2016年1月29日金曜日

閑人の⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎映画「私を離さないで」

"Never Let Me Go"

今、テレビの連続ドラマで「私を離さないで」を放映しているそうだが、見ないことにする。映画で「私を離さないで」を観たのは5年くらい前だが、悲しく切ない物語で、キャリー・マリガンとキーラ・ナイトレイがハイティーンの少女役を初々しく演じた胸キュンの作品だった。そのいいイメージをテレビドラマで壊されたくない。

エンドロールで「Based on the Novel by Kazuo Ishiguro」というクレジットが出てきたので日本人の原作だったのかとびっくりした。それで初めてカズオ・イシグロのことを知った。血は純粋の日本人だが、小さい頃からイギリスで育ちイギリス国籍で日本語は話せない。小説も英語で書いている。

彼は村上春樹から大きな影響を受けたという。そう言われるとたしかにこの作品は「ノルウェーの森」を連想させるような共通点が多い。若者たちが世の中から隔離された特殊な施設で共同生活をしている点、彼らが未来への希望のない状況に置かれている点、そして死に向い合っている点、など。

世界中で高く評価されている彼は村上春樹と同じくノーベル賞候補だという。
予告編はこちらで  → https://youtu.be/o6aFQmcZEYo 

2016年1月24日日曜日

知らなかった、卍

Pictogram Design for Tokyo Olympic

2020年の東京オリンピックに向けて、外国人用の地図記号を新たに作るという記事が先日の新聞に載っていた。日本の地図記号は今のようにピクトグラムの国際標準化が進む以前に作られたので、外国人には通用しにくいのかもしれない。記事では、外国人の意見を参考にして作られたという各デザイン案の理由が説明されているが、そのなかで寺院の卍記号がナチスドイツを連想させるから三重の塔にした、とあった。

鎌倉をよく散歩するが、お寺が多いので、こんな案内標識があちこちにある。卍(まんじ)は日本人にはおなじみだが、これに不快感を示す外国人観光客がけっこういるらしい。先日読んだ中垣顕實著「卍とハーケンクロイツ」は、これについて書いたとても面白い本なので紹介したい。

この本を読んでから卍に目がいくようになり、あらためてお寺に行って、どのくらい卍が使われているか見てみた。下は浅草の浅草寺で撮った写真のほんの一部だが、そのつもりで見るとたしかにそこらじゅうに卍がある。


卍は仏教だけのシンボルかと思っていたが、ちがうそうだ。仏教 • ヒンズー教 • ジャイナ教など多くの宗教で使われてきた。地域的には日本やインドなどアジア全域、さらにはヨーロッパやアメリカにも存在していて、時間的には3千年以上の歴史がある普遍的なマークだということだ。これら世界各地の卍のバリエーションすべては共通して、「幸福」や「幸運」を意味している。このマークを総称する一般名称は「スワスティカ」(Swastika)というそうだ。


ナチの「ハーケンクロイツ」(Hakenkreuz)は似ていても起源は全く別で、キリスト教の十字架のバリエーションのひとつだそうだ。(だから日本では鉤形の十字架=『鉤十字』と訳されている)ところがこのマークがホロコーストのシンボルとなってしまったため、戦後、欧米では意図的に「ハーケンクロイツ」と呼ばず、あえて「スワスティカ」と呼ぶことで、キリスト教がナチと無関係であるふりをしてきたという。

欧米の観光客が日本の寺で卍を見つけると、仏教はナチのシンパかと怒る人がいる原因はそこにあると著者は言う。ハーケンクロイツは十字架であり、むしろキリスト教のほうががシンパであったことを欧米人自身が知らない(知らされていない)ことからくる誤解だ。だから著者の主張は、お寺の卍記号の横に正しい情報を知らせるように、英文の解説をかかげるべきだとしている。

2016年1月16日土曜日

パステル「イタリアの水差し」

にわとりの形をしたイタリア製の水差しを描いた。表面の模様が楽しいデザインだが、こういうモチーフは2Dの模様を3Dの形の上にちゃんと乗せるのがむずかしい。模様を立体の明暗に連動させればいいわけだが、自然に見せるのにかなり苦労する。
" Italian Pitcher "   Soft pastel,   Sanded paper,   40cm × 27cm  

以前、冗談半分でやったのだが、模様を究極の写実(?)で描いてみた。ラベルはボトルからはがした現物を貼付けたコラージュだが、そこに明暗を加えてボトルの形にうまく溶け込ませると、手で描いたように見える。人をだませて面白い。
 " Cinzano "    Collage +Acrylic,  14cm × 15cm

これは 3D CG の「ピクチャーマッピング」と同じことを超アナログでやっているといえる。Shade や 3ds MAX を使えば、絵のような苦労がない。クリックひとつで瞬時に立体の上に模様が乗ってリアルになるのが快感だ。
" Tea cup"   3D CG with 3ds MAX

