It's A Wonderful Life」

毎年この季節にクリスマス映画のベストが選ばれるが、いつもNo.1はクラシック映画の「素晴らしき哉、人生」で、アメリカではこの時期に必ずテレビ放映されるという名作だ。事業で失敗した男が自殺しようとするが天使に助けられる。過去の回想シーンで、実は自分ががいろいろな人たちを助けて感謝されていたことに気がつき、人生再スタートを決める。クリスマスの日、かつて助けられた人たちが主人公を助けようと集まり、最後に皆でクリスマスソングを歌う・・・

善い人が最後に報われるという、今では考えられないくらい単純で楽天的な、一種のファンタジー映画だが、制作が第二次世界大戦直後の 1 9 4 6 年なので納得がいく。希望にあふれていた時代の気分を反映しているようだ。