2016年1月12日火曜日

すばらしいアニメーションを見つけた

Beautiful animation  by Ryan Woodward

ネットで偶然見つけたアニメーションがあまりによかったので紹介します。
Coldplay の "Gravity" という曲のプロモーションビデオらしいが、描画力といい、動きの表現といい、クオリティがとても高い。調べたら、作者はライアン • ウッドワード( Ryan Woodward )というけっこう有名なアニメーターらしい。実際にダンサーに踊らせて、それを見ながら描いたそうで、絵がクロッキー風なことの理由がわかった。思わず繰り返し見てしまう。

2016年1月6日水曜日

2015年12月31日木曜日

三渓園、庭園の美しさ

Picturesque Garden

三渓園は地元なのでときどき散歩に行く。年末年始の時期も人で賑わっている。明治時代の富豪で古建築コレクターだった原三渓が、いろいろな場所のいろいろな時代の建物を移築してこの庭園を作った。寺、茶屋、書院、農家、などのさまざまな種類の建物が広い敷地の中に建てられ、美しい景色を作りだしている。この山門もここをくぐったからといって奥にお寺があるわけではなく、単に風景のひきたて役としてここに置かれている。

Temple gate in Sankei-en garden     Watercolor


園内いちばん人気の景色がここ。遠景の三重の塔に桜と池の小舟、と典型的な「絵になる風景」で、実際ここを描く人が多い。「絵のように美しい風景」を作るのが目的の庭園のようだ。ネットで「日本庭園ベスト50」というのを見たら、三渓園はかろうじて48位で、上位の多くが西日本にある寺や旅館の庭。自然の風景を凝縮して再現しているが、人が作ったものでないような自然に見せるのが日本庭園の極意らしい。

昔18世紀のイギリスで「ピクチャレスク絵画」というのが流行した。人々が外国旅行をする時代になり、各地の美しい景色を絵はがき的に描くものだった。また実在しない理想の風景を画家が作り上げて描くことも多かった。さらに絵だけではあきたらず、実際にそんな風景を作ってしまおうというので「ピクチャレスク庭園」というのがはやった。森や池に建物を配して風景を作ったが、日本庭園に通じるものがある。

対照的なのがフランス庭園でヴェルサイユ宮殿の庭が有名だ。樹や池を幾何学的に構成して人工的な美しさを作る。その中にあるこの滝と噴水の庭も日本庭園の水の扱い方とはずいぶん違う。最近までやっていた映画「ヴェルサイユの宮廷庭師」は、これを作った造園デザイナーの話だが、その巨匠が庭の美しさは「秩序」であり「秩序とは自然を人間が作り変えることだ」と言う。日本庭園とまったく逆なことがよく分かる。

2015年12月25日金曜日

閑人の ☆☆☆☆☆ 映画        「リトルプリンス  星の王子さまと私」

    The Little Prince


公開中のこの映画を観て、もう一度「星の王子さま」を読んでみたが、その本の「訳者あとがき」の中でとてもいい指摘がされていたので紹介したい。

「『星の王子さま』は小さい子供が読むのにふさわしい童話ではありません。この本が子供向きのお話のように受け取られているのは解せないことです。これは本屋の児童書コーナーに置かれて子供たちの人気になる性質の本ではありません。世の中には『童話』と称して、大人が子供向きに書いた不思議な本がありますが、これはその種の童話ではなく、あくまでも大人が読むべき『小説』です。
しかし一方で、子供は子供向きに書いた本でなければ読めないということではありません。子供はそんな離乳食みたいな童話をあてがわれて育つものではないのです。本を読むことが好きな子供なら、やがて大人の読むものを読みたがるようになります。子供にとって本当に面白い本とは、しばしば大人が子供向きでないと思って子供に読ませたがらない本なのです。その意味では、この本も大人の本を読みはじめた子供には魅力的なのかもしれません。」(「新訳  星の王子さま」  訳:倉橋由美子 より)

サン = テグジュペリのベストセラー小説「人間の大地」は、飛行機のパイロットだった作者がサハラ砂漠の真ん中で不時着して生死をさまよった経験をもとに書いた本だ。死を前にして、今までの人生を想い、わいてくる内省や瞑想の念を淡々と書いている。後にその小説をもとに子供向けバーションとして書いたのが「星の王子さま」だ。だから形は冒険とファンタジーがいっぱいの童話でも、子供がほんとうの意味を理解するのはたしかに難しいと思う。(写真:サン = テグジュペリと不時着して大破した飛行機。「人間の大地」より)

この映画では、そこのところがうまく考えられている。9才の女の子とその母親を登場させるのだが、母親は典型的教育ママで、名門校に入れようと毎日毎晩女の子に勉強を強いている。この母親が「大人」の代表で、隣のボロ家に住む年寄りの元パイロット(これはサン = テグジュペリ自身)が「反大人」の代表という構図になっている。この対比によって、「大人になる」とはどういうことか、そしてサン = テグジュペリのメッセージである「大人にならないことの大切さ」が子供にも理解できる(たぶん)しかけになっている